岐阜清流国体開会式に出ました。疲れました。
一番良かったのは、由紀さおりの独唱でした。伊藤英明、宗次郎、高橋尚子が来ていました。天皇皇后も、文部科学大臣も来ていました。各県の選手団の団長に、パーフオーマンス好きな知事たちがなり、行進していました。47年前高校三年生で、国体聖火ランナーだった現在岐阜県知事の古田肇の当時の映像が流され、現在知事となった47年後の古田知事が聖火ランナーで走り、最終走者に聖火を渡しました。
ちょっと残念だつた場面は、途中、西の空をご覧くださいとアナウンスがあり、沈黙が数分続いて、各務原自衛隊のブルーインパルスが五機スクランブル発進してやってきて、アクロバット飛行も見せましたが、あの間の空き方はちょっとでした。敵機に対して対応できないでしょう。
また、前年の天皇杯を返還し、替わりの杯をもらって帰らなければならない場面で、手ぶらで帰り、やり直しをしました。選手宣誓も、女子の中川選手は上手くやりましたが、男子選手は、ふぬけてしまい、笑われていました。ちょっとしまりのない開会式でしたが、こんなものかもしれません。報道用の鉄骨の高台にカメラマンたちがいましたが、そこからカメラか客席に落ち、二名が軽い怪我をしたようです。びっくりしました。
47年前も会場へ来ていた思い出があり、次の岐阜国体にはさすがに生きていないでしよう。 会場のセキュリティーチェックは厳しく、ペットボトルも持ち込み不可で、カバンの中も全部チェックされました。売店にちょっとでても、ふたたび、チェックを通らないと入れません。退場するときも、退場口は一カ所で、選手と報道のみ通し、30分以上待たされました。みんな、怒りました。
帰りのシャトルバスに乗るにも、会場一周したあげく、ここからは入れませんとか、言われ、誘導が全く悪かったです。もう、国体にいくこともないでしょう。
ドブロヴニクから空港へ行くバスは乗客でいっぱいになりましたが、ちょうど夕日が見え、乗客たちは、一斉にカメラのシャッターを切りました。ドブロブニクとの時間を惜しむように多くの人が町と夕日を振り返っていました。
ドブロヴニク空港のお土産やさんは、町のお土産屋さんよりも、コンパクトに売れ筋が集めておいてあって、良かったです。町よりも高い感じでもなく、町よりゆっくり買いやすい感じがしました。
ドブロブニク21:10→ザグレブ22:00のクロアチア航空で空路ザグレブに戻り、夜遅く、ザグレブ空港の近くのRooms Barba Nikoという宿(53?、16m2)に泊りました。空港から電話をかけると、車で迎えに来てくれました。トブロヴニク空港にもレストランなく、ザグレブ空港にもなく、宿もレストラン閉店ということで、夕食を食べそこないましたが、まあ、飛行機でたくさんでるので、かまいません。翌朝も6時に空港へ車で送ってくれました。この宿は、口コミ点数8.6でしたが、まあ、田舎の宿で、木造で、声は筒抜け、シャワーを止める部分が壊れていたり、ちょっとボロでした。しかし、滞在時間が短く、寝るだけでしたのでね。
ザグレブ空港からフランクフルトで乗り継ぎ、関空へ向いました。フランクフルトではかなり待ち時間があったので、ショッピングをしたりしました。ドイツパンがほしかったのですが、お目当てのはありませんでした。フランクフルトソーセージがおいしいかと買ってみたら、スパイス効きすぎで、辛すぎました。待ち時間が長い客のための、寝られそうな椅子もありました。フランクフルト空港は、A,B,C などのターミナル離れていてが動く歩道でかなり移動しなければならないのですが、慣れました。
帰りの飛行機は、個人のスクリーンがないので、映画とかも見れず、ひたすら、寝ました。途中、体調不良を訴えた人がいたようで、医療関係者の人はいないかというアナウンスがありました。トイレに立った時、歩いていたら、通路にその体調不良の人と思しき人が寝させられていて、びっくりしました。意識があるし、それほど具合が悪そうには見えませんでした。関空についたときには、席に座っておられました。到着すると、マスクを着けた検疫の係官が2名入ってきて、その人にいろいろ質問していました。
ルフトハンザの機内食は今回は往復ともご飯がカチカチになっていました。あとで、私が帰った翌日からルフトハンザはストライキに突入し、大混乱になり、欠航便も多数でたそうです。そんなことも知るよしもなく、本当に、予定通り到着し、帰りのはるかの座席指定の時間もそのままで予定どうり帰宅できました。蜂に刺される被害にはあいましたが、無事に帰ってこれました。お天気がよく、心配していた、スロベニアでは快晴で、トロギール、スプリットあたりで、少し曇りでちょっと雨がぱらついたくらいで、全般によい天気でよかったです。
今回の旅行の事前準備は、1か月半くらいから検討し、航空券を購入したのがちょうど1カ月前でした。それから旅程の決定、宿の決定のため、並大抵の情報収集ではなく、ここまでするかと自分でも思った程でした。旅の新鮮さがなくなるのではないかと。それでも、情報収集しずぎていけないことはありませんでした。ツアーとかでいけば、これらの手間がないので、きっと楽でしょうね。
スロベニア・クロアチアの旅はとってもよかったです。世界遺産で行って良かったベストテンに、プリトヴツエ1位とドブロヴニクが入っていました。スロベニアは川や湖のエメラルド透明や山々の美しさを満喫し、クロアチアではプリトヴツエの湖水の美しさ、アドリア海のブルー、世界遺産の古い城壁都市を遍歴し、盛りだくさんの旅程でした。早朝から夜遅くまで毎日歩きづめで、サロンパスをもっともってこればよかったです。荷物を厳選したこと、着替えを極力少なくしたことは必須でした。世界の旅は、歴史的遺産や人工の建造物もいいのですが、やっぱり、大自然がなくちゃあいけません。その点、自然探索を前半に、後半に都市めぐりをもってきたのは正解でした。特にスプリットやドブロヴィニクは大勢の観光客が押し寄せるところでした。若いカップルも中高年の団体客のわんさかいました。また、80歳にはなっているような後期高齢者も杖をつきつつ来ていました。まあ、足腰の立つうちに、ですね。たまには、海外旅行に行って、刺激を受けたり、緊張したりするのもよいかと思います