学生の頃、レッド・ツェッペリンが「ロック」なのか「ロックンロール」なのか
で友達ともめたことがある。
今の自分にとっては既に「どうでもよいこと」になってしまい、
実にばかばかしい議論だと思うのだが、当時は真剣だった。
友達はロックンロール派であり、私はロック派だった。
おそらく友達にとって「かっこいいもの=ロックンロール」だったのだろう。
彼は精神的な意味で「レッド・ツェッペリン=ロックンロール」といったのだ
と思う。
一方の私はもっと即物的なとらえかたをしていた。
当時の私はサウンドのちがいによって、ロックンロールとロックを明確に区別
していた。その区別の方法とは、
「ロックンロール=チャック・ベリ―的であるか、ないか」だった。
チャック・ベリーといえば、「Johnny B. Good」がやはり有名だ。
実は私が学生の頃、チャック・ベリーの3枚組のベストアルバムが発売され、
トータルで50曲入っているのだが、私は全曲完コピするという、恐ろしく
非効率的で意味のないことをやった。
「物事は光の面と陰の面をとらえてこそ意味がある」などと、今考えれば
実に没個性的な人間だったと思う。
でも「チャック・ベリーらしい」サウンドの一端は知ることができた。
当時の私が考えていた「ヒップ」で「ジャジ―」なサウンド。
そのカギは「シックス・コード(例えばC6:ド、ミ、ソ、ラ)」にある、
とその時は確信していた。
ブルースがアフリカのホラー(労働歌)と西洋の伝統的音楽
(カントリーのようなもの)が融合してできているように、
ロックン・ロールはブルースとカントリーの融合によって誕生している。
ロックン・ロールはチャック・ベリーが発明したものであるかのように語られる
ことも多いのだが、私はその時代を象徴するサウンドのうねりというものがあって、
それをチャック・ベリーという天才が際立たせたにすぎないのだと思う。
またロックン・ロールを語る際に、ブルースの影響のみが語られる(特に日本では)
ことが多いが、カントリーはロックン・ロールを語る上で絶対的に忘れてはならない
ものである。
ロバート・ジョンソン→マディーウォーターズ→チャック・ベリ―
というブルースの系譜にそって、レコードを聴き比べてみるとおもしろい。
ロバート・ジョンソンとチャック・ベリ―にあってマディーウォーターズにはない
コード・サウンドがあるのだ。
それこそが、「シックス・コード」の存在である。
それは、ロックン・ロールのもう一つの要素である「カントリー」において顕著
なサウンドでもある。
そしてロバート・ジョンソンもチャック・ベリ―も「カントリ」ーの演奏経験が
あることはレコードをきけばすぐにわかる。
(ロバート・ジョンソンはC/Am/D7-G7/Cという12小節ブルース以外の曲も演奏している)
前回、前々回のブログとも関連するのだが、古い時代の12小節ブルースの形式には
もともとメジャーとマイナーの区別がなかった。
現代ではメジャーブルース、マイナーブルースというものがそれぞれ存在するが
それは後から発展してできたものだと思う。
当時のアメリカの黒人だって、ブルース以外の音楽、いわゆる西洋の伝統的音楽
を聴く機会は皆無だったとはいえないわけで、だからこそブルースが生まれたのだし、
マイナーコードの存在は知っていたと思う。
なんとかして、そのサウンドを自分たちの音楽的世界観の中に取り入れたいと
考えただろうし、ブルーノートもそうした中で生まれたのだろう。
「シックス・コード(例えばC6:ド、ミ、ソ、ラ)」は不思議なコードである。
「ドミソ」(C)のトライアド(3和音)と「ラドミ」(Am)のトライアド、
いわゆる平行調のコードが内包されているのだ。
もちろん西洋音楽ではメジャー、マイナーはしっかり使い分けられているが、
12小節ブルースというかぎられたサウンドに囚われている人たちにとって、
このコードは別の意味をもって響いたことだろう。
マイナー、メジャーを区別しない音楽に限りなく豊かなサウンドをもたらす
コードとして。
チャック・ベリーのサウンドには確かにこの響きがある。
まあ、かなり強引に、チャック・ベリー=シックスコードと定義すると
おもしろいことになってきた。
シックスコードをものの見事に自分たちのサウンドとして取り入れ、
大成功を収めたバンド、
それが「ビードルズ」だからである。
また、彼がチャック・ベリーを敬愛していたことは有名である。
それでは誰もが知りたいであろう、ローリング・ストーンズは?
