横浜田舎物語

サザン、サッカー、ロードバイク
エイジレスばあばのパワフルな日々
をお届けします

刺し子教室続いてます

2015-08-28 | 趣味
しばらく報告が滞っていましたが、刺し子教室は毎月継続されています。

とても報告できることをしてなかったのでスルーしてましたが・・・



ランチョンマット4枚です。

しかし、もっと達人の皆さんが見たら「何?これ!」って言われそうな仕上がりです。
でも苦手を一生懸命やりました。
こればかりはどうにも言い訳できませんので仕方ないです。

刺し終わっただけでこれから芯地を付け、裏地を付けて初めてできあがり、となるわけです。

これがまた苦手な作業で、ぜったいどこかがつってしまう、
先日yukikoさんに話したら「付けてあげるわよ」って言ってくれたけど・・
自分でできるかな?
もちろん手縫いですけどね。
アイロンがけも決め手になるそうです。
アイロンくらいはね、でもかけ慣れてないからこれもどうなることでしょう

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ハマッ子

2015-08-27 | ひとりごと

ハマッ子、はまっこ・・横浜市民のことをこんなふうに呼びます。

よく聞くのは<3代続かなければ江戸っ子とは言えないけど、3日住めばはまっこ>

来るもの拒まず、去る者追わずが定義だそうです。

SNS上ではいろいろつぶやかれていてなかなかいいところを突いてるとニヤッとしたり
なるほどと感心したり、

生まれも育ちも静岡県静岡市葵区のさくらえびではありますが、東京都民を7年
その後横浜市民となって38年

人生の半分以上をここ横浜で過ごしているわけですから、3日どころではないは”まっこ”だと自負しているのですが
もっとも生まれも育ちも生粋のはまっこに言わせれば??なんでしょうけどね
そこを言わないのがはまっこのいい所

”ヨコハマ”歌のタイトルにもよく使われるカタカナのヨコハマ、どこかに書いてありました、
日本の都市の中で唯一カタカナ変換がぴったりくる都市だと

<横浜あるある> というサイトから皆さんのつぶやきをまとめてみました。

まず、横浜に住んでいる人は何県にお住まいですか?と聞かれても「横浜です」と答える・・確かに
ちなみに、横浜市以外の神奈川県民は○○市とは言わないで神奈川県です。と言うそうですが、鎌倉や茅ヶ崎なら市の名前を言うのでしょうか?

横浜市民は全員”横浜市歌”が歌える・・これはケンミンショーでもやってましたが、
スタジオにいた横浜出身のタレントに振ったら全員が歌えたとか

我が家では子供たちも孫も当然歌えます。学校で教えられますから、ところが夫は歌えない、知らない、彼も生粋の静岡生まれですので
私は・・歌えますよ、開港祭のコーラスで習いましたからね。
作詞は森鴎外です。それだけに子供には理解不能な歌詞ですが、素晴らしい曲です。
開港50年の時に作られたと言いますから、すでに100年以上歌われ続けているのです。

市営地下鉄でも流れてるし、市役所のチャイムも市歌だそうです

横浜市民は中華街を詳しく知らない・・これは当然でしょうね。
かえってちゃんと調べてから来る地方の方や、外国人の方が詳しいかもしれません。

また、昔聞いた話ですが、<ほんとの横浜、ウソの横浜>ってのもあるらしい

ある地方の人が横浜の親戚に来てこういったそうです。「ここは横浜じゃない、ほんとの横浜に行きたい」と
ほんとの横浜って・・・その親戚の家だって横浜市○○区なんですよ

この人の言うほんとの横浜とは・・横浜駅周辺、横浜港を含むみなとみらい地区、中華街、山下公園から元町、その周辺、辺りらしい

何をおっしゃいます。横浜市の90%は田舎なんですよ。

横浜に住んでいるというと「海が近くなんですね」って言われるとか
海に近いのは海沿いの区だけ、その大半は丘陵地や田畑を造成した住宅地に住んでいます。
そこには当然いまだに田畑が残っています。

