日本語の「は」と「が」について。

象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
とりあえず「三上文法」を「批判」します。

(833)∀x(Fx)∨∀x(Gx)⇒∀x(Fx∨Gx)

2021-03-03 17:33:34 | 論理

(01)
{a、b、c}の3人がゐるとして、
(ⅰ)aはフランス人であって、
(ⅱ)bもフランス人であって、
(ⅲ)cもフランス人である。
か、または
(ⅰ)aは学生であって、
(ⅱ)bも学生であって、
(ⅲ)cも学生である。
とするならば、
① すべての人(主語)は、フランス人である(述語)か、または
① すべての人(主語)は、学生である(述語)。
といふ「命題」は、「真」である。
然るに、
(02)
① すべての人(主語)は、フランス人である(述語)か、または
① すべての人(主語)は、学生である(述語)。
といふ「命題」が、「真」であるならば、
② すべての人(主語)は、フランス人であるか学生である(述語)。
といふ「命題」も、「真」である。
然るに、
(03)
(ⅰ)aはフランス人の教師であり、
(ⅱ)bはイギリス人の学生であり、
(ⅲ)cはフランス人学生である。
といふのであれば、
② すべての人(主語)は、フランス人であるか、学生である(述語)。
といふ「命題」は、「真」ではあるが、
① すべての人(主語)は、フランス人である(述語)か、または
① すべての人(主語)は、学生である(述語)。
といふ「命題」は、「真」ではない。
従って、
(01)(02)(03)により、
(04)
① すべての人(主語)は、フランス人である(述語)か、または、すべての人(主語)は、学生である(述語)。
② すべての人(主語)は、フランス人であるか学生である(述語)。
に於いて、
① ならば、② である。が、
② ならば、① ではない
従って、
(04)により、
(05)
F=フランス人である。
G=学生である。
として、
① ∀x(Fx)∨∀x(Gx)
② ∀x(Fx∨Gx)
に於いて、
① ならば、② である。が、
② ならば、① ではない
然るに、
(06)
(ⅰ)
1  (1)∀x(Fx)∨∀x(Gx) A
 2 (2)∀x(Fx)        A
 2 (3)   Fa         1UE
 2 (4)   Fa∨Ga      3∨I
 2 (5)∀x(Fx∨Gx)     2UI
  6(6)       ∀x(Gx) A
  6(7)          Ga  6UE
  6(8)       Fa∨Ga  7∨I
  6(9)    ∀x(Fx∨Gx) 8UI
1  (ア)∀x(Fx∨Gx)     12569∨E
(ⅱ)
1  (1)∀x(Fx∨Gx)     A
1  (2)   Fa∨Ga      1UE
 3 (3)   F         A
 3 (4)∀x(F)        3UI(は、マチガイ。∴ 以下も、マチガイ
 3 (5)∀x(Fx)∨∀x(Gx) 4∨I
  6(6)      Ga      A
  6(7)       ∀x(Gx) 6UI
  6(8)∀x(Fx)∨∀x(Gx) 7∨I
1  (9)∀x(Fx)∨∀x(Gx) 13568∨E
の、(ⅱ)に於いて、「正しい」のは、
1  (1)∀x(Fx∨Gx)     A
1  (2)   Fa∨Ga      1UE
といふ「2行」だけである。
すなはち、
(07)
かくして、
 1  (1)∀x(Fx∨Gx) A
 1  (2)   Fa∨Ga  1UE
  3 (3)   F     A
Fa∨Ga を(1)から結論し、そして第1の選言項 F を(3)の行に仮定する。
しかし、(3)は、 を含むが故に、∀x(F) を結論することをさしとめられる。
この段階が許されるとするならば、∀x(Fx)∨∀x(Gx) を、∨Iによって、結論し、つぎに G からも同じことを結論することができるであろう。そして、∨Eによって不妥当な連式が作り出されるであろう(E.J.レモン著、論理学初歩、竹尾治一郎・浅野楢英 訳、1973年、156頁)。
といふ、ことに他ならない。