横浜田舎物語

サザン、サッカー、ロードバイク
エイジレスばあばのパワフルな日々
をお届けします

MUSICMAN

2011-02-28 | サザンオールスターズ
1か月前くらいに予約してあった桑田さんの新譜、ようやく受け取りに行ってきました。





初回限定版の、DVDと写真集みたいな本が付いて、おまけにクリアファイルが付いてきました。

さっそくパソコンに取り込んで、ウォークマンに転送、しばらくは桑田ワールドに浸れます。

土曜日の夜、地上波NHKでドキュメントやってましたが、実はファンサイトからこのアルバムの視聴会、
東京と茅ヶ崎申し込んでたのですが、残念ながらはずれ

今までけっこうこの手のは当たってたので当然いけると思ってたのですが甘かった

去年のライブも当たったからコンビニからお金振り込んで、あとはチケット到着を待つだけだったのですが
残念ながら彼があのようなことになってしまったので・・

番組では地元茅ヶ崎に帰った彼を、ファンが涙、涙で迎えてました。

私もこのところの訃報続きで気持ちが沈んでいたところ、元気になった彼の姿を目の当たりにして
感涙は抑えられなかった

今年は年末ライブどうなんでしょう?

ファンとしては期待しつつも、無理はしてほしくないというのが本音だから、ほんとに自信がついてからでいいよ、って皆思っているはず

今回のアルバム、病気の最中に書いた詞が何編かあって、今までにない覚悟の気持ちが伝わってくる

今まで以上に人間の幅が広がったようで、ますます応援に熱が入りそうです。

        
        桑田さん大好きだよ 
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2月最後の日曜日

2011-02-27 | お気に入り
2月も最後の日曜日になってしまいました。

相変わらず自転車は封印中ですが、今日はこの時期、毎年行われる『地域寄席』の日

今年で7年目だそうです。

始めの2年くらいは参加しなかったけど、その後は毎年必ず楽しませてもらってます。

立川談志一門の真打ち、立川談幸師匠がそのライフワークにしている地域寄席
本来なら寄席にこちらから出向き、お金も払わなくちゃ、なのですが、敷地内にある集会所が会場なので
徒歩1分、2分? 当然無料です。(謝礼は自治会費から出ます)

7年前に比べてリタイヤ組も大幅に増え、年々大盛況です。

まず《開口一番》 お弟子の立川松幸さん

  

大向こうではないけど、「松幸 どれだけうまくなったか、楽しみだぞ~」とどこかのおじさま

彼はもうずっと談幸師匠について、毎年必ず前座を務めてますからすっかりおなじみなのです。
昔に比べたら少しは良くなったけど、まだ師匠にはとどきませんね。

そして、真打ち登場



《藪入り》他2題を飽きさせることなく会場を笑いで包んでしまいます。
さすがですね

2時間ほど、今年もまた楽しみました。

さて、yukikoさんのブログにありましたように、昨日はお初にお目にかかりました。
bonjiさんも間もなくご主人がお帰りになる多忙な中、出てきてくれたので3人でランチ



ここに至るまでの道のりを確認して、改めてネットのすごさを思い知らされました。

それにしてもyukikoさんの行動力というか、ネッ友拡大の積極性にはすごいと思いました。
それはご自身のブログ開設前から始まっていたことなので、それにもまた感心
そしてbonjiさんの勧めがあってブログ開設したことは彼女自身が書いています。

私は横着者なので彼女ほどマメにはできませんが、おかげでみいやんさんや都わすれさんという
新しいお友達もできましたし

場所の移動もしないで4時間余り、まあよくも話すことがありましたね(笑)

背中さわってもらったけど、ほんとの自慢はこのかちんかちんの太ももだったんですよ
ほんとに脱いだらすごいんですから・・次回ね・・なんのこっちゃですね
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1週間前のことですが

2011-02-26 | 居酒屋&グルメ
姪の息子たちと会食してから1週間、ほんとに慌ただしい1週間でした

さくら肉の店に行ったことは書きましたが、実はあの日、タクシーで人形町に向かいました。

去年の暮れに行ったお寿司屋の”とちの木”に彼らを連れて行きたかったから

森下から新大橋を渡ればじきに人形町、お腹いっぱいだったので
お寿司はもうそれほど食べられなかったけど、どうだったかな?

