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直線的な

2011-01-22 15:02:06 | 日記
今日も家の掃除をしながらCDを聴いていた。



ちなみにWebで画像検索をして、「Nosmo King」
とやったら禁煙サイトがズラ―とならぶ。
そうか、No smokingか…、今気がついた。

友人の堀江さんからもう数年も前に紹介してもらったCD。
今でもしょっちゅう聴いている。
(ところで堀江さん、年末のセッション楽しかったよ。またやろうね!)

John AbercrombieとAndy LaVerneのデュオは数枚あるけど、
このCDが一番好きかも知れない。
毎回、何かの学びを得ている気がする。

私はギタリストなので、ついアバクロの演奏ばかりに耳がいくのだけど、
今日はアンディもいいな、と思った。

ハーモニーがとても洗練されていて美しい。
ビル・エヴァンスの後継者といわれるだけのものがある。

アバクロが以前、雑誌かなにかのインタヴューで、ビル・エヴァンスの
ハーモニーを研究したといっていたけど、そういうふうにギタリストが
ピアノ・プレーヤーに触発され、そこから学ぶということは意味のある
ことなのだと思う。

私の好きなミュージシャンも圧倒的にピアノが多い。
キース・ジャレット、ハービー・ハンコック、ジェフ・キーザーそして
ブラッド・メルドー。
みな、独自のハーモニーとラインをもっている。



ところで、アバクロに関して今日思ったことは(前から感じてはいたけど
今日改めてそう思った)、

「彼のラインは直線的である」ということである。

うまく言葉では言えないのだが、狙った音にいたるまでのプロセスに
無駄な音がないというのか、サウンドを極限までシンプルなラインに
した時、その周辺のテクスチャがとてもストレートな曲線を描いている
ような気がする。

これはもちろん、私の印象であって、ちがった捉え方をする人はいる
はずだが、あくまで私見をいうと、優れたミュージシャンはみなこの辺が
シンプルというか、方法論が明確で、直線的なフレーズ・ラインを描いている。

以前から何度もこのブログで彫刻の話をしているが、先生がお手本を
提示する際に曲線をはぶいた、非常に直線的なお手本を見せてくれることがある。
その方が生徒としてはプロセスが理解しやすいからである。
ヘタに丸みを帯びた作品を提出しようものなら、あっさりと、バッサリとやられる。
もちろん、最終的には直線を曲線にして仕上げるのだが、それは「角をおとす」感じで、
いちばん最後の作業である。
やはり、まっすぐに彫り込んでゆくこと、つまりものの成り立ちをシンプルに直線的
にとらえること、それが出来てこそのものである。
最初から丸みを帯びた彫り方をしていると、道理が見えなくなるのだ。

言葉にしてもそうだと思う。私が翻訳をチェックしていると、どうしても自分のクセに
とらわれてしまいそうになる。せっかく翻訳者がシンプルにやってくれたものを、
まわりくどい、あいまいな表現に修正してしまうのだ。
もちろん、それでより分かりやすく、流暢な表現になったと自分では思い込んでいる。
先日、私がチェック・修正した翻訳を再度、翻訳者にみてもらって、その時に
指摘をされてはじめて気がついた。
翻訳者はみな、自分なりのレトリックをもっており、それにはその人自身のダイナミズム
がある。それをわざわざ修正して、あいまいな表現にしてしまうのはまずいでしょ。

結局、シンプルな、直線的な捉え方ができて初めて、曲線が描けるわけで、
最初から曲線でごまかしたような表現は、見る人がみれば簡単に見透かされて
しまうことだし、私自身のエゴにすぎないのだ。そんなものはオリジナリティでも
なんでもない。

なかなか、自分が自分のクセに気がつくのはむずかしいね。

だから、いろんな人の指摘に率直に耳を傾けることは大切なんだと思うが、
ついついイライラしちゃうんだよね(笑)。


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