つまり、代々農家を営んでいる人たちと新参者が共存しているということ

我がブログタイトルも当然の命名でした。

田舎の都会育ちにとって、生まれて初めての経験ばかり、
つくしんぼを初めて見た、生みたて卵が手に入る、採れたて野菜が手に入る・・
ネオンがない、車が少なかった(今は増えた)

それなのに都会の横浜には便良く行くことができる。

空気がおいしい・・ってもっとおいしいところもあるはずだけど、それなりにおいしい

方言があることを県民が自覚していない・・「よこはいり」・・「わりこみ」が標準語なんですって

静岡生まれの割にそんなに違和感がないのは語尾に”〜じゃん”をつけるところ
これは山梨の人も使っているようですが、なんとなく横浜っぽいですね。

男の子たちは自分のこと「おいら・・」って言います。
最近の子は知らないけど、僕とか君とか言わないわね。

茅ヶ崎出身の桑田さんも子供のころは「おいらが・・」って言ってたみたい

神戸の人が兵庫県と言わないように、大阪と一緒にしないで、って言うように
横浜の人は神奈川県を省きます。そして東京と一緒にされるのを嫌う人が多いように思います。

事実、大阪の病院に入院した私は「ああ東京の方から来たんやね」と何度も言われましたが抵抗があり
「いえ、東京じゃありません、横浜です。」と何度言ったことでしょう

横浜から見た関西と、関西から見た横浜、それぞれに感じ方が違うのでしょう。
それ以来、神戸と大阪をいっしょくたにすることはなくなりました。

ところで、何気に使ってしまった”いっしょくた”ですが、方言?
ちょっと調べたらいろんな地方で使われているようで、はっきりどこかわかりません。

普通に便利に使ってますね。”一緒に”より”一緒くたに”のほうがより強調したいとき使います。

横浜あるあるサイトにはもっとたくさんのあるあるが載っていますが、多分住んでいないとわからなかったり
横浜市以外の人たちが見たらムッとするだろうなと思うことも書いてあるので省略します。

こんな横浜にぜひ遊びに来てくださいね。

ほんとの横浜をご案内しますから・・勉強しなくちゃ

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いつの間にか超ブランドに

2015-08-26 | 食べ物
一気に気温が下がって秋めいてきました。

秋と言えば、食欲の秋、真夏でも食欲の落ちない私にはあまりいい言葉ではないけど
おいしいものがおいしいと感じられる幸せが何と言っても大切

おいしいものと言ったら秋に向かって豊富な果物です。

桃、ぶどう、梨、柿・・わくわくしてきます。

中でもここ何年かじわじわとこの辺だけで有名になってきたブランド梨の”浜梨

名前のごとく、横浜産の梨なので浜梨・・もっとも漢字で書かれていることはほとんどありませんが

普通の果物屋さんや、スーパーにはありません。

生産者が開いている直売所か、JAのハマッ子でしか売ってません。

先日yukikoさんから梨を知人に送った話を聞き焦りました。
その週末から走り回ったけど、どこも売り切れ、地方発送は終了というところばかり
我が家から1番近くの生産者さんは高齢が理由で辞めてしまったので余計にあせりました。

そしてようやく見つけました。



色も形もどこにもある梨のようですが、それが大違いのブランド品

半端ない美味しさです。
価格も半端ないです

ところがうれしいことに、B級品と言って贈答品にはならない形崩れやチョイ傷品を半額で買うことができました。
それも自分で選べる

形は悪かったけど、傷のない問題なしのを選んで計ってもらいました。
大玉6個で1100円くらい、いいものは1個500円はするので超お買い得でした。

「こんなの食べたらもうスーパーの梨食べられないねえ」なんて言いながらいただきました。

そして、以前も紹介しましたがハマッ子で見つけました。



食用ホオズキです。
甘いですが癖も少しあるのでこれは好みが分かれるかも
会席料理の先付に出てくることがありますね。

そして、これは取り寄せてみました





福島の桃2種類です。

お取り寄せの果物は心配もありますが、これは大当たりでした。

そろそろリンゴのシーズンです。去年長野から取り寄せたサンふじ、おいしかった
今年も同じところに注文する予定です。

何度も書きますが、おいしいものがおいしいと感じられる、当たり前みたいだけど当たり前じゃない時だってあるのです。
幸せなことですね。

おいしいものと言えば、果物ではないですけど、先日蒲田の義姉がお土産に持ってきてくれたのは



金沢の銘菓”紙ふうせん”

