シスターみみっくのなんだかわからない堂

日常のよしなしごとをつづります。正教会のお祈り、読んだ本、ハマリものなどなど。

ロシアのケーキ

2006-04-30 22:56:46 | 正教会及び宗教全般
斜里での一週遅れの復活祭、ロシア人の方がいろいろ差し入れをして下さった。
まずケーキ、それからボルシチ、黒パン、とどめは大缶のキャヴィア!
自慢じゃないが私は辻静夫の本でしかマラソル(薄塩)のキャヴィアなんぞというものを見たことがなかったんである。
キャーとかワーとか言いながら写真を撮っていたら花鳥風月氏が「これは自分が(日記に)載せるので載せちゃ駄目だよーん」と言う。ちっ。
黒パンはずっしりしていてやぱしキャヴィアに合う。樺太帰りの信徒の方が大変に懐かしがっていた。ボルシチは本職が作ったので具が小さくて薄味の都会風。
ちなみにこの本職、降誕祭の祝賀会の時にとあるお嬢さんを両親の面前で堂々と口説いていたツワモノだが、こんな上品な味を出すんだから口説いてよし(謎
ケーキはサハリンからだそうで、クリームは酸味があってとてもさわやか、謎の緑色のジェル状のものとスポンジに挟み込まれたフルーツがアマアマなのだがその甘ったるさを打ち消してくれる感じ。
誰かに説明をしているのを聞いていたらどうやらトゥボロクらしい、チーズになる手前とか言っているし。聞いてみると果たしてトゥボロクを使ったクリームだった。
パスハのレシピを検索しているうちにそれの存在を知っただけなのだけれども、日本にはないので、私の口からトゥボロクという単語が出てきたことにそのロシア女性はびっくりしていた。
通常カッテージチーズで代用するようだが、イコールなのかな?
それはともかく、今週いよいよ初パスハにチャレンジ(予定)。ちゃんと固まりますよーに。

今週のお食事

2006-04-27 22:06:38 | 正教会及び宗教全般
今週は朝にゆで卵1個(もちろん復活祭の紅卵)とパンやクリーチ、スープにコーヒーといった感じでゆで卵消費モードなのだけど、そろそろおでんでもやって使っちまうかという感じで、ゆうべから大根とゆで卵とコンニャクを仕込んでおいた。
今日ダンナが帯広出張から帰ってきたので「夜はおでんだよん」と言った。
そしたら「えええっ!?」と、何つーかゴハンを取り上げられたわんこのような哀しそうな目になったのでどぎまぎしてしまい「いやえっと、卵使わなきゃと思ってね」と言い訳したところ「え?あ、そう、そうだよね、うん」と自分を納得させていた。
何か買い物に行って他の練り物を物色している間にも、あのリアクションが忘れられず……ローストビーフが半額だったので買ってって水菜やスプラウトとあわせてローストビーフサラダにした。おでんとタケノコご飯には少々唐突な気もしたが醤油ベースのドレッシングなので勘弁してもらい。

ゴメンね、今週ぐらい毎日食べたかったよね、お肉。

光明週間

2006-04-24 15:40:20 | 正教会及び宗教全般
復活祭から一週間は光明週間と呼ばれて、至聖所の門は大きく開け放たれている。
なんかこの週は天国の門が開いているので、この時期に永眠したら天国直行なんだそうな。
だったらこの時期死にたいな~。
いや、今じゃなくてあと数十年後に(汗

と週末からたまったブログをまとめ書きしているうちに、雪が降っていた。
結構な降りっぷりでもう地面は真っ白だ。
復活祭があけてからでよかった。
でも、復活祭の翌日に雪かよ!!w
北海道おそるべし。

復活祭、その後

2006-04-24 15:26:48 | 正教会及び宗教全般
聖体礼儀が終わったのは午前3時ごろで、その後は恒例の祝賀会。
あったかい汁ソーメンが嬉しかった。
まあ流れ解散というかそういう感じで、だいたい7時ごろお開きに。

ロシア人の船員さんとかはお昼ごろ教会を訪れることが多いので、今年は神父さんがロシア語で復活祭の日程と「23日正午からお祈りやります」と書いた紙を聖堂の入り口に貼っつけた。
すると案の定というか何というかお昼近くに船員さんが4人あらわれ、お祈りに与って紅卵とイコンをオミヤゲに帰っていった。ロシア語の「復活のトロパリ」を歌ったけど、はたしてロシア語に聞こえただろうか(爆)。

午後、ここから車で2時間ぐらいのところに住むルーマニア人の奥さんが日本人のご主人とお子さんと一緒に参祷。時課のお祈りをして紅卵とイコン、それから気がついて聖枝祭のネコヤナギを持っていかれますか?と聞いたらものすごく喜んで、ルーマニアでもネコヤナギを貰う、などと目をうるませながら話していた。お子さんが紅卵をいたく気に入って握り締めてるもんだから指が赤く染まっちゃったのも、ルーマニアと同じだと言ってとても懐かしそうだった。遠い日本で、こういったグッズが少しでも故郷をしのぶよすがとなってくれれば、と思う。

復活祭のお菓子

2006-04-24 14:29:35 | 正教会及び宗教全般
画像はみみっく謹製クリーチと十字架クッキー。
クリーチは結局パネトーネにアイシングをかけたものなんだけど、ここのところ私がつくるのはもう少しケーキっぽいレシピ。
これを切りわけて、パスハ(そのまんまやないかい)というカッテージ&クリームチーズに卵とナッツ類やレーズンなど混ぜ込んで冷やし固めたものを添えていただくのが本式だそう。
伊望兄からパスハの型をいただいたので作ってみたい気もしたんだけど、今年は深夜の復活祭で(釧路は高齢者に配慮して日中と夜交互に行う)人数的にあまり量が減らないかもと思って(そりゃ自分で食べてもいいんだけど~、体重がこれ以上増えるとマジ危険なので~w)上武佐教会の復活祭の時に拵えることにして、代わりにニコライ堂で復活祭の時売っていて毎年楽しみにしていた十字架パンをまねっこして作った。

イオアンネース・クリュゾストモス(金口イオアン)による復活祭の説教

2006-04-23 08:00:00 | 正教会及び宗教全般
さあ、心から神を愛する人々よ
 この美しく光り輝く祭を楽しもう
さあ、賢いしもべたちよ
 それぞれの喜びを胸にたずさえ、主ご自身の歓喜と一つになろう

長い斎(ものいみ)をしっかり守った者は
 さあ銀一枚(一デナリ)を受け取りなさい
(あなたが長い大斎の最初から、そう、あのぶどう園の労働者たちのように)
第一時から働いたなら、今日、胸を張って当然の報酬を受け取りなさい
第三時を過ぎてから来たのなら、感謝して(その報酬を)喜びなさい
第六時をまわってから来たのでも、何の心配もいらない
 同じだけ受け取れるのだから
第九時になってようやく来たとしても
 何をとまどっている…、さあ、この食卓につきなさい
とうとう第十一時になるまで重い腰を上げなかったあなたも
 遅れたからといって、何も怖がることはない

そうなのだ、この宴会の主人は実に寛大だ
 最後の者も最初の者と同じように迎えてくれる
 第十一時に来た者も、第一時から働いた者と同じように憩わせてくれる
 後から来た者も憐み、最初から来た者も忘れはしない
彼にも与え、これにも賜われる
 行いも受け入れてくれ、志も祝福して下さる
 功績(てがら)も認めてくれ、望みも励まして下さる

さあ、だから、この主ご自身の歓喜(よろこび)に入ろうではないか

第一の者も第二の者も、報酬を受け取りなさい
富める者も貧しい者も、共に祝いなさい
節制した者も怠けた者も、この日を喜びなさい
斎した者も斎しなかった者も、さあ、いま楽しみなさい

この宴(うたげ)は溢れこぼれんばかりに豊かだ
さあみんな、飽きるほど食べなさい 子牛はまるまる肥えているではないか
この宴から空腹で帰ってゆく者が、一人でもいてはいけない
さあみんな、この信仰の宴を楽しみなさい
 この慈しみの富をうけなさい
誰も、もう、貧しさを憂いてはいけない
王国が打ち立てられ、すべての人々が招かれているのだから

誰も、もう、罪のために泣いてはいけない
 主の墓から赦しが輝き出たのだから
誰も、もう、死を恐れてはならない
 救世主(ハリストス)の死が私たちを解放したのだから

彼(ハリストス)は、死に包囲されたが、逆に死を討ち滅ぼした
彼は、地獄に降って、地獄をとりこにした
彼は、そのお体に触れた地獄を悔やませた 預言者イサイヤが言った通りだ
 「地獄はあなたを組み敷いてしまってから、悔いて悲しんだ」と

地獄は悲しんだ。そこが空っぽになってしまったから
地獄は悲しんだ。恥をかかされてしまったから
地獄は悲しんだ。葬り去られてしまったから
地獄は悲しんだ。打ち倒されてしまったから
地獄は悲しんだ。縛られてしまったから
 
地獄は主の肉体を受け取って、神に向かい合う羽目になってしまった
地獄は地上に生きた者(ハリストス)を受け取って、天国に出くわしてしまった
地獄は目に見える肉体を受け取って、見えざる者の力に圧倒されてしまった

死よ、おまえの刺(はり)はどこにいってしまったのか?
地獄よ、おまえの勝利はどこへいってしまったのか?

ハリストス復活して、おまえは失墜した
ハリストス復活して、悪魔は倒された
ハリストス復活して、天使らは歓喜する
ハリストス復活して、「いのち」は凱旋する
ハリストス復活して、墓の中にはもう死者はいない
ハリストスが死より復活して、死者たちの復活の初穂となったから!

光栄及び権柄は、世世に主に帰す アミン。
(名古屋ハリストス正教会 ゲオルギイ松島神父訳)

光明なる主の復活大祭

2006-04-23 07:00:00 | 正教会及び宗教全般
ロウソク、凱旋旗、イコンなどを持った行列が聖歌を歌いながら聖堂の周りをまわる十字行が行われて、いよいよ0時、聖堂の前で復活のトロパリが句とともに歌われ、聖堂の扉が開く。
聖堂の中は全ての光が煌々と照らされ、まばゆいばかりの祝祭の雰囲気だ。
喜びに満ちた聖歌が歌われ、司祭と信徒たちの「ハリストス復活!」「実に復活!!」の応答が繰り返されるごとに、喜びはいや増し、眠気もものかはw祈祷はクライマックスを迎える。
「復活祭の夜は、来たるべき時代の生命につつまれて、歓喜と高揚にうずまき、われわれはあらたな喜び、喜びのなかの喜び、夕暮れの帳をしらぬ歓喜にひたってゆく(ブルガーコフ)」

ハリストス復活!実に復活!!
主の御復活を心よりお慶び申し上げます。

聖大土曜日(聖大スボタ)

2006-04-22 20:00:00 | 正教会及び宗教全般
「大斎の意味」本日にて終了。

この日にはハリストスの葬りと、主の黄泉降りが記憶される。
聖大土曜日の午前から午後早くにかけて、晩課に続いて聖大ワシリイの聖体礼儀が行われる。
元来この祈祷は遅く始められた。すなわち夕方に始まり、復活大祭の朝へと続いた。しかし、今は、時間がずらされている。
現在聖大土曜日の朝に行われている祈祷は、洗礼機密が復活大祭の夜に執行されていた時代を反映して洗礼的性格を強く持っている。
晩課の祈祷文のテーマは、三つの関連した主題「過ぎ越し」「復活」「洗礼による入会」である。
旧約聖書の十五箇所の読み(洗礼を受ける前の啓蒙者に授ける最終段階の学びのため)がある。
第三、五、六、十の読みは直接的、あるいは象徴的に「過ぎ越し」に関連し、第四、七、八、十二、十五は「復活」と関連し、四、六、十四、十五は、象徴的に「洗礼」に関連している。加えて聖大土曜日の奉事の洗礼的性格は、聖三の歌の代わりに歌われる聖歌「ハリストスによって洗を受けし者…」、また、指定された使徒経の読み(ロマ6:3-11)にも表れている。使徒経の後にくる聖歌「神や、起きて…」をもって、主の復活の祭は、すでに始まっている。
 聖大土曜日の夕方、使徒行伝が読まれている明かりを落とした聖堂の中へ人々がだんだん集まってくる。やがて夜半課が唱えられる。
午前0時が迫った時、聖堂の中の明かりが全部消される。
全員は、司祭が、復活したハリストスの光をかたどる火のついたロウソクを持って、至聖所から出てくる瞬間を静かに待つ。
そうして、熱気と切望のうちに三歌斎経の時期が終わる。
救世主は、我々に言う、「しかり、私はすぐに来る」(黙示録22:20)。
そして、我々は復活したハリストスを受け入れる用意がすでにととのった心に言う、
「アミン、主イイススよ、来りませ!」。

聖大金曜日

2006-04-21 23:27:08 | 正教会及び宗教全般
画像は「眠りの聖像」
ふつーアレンジメントはオアシスに花をさしていくけど、これは眠りの聖像(下に説明あり)を濡らしたりしないようにそれ用の枠にしばりつけるので、結構難しい。
今年は何となくシンプルにしてみたら「あれ?お花足りなかった?」って言われた(爆
もっとセンス磨かんといかんな。

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この日、ハリストスの苦難が記憶される。
すなわち、人々の嘲笑、いばらの冠、むち、釘、渇き、膽と酢〔酢いぶどう酒〕、狐独の叫び、救世主が十字架上で忍んだすべてのこと、また、善なる盗賊の痛悔であるる。
それと同時にその受難は、復活と分離されない。
すなわち、主の最も深いへりくだりの日においてさえ、我々は主の永遠なる光栄の啓示を待ち望むのである。

晩課の終わりに、聖大金曜日の出来事が言葉ばかりでなく劇的な行為を通して演じられる。
「眠りの聖像」(葬られたハリストスの死体の姿を描いた、または刺繍した長方形の堅い布)が、至聖所から行列を組んで聖堂の中央に運び出され、信者はそれに伏拝する。
教会の一年の中でこれほど感動的な時は少ない。
この場で列をなして眠りの聖像を運ぶという習慣は、比較的遅い起源を持ち、十五世紀か十六世紀頃のもののようである。

(そして、聖大スボタの)早課が通常金曜日の夕方に行われるが、この祈祷の大きな特徴は、嘆きというよりむしろ溢れる期待である。
神様が墓でスボタに安息されている時、我々は主が新しい生命とこの世の新生をもたらして、再び起き上がる時を待ち望んでいる。

 この祈祷の終わりに全員が、まさに埋葬式のように「聖なる神」を歌いながら、眠りの聖像と共に聖堂を回る。しかし、それでもこれは埋葬式の行列ではない。
神は十字架上で死んだが、それでもなお死んだのではない。
死んだ神・「神言葉」は、彼自身が聖なる永遠なる生命である。
つまり、その夜の中を行く我々の行列は、神が今、地獄の闇の中へつき進んでいることを意味している。
そして主は、アダムとすべての死者に、来るべき主の復活と彼等もまた復活に与かることを告知する。
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もうおなじみ「大斎の意味」より。
ハリストスの葬りをかたどるため、この日は黒っぽい服を着てくる人が多い。

今日誦んだイザヤ書の53章(ハリストスの受難が預言されているところ)にじーんときた。
何つーかここは割にポピュラーというか、正教会来るまえから何度も何度も読んできた箇所なんだけど、じーんと来たのは初めてだ。
祈祷書のテキスト配置の妙というか…

聖大木曜日

2006-04-20 21:28:31 | 正教会及び宗教全般
聖大木曜日の意味は、聖体礼儀で何度も繰り返される非常に美しい祈祷文に要約されている。
そこでは聖体機密、イウダの裏切り、善なる盗賊の痛悔が結びつけられている。

神の子よ、今、我を汝が機密の宴に与かる者として容れ給え
蓋、我、汝の仇に機密を告げざらん
又、汝にイウダの如き接吻をなさざらん
乃ち、盗賊の如く、汝を承け認めて言う、
「主よ、汝の国に於いて我を記憶せよ」

聖大金曜日の早課では、最後の晩餐でのハリストス説教から、その葬りの場面までの福音書記事が、十二に区分して読まれる。

以上「大斎の意味」より。
十二の福音が誦まれる時、鐘を鳴らすのだけど、第一で一回、第二で二回、という具合に鐘の音が増えて、今何番目が誦まれているか外にいてもわかるようになっている。
聖体礼儀の聖変化の時もそうだけど、鐘は祈祷のはじめとおわりを知らせるだけではなくて、ツボな時にも鳴らすというわけ。
で、この十二福音、第一の箇所が一番長くて何ページもあるのに、後になると1ページもなかったりする。鐘の回数は増えていくので、悠長に撞いてるととっくのとーに誦み終わってたりする。だからっつってあんまし早く撞いても、半鐘じゃないんだから(プって感じになっちゃうんで、受難な雰囲気にふさわしくかつ間隔短めという、なかなか難しい打鐘になる。
今年の鐘は長さぴったりだったなー。スゴス