運河の桜は小休止して利根運河について調べてみました。
柏市船戸から流山市深井新田の間およそ8.5キロをぬって
江戸川と利根川を結んだ川の道、それが利根運河です。
東京がまだ江戸と言われた頃、17世紀には百万人以上の人が
住んでいました。
江戸に物資を運ぶのに船で房総半島をまわり船で運んでいました。
しかしこのコースでは、黒潮の流れに逆らう事や日数がかかるので
利根川を遡り、関宿から江戸川を通って江戸を目指す事にしました。
この道のりで10~15日かかりました。
しかし、中洲に土砂がたまり通りにくくなると、
布施や船戸から陸路馬で運び野田や流山でまた船に載せる。
これでは時間と手間費用がかかりより良い方法として考えられたのが
運河を造る計画です。
さ~て続きはそのうちに
柏市船戸から流山市深井新田の間およそ8.5キロをぬって
江戸川と利根川を結んだ川の道、それが利根運河です。
東京がまだ江戸と言われた頃、17世紀には百万人以上の人が
住んでいました。
江戸に物資を運ぶのに船で房総半島をまわり船で運んでいました。
しかしこのコースでは、黒潮の流れに逆らう事や日数がかかるので
利根川を遡り、関宿から江戸川を通って江戸を目指す事にしました。
この道のりで10~15日かかりました。
しかし、中洲に土砂がたまり通りにくくなると、
布施や船戸から陸路馬で運び野田や流山でまた船に載せる。
これでは時間と手間費用がかかりより良い方法として考えられたのが
運河を造る計画です。
さ~て続きはそのうちに
その昔運河は罪人たちが掘らされたと聞いたことがありますが、ホントかな
ご存知の方は教えてください
ぜひ見てみてくださいね♪
http://blog.goo.ne.jp/nagareyama-style/e/49cbe331435e24e816c85dcd6fa14332