可愛い色合いの球形最中にそれぞれ味も色も違うゼリーが入っています。
金沢らしいなんともお上品なお菓子です。

つい最近、どこかでひとつ食べたはずなのですが、どこでどなたにいただいたのか全く思い出せません。
困りましたね  ごちそうしてくださった方申し訳ないです。

ということで、本日はおいしいもの満載ブログでした。

雨ですので、電車でセントラルに行ってきま~す

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ほんの少し秋を感じて

2015-08-24 | 変形性股関節症
8月も下旬に入って、あの猛烈な暑さから少しだけ解放されました。
北側の窓を開けておくと寒いくらいの風が入ってきます。
それでもあと1カ月は油断できませんから相変わらず熱中症には要注意です。

このところ、時々このノートを取り出しては1年前の今日を思い出しています。



入院中に毎日書いていた入院日記です。

このノート、表紙と裏表紙の模様が違うのでこんな写真になってしまいました。
この違いが気に入って買ってしまったので・・

去年の今頃・・23日(土) 午後1時半ころ、もとさんがおいしそうなケーキを持ってきてくれました。
生クリームが苦手な私のためにフルーツたっぷりのプリン

食欲がなかった時期だったからうれしかったですね。

貴重な休み、原チャリで30分も飛ばして何度も来てくれました。

このころは退院までカウントダウンに入っていましたので、退院後の不安をよく書き込んでいました。

ストレスから蕁麻疹が出たり、2本杖になって病院内を歩き回ったり、エスカレーターに乗る練習もしました。

テレビでは今年もやった日テレの24時間テレビ、去年はTOKIOの城島リーダーが走ってました。
夜のお楽しみはワールドカップバレーでした。食事が終わると夢中になって観てましたから就寝時刻が来るのが早かった

一昨日、昨日と同じ番組を今年は自宅で観てました。

他愛のないことですがリアルにあのころの感情がよみがえってきます。

先週は3回も友人たちとの会食の機会がありました。
全部は書ききれないので久しぶりに行った中華街のランチだけ



北京ダックは、こんなふうに目の前でカットしてくれます。



中華街もビュッフェが増えました。
競争が激しいのでしょうか 店の交代も多いですね。

この日は急激に風雨が強まり、港まで散歩どころではありませんでした。
後で知ったのですが、我が家の近くでは竜巻、突風で被害が出たとか
心配してくださった方が何人かいましたが、
当の本人はのんびり食事して、雨が上がるまで山下公園近くの喫茶店でお茶していました。

その節はご心配ありがとうございました。

新しい1週間が始まりました。

今週はまじめにセントラルに通います。股関節周りの筋肉が落ちると人工関節の緩みにつながるそうです。

もう少し涼しくなったら自転車にも乗りましょう

間もなく退院して1年、徐々に行動範囲も広げて行きたい・・えっ?もう十分広がってるって?
いや、まだまだです。

あ、急がなくちゃセントラルのプログラムに間に合わなくなっちゃう

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大阪最終日は

2015-08-22 | 京都、大阪、関西方面
大阪3日目最終日

ホテルの朝食をしっかり食べてしまったのであまりお腹は空いてなかったけど
最終日のお昼は神戸からわざわざ出てきてくれるNさんと新大阪で待ち合わせ

Nさんも入院中、毎週お見舞いに来てくれたひとり、彼女は12年前も何度も来てくれた
何度お礼を言っても足りないほどありがたい友人なのです。

そういえばせっかくの大阪なのにお好み焼きもたこ焼きも食べてなかったわと
新大阪駅の地下にあるちょっと変わったお好み焼き屋さんへ

開店トップのお客でした。

トマトが入ったり、アボガドが入ったり、変わったメニューがありましたが
結局普通のを・・
写真、スマホでしか撮らなかったのでありませんが、なかなかおいしかったです。

