シスターみみっくのなんだかわからない堂

日常のよしなしごとをつづります。正教会のお祈り、読んだ本、ハマリものなどなど。

聖大水曜日

2006-04-19 22:22:59 | 正教会及び宗教全般
今日は復活祭用のたまご染め。
いつも聖大水曜日のお祈りと同時進行で行われる。
食紅で紅く染め上がったたまごに、ペン先に塩酸を薄めたものをつけて字を書き、拭うと、字が白抜きになる。
聖名を書いたり、十字架を描いたり、ハリストス復活!と書いたり、皆工夫をこらしてカキカキ。
最後にオリーブオイルを含ませた布で磨き、復活祭のたまごの出来上がり。
ご自分でたまねぎの皮などで染めてこられる方もいる。きれいな茶色。
ウクライナ彩色たまごの技術を持っている方がいて、今年もゴージャスなものが出来てきた。毎年、教わろう!!と思うのだけど、復活祭が過ぎちゃうと忘却の彼方に行ってしまう(汗

恒例(笑)「大斎の意味」より。

シモンの家で席座していたハリストスの足に香油を塗った「一人の罪の女」を記憶する。
この日の聖歌では、マトフェイ26:6-13の記事がルカ7:36-50の記事(イオアン12:1-8も参照)と結びつけられている。
第二の主題は、ユダヤ当局に対してなされた「イウダ〔ユダ〕による裏切りの約束」である。
すなわち、罪深い売春婦の悔い改めは、選ばれた弟子の悲劇的な堕落と対比されている。
三歌斎経は、イウダは単に師を裏切ったためでなく、背信の罪のために、つまり赦しの可能性を信じることを拒んだために滅びに至ったということを明らかにしている。
「蓋、その時予め、悔やみの縊死をもって、悪しく命を失わんことを定めたり」〔英語を直訳すると「悔改より首つりを選んだ」となる〕。
我々が、イウダの行為を嘆かわしいと感じるなら、独善的に彼を非難するのでなく、我々自身の罪を常に自覚してそう感じるのである。
ハリストスを拒み、ハリストスを死に渡した人々を三歌斎経が非難する時、我々はこれらの言葉が、他でもない自分自身にあてられているということを認識する。
すなわち我々は何度も心の中で救世主を裏切り、主を再び十字架につけなかっただろうか。