温泉王国青森温泉は、電車の駅前やバス停の前が温泉で、公共の交通機関によるアクセスが便利です。泉質もいろいろで面白いです。写真上から、蔦、谷地、姉戸川、浪岡駅前、浪岡の国民保養センター花岡荘です。この中では、青森ヒバの芳香に包まれる落ち着いた雰囲気の蔦が、良かったです。浪岡駅前の銭湯も、下呂温泉を黒くしたような素晴らしい温泉でした。お勧めしたいし、再訪したいと思います。
蔦:ナトリウム-硫酸塩炭酸水素塩塩化物泉 46.9℃ pH7.31 1.409g/Kg
谷地:酸性含明礬緑礬ー茫硝硫化水素泉 37.4℃pH4.5 0.8g/Kg H2S13.6mg 白濁
姉戸川:アルカリ性単純線 38.2℃pH8.6 0.281g/Kg 薄黄
浪岡駅前:アルカリ性単純泉 42.2℃pH8.93 1.061g/Kg 黒
国民保養センター花岡:ナトリウム塩化物泉 47.3℃pH8.9 6.254g /Kg 褐色
青森はどこを掘っても温泉がでるそうです。平賀というところたけでも、40以上源泉があるとか。 この新家(あらや)温泉は、二十年前くらいに掘られた温泉で、自称?日本一の銭湯らしいです。朝200円、午後350円ネット割引券300円のお手頃価格。田園広がるただ中にありました。大きな中央の湯船のど真ん中に湯が湧き出る管が突き出ていて、そこか、湯がドバドバでていました。色はグリーン色で、日によっても時間によっても変化するそうです。この日も、午前中は薄い色だったけれど、午後から濃いきれいなグリーンになったとおばさんが言いました。ツルツル~ヌルヌル系の滑らかな湯で、さすがに日本一と言うだけあるかもでした。残念なのは石油系のアブラ臭がすること、メタンガスを取る装置をつけていること、以前は、含硫黄ナトリウム-硫酸塩塩化物泉であったのに、新しい成分表では、弱アルカリ性単純泉になっていて、成分が減少していることです。それでも、この湯は、なにか、強いものがあり、私はカラスの行水くらいしか、湯に浸からず、温泉のおばさんにもうでたの?といわれるくらいですが、後から後から汗が吹き出して来ましたし、すごく疲れた感じがしました。この湯は、色といい、臭いと いい、湯の 強さといい、初体験のもので、スゴイと思いました。ここのアブラ臭が好きという人ともいるようです。新家温泉は、ものすごく個性的な温泉で、強力です。驚きの温泉でした。来て良かったです。 温泉研究は楽しいです。
昭和59年の分析値は、41.6℃ pH8.5 300L/M Naイオン93mval% Clイオン29mval% 硫酸イオン35.6mval%、溶存物質1.12g/Kg、遊離硫化水素14.7mgで、含イオウーナトリウムー硫酸塩塩化物泉(含食塩ー石膏硫化水素泉)と、なっていましたが、新しい成分表は、平成22年のものでアルカリ性単純泉になっていました。きっと、溶存物質の合計が1gを下回り、遊離硫化水素も2mgを下回ってしまったのでしょう。こちらの詳しい成分表は掲示してありませんでした。メタンガスを除くためにガスセパレーターを通過とも書いてありました。
青森はこの時期アジサイが満開でおどろきました。どこへ行ってもアジサイが咲いていました。新屋温泉の向いにある神社の参道もアジサイがきれいでした。
青森は温泉の宝庫です。温泉研究に励まぬわけにはいきません。鰺ヶ沢から赤石川をさかのぼったところに熊の湯はあります。マタギさんの経営の宿には、熊がたくさんいました。生熊も裏に飼われていました。夕飯のおかずは山菜や岩魚でしたが、キノコ汁や山菜の和え物の絶妙な美味しさ、食べたことのない味ばかりで、とても満足でした。温泉は、赤茶に濁り、析出物が湯船の淵などにびっしりついていました。タオルは茶色に変色して、おちません。茶色のに鉄分によるものではありません。湯はキシキシ感があり、ツルツル系ではありません。ザアザア流れる川の音は心地良く、ぐっすり眠れました。
</object>
YouTube: 熊の湯の白神太郎
熊の湯温泉 西津軽郡鰺ヶ沢町大字一ツ森字湯湧淵31
ナトリウムカルシウム‐硫酸塩塩化物炭酸水素塩泉(低張性中性温泉)褐色濁り、 35.8℃ pH=6.8 31L/min(推定)総計=2.77g NH4=0.2mg K=43.9 Na=436.9(51.53mv%) Ca=284.2(38.45) Mg=26.9 Fe2=4.5 Al=0.0 Mn=0.9 Cl=443.2(34) SO4=631.4(35.78) HPO4=0.0 HCO3=664.9(29.65) H2SiO3=199.7HBO2=27.4 CO2=233.2 (H21.8.4) ※加温あり、塩素系薬剤の使用あり
最後のマタギになるかもしれない、吉川氏の語りの覚え書きを記します。マタギというと、蓑笠かぶり獣の皮をまとった風体をイメージするが、現代のマタギである氏は、四駆にのり、パソコンによるプレゼンテーションをこなし、服はゴアテックス、靴もなにやら高機能らいしトレッキングシューズです。熊の湯という旅館を経営し、川や山での人命救助は数えられないそうだ。警察の捜索方法とは違う方法で探し、別れたところで、別れてからの時間を聞き、45分で一Kmと勘算し、元の方向へ進んで、声を出して探すのだそうです。
マタギ講座覚え書き
マタギというのは、クマなどの大型獣を捕獲する技術と組織をもち、狩猟を生業としてきた人をいう。マタギとは、又鬼とも、又木とも書く。又鬼は、山に入り、鬼のような気持ちをもたないと、クマなどの生きものを殺せないからという。又木という説があるのは、又になった木を杖としてもったからともいう。領地をまたいで、猟をするからという説もある。
マタギは山を神聖なものとし、山自体を神としてとらえ、獲物は神様からのいただきものと考える。山へ入る時は儀式を行い、山へ入るとき、谷に入る時、そのところどころで感謝する。入山したら、一月は山で、マタギ小屋で暮らす。獲物がとれるまで、山で暮らす。クマを打ったら、頭を下流へ、尻を上流に向けて置き、オスなら手や足をどう組むと決まっており、メスならその逆に組む。さばく手順も、頭をうって、十字に刺し、切り開き方にも順序がある。
山の神は醜女とされる。だから、醜いオコゼなどを捧げると喜ぶ。新婚のマタギ、赤ちゃんの生まれたばかりのマタギは猟につれていかない。それは、そのことが気になって、集中できないからである。逆に、身内に不幸のあったマタギは猟にはふさわしいとされる。それは、悲しみから立ち直らせる、気持ちを切り替えさせるためでもある。
マタギの歴史は1000年以上あり、吉川氏の家に伝わる巻物も600年以上のものだという。書き写し、書き写しされてきたようだ。これについては、今年の八月上旬にNHKのBSで森人という番組で、吉川氏の話が放映される予定であるそうだ。巻物の中身はよくわからない呪文、覚書などである。基本的にマタギの作法は、口述のみで伝えられる。文章化したものはない。マタギは山に入れば、日常とは別の言語を使う。それが仲間うちの連帯感を生み出す。自分が死期を悟れば、次を見込む人に、口述で伝える。マタギは本来宗教的なものではなかったが、今では、神道系、仏教系のように別れる、それぞれ儀式が違う。聞いた話として、大正時代に、山に現れる別のマタギがおり、わからない言葉を話していた。それはアイヌだったのではないかということだ。しかし、そのうちに姿を消したという。昔はクマを年に三頭打てば暮せたそうだ。クマがとれない時は、カモシカ、テン、山鳥などをとる。しかし、今ではカモシカも禁漁になった。マタギは実力の世界である。リーダーは猟の作戦を練る力、統率力、判断力をもつ。優しい人はダメだ。最近の若い人たちと一緒にはできない。彼らは、スポーツとして猟をしようとする。マタギは山に対する畏敬があり、取りすぎない、自然に対する配慮がある。ある一定距離逃げたものは、それ以上追わず、山の神が逃がしたと考える。
マタギは12人では山に入らない。それは、山の神の日が12であり、12日は猟を休む。これは、乱獲を防ぐためでもあったのであろう。西目屋のマタギが昔、12人で山に入り、霧の中、一人ずつ谷を下りて行った。一人が下へ降り、オーイと声をかけ、オーイと返事があれば、また次に降りた。12人目が降りようとしたとき、本来なら、最初に降りた人が向こうの山へ上がってこなければならないのに、その気配がないので、おかしいのに気付いた。雪崩でできたような穴に落ち込み、11人が亡くなった。そのことから、山の神の12を犯したからと考えられ、その後12名にならないようにしている。たまたま二つのグループが出会い、12人になってしまったら、人形(三助)を作り、13人いることにする。マタギ小屋の中でも、たまたま12人になったら、13人目をこしらえる。
青森と秋田をつなぐ、青秋林道が作られようとしたとき、山を保護する運動をし、知事が動き、その後、それが世界遺産登録という思わぬ方向になった。しかし、世界遺産になって、よかったことはなにもない。クマをとりに入っていた山にはいれなくなった。山菜とりに入っていた山に入れなくなった。今では調査のためだけになら入れる。しかし、それは調査のためであり、クマをとることができない。
マタギ文化はすたれてしまう。自然と共存してきた、とりつくさず、適数を維持するよう配慮された狩猟の文化であった。ユネスコはそれを含めて、世界遺産と認めたはずであったが、日本政府はそれを外した。管理できないものがあってはいけないのだろう。政府は立ち入り禁止とし、地元民の暮らしが犠牲となった。5年後、10年後に見直すと言ったが、今だ、見直されていない。意見を言うと、文句を言うといわれ、様々ないやがらせ、迫害を受けてきた。運動を続けてきて、失ったものは大きい。しかし、新たな出会いも、学びもあったし、これが宿命と受け止めている。
保護された動物は増えすぎる。クマ、サル、シカなど。狩猟で適数が維持されたていたのが、今では増えすぎている。それが、人里を荒らす。クマも今はまだ、ヒトは怖いものとして母から子へ伝えられているかもしれない。しかし、保護されると、殺されないと、ヒトが怖いと思わないクマの世代が現れてくる。
白神の山はまだ、年に1.3ミリ隆起しつつある。白神山地という名前は昔からあったのではない。自然保護運動をするときに、大義名分とともに、区域をもうけなければならず、その区域を白神とすることにした。それにマスコミが飛びついて、定着した。昔は、弘前の西山とか、大川の山とか、赤石の奥山などと呼んでいた。
ヒトが作った、砂防ダム、三面張り川、テトラポットによる港湾、今では、効果がないことが証明されつつある。自然の脅威から土地や人命を守ろうとしても、自然を保護しようとしても、なかなかうまくいかない。