それは次回のお楽しみ
翻訳会社オー・エム・ティの公式ウェブサイト
で友達ともめたことがある。
今の自分にとっては既に「どうでもよいこと」になってしまい、
実にばかばかしい議論だと思うのだが、当時は真剣だった。
友達はロックンロール派であり、私はロック派だった。
おそらく友達にとって「かっこいいもの=ロックンロール」だったのだろう。
彼は精神的な意味で「レッド・ツェッペリン=ロックンロール」といったのだ
と思う。
一方の私はもっと即物的なとらえかたをしていた。
当時の私はサウンドのちがいによって、ロックンロールとロックを明確に区別
していた。その区別の方法とは、
「ロックンロール=チャック・ベリ―的であるか、ないか」だった。
チャック・ベリーといえば、「Johnny B. Good」がやはり有名だ。
実は私が学生の頃、チャック・ベリーの3枚組のベストアルバムが発売され、
トータルで50曲入っているのだが、私は全曲完コピするという、恐ろしく
非効率的で意味のないことをやった。
「物事は光の面と陰の面をとらえてこそ意味がある」などと、今考えれば
実に没個性的な人間だったと思う。
でも「チャック・ベリーらしい」サウンドの一端は知ることができた。
当時の私が考えていた「ヒップ」で「ジャジ―」なサウンド。
そのカギは「シックス・コード(例えばC6:ド、ミ、ソ、ラ)」にある、
とその時は確信していた。
ブルースがアフリカのホラー(労働歌)と西洋の伝統的音楽
(カントリーのようなもの)が融合してできているように、
ロックン・ロールはブルースとカントリーの融合によって誕生している。
ロックン・ロールはチャック・ベリーが発明したものであるかのように語られる
ことも多いのだが、私はその時代を象徴するサウンドのうねりというものがあって、
それをチャック・ベリーという天才が際立たせたにすぎないのだと思う。
またロックン・ロールを語る際に、ブルースの影響のみが語られる(特に日本では)
ことが多いが、カントリーはロックン・ロールを語る上で絶対的に忘れてはならない
ものである。
ロバート・ジョンソン→マディーウォーターズ→チャック・ベリ―
というブルースの系譜にそって、レコードを聴き比べてみるとおもしろい。
ロバート・ジョンソンとチャック・ベリ―にあってマディーウォーターズにはない
コード・サウンドがあるのだ。
それこそが、「シックス・コード」の存在である。
それは、ロックン・ロールのもう一つの要素である「カントリー」において顕著
なサウンドでもある。
そしてロバート・ジョンソンもチャック・ベリ―も「カントリ」ーの演奏経験が
あることはレコードをきけばすぐにわかる。
(ロバート・ジョンソンはC/Am/D7-G7/Cという12小節ブルース以外の曲も演奏している)
前回、前々回のブログとも関連するのだが、古い時代の12小節ブルースの形式には
もともとメジャーとマイナーの区別がなかった。
現代ではメジャーブルース、マイナーブルースというものがそれぞれ存在するが
それは後から発展してできたものだと思う。
当時のアメリカの黒人だって、ブルース以外の音楽、いわゆる西洋の伝統的音楽
を聴く機会は皆無だったとはいえないわけで、だからこそブルースが生まれたのだし、
マイナーコードの存在は知っていたと思う。
なんとかして、そのサウンドを自分たちの音楽的世界観の中に取り入れたいと
考えただろうし、ブルーノートもそうした中で生まれたのだろう。
「シックス・コード(例えばC6:ド、ミ、ソ、ラ)」は不思議なコードである。
「ドミソ」(C)のトライアド(3和音)と「ラドミ」(Am)のトライアド、
いわゆる平行調のコードが内包されているのだ。
もちろん西洋音楽ではメジャー、マイナーはしっかり使い分けられているが、
12小節ブルースというかぎられたサウンドに囚われている人たちにとって、
このコードは別の意味をもって響いたことだろう。
マイナー、メジャーを区別しない音楽に限りなく豊かなサウンドをもたらす
コードとして。
チャック・ベリーのサウンドには確かにこの響きがある。
まあ、かなり強引に、チャック・ベリー=シックスコードと定義すると
おもしろいことになってきた。
シックスコードをものの見事に自分たちのサウンドとして取り入れ、
大成功を収めたバンド、
それが「ビードルズ」だからである。
また、彼がチャック・ベリーを敬愛していたことは有名である。
それでは誰もが知りたいであろう、ローリング・ストーンズは?
それは次回のお楽しみ
翻訳会社オー・エム・ティの公式ウェブサイト
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