OMTインフォメーション

翻訳のこと、会社のこと、生活のこと、音楽のこと、読書のこと

I'm sorry, mama.

2010-09-10 16:53:06 | 日記
桐野夏生さんの『メタボラ』(下)、続けて『I'm sorry, mama.』を
立て続けに読んだので、頭の中が今、かなり混乱している。



『メタボラ』は本当におもしろかった。
最近小説には全く通じていなかったので、小説界がどのように
なっており、桐野さんの評価がどうなのかとかさっぱりわからないが、
とにかく面白かった。
エンディングのシーンの爽快さには、思わず唸り声をあげてしまった。

チープな存在の人間(登場人物)をストーリーとの特異なバランス感覚でとらえ、
必然的な重さと深さをもって、しかも、とってつけたようでは全くなく描き切る
桐野さんのすごさに、私のような素人はただただ感嘆する。

『I'm sorry, mama.』にしても、このような「モンスター」を
よくもここまで軽妙に描けるものだと思う。
アイ子にある種の、滑稽さや、親しみすら感じてしまう。

モンスターがかぎりなく肥大化し、作者の観念すら超えてしまうような
「いい加減な」作品が多い気がするのだが、桐野さんの作品は登場人物を見事に
「制御」していると思う。

実に卑近な言い回しだとは思うのだが、
桐野さんには女性だけが持ち得る「残酷さ」を感じる。
『I'm sorry, mama.』では島田雅彦さんが解説を書かれているのだが、
彼が解説している、あるいは表現している世界はやはり彼独自の
ものであって、桐野さんの小説の解説には全くなり得ていない。

島田さんの文体には、小林秀雄が翻訳したランボーの『地獄の季節』の
ようなみずみずしい少年の感性を感じる。
一方で桐野さんの作品にはなんというのか、生理の時の鈍痛とでも言おうか、
(生理になったことないくせに、いい加減なこというな。)
そういうような、男が絶対に入り込めない世界が存在している気がする。

残酷さという表現で自分が真っ先に連想したのは、
石垣りんさんの詩集『表札など』にでてくる「シジミ」という詩だった。

自分でここまで書いてきて、なんとも稚拙な文章でいやになってきた…。

もっと適切な表現があってしかるべきであるが、
私は文芸批評家がもとより大嫌いなわけで、
素人のたわごとと敢えて掲載することにする。

ところで『柔らかな頬』を読もうと思って図書館から文庫本を
借りてきたはいいが、上、下巻を借りるつもりが二冊とも下巻を借りる
という大失態をやってしまった。

というわけで作戦変更、次は泉鏡花文学賞作品『グロテスク』に挑戦。


翻訳会社オー・エム・ティの公式ウェブサイト