静岡の実家の周辺は、何度も書きますが、映画館が立ち並び、飲食店が数多い繁華街でした。
でした・・・過去形なんです。
昔はまさに市の中心でしたから、明治生まれの母は昭和の初め「町に嫁ぐ」と言って嫁に来たとか
それがこの10年?いや20年くらいのうちに、中心がJR静岡駅から徒歩5分くらいの
母の実家周辺に変わってしまい、若者が好みそうなおしゃれな街並みもできたりしてたいへん賑わっています。
反面、昔の賑わいはいずこに
実家の周辺は、バブル時代の地上げによる転売もあったりして
ところどころ歯抜け状態
繁盛していた飲食店も閉店を余儀なくされ、そんな時に合わせたかのように
実家の店も幕を閉じました。
時代の流れに竿をさすことはできず、
そんな中、私鉄の静岡鉄道(しずてつ)の静岡側発着駅がある”新静岡センター”が
解体されリニューアルし『新静岡セノバ』という駅ビル型複合商業ビルに変身しました。

横浜あたりではめずらしくもない、ファッションとグルメと映画館の総合施設が出来あがりました。
そのあおりを受けたかどうかは定かではないけど、実家近くに数軒あった映画館はすべて閉鎖
この半年余りの間に、その建物も取り壊され、今はすべて空き地になってしまいました。
それぞれ特徴のある映画館でしたが、中でも松竹系の邦画を上映していた映画館はこの壁画が有名でした。


一面のモザイクタイル壁画は芸術的でもあり、長い間市民に愛されてきました。
この建物が壊されると聞いた時、壁画のことが気になりました。
そんな時、壁画の1部を切りとって保存してあるらしいという情報を耳にしました。
早速見に行ってみました。


昭和32年ということは、私が小学3年生のころ、通学路でしたから、毎日仰ぎながら前を通っていたのです。
映画館があるからかろうじて人が集まっていたこの辺りも、今では飲食店も閑古鳥が鳴いているようです。
寂しい限りですが、これも時代の流れ、しかたがないことなのですね
でした・・・過去形なんです。
昔はまさに市の中心でしたから、明治生まれの母は昭和の初め「町に嫁ぐ」と言って嫁に来たとか
それがこの10年?いや20年くらいのうちに、中心がJR静岡駅から徒歩5分くらいの
母の実家周辺に変わってしまい、若者が好みそうなおしゃれな街並みもできたりしてたいへん賑わっています。
反面、昔の賑わいはいずこに
実家の周辺は、バブル時代の地上げによる転売もあったりして
ところどころ歯抜け状態
繁盛していた飲食店も閉店を余儀なくされ、そんな時に合わせたかのように
実家の店も幕を閉じました。
時代の流れに竿をさすことはできず、
そんな中、私鉄の静岡鉄道(しずてつ)の静岡側発着駅がある”新静岡センター”が
解体されリニューアルし『新静岡セノバ』という駅ビル型複合商業ビルに変身しました。

横浜あたりではめずらしくもない、ファッションとグルメと映画館の総合施設が出来あがりました。
そのあおりを受けたかどうかは定かではないけど、実家近くに数軒あった映画館はすべて閉鎖
この半年余りの間に、その建物も取り壊され、今はすべて空き地になってしまいました。
それぞれ特徴のある映画館でしたが、中でも松竹系の邦画を上映していた映画館はこの壁画が有名でした。


一面のモザイクタイル壁画は芸術的でもあり、長い間市民に愛されてきました。
この建物が壊されると聞いた時、壁画のことが気になりました。
そんな時、壁画の1部を切りとって保存してあるらしいという情報を耳にしました。
早速見に行ってみました。


昭和32年ということは、私が小学3年生のころ、通学路でしたから、毎日仰ぎながら前を通っていたのです。
映画館があるからかろうじて人が集まっていたこの辺りも、今では飲食店も閑古鳥が鳴いているようです。
寂しい限りですが、これも時代の流れ、しかたがないことなのですね

