おしる子日記

流山市限定の地域タウン情報です!!是非見て下さいネ。特ダネ満載とはいきませんが・・・?

カモメを助けた仲間たち

2020-06-15 | イベント

前日12日の夜雨の中釣りに行った仲間から早朝

「サバ祭りでございます」とラインが

「そこへ一羽のカモメがやってきて」

「捕れたてのサバをわけてあげると何やらオカシイ」

「カモメの口に、釣り針が絡まり思うように口が開かないではありませんか!!」

「捕獲してOさんとHさんが協力して、皮膚を傷つけないように慎重にくちばしに絡まっていた釣り針を取ったのです」

「その後、捕れたてのたてのサバを丸呑みしました!!」・・・良かったですね!

ずっと近くに居て・・・やがて飛んで行ったそうです。

助けて欲しくて近寄って来たのかしら?

次に釣れたのは、ダイナンウミヘビ・・・撮影の後海へ。

鳥助けやらウミヘビ助け・・・優しいですね。

そして夕方、何カ月ぶりかの「かんぱ~い」

今日の収穫は、海に返し

買って来た獲りたて茹でたてのタコでタコ焼きを、刻んだのはHさん

手際よくタコ焼きを作るFさん

あらま、本格的な経木の舟皿まで用意してたんですね。

こちらは、釣りは一緒に行ったけど、自宅で作ったAさん。「タコの香りが強く、柔らかいので父も母も大喜びです」とコメントが添えられていました。

タコ入りのアヒージョは、Hさん。

みんなで持ち寄って、何カ月ぶりか集いましたが・・・気づけばワタクシは食べるだけでした。

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ホントはきょうは、『千葉県民の日』…。

2020-06-15 | イベント

きょう6月15日は、ホントは『県民の日』ですね。例年ですと、県内の公立小中高校がお休みになって、県立施設も入場無料になったりと、梅雨時に楽しい1日になるはずの『県民の日』。それが、ことしは新型コロナウイルス感染症の影響で学校は通常通りで、ちょっとガッカリしていらっしゃる小中学生もいるかも…。

そんな『千葉県民の日』に、なぜ、県民の日が6月15日なのかも含めて千葉日報の紙面からご紹介させていただきます。

6月12日(金)の千葉日報に掲載された千葉県のおいたち。いまは埼玉や茨城になっているところもあって勉強になりました

きょう6月15日は新聞休刊日ということもあり、千葉日報6月12日(金)の別刷りにこんな図が掲載されていました.
 江戸時代の房総には、幕府領・藩領・旗本領が複雑に配置されており、幕末には佐倉藩・大多喜藩・館山藩など17の藩が、明治初年には26の藩がありました。
 明治4年(1871年)7月に廃藩置県が実施され、房総にあった藩と旧幕府領・旗本領は新たな26の県になりました。
 同11月に行われた県の統廃合によって、26の県は印旛県・木更津県・新治県の3県になりました。

流山市立図書館への坂道にある記念碑。明治2年(1869年)に葛飾県の県庁となり、明治5年(1872年)には印旛県の仮県庁が置かれたとか…。流山は歴史のあるまちなんですね

 明治6年(1873年)6月15日、印旛県と木更津県とが合併し、千葉県が設置されました。明治8年(1875年)5月7日、新治県が廃止され、これまで新治県に管轄されていた香取・匝瑳・海上の3郡が千葉県に編入されました。
 また、同日、千葉県が管轄していた6郡(猿島・結城・岡田・豊田の4郡及び葛飾郡・相馬郡の一部)が茨城県に編入されました。さらに、東葛郡の一部は同年8月30日に埼玉県に編入されました。
 これにより、千葉県は現在とほぼ同じ形になりました。

・・・以前、流山の歴史を調べて・・・幕末の記録によると、大半が天領(幕府直轄領)と旗本領でしたが、駿河国(静岡県)本多田中藩の飛地領の4か村あり・・・その4か村の一つが自分の住んでいる地域と知って江戸時代に想いをはせたことがありました。
チーバ君の形になるまでの変遷もわかり「なんちゃってレキジョ」になった6月15日、千葉県民の日でした。

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