彼らと別れてから人形町散歩しました

人形町は一昨年退職するまで40年近く夫が勤務していた会社のあるところ
自分の庭のような場所です。



私も何度か訪れていますが、久しぶりにきたらこんなものができてました。




この街は大阪ではないけど”食いだおれ”の街ではないかと

安くておいしい店、ちょっと敷居の高い店、趣のある老舗、さまざまな店があって選ぶのが困るくらい



甘酒横丁はまるでおもちゃ箱のような通りです。

横道に入ると




こんなものがあったり



一度は入ってみたい路地奥の高級店があったり




圭さ~ん  こんな店がありましたよ  中華料理屋、おいしそうだった
新宿も銀座もいいけど、人形町はお薦めです


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マーマレードできたよ

2011-02-25 | 食べ物
春一番が吹いた今日は、久しぶりにセントラルに行ってきました。

疲れがどのくらい残っているのかよくわからなかったけど、とにかく少し体動かさなければ落ち着かないので

作り始めたのは午後3時過ぎから、みかんはとりあえず10個使いました。

きれいに洗って、どうしても取れないところは削って、
まず、1個を6等分します。

皮と果肉は別々に



皮をなるべく薄く切って、1時間ほど水に浸して



果肉の方も使います。タネは捨てます、わざわざ入れる方もいますが(種に一番の栄養素があるとか)



タネは食感が悪いし、やっぱり取り除きます。
果肉は7,8mm幅くらいに切っておく、ペクチンを多く含み、入れることでなめらかさが出ます。

皮を3回煮こぼします。この回数が大事で、2回では苦みがかなり残ります。
といって、もっとやるとせっかくのほどよい苦みが消えてしまう、結果3回に落ち着きました。

圧力鍋で煮ます。水はひたひたくらい

先に皮を煮て、次に中身を、最後に全部をまぜて、砂糖を加える。
本には3個で700gとなってますが、今回は10個で1,4kgくらい、約2/3ですね。
砂糖は余り少なくても日持ちしないし、ジャム独特のとろみも出ないのでその辺の兼ね合いがむずかしい

でも、いつだって適当です。

コトコトと1時間くらい煮込みました。




火を止める寸前にレモン汁を、1個半分入れます。

できあがり~   良かった間にあいました。
まだ熱いので水っぽいけど、冷めてくればもうすこしとろみが付くはずです。




早速ご主人を亡くされたばかりのMさんのところに届けました。

あす、大阪に戻るという長男にもすこしだけおすそわけ

喜んでもらえるとうれしいのですが

まだみかんはたっぷりあります。また作らなければ、次はいつになるかしら
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おわかれ

2011-02-24 | 出来事
慌ただしかった二つの葬儀が無事終わりました。

お二人とも骨あげまでさせていただくほどの間柄でした。

一人はもう40年のお付き合いになる妹のように慕っているM子ちゃんのお母さん

私は親しみをこめて「お母ちゃん」と呼ばせていただいてました。
というのも、ほんとうに昔からご近所を大切にされた方で、私だけでなく
皆さんから「M原さんのお母ちゃん」と呼ばれて慕われていたからです。

ここ数年、少し痴呆があり、長女であるM子が懸命に世話をしていました。

「この先まだ長いかもしれないのに、そんなに一生懸命やるとこっちがもたないよ
誰かに助けてもらうことも考えなくちゃね」と言う言葉にようやく介護認定を受け
近所の施設へデイサービスに通うようになり、親娘ともども喜んでいたのです。

お父さんは80歳過ぎても、たいへんお元気で毎日お仕事をされてましたから、日中が心配でしたが
これも解消されて、ほんとによかったね、と言っていた矢先の出来事でした。

腹痛を訴えたので病院に行くと、腸に穴が開いているとのこと、緊急手術でした。
そしてこれで無事終わりかと思っていたら、ついでにやった検査で大腸がんが発覚
年齢的に進行が遅かったのでしょう
なかなか気付かなかったようです。

そして2週間後また開腹手術、この時点で80歳を超えた体力が持つわけがありません、が
家族は手術をすれば治ると信じていたし、医師もやるだけのことはやらなければという感じで
術後のことを考えてやったのか、今となっては疑問として残ってしまいました。

家族にとってはまるでジェットコースターのように気持ちを振り回されて、結果最後は自力呼吸もできず
医療器具をいっぱいつながれて、可哀そうでなりませんでした。

M子が「元気になったら好きなエビのてんぷらを食べさせてあげるんだ」と言ってたことを思い出し
なんとか・・と思ったのですが
最後までがんばって、がんばって、でも眠るように旅立たれました

若いころからいつ自宅におじゃましても笑顔いっぱいで歓迎してくださいました。

順番だからといえばそれまでだけど、100歳まで生きる時代、もう少し生きていてほしかった。

でも、もしかして今年還暦を迎えるM子のことを思って、そろそろこのへんでって思ったのかもしれない
本当に親思いの、娘思いの素敵な母娘でした。

喪主として弔問を受けているお父さんの悲しそうな寂しそうな横顔を見ていたら、涙が止まらず
なんとかお元気にと祈らずにはいられませんでした。

通夜の席で、これからも元気なうちはお仕事を続けられると聞いて心から安心しました。

M子も「家で一人でボーっとされても困るしね」とホッとしていたようです。

ほんとに一家の太陽だったお母ちゃん、これからは高い空から明るい光を差し込んであげてくださいね。

心からご冥福をお祈りします。



そして、今日お見送りしたのはご近所さんで、この地に越してきてからずっと親しくしているMさんのご主人
63歳でした。

先週の今日、晩ご飯を食べていたら突然救急車が

お年寄りが多い地域ですから珍しいことではないのですが、うちのすぐ下に止まった。

<どちらかしら?>

まさかのMさん家でした。

ご主人が倒れたと、救急車で運ばれるまで、彼女も心臓マッサージをやったり、消防署がすぐ前なので
そちらから"AED"が届き、やってもらったのですが、結局急性心不全で亡くなってしまいました。

ほんとに間が悪く、晩ご飯が始まり、ワインを飲んでしまっていたので、車を出してやることもできず
申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

ご主人に付きそう奥さんに「なにかやることがあったらすぐに連絡してね」と声をかけましたが

1時間もしないうちにかかってきた電話は、ご主人逝去の知らせでした

彼女には3人の子供さんがいて、長女は比較的近くにいますが、長男は大阪に、次女は北海道にと
それぞれ遠方で仕事に就いているので、当然誰もがお父さんの死に目には会えず、
それでも長女ご夫婦がすぐに駆けつけて彼女を支えてくれましたので安心しましたが

亡くなった翌日の朝、訪ねたいけどどうしたものかと、ご近所の先輩にお聞きすると
「あなたが一番親しくしていたんだから、顔だけでも見せてあげなさい、喜ぶわよ」と
その先輩の方も何年か前にご主人を亡くされていますからその言葉には説得力があります。

その日の朝はあまりのショックでまた血圧が上昇、夫から「よその家のことでそんなになって、もしこれが
自分のことだったらどうするんだ」と言われましたがしかたないのです。

そうして昨夜と今日、受付のお手伝いをしながらの参列でした。

お昼をいただいている時、長男のお嫁さんのお父さんと向い合せになりましたが
「63歳は早いよなあ」としみじみ言われた言葉が胸に染みました。

同世代が亡くなることほどショックはありません。

「こうしてだんだん一人世帯が増えて行くのねえ」と、いずれ来る自分と重ね合わせて
とても不安になりました。

近くの他人同士、つい無関心になっていましたが、これを機にいつも気にしなければね、と改めて確認し合いました。
縁あってここに集ったのです。

他人だけど、もしかして前世ではなにかかかわりがあったのかも、

Mさん、1日も早く元気になって、またどこかに行きましょうね

お疲れさまでした  あなたもご主人も
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あと1日

2011-02-23 | 出来事
ご縁のある方が相次いで亡くなりました

一昨日の夜の通夜から始まって、今日はその方の本葬
そして夜はもう一人の方の通夜、明日はまた葬儀です。

人生長くやってるとこんなこともあるんですねえ

お二人とも、手を抜ける方ではないので心をこめて精一杯お悔みをしたいと思います。

少し疲れてますが、明日、あと1日、忘れられない年になりそうです。

今夜はもう休みましょう

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インプラス

2011-02-22 | 出来事


ダイニングキッチンの出窓です。

入居時は障子の付いた和室だったのですが、10年前、間取りを変えるほどのリフォームをやりました。

10年も経つと、メーカーも当時はなかった目新しいものを発売するようになりましたが
今回この窓に工事してもらったのが、テレビCMでもおなじみの『インプラス』

今流れているのは、堤真一が医師になって、若い看護師さんとなんだか意味深な会話を交わしているあのCMです。

今朝も晴れていたせいで結露がひどく、これでも1度きれいにふき取ったのです。
しかし1時間もしないうちにこんな状態に

そこで、付けてみました。





  窓の内側にもう一つ窓が付いたのですがわかりにくいですか?

  今ならエコポイントが付いているとか・・
    本当は家中に付けたかったけど、とりあえず北側だけ、
  
    もう一か所、キッチンの高窓にも付けました。






さあこれで少しは変わるでしょうか?
変わってくれなければ付けた意味はないのですが

明日の朝が楽しみです
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馬油

2011-02-21 | ひとりごと


さくら肉の”みの家”で買ってきました。

”馬油”(マーユ)です。

お店の人に聞くとやけどとか、乾燥肌等に効果があるみたいです。

調べてみました。


こんなすばらしい効能がありました

ちょっとまゆつばものもありそうだけど、匂いもないし、べたつかないのがいいです。

どうせ売るなら効能書きをつけてくれたらいいのにね
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送別会そして激励会

2011-02-20 | 居酒屋&グルメ
土曜日の昨日はタイトルの通り、静岡の姪の息子、龍之介君の送別会、そして激励会でした。

本当に月日のたつのは早いもので、この春4年間の東京での大学生活を終え、実家のある静岡に
帰ることになったので、筑波にいる彼のお兄ちゃん、勇太朗君も呼んで、私たち夫婦と4人で
宴を開きました。

大江戸線森下駅近くのさくら肉の【みの家】にて

初めは横浜で、と思ったのですが、夫の提案で、若いもの同士ではなかなか行かないだろうと

そういえば前回会った時は、孫の誕生日会で浅草の【駒形どぜう】でした。

江東区森下といえば、小説『鬼平犯科帳』の舞台になっているところ、
私はよくわからないのですが、鬼平フリークの夫は大変詳しいのでそこここと教えてくれるのですが

森下の駅をあがるとすぐにあるのが




”五間掘公園”  有名な舞台になった場所で、昔は堀が通っていたそうです。

新大橋通りに面してその店はありました。

  

さくら肉とはきれいな名前ですが、ご存知の通り”馬肉”です。

もともとあまり肉類が得意ではない私は、少し躊躇したのですが、いやいや、実際食べてみたら
ヘルシーだし、なにしろおいしい、ある意味牛肉より好きかも、って思ってしまいました。

早速



定番の馬刺し、これで一人前です。
柔らかくて、口の中でとろけそうでした

そして

  

名物 さくら鍋  これで二人前、野菜、焼き豆腐等を入れて、最後はごはんをいれておじやにしますが
これがまた絶品、大満足でした。

店内はこんな感じ



龍之介君、いかがでしたか?

君が大学決まって上京した時、初めてお祝いをしたのは横浜中華街だったね。

高校時代、部活と勉強でアルバイトなんかしている暇のなかった君が、
「これからバイト見つけなくちゃ、どんなのがあるかなあ」と不安げに話したこと、昨日のようです。

あれから4年、世渡り上手なお兄ちゃんと違って、くそがつくほど真面目な君をおばさんたちは心配したんだよ。
本当にこの生き馬の目を抜く東京で、この子はやっていけるだろうか?