全体のたったコレだけ?という感じです。
街の賑わいと共に移り変わり、景色や装飾も変って行きますよね。
大阪でも私が子供の頃は阪急デパートの大きなステンドグラスを見て感動しましたが、今は近代的に様変わりしています。
高校時代に出来た「ナビオ」も今では目新しい事も無く、内側の改装を繰り返して他の施設に押されていますね。
想像以上に街の変化は速いですね。
というか、東京の昔の町のジオラマ話をTVでやっていて
『都会では町が変化して行くけど静岡みたいな田舎は変わらないんじゃない』と小馬鹿にするので、
『私の生まれ育ったところは、街なので変わってしまったじゃないか!』と言い張りました
何がビックリって、いかづち神社の裏が見えたの、
48年生きてきて、はじめてです
夫には、
『子供のときには、現伊勢丹が田中屋で
‘田’の字が家の前からみえたのだ』
と言っておきました
自然淘汰・・・
現実は厳しい。
私がよく行っていたCD屋さんも無くなりました。
ひいきのアーチストの情報教えてくれたり行く度に談笑するのが楽しみだったのに。
本屋さんも縮小し感じが変わってしまいました。
喫茶店もなくなったし。
モザイクタイル惜しかったですね。
でも一部でも保存されて良かったですね。
凄く賑わっていて映画館や福井で唯一のデパート
”だるまや”があり、、、、
何だか同じ様な話しで何処も同じ様な現象なんですね。
今は車社会だからどんどん郊外に大型店が出来ましたが
なんだか味がないですね。
そのモザイクタイルの映画館て見てみたかったわ~
70代の今、当時を振り返ると、ずいぶん街の
移り変わり感じますね。
住み始めた頃は伊勢崎町が一番賑やかでした。
街にはまだ市電が走っていました。
先日ひとりで、みなとみらいへ行った折に
さくらえびさんと同じこと考えていました。
街の変貌していく様子を見ながら、大都会と
言えども栄枯はかわりないのだなぁと
つくづく思います。
一番変わったのは、新横浜あたりと、みなとみらい
でしょうか?始めて住んだところは、当時単線の
小机でした。今のこのあたりより田舎でした。
繁栄しているわけでもなく、
町が持っていた優しさ、温もりを
置き去りにしていったい
どこへ向かおうとしているのかしら?
と、思うところがいっぱい感じられる今。
流されて、失うものの多さを
もっと考えなくては...と、思うこの頃の
街づくりです。
心に寄り添い、出かけたくなる街が
少なくなりました。
繁栄は喜びかもしれませんが、
ほんとうにそうでしょうか?と
年齢を重ねてくると思うこの頃です。
駅前のメイン道路のお店がシャッター通りになりつつあります。
疲れて珈琲を飲もうと思っても喫茶店はおろか
ミスドもケンタもない!
こんな素敵なタイルの壁画
もっと残して欲しかったですね。
昨夜はちょっと飲み過ぎて・・・
ほんとに商売をやっている人はたいへんだと思います。
ついこの間まで夜中まで酔っ払いが騒いでいたような
実家周辺です。
今では閑静な住宅地に変身しようとしています
ウズウズしてるんだけど・・・
日本橋なのよねえ
そりゃ静岡からよりは近いけど
マイケルも見たいし・・って関係ないか
ま、なんでも夫婦の会話があるというのはいいことだ(笑)
家の前と言えば、子供のころは家の前に立つと富士山が見えたのよ
今じゃビルが邪魔してねえ
たしかになじみの店がなくなるのは寂しいですね
進化して繁栄するのはうれしいですけど
原風景が変わってしまうのはやはりさびしいです。
でもこうなって初めて気付くこと、そのまま存在してたら
当たり前ってスルーしてたかも
そんなものなのかなあって思ったりもしてます。