風の向くまま薫るまま

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穢れと芸能民 ~その9~ (参)

2016-11-13 09:49:37 | 歴史・民俗




ヤクザの歴史ばかり掘り下げても、なかなか本筋にはたどり着けませんので、ちょっと方向を変えます。



被差別民といっても、ただ単純に差別ばかりをされていたわけではない。特に平安や鎌倉の頃は、どちらかというと「畏れ」る存在という感覚が強かったように思われます。

普通ではない人々、とされ、それ故に「忌む」べき人々として遠ざけられた。彼らは「普通の人々」とは違った風体をし、髪の毛は髷を結わない「蓬髪」というスタイルで、華美な装束を身に着けたり、童子のような恰好をしたり、明らかに「堅気」の人々とは違うとわかる姿をしていたらしい。この頃の彼らは、被差別民というより、「自由人」というイメージの方が強いかもしれませんね。


しかし社会の底辺に追いやられていることには変わりなく、彼ら自身の不平不満はもちろん、社会全体の不平不満も引き受けるようになっていく。

彼らの中には徒党を組んで、様々に「悪さ」をする者たちもでてくるようになる。それは被差別民ばかりではなく、農民などからドロップアウトした者、あるいは外国から流れてきた者たちも混じっていたかもしれない。そうしたものたちが、博徒、任侠、渡世人などの源流となっていくのではないか、なんてことを漠然と考えておるわけです。



彼ら自由人たる被差別民の風体は、流行のファッションでもあったようで、その姿を真似る者達も出てくるようになり、再三にわたって禁止令が出されていたようですね。しかし自由人たる彼らに、そんなものは通用するものではなかった。



いつの時代も同じです、「不良」に憧れ、不良っぽいファッションをしてみたくなるなる輩というのは、いつでもどこでもいるんですね。



社会の底辺にいる自由人たる彼らの間には、当然ながら「反社会」「反権力」といった風も醸成されていたことでしょう。そうした反体制的な風を持った者たちは「バサラ」と呼ばれるようになります。



この「バサラ」の風はやがて、「バサラ大名」と呼ばれる武将を生むことになります。


鎌倉幕府執権、北条高時の側近く仕え、のちに後醍醐天皇の下幕府打倒に貢献し、さらには足利尊氏と組んで室町幕府成立に尽力した人物。


佐々木道誉です。


この方は反権威の風が大変強く、さる公家の方に公然と反抗して配流の憂き目にあったりしている。しかし一方では大変な教養人、風流人であり、芸能事にも造詣が深く、芸能民とも深い付き合いがあったようです。





佐々木道誉




大河ドラマ『太平記』より、陣内孝則演じる佐々木道誉。衣装が派手!




社会の底辺にいた自由人たる被差別民の間で醸成されていた、「反権威」「反体制」「反権力」といった風が、やがて体制を変革させる原動力となっていく。以前、『異形の王権』という書籍に触れさせていただきましたが、これによれば、後醍醐天皇もこうした被差別民の力を借りて「建武の新政」を遂行したとされており、なにげに彼ら被差別民の内包するパワーというのは、大変なものがあったのかもしれない。


そのせいかどうか、室町時代以降、被差別民に対する差別は強いものとなっていったようです。一方では同朋衆に登用してその才を生かしながら、一方では差別を強めていく。彼ら自由人たる被差別民の内包するパワーを恐れたが故のことだったのでしょうか。




徳川幕府が差別を「制度化」したことも、やはり彼らのパワーを抑え込むためだったかもしれない。私は以前、豊臣秀吉が出身である可能性を指摘しましたが、再び秀吉のような者が現れて、徳川幕府打倒の原動力となることを恐れたが故の、差別の制度化だったのかもしれない。


なんてことを、妄想しておる次第です。



自由人たる被差別民の中に内包された「反権力」「反社会」「反体制」。

そうした風は、時代を超えて彼らの間に伝承され、それは彼らの行う芸能事にも、少なからぬ影響を与えていったことでありましょう。




続きます。