福音箇所はマトフェイ17:14~23、 からし種ほどの信仰があれば山も動かせる、というところ。
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お説教では同じマトフェイの「天国は、一粒のからし種のようなものである。ある人がそれをとって畑にまくと、それはどんな種よりも小さいが、成長すると、野菜の中でいちばん大きくなり、空の鳥がきて、その枝に宿るほどの木になる(13:31~32)」とマルコの同じエピから父親の言った言葉「信じます。不信仰なわたしを、お助けください(9:24) 」を引いて、信仰についてのお話がありました。
からし種一粒ほどの信仰という言葉を通してイイススが説いたのは、自分の信仰は心もとないけれどもイイススは確かだ、と、希望の源である父なる神に自分の全てをゆだねて生きること。
とても喚起力のあるお説教で、伺っているうちに色々な聖句が思い出されました。
草は枯れ、花はしぼむ。しかし、われわれの神の言葉はとこしえに変ることはない(イサイヤ40:8)
年若い者も弱り、かつ疲れ、壮年の者も疲れはてて倒れる。
しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない(イサイヤ40:30~31)
心をつくして主に信頼せよ、自分の知識にたよってはならない。すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる(箴言3:5~6)
慎んで、み言葉をおこなう者は栄える、主に寄り頼む者はさいわいである(箴言16:20)
イエス・キリストは、きのうも、きょうも、いつまでも変ることがない(エウレイ13:8)
うーん、ここまで全部口語訳なんだけどなんかぴったり来ないなあ、新改訳のほうが好き。
イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。
あてくしの信仰なんざからし種どころか1ピコもないんだけど、それでもこの父親のように言いたいな、と思いました「信じます。不信仰なわたしをお助け下さい」と。
今日は生神女就寝祭が重なっていたので、聖歌隊と至聖所方面では一週間以上前から変わる箇所をメンミツに打ち合わせていました。
神品教役者と聖歌隊と参祷者で一体となっていいお祈りになるのねーと改めて。
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