そんな心配をよそに、この超氷河期の中、就職は地元にと、早々決めることができました。

お兄ちゃんから「卒業はできるのか?」と聞かれて「なんとかなるよ」なんて余裕の返事をしてましたね。

社会人になること不安みたいだったけど、人一倍やさしくて、真面目な自分の長所をアピールしていけば
周りの人はきっと理解して、助けてくれるはず

誰だって初めての世界は不安だし、この先なにが待ってるかわからないけど、みんな通る道

4年間、たいへんな中、仕送りしてくれた両親のためにも、もちろん自分のためにも頑張ろうね

おじさんも、おばさんも寂しくなっちゃうけどこれからも時々遊びに来てね
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夏ミカンが届きました

2011-02-19 | 家族


毎年お願いしている農家のおばさまから、今年も届きました。

お庭でたわわに実った、まさに天然夏ミカン

近々おいしいマーマレードに変身する予定です。

いつも差し上げてる皆さん、しばらくお待ちくださいね



さて、昨日は孫が職業体験をしてきたそうです。

横浜市では毎年、中2を対象とした職業訓練(て言うのでしょうか?)が行われています。

最初に知ったのは、セントラルの最寄り駅ビルの中にあるパン屋さんでランチしていた時
どうみても中学生くらいの男の子がふたり、ぎこちない動作で接客しているのを見たときです。

黙ってられないおばさんは「実習なの?どこの学校?何年生?」と、
緊張で真っ赤な顔をして必至で働いている坊やに矢継ぎ早に質問してしまいました。

それでもきちんと、「M中の2年です」
聞いてもいないのに「あら うちの孫もそのうちお世話になる学校だわ、よろしくね、頑張って

よろしくったって、考えてみたら彼らが卒業してからうちの子入学でした

このころからばば馬鹿発揮だったんですね

そんな前話があって、今回孫の順番が来ました。

どこでやるのかと聞いたら、ウサコさんの最寄り駅にあるお蕎麦屋さんだそうで
それではばーば、食べに行くからね

前日母親である長女に聞いたら「いいよ~わざわざ行かなくたって、親、ばば揃ってなんだって思われるでしょ」
即、却下でした

結局行かなくて正解だったのですが

昨日、本人に聞いたら、勤務時間は開店前だったそうで、なんと蕎麦打ちを体験させていただき
それを食べることができたとか

そもそも、なぜこのお蕎麦屋さんに決まったかと言うと
彼女の志望動機の文が先生の目にとまったらしいです

家族みんなが大の蕎麦好きであること、
外出先では必ずと言っていいほど蕎麦屋に入ること、(これはほとんど彼女が決めるんですけどね)

けっこう蕎麦にはうるさいこと・・・等々書き込んだらしい

体育の先生がこのお蕎麦屋さんと同級生?とかで話はとんとん拍子に決まったとか

孫を入れて4人でお邪魔したそうです。

自分で打った蕎麦は特別だったらしく、興奮して話してました

その上、帰りがけにこんな言葉も忘れなかったようです。

「今度、おばあちゃんたちと食べに来ます」って

これは行かなくてはいけませんね、楽しみが増えました。

この催しは、毎年何百人という生徒を受け入れてくれる企業や施設、店舗などがあって成り立つ企画です。

どこの企業や施設も、慣れない、生意気盛りの足手まといの中2を受け入れてくださって
本当にボランティアの気持ちがなかったらできないことだと思います。感謝ですね。

私が通っているセントラルも毎年、各学校から何人か受け入れています。

プールサイドやレセプションにいますから必ず声をかけて「ご苦労様、がんばってね」と
まるで我が孫に話かけるような気持ちになって

まだアルバイトもしたことのない子供たちが、緊張して一生懸命の様子は微笑ましい限りです。

働くことへの第一歩、うちの娘たちの頃はなかったからいつごろから始まったのでしょう?

少しでも働く喜びを感じ取って、将来に結び付けてくれたら

でも、今の政治は、せっかくの働く意欲を摘み取ってしまっているようで本当に情けなく悔しいです

純粋に働く意欲を持った若者たちが、その気持ちを持続することのできるような世の中にするのが
大人、とりわけ政治家の役目だと思うのですが・・

頼みますよ・・ったって自分たちの損得しか考えてないような今の政権には全く期待できませんね

どうか、なんとか自分の力で切り開いていってもらいたいです。
政治家なんかあてにしないでね

おばさんはそんな君たちにエールを送ることしかできないけど、
今回の体験が君の仕事の原点になるといいなって思います
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