関東の特派員?から、潮来のハナショウブの写真が送られてきました。潮来の花嫁さんはきれいだったでしょうね。
三井寺と言えば、クジャク!ですよ。弁慶の引きずり鐘でも、三井の晩鐘でも、14番札所でもなく、パルママの記憶では三井寺にはクジャクがいっぱいいたというもの。何年か見ていないので、三井寺にクジャクがいたというのは妄想かとも思いましたが、いました。良かった良かった。妄想でなかった。
それに、黄色のコスモスや黄色のハナショウブが咲いていました。
ハナショウブは湿地に生え黄色の花弁の根元の目型模様があり、カキツバタは目型模様が白、アヤメは乾燥した土地に生え、花弁に編み目模様があるそうなのでこの黄色花はハナショウブ、あるいはキショウブというものですかねえ。
昨日の夕方、三井寺へ行きました。桜のライトアップの時に三井寺の人に、早朝と夕方はただで犬散歩を皆しているという話を聞いたからです。営業時間?内だと、拝観料一人500円、駐車場代500円がかかります。五時過ぎて、係の人がいなくなってから、ちょっとスリリングに入りました。呼び止められてお金払えーっと言われるかなと。結局、そのままでした。やはり五時以降はスルーということらしいです。ま、拝観でなく、犬散歩ということです。今まで何回か来ているのに行ったことのなかった一番高い所まで行きました。見晴らしがとても良かったです。ヘンなそろばんの碑がありました。知る人ぞ知るの犬散歩者が何組もいましたよ。
庭で草とりをしていたら、羽化したてで上手く飛べないのか、アゲハチョウを捕まえました。じっと紋様を観察、また、外に出してやりました。何時間かは草に止まったままでしたが、夕方には飛べたのか姿がありませんでした。
実家の母に言わせると、チョウは亡くなった父が姿を借りて現われたものということになります。父が亡くなったすぐあとにも、アゲハチョウが現れ、あれは絶対おとーさんだということで、写真を撮らされました。チョウがうろうろしていると、また、おとーさんが来たということになってます。なんだか、モノいいたげなアゲハチョウでした。見守りに来てくれたのかな。六月は父の誕生日の月だしね。
オトギリソウが咲き始めました。オトギリソウの仲間にはヒペリシンという活性酸素を発生する種もありますが、このオトギリソウには赤い斑点がないので、そういう色素はない種のようです。ツツジの仲間にも密に毒があるものもあるそうです。普通のツツジには毒はなく甘い密があって虫たちが寄ってきますが。
九州くじゅうの長者原ビジターセンター横の銅像になっている犬の話を見つけました。
以下、九州登山倶楽部の方のブログからの転用です。
昭和48年の夏、長者原登山口に捨てられていた子犬を、バスの切符売りの方が面倒を見るようになりました。はじめは白い毛が半分抜け落ちて皮膚病にかかっている痩せた犬でした。お弁当を分けてもらえるからか、登山客と一緒に山を登るようになったのです。ある日、九重連山に慣れていない夫婦が道迷いをしたときに、白い犬が長者原登山口まで連れて行きました。命拾いをした夫婦は、飼い主に犬の皮膚病を治してくださいとお金を置いていきます。それから皮膚病も完治して、その犬は立派な秋田県のメスということがわかりました。この時期がガイド犬「平治号」の誕生でした。名前の由来は、平治岳にちなんで命名されたものです。それから飼い主と一緒に何度も訓練を重ね、体格もしっかりしてきて頼もしいガイド犬に なっていきました。 平治はとても気持ちが優しい犬だったようで、人に向かって吠えたり、噛んだりは決してしませんでした。登山客のペースに合わせて、ゆっくりと先頭を進んでいきます。分かれ道になると 必ず、立ち止まって待っています。登山客が小屋で休憩しているときも、決して中には入らず 外に座って待ちます。そして言葉が解るかのように目的地まで連れて行ってたそうです。 ガスにまかれた人、吹雪で立ち往生している人、夜の登山の同行など、たくさんの人の救いと 励ましになってきました。 それから平治は登山客の人気者になっていきます。しかし、マスコミなどが平治を取り上げて 心無い人が、わざと平治を違う道に連れていったりして車道から帰ってくることもあったようです。 車のよけ方までは知らない平治は、きっと戸惑いながら帰ってきたと思います。 平治は子供も生みました。数年のあいだに10匹以上は生んだようです。 しかし、そのほとんどは貰われて行きました。そのことを知ってか知らずか雨ヶ池まで行って こっそり生んでたこともあったようです。
月日は流れ、13年目の頃から急激に平治が衰えて行きます。 人間にしてみると老人です。耳も遠くなり、足を引きずるようになります。平治は山が好きなので いつまでも登ろうとします。しかし、ある日、三俣山の急勾配でどうしても登ることができなくなり ました。その時、平治はとても悲しげな目をして同行した登山客を見ていたそうです。 昭和63年6月11日。くじゅう山開きの前夜祭で平治の引退式が行われました。当日400人が見守る中、平治の首輪は外され、2代目となるチビの首につけられました。
昭和63年8月3日の早朝。平治は星生キャンプ場で倒れました。 飼い主が飛んで駆けつけたときには、手足を震わせながら瀕死の状態でした。 平治は前日、登山客を山に案内して必死で星生キャンプ場まで連れて帰って力尽きたようです。 飼い主は一旦、職場に戻り昼過ぎに再び平治の元に戻ったとき・・・ 平治は既に力尽きていました。周りのキャンパーや登山者は、泣き崩れました。 飼い主は「長い間、ご苦労だったなぁ、ありがとう平治」心の中でつぶやきながら 登山口まで、かついでおりて行ったそうです。
平治の像の横には、「平治の墓」があります。 登山客が手を合わせているのを、よくみかけます。 人間でも難しいことを、平治は14年間やってきました。
亡くなった今でも、平治に教えられるところはたくさんあります。
人間特有の虚栄心や体裁、見返りや傲慢を改めること。
また、謙虚さと前向きな気持ちを思い出させてくれます。
5年前(平成12年)の2月。ひどい吹雪の中、中岳付近の池ノ小屋で休憩していたら
登山客と犬が一匹入ってきました。「長者原からずっときいてきたんですよ。」
「へぇ、平治号みたいですね」そんな会話をした覚えがあります。
休憩後、その登山者が出て行くと、その犬も一緒に下山してました。
今思えば、あれは平成の平治号だったのかも知れませんね。
今サツキが満開です。街のあちこちで咲いています。阿蘇のミヤマキリシマを思い出しますが、ミヤマキリシマの方がサツキより花が小さく色も少し藤色がかったピンクでした。こんなに咲いているのに、ツツジの名所は聞くのに、サツキの名所は聞いたことないようなー。サツキとツツジの違いはなんだっけ?
Rhododendron obtusum(キリシマツツジ)長岡天神 開花4月中旬
Rhododendron pulchrum(ヒラドツツジ)公園、庭、開花4月下旬
Rhododendron kiusianum(ミヤマキリシマ)九州の高山 開花5月中旬から下旬
Rhododendron indicum(サツキ)公園、庭、開花5月中旬から下旬
調べてみると、みな同じ属の別種でした。ミヤマキリシマの種名がキューシアヌムというのも面白いね。