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ロック講座 その3 ブルーノートについて

2011-01-25 14:34:34 | 日記
今日は社員の給料振り込みをすませた。

とはいっても私一人なので、自分の給料を会社の口座から自分の
口座に移すだけで、いたって簡単! 一人は気楽でいいなあ。

まあ、ねが寂しがり屋なもんで、一人で仕事しながら、翻訳者や
お客さんと話をする時以外でも、ぶつぶつしゃべりながらやってる。(あぶねぇ)

今日は交通費の清算をしようとして、「高田馬場(たかだのばば)」と
入力すべきところ、「高田のママ」と入力してしまい。一人でうけていた。

たかだのばば→ばば→ばばあ→ママ(笑)

入力はほとんど無意識でやっているから、無意識でこんなこと考えてるとは
我ながら切ないものがある。


ところで、連載2回目ですでに行き詰っている「ロック講座」であるが、
友人が楽しみにしているとメールをくれたので苦しくても書かなきゃいけない。

本日は「ロック講座 その3 ブルーノートについて」。

いままでシンプルに考えることを旨としてきたのに、ここにきていきなり
難しい話だと思われるかも知れない。
ただ、前回3度音程について言及したし、これをやらないとロックはおろか、
ブルースの本質すら理解できないと思うから、あえて書くことにする。
(これからの言及はロックというより、ブルースにおいて顕著な例なのだが、
ブルースからロックが派生していることから、ここではロックとして話しを
進める。)

大体の理論書においてはブルーノートとは
「ドレミファソラシドの3度(ミ)、5度(ソ)、7音(シ)を半音下げたもの、
正確にはクォーター(半音の半分の音程)」であると定義されている。

前回、ロックでもっとも重要な音はRootと5度音程であり、3度は意識的に
省くと書いた。実はこの言い方は正確ではない。現に私はロックをやる際も、
とりわけブルースをやる際もこの3度を多用している。
また前回、ロックはメジャーとマイナーを明確にわけないと書いたが、
もちろん、はっきりとマイナーを弾いたり、メジャーを弾いたりする時はある。

要は使い方の問題なのだが、なぜ、あえてこういう言い方をしたかというと、
まず断片的な説明が必要だと思ったからである。音を特定しておかないと、
説明ができないからである。これは言葉でものごとを説明する際の限界でもある。

実は音楽は分解写真のようにはいかない。
なぜなら音楽は「流れ」そのものだからだ。
ベルグソン流にいうなら「持続」の観念で語られるべきものだからだ。

実は世に出回っている多くの理論書がこの観点を欠いている。
3rd音を例にとれば、ブルーノートは「クォーター・トーン」として語られる。
いわゆる「短3度」と「長3度」の中間の音。

これはピアノだと出せませんよね。
それにも関らず、優れたピアニストの演奏がこれほどブルース・フィーリングを
感じさせるのはなぜか…

それをこれから説明します。

例えば、「短3度」だけを弾くとただのマイナーとしてのノートだし、「長3度」
だけを弾くとただのメジャーとしてのノート、それなら、次に「短3度」を弾いた直後に
「長3度」を弾くとどうか。音に動きがでましたね。
そうです。この動きこそがブルーノートなのです!!

なんともあいまいな動き、そして響き、これこそがブルースでありロックである。

私からいわせれば、それは「クォーター・トーン」ではない。
「クォーター・トーン」といってしまえば、音が特定されてしまって、
ムーブメントが表現できないでしょ。
ブルーノートとは、「動き」そのものであり、特定の音程ではないのだ。

したがって、ギターにしても、ピアノにしても和音を弾く際はこの動きは表現しようが
ない(ギターだとできなくもないが、手が腱鞘炎になってしまいそうだ)。
だからシンプルなスリーコードのブルースやロックではこの表現をさけ、
かわりに5度の音で対応する。

使い方とはそういうことだ。実は音は現象であり、実態はない。
それは「分析」されるべきものではなく、「意図」として表現されるべきものなのだ。

世のロック少年よ、小難しい理屈をこねる前に目の前にあるギターをかきならせ。
そして、ただひたすら自分の内側にあるイメージを追いかけるのだ。
それだけが、ロックだ。

今回は少々小難しい話しになってしまった(笑)。


私が知り得る限り、もっとも偉大なミュージシャン-B.B.King

他にも話したいことがいっぱいある。
それは次回以降に。


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