12時前だったせいか店内は空席が・・あまり人気ないのかなあと思ってたら
そのうち満席に、しかも会計済ませて外に出ると、何人いたのかしら?
長蛇の列となっていました。

乗車時刻までかなり余裕があったのでお茶したのですが

Nさんはもともと我が家の近くに住んでいました。
若いころ一時、同じところでパートしていたことがあり、彼女の長男と、うちの次女が同学年と言うこともあり
親しくしてもらっていました。

阪神大震災の年、神戸に引っ越して越したばかりのマンションで被災しました。
新築のマンションで場所がよかったらしく、大きな被害はなかったそうですが
それ以来現在の住まいまで3度の引っ越しで落ち着いたようです。

ご主人の両親と同居し、お義父さんを見送り、今は認知がかなり進んだ義母様のお世話をしています。

同居と言えばプードルのドルちゃん、正式にはドルチェちゃんを飼っていました。

私も依然お邪魔した時会ったことがありますが人懐っこくてかわいい子でした。

その子が去年亡くなってしまいました。15.6歳だったと思いますが
年齢はもう十分だからと言いながらも寂しいですよね。

亡くなった日、彼女が一晩中抱っこしていたそうです。
最期の時の話は涙なしには聞けませんでした

彼女はやるだけのことはやったからと、後悔はないと・・
でもいまだに納骨ができないそうです。
やはりまだ引きずっているのでしょう 当たり前です。

つい、みいやんさんのペンちゃんを思い出してしまいました。

「ドルちゃん、最期までおかあさんのお膝でよかったね。幸せだったね」

認知症のお義母さんはよく似たぬいぐるみをドルちゃんと間違えてるみたいだと言ってました。

生き物を飼うということは必ずその日が来るということ
みなさんわかっているんですよね。
それでも現実は辛い  「ペットロスにならないよう頑張ってるのよ」と言ってましたが、Nさん無理しないで
泣きたいときは泣いて、いい思い出になるよう祈ってます。

お名残惜しかったけど、お義母さんがデイサービスから帰ってくるまでには戻らなければと
現実に戻って、「来年またね、体に気を付けて」「あなたもね」お別れしました

この後ひかりで静岡に向かいました
静岡でのことは省略しますが、横浜に戻ってどっと疲れが・・2,3日は夫が夏休みと言うこともあり
どこにも出かけないで休養しておりました。

その反動か、今週は毎日毎日予定が入って忙しい1週間でした。

しかし、スマホを持ってからカメラでの写真が少ない・・
いつもならぜったい100枚以上は写してくるのに、今回は数えるほどでした。

来年は、先生にお願いしました「真夏の大阪には来たくない」と
なんてわがままな患者なんでしょう、天下の飯田教授にこんな勝手を言うのは私くらいなものでしょう
だってほんとに暑いんだもの

ってことで、4月の第2週、桜花爛漫、ついて行きたいという友人が何人もいます。
大阪の皆さんにも会いたいし、スケジュール調整がますます難しい
まったく何しに行くんだか・・・
これも順調だからこそのわがままです。お許しください 


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もとさんとの一夜・・2つのお祝い

2015-08-19 | 居酒屋&グルメ
大阪続きです。

枚方市からトーマス電車に乗って淀屋橋まで、今夜のホテルはこちらです。

タイトルのもとさんと一夜といってもこちらにご一緒するってわけではありません。

とてもいいホテルでした。
去年わんこさんと御堂筋通り挟んで反対側のホテルに泊まりましたが
ここを知ってたら・・次回はね、大阪の常宿にしたいと思いました。

さてもとさんとは梅田から少し歩いたビヤホールで待ち合わせ
彼女が私のために探して予約してくれました。  楽しみ~

「駅で待ち合わせしましょうか?」という申し入れに「大丈夫よ、意外と地図の読める女だから」なんて
ところがどうでしょう

頭に描いた地図と実際が違い過ぎて、もとさんにギブアップの電話をするも迷走・・

大きなこと言ううんじゃなかった、そういえば以前yukikoさんちに行く時も迷走したんだ
どこが地図を読める女??
はい、撤回します、素直に

早めに出たはずなのに結局遅れてしまってごめんなさい

アサヒスーパードライ梅田

店内はこんな感じ





もとさんがお得意のおまけつきクーポンを用意してくれていたので大助かり
飲み物、料理が何点か無料で出てきます。

まずは氷点下ビールのアサヒエクストラゴールドで乾杯

典型的なビヤホール、どのテーブルも大賑わいで盛り上がってます。
お調子者の私にぴったりのお店、その居心地のよさったら・・

クーポン券でビールとハイボールが飲めます。
それもグイグイ  
そして、こちらが初めて飲んでみた、えーーっと、その場では忘れてしまい後でもとさんが教えてくれました。

”レーベンブロイ”



これを持って歌手のお姉さんがステージに立ってました。
「かんぱ~~い」したくて頼んでみました。

入院中に毎週来てくれたもとさん  貴重な休みを私のために使ってくれたもとさん
15歳も違うのに、私の方がいつも学ぶことが多いのです。

同年代じゃないからめんどくさいことも多々あったでしょう。
私のどうでもいいような話もよく聞いてくれました。

転職しようかと迷っていた頃でしたね。
思い切ってよかったね。
勉強しながら待った新しい就職先も決まり、この夜は再会、就職祝いと2つのうれしい祝宴になりました。

来年も行きます。迷惑でなかったらまた会ってくださいね。

充実した大阪の2日目、終了です。


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1年検診とお礼参り

2015-08-16 | 変形性股関節症
昨年の8月4日、両股関節を人工に交換するという大きな手術を受けて
丸1年
正直、66年間生きてきてこんなに早いことはなかったのではと思うくらいあっという間に過ぎた1年でした。

9月1日の退院、11月の3か月検診、厳寒の2月、半年検診、そして今回の1年検診
その間、5月には9か月検診もあったのですが、ここまで順調に来たことと、遠方だからという事情でこの時期はパス

前回2月の、最高に寒い日に比べて、今まさに熱風騒ぐ大阪に一人旅立ちました

8月10日の出発時の恥は既に報告済みですが、
ここから翌11日午前の検診を挟んで、昼、夜と合計6回もの友人との再会、会食、もしくはお茶の時間

題名の”お礼参り”
去年の入院中に何度も何度もお見舞いに来てくれた友人たちに、そう、術後の1番悲惨な時期を見続けてくれた友人たちに
「おかげさまでこんなに元気になりました」その一言が言いたくて・・
決してやくざさんのお礼参りではありません。

日時は限られているので、こちらの勝手で再会スケジュールを組んだところ、皆さんが快く承諾してくださって
無事全日程をクリアできました。

ご協力をありがとうございました。

8/10(月)午前11時ころ到着の新幹線で新大阪に、地下鉄と京阪に乗り換えて天満橋駅へ
こちらでは2月の半年検診の時ご自宅に宿泊させてくれたTさんと会いました。
半年ぶりです。

2月のころよりますます元気になった私に驚いていました。
お互いにそれぞれの家庭のことを語り合い、ランチして、お茶して
来年の再会を約束して別れました。

その日の夜は、翌日の検診のために枚方市で常宿にしているホテルにチェックイン
昔の職場仲間、やはり沿線に住むSさんが、居酒屋を予約しておいてくれました。
なんとそこに彼女の3女、Kちゃんが、横浜で勤務時代、まだ保育園児だった頃
時々お母さんに連れられて来た彼女に会っていましたが、大人になってからは初めて

その顔に面影はあるものの、身長168cm、体重50kgというスリムな体はモデルさん並

その子とお酒を飲む日が来るとは、年月の経過を感じました。

Sさんも同年代としてはすらりと背が高い人、ホテルへの帰り道、ツインタワーに挟まれながら
ギリギリまで楽しい会話が続きました。

翌11日、ホテルを8時半ごろチェックアウト、駅の反対側へ徒歩5,6分病院に到着です。

受付を済ませて、すぐに1階のレントゲン撮影へ
前回はここで30人待ちだったのですが、今回はレントゲン技師の方が暇を持て余してるって感じで
暑いから皆さん敬遠してるのかしら?

ほんと、暑いです。やっぱり横浜より暑い
分かっていたつもりですが、去年は病院の中でしたからね。

思ったより早く終わったので、診察まで余裕が、朝食がまだだったので病院内のドトールでモーニング
ブレックファーストではありません、関西はどこまでもモーニング

サンドイッチとコーヒーをいただきながらメールを

今は川崎に住むAさん、検診をこの日にしたのはAさんから「せっかくだから同じ日にしてください、久しぶりに会いたいし」
Aさんも私と同じルートで飯田先生を紹介され大阪まではるばる来た人

12年前、4歳と2歳の男の子をご主人に託して2か月の入院生活を送っていました。

初めて会ったとき、その事実に私が泣き出してしまい、いまだにそれが話題になるのです。

彼女は30代で手術を受けましたから(棚形成の手術は通常初期段階で遅くても40代まで)
年齢的にもまだ軟骨がすり減ることもないので、今回も良好とのこと
よかったです。
毎年、8月に検診に来ていましたが、たまたま去年私が入院していた時は、その前年に2年後でいいと言われたため
検診がなかったのです。
毎年だったらお見舞いに行けたのに・・と

川崎と横浜ですから会おうと思えば、なのですが、子供さんの受験やなんやらで、しばらくぶりの再会でした。

さて、私の検診ですが、まずは執刀医のU医師から
レントゲンは異常なし、見た目も順調だし、脚の曲がり具合、開き具合も問題なし
こうなると
自転車の話しかないのですが、脚を上げてまたぐとき、違和感がなければ構わないとのこと
後はやはり転倒による骨折です。

人工股関節はかなり丈夫なので、少しくらいのことでは折れたりしないそうです。
ただ、それが入っている大腿骨本体が折れてしまったら・・・大変なことになる

そんなことを聞くと恐ろしいですけど、歩いていたって、原チャリでだって転んだらそれは同じ
結果は自分持ちと言うことでしょうね。

その後だいぶ待たされて飯田先生のところに

先生は来年この病院を退職されるようです。と言うことは泣いても笑ってもあと1回
笑えないわ・・きっと泣いてしまう

「僕がいなくなったらどうする?」と聞かれましたので、
「このまま通います。執刀医のU先生がいらっしゃることだし、ただし私が通える間だけですけど」

この際横浜の病院にと言う選択もありますが、幸い執刀医はまだ40歳代、
過去のカルテもあるし、やはり症状を1番わかってくれているところに来るのが安心
それに、それに、こちらの友人たちにも会えるし、ついでに観光もできるし・・
もちろんこれからもずっと順調、ってことが前提ですが

ちなみにAさんは飯田先生から神奈川方面の病院を紹介してもらうそうです。
飯田先生の紹介なんて・・どちらの病院の先生方もきっとしっかり診てくださることでしょう。

二人でランチしましょうと約束したまま、私は最後のスケジュール、リハビリセンターに向かいました。

理学療法士のH先生と半年ぶりの再会、ベッドに寝て開閉具合を診てもらったのですが、
入院時と同じマッサージとリハビリを受けながら、当時のことが思い出され胸が熱くなりました。

思えば入院時で1番楽しみだったのがこのリハビリセンターに通う時間だったかも

この日も入院中の方が何人かリハビリがんばっていました。

景色も懐かしい



検診を受けにくると毎回、すでに手術を受けた方、これから受ける方・・様々な方との出会いがあります。

今回はまず飯田先生の診察が終わって、なんとなく暗く不安な様子の奥様

「股関節ですか?」
飯田先生に診ていただいたのだから股関節に決まっているのに聞きました。

すると「はい、来月」「どちらか片方を?」「いえ、両方同時に」

あらら~ここまで聞くとおせっかいおばさん、大阪のおばちゃん化している横浜のおばさんは黙っていられませんわよ

「大丈夫ですよ、私も去年の今頃は入院中、両方同時でしたけど今ではこんなに元気になりましたよ」

彼女の表情が変わったのがわかりました。
すると、すぐ後ろで黙っていたご主人、これはこれはと急に話しかけてきた

不安なはずです。私のように12年前に1度経験があって、それからずっと、いつかはきっとって思ってたのとは違います。

その後何度も不安な気持ちを訴えてきましたが、その都度私が話せるすべてのことを話しました。
いい加減なことは言えませんから正直にすべてです。

もちろん彼女の表情が最初より柔らかくなったことは確かです。

自分が不安な時、経験者の話を聞くのが1番、それも元気になった人の話をね。

ってことで「案ずるより産むが易しっていうでしょう 大丈夫、すべて医師団にお任せして」

それでも不安は仕方ないです。

でもきっと手術して良くなっていく過程で私のこと思い出してくれるはず
来月入院だそうです。頑張ってくださいね。 手術成功をお祈りしています。

すべての検診が終了したのは午後1時半過ぎ、Aさんと病院内のレストランで食事をして
今度は神奈川で会いましょうと約束してお別れしました。

さあ、この後はお待ちかね、もとさんと会いますよ

枚方市駅に着くとタイミングよく特急列車が、これ↓もとさんのブログにもありましたね。
偶然にも乗ることができました。





このあと楽しい夜の時間に続きます。
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一年検診に行ってきます

2015-08-10 | 変形性股関節症

お盆休みに入った方も多いし、夏休みだし、新横浜駅は相変わらずの賑わいでした。
只今新幹線車中です。
新横出るときは雨が降り出しましたが、静岡県に入ったら真夏の空
大阪38℃ですって
もう死ぬわ~
朝からとんだハプニング 
念入りにお化粧のラストはマスカラ
それがなんと手が滑り、今日のために買ったばかりの
ブラウスとパンツに
黒い汚れが…もう落としている時間もないし
着替えるのもめんどくさい

このようなとき、困ったときのネット頼り
「アイメーク落としが効果的」なるほど
早速新横浜のドラッグストアに
そして新幹線発車直後、洗面所に走りました。
いや、実際は向かいました。
アイメーク落としはオイル状です。
結果、マスカラはかなり落ちましたが、あわてて
今度はなにも汚れてない膝にオイルをこぼしてしまったので
そこがしみに
まったくなにやってんだろう
これから3泊4日の日程、無事に過ごせるかしら?
何かいやな予感がするけど
気分変えて行ってきます!

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8月6日です

2015-08-06 | ひとりごと
国会での安保法案が活発に報道されているせいかどうか
終戦70年の区切りでもあり
8月に入って、戦争関連のニュースや報道が増えています。

今日は8月6日 甲子園では王貞治氏の始球式登場で大変盛り上がり、高校野球100年の記念大会が始まりました。

午前8時15分・・黙とうをささげました。

世界で初の被爆地になった広島

このところの報道では広島県人でもこの日が何の日か答えられない人がいるとか

アンケートでは、広島に原爆が投下された日付について聞いたところ、「昭和20年8月6日」と正しく答えられた人は、
広島で69%、長崎で50%、全国で30%でした。

また、長崎に原爆が投下された日付について聞いたところ、「昭和20年8月9日」と正しく答えられた人は、
広島で54%、長崎で59%、全国で26%でした。
と言う結果が出ました。  

テレビでは「8月6日は何の日ですか?」という質問に「ハムの日?」なんてまったくトンチンカンなことを言う人がいれば
「終戦記念日?」  関連はしてるけどそれは15日でしょ!ってテレビに向かって思わず叫びたくなるような答えも

これはだめです。過去のこととはいえ忘れていいことではありません。

政治的なことはあまり書きたくないので安保法案のことには触れませんが

被爆者が全員80歳以上になってしまった今は、我々次世代が自分の子供や孫にその事実を伝える義務があると思います。

そういえば昨年の今日のこの時刻、病院のベッドの上で朝食(8AMからでした)を中断して黙とうしました。

先のアンケート結果ですが、せめて被爆地の方々は両日のこと忘れないでもらいたい
学校では?家庭では?いったどんな伝え方をしているんだろうか

必ず伝えているのだと思います。でも少し大きくなると忘れてしまうのでしょうか?

アメリカ軍は投下しなかったらあの戦争はいつ終わるかわからなかったと言っていたと聞きました。

それについても被爆地の住民の意見は「原爆投下はしかたがなかった」という意見が40%以上ありました。

どんな思いでそのような答えになったのか、戦争経験も、まして被爆経験もない私にはさっぱり理解できませんが
そう答えた人の意見を聞きたいと思いました。

これによって戦争が終結したとしたら、なんと大きな犠牲を払ったのでしょう

8月9日 午前11時02分 長崎に原爆が投下された日時です。

忘れずに黙とうをしようと思います。




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股関節新生記念日

2015-08-04 | 変形性股関節症
なんとも仰々しい、大げさなタイトルではありますが

今日8月4日は、ちょうど1年前、長年患っていた自分の股関節とお別れをし、
人工股関節に入れ替える手術を受けた日です。

今頃は夢の中、まな板の上の鯉となってすべてを医師団にお任せしていた時刻です。

おかげさまで・・この言葉を何度書いて、何度言ったことでしょう。
ほんとうにおかげさまでと言うしかないほど、医師団はじめ、
私にかかわってくださったすべての皆様に感謝、感謝なのです。

最近になって、せっかく手術したのに完治しなかったという話をよく聞きます。

今の私は・・おそらくじゃなくて、言わなければまったくわからないでしょう。

階段はどこにも掴まらないですいすい登れます。

デパートなどでは平気で2時間くらい歩いてしまってます。

自転車に乗れます。原チャリにも乗ってます。

もう健常者と見かけは何ら変わりなさそう

そこで・・6月いっぱいで身体障害者非認可になってしまいました。
喜ぶべきことです。

しかし腑に落ちない点もあります。
この件に関してはいつか書きたいと思っていますが今日のところはまず1周年

手術当日の様子はコチラで・・

片方でもたいへんなのに両方って、術後どんなことになるんだろうと不安でいっぱいでしたが
医師団の確固たる自信のおかげなのでしょうか
日に日に回復していき、今に至ったわけです。

<自分の足でちゃんと歩きたい  自分の足で行きたいところに自由に行きたい  周りの皆さんにいつまでも気を遣わせたくない>

たった5分の駅への道のりが困難になったとき、もうだめだと手術へ気持ちが傾きました。

このまま行ったらいつか1歩も歩けなくなるかもしれない、これはだめだ

今、こんなに元気になってほんとうに決心してよかった、手術を受けてよかったと心の底から思います。

障害者でなくなったとはいえ、まだ制限はたくさんあります。
それでも日常には何の不自由もない

「そのうち手術したことも忘れちゃいますよ」って言った人がいます。
その通りで、たった1年なのに、<ほんとに手術したのかなあ>と傷口を触って確認することもあります。

調子に乗って、このぶんなら夢の”もう1度しまなみ海道を”も夢ではなくなるかもしれない
なんてこともチラチラとよぎっています。

来週は待ちに待った1年検診  大阪に行きます。暑いだろうな
でも飯田先生、担当医のU医師に会えると思うとわくわくしてきます。

今回はちょうど1年の区切りと言うことで、入院中、何度も何度もお見舞いに来てくれた友人たちに
もれなく会う予定
そして、「こんなに元気になったよ」と感謝の気持ちを伝えたい

皆さんにはこちらの勝手で作成したスケジュールに合わせていただきました。

在阪3日間、昼、夜、また昼、夜とまるで売れっ子芸能人みたいです。

もとさん、就職前の忙しい時にこんなおばさんに付き合ってくれてありがとう
あなたにはこちらで会ったけど、やっぱり会いたいのよね

検診終わった後だし、呑むわよ~(笑)

まったく何しに行くんだか、でもね、手術してなかったらこんな忙しいスケジュール組めなかったでしょう
それだけでもやった甲斐があったってものです。

8月、案の定暑いです。
去年は丸1か月空調の利いた部屋にいましたから
でもどんなに暑くてもやっぱり我が家が1番です。

健康ってありがたい、健康って素晴らしい、健康ってうれしい

心配し、応援してくださった皆さん  ありがとうございました



コメント (21)
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