大津日記 since 2004

雨ニモ負ケズ風ニモ負ケズ…
GSA大津克哉が送る愛と感動の現場日記

ゼミ飲み

2011-04-19 | 大学
学科の中で恐らく一番乗りでゼミ飲みを開催。
学生との付き合いで何がイイって、成人であるから酒を飲みながら語り合うことが出来ること。こういったイベント事に一堂で会すことは大事。何をしたいのか、どんなことを感じているのか、そんな本音を聞けるからね。

よいメンバーに恵まれ、飲むペースも多少早かったかな。少し飲み過ぎたか・・・。
イベント係のダイ、キム、今後のアフターゼミ企画のプランニングよろしく!

ゼミ始動!

2011-04-19 | 大学
いよいよ「大津ゼミ」が開店スタート!
体育学部では5セメスター(3年)になると各ゼミに分かれていくのだが、4セメスター(2年)に学科の選択授業を担当していたので、その講義を履修した学生がなにか興味を持ってくれたのかな?このゼミを希望してくれる学生がいるのは嬉しい限り。

何はともあれこれも何かの縁。無事に「クオリティの高い(!?)」卒論を纏められるようその準備段階の1年、こちらも全力投球でいくぜぃ。

たかし、カッシー、ハナ、なっちゃん、まりあ、ダイ、キム、そして現在カナダに短期留学中のあかねの総勢8名、第1期生頑張っていこう!


今後、研究(素材)→質・量ともにしっかりしたものを揃える。自分が言いたいことを明確に! 5セメにおいては、語句、センテンス(文)、パラグラフ(段落)のそれぞれを丹念に読み、書く練習(トレーニング)を重ねていきますよ。そして秋セメで自主研究レポートの作成(プレ卒論)を行う予定です。


最後に、初回のゼミで『2010年度 GM卒業研究論文抄録集』にあった学科主任のコトバを話したけどここでもアップしておこう。


 研究というものは本来、大変に面白いものである。何かを知ろうとして、本を読み、あるいはネットを彷徨い、現場に出向き、調査する。そて知り得たことを自分の考えとして纏め、文章や図、表を駆使して表現する。こんなに面白いことが他にあるだろうか。
 
 しかし、多くの学生さんたちは、大変だ、きつい、嫌になっちゃう、などという言葉を口にする。どうしてだろう。調べて纏め、表現するというようなことは、日常、多くの場面で行っていることだ。例えば、男子学生が彼女をスキーに誘うとき、本やネットで良さそうなゲレンデを調べ、列車や車を手配し、準備し、いかに楽しい週末になるかをアピールする。あるいは、女子学生が彼氏を自宅に招いて手料理を振る舞うとき、レシピを調べ、考え、良い素材を探しにスーパーを巡り、るんるんと鼻歌を歌いながら料理し、盛りつけを綺麗にして「さあどうぞ。」こんなに面白くて、楽しい、そしてスリリングな行為があるだろうか。研究も同じである。では、何故、研究は面白くない、きつい行為となってしまうのだろうか。
 
 それは、研究という何か特別なことをしようと考えるからだ。「こんなんで研究になりますか」と学生さんたちはよく言う。もちろん研究には、手順や作法というものがあり、それに従う必要がある。しかし重要なのは「何を知りたいのか」「何を伝えたいのか」ということである。彼女の喜ぶスキープラン、彼氏が舌鼓を打つ料理、そして自分の恋心。知りたいこと、伝えたいことが明確な研究はよい研究になる。「こんな」研究や「あんな」研究などはない。
 
 もうひとつ研究をつまらないものにする理由は、つまらない研究をするからだ。研究をする本人がつまらないと思う研究は、必ずつまらない研究となる。反対に面白がっておこなう研究は面白いものになる。「遊び」や「スポーツ」と同じだ。研究テーマを考えるとき、何か研究になりそうなテーマ、纏めやすいテーマを選んだ人もいるだろう。それがそもそも間違いの始まりである。「遊び」や「スポーツ」を行うとき、何を基準に選ぶだろうか。「面白そう」「楽しそう」だからやるのだろう。つまらないことをやっても何も生まれない。面白がって楽しくやるころには、何かが生まれる。

 いまさらこんな事を言われても・・・と思う人もいるだろう。もう終わっちゃったんだから。それは間違いだ。研究はこれからも続いていく。パネルで表現したり、文章化するような研究をするひとは少ないだろう。しかし、何かを知ろうとして調べ、ひとに伝えると言うことは一生続いていく。社員として上司へ、営業マンとしてお得意さんへ、教員として生徒へ、親として子へ・・・。それが伝わるかどうかは、「何を知り、伝えたいのかはっきりしているか」「面白がって楽しんでいるか」という点にかかっている。