沖縄Daily Voice

沖縄在住の元気人が発信する

歌をたずねて、あまハイ くまハイ vol.3 しゃかりチアキ

2009年07月20日 | 月曜(2006年7~8月):チアキさん
沖縄が好き、歌が好き、文化が好きというかたがきっと多く集まる
「沖縄の風」。
その上で歴史を知ることで、より一層深みが増すかと思うので、また皆
さんと今回も時間をさかのぼってみたいと思います。
私もたくさんの参考書に囲まれ、勉強できるので嬉しいさぁ~!

☆第三回目の旅 「ウチナーんちゅのDNA」☆
 
 生きる・食べられる=「幸せ」だった古代の人々は、それが叶
えられるよう、
月、星、太陽に、
そして大地に海に神に、祈りを歌で捧げて生きてきました。

その時の「古謡」は、神人(かみんちゅ)達の歌から次第に住人へと歌
い継がれ、
歴史と共に上流階層の教養人によって創造された「古典音楽」と、
庶民の心から生み出された「民謡」へと芽吹き、カタチを変え増えて行
きます。

そして皆さんもよくご存知の通り沖縄は、『琉球』というひとつの王国
を築き、
主に中国・アジアとの交易が盛んになる王朝時代へと時を進めて行きま
す。

私が知る多くの歴史書の中に書かれているのが、その王朝時代
(14世紀以降~17・18世紀頃)交易の中で、三線は
中国より、そして舞はバリ・インドネシアから伝わったとされ、
そして島では古代の祭祀歌謡をあつめた「おもろさうし」が編纂され、
それらをミックスさせた琉球独特の、オリジナリティ溢れる古典芸能が
たくさん誕生していきました。
またこの時代には、守礼の門ができるなど、琉球文化は最盛期を迎えま
す。

その交易時に大活躍したのが、そうなんです!
歌三線、そして舞。

よく考えると現代ではありえないかも知れません。
なぜなら沖縄は、音楽と芸能を交易の重要なツールとして活用し、
いわゆる芸能ができる人は「国家公務員」だったからです。
音楽家からすれば、ステキすぎるお話ではありませんか?
だって、音楽で他国との交流を深め重要な役割を果たしてきたのですか
ら。。。。
誇りに思いますね~。

ということで、なぜにウチナーんちゅがこんなにも歌がそして踊ること
が好きなのか、
分かりましたよね。
そうです。私達のDNAには、しっかり組み込まれているようです
(笑)。

ちなみに余談ですが、中国から伝わってきた当初の三線は、
今ある三線よりもう少し大きかったようですよ。
当時のウチナーんちゅはきっと、小柄だったので、
現在のようなサイズに改良されていったのでしょうね。


text:しゃかりちあき



しゃかりオフィシャルサイト(言葉のかわりに心の歌を)
http://www.syakari.jp/



              ★沖縄観光の旅行雑誌を作る会社が素顔の沖縄を紹介するサイト

沖縄取材こぼれ話 vol.3 まっぷるマガジン編集スタッフ

2009年07月18日 | 土曜(2009年7月~):編集スタッフ
恐るべし! 戦闘機マニア?

ハイタイ!(「こんにちは」の女性言葉です)
マップルマガジン沖縄の編集スタッフ(な)でーす

先日撮影に行った、嘉手納町にある「道の駅かでな」。
屋上から米軍嘉手納飛行場が見渡せる人気スポットです。
午前中に飛行機が離発着することが多いと聞き、張り切って現地へ。
屋上に上がって、まず新名物の野国いもソフトを撮影。←おいしかった
さて、基地を見下ろすいい場所にカメラを設置、と思ったら・・・!
基地側は巨大な望遠レンズを装着したカメラがズラリ

そのカメラのオーナーらしき人たちは、ベンチに座ってゆんたく(おしゃべり&休憩)ちゅう。

「この前、こんなのが撮れてね」「どれどれ」と作品を見せ合ったり、
情報を交換したりしているんです!
もしかして軍用機写真雑誌(そんなのあるのか?)の記者だったりするのかも、な
雰囲気の人もいたり、
あきらかに「趣味なんですぅ」的なオタクっぽい人もいたり。
みなさん飲み物やおやつも準備して「ほぼ一日ここにいるつもり」感たっぷり。

ところがある瞬間、みんながカメラに飛びつき、一変して大撮影会に。
どうやら個々に用意しているマイ無線で離発着情報をゲットしている模様。
バシバシバシ、と一斉にシャッター音が響き渡りