シスターみみっくのなんだかわからない堂

日常のよしなしごとをつづります。正教会のお祈り、読んだ本、ハマリものなどなど。

聖大火曜日

2006-04-18 20:09:57 | 正教会及び宗教全般
またまた「大斎の意味」より。

奉神礼のテキストは「十人の乙女」の譬えに言及する。それはこの三日間の一貫した主題でもある。また、そのすぐ後に続くタラントの譬え(マトフェイ25:14-30)についても記憶される。
それらは両方とも、審判の譬えとして解されている。

十人の乙女の話と言えば、確か「赤毛のアン」シリーズか「エミリー」3部作で、それに言及した箇所があったなーと思って(何でかしこい乙女は油を分けてあげないんだろう?私なら分けてあげるのに、みたいな内容)さっきから本をひっくり返してるんだけどなかなか見つからん。聖書みたいにコンコルダンスがあるわけじゃないし。
てなわけで今「キー!」状態(爆
判明しないと気になっちゃって眠れないw
いや、明日もお祈りあるしたまご染めだし早く寝なくちゃなんないんだけど。

聖大月曜日

2006-04-18 00:37:24 | 正教会及び宗教全般
受難週キタ━━━ヽ(∀゜ )人(゜∀゜)人( ゜∀)ノ━━━ !!!

以下カリストス・ウェア主教の「大斎の意味」より抜粋。

聖大月曜日には「族長イオシフ〔ヨセフ〕」が記憶される。
彼の罪なき苦難は(創世記37、39、40章)ハリストスの受難のかたどりである。
また、ハリストスにのろわれた「実の無いいちじくの木」も記憶される(マトフェイ21:18-20)。
これは、悔い改めの実を結ばない者に及ぶ審判の象徴である。
エルサレム入城のあくる日、ハリストスは弟子たちにこの世の最後の日に先立つ前兆について詳しく話した(マトフェイ24、25章)。
受難週の最初の部分の重要な主題である。
受難週の最初の三日問の終末的な主題は、早課のトロパリと差遣詞(エクサポスティラリイ)に要約されている。
トロパリ「見よ花婿は夜半に来る…」は、十人の乙女の譬え(マトフェイ25:1-13)がもとにされている。
差遣詞(エクサポスティラリイ)「我が救世主よ、我、汝の飾りたる宮を見れども、これに入らんために衣を有たず…」は、礼服を持っていなかったゆえに婚宴から追い出された人の譬え(マトフェイ22:11-13)からきている。
ここに、我々が、大斎中の多くの機会に執拗に繰り返された主題が提示される。
すなわち、終わりはすぐそこに来ている、目を覚ましていよ、時間のまだあるうちに悔い改めよ。

何か追い込みに入りました、って感じだなあ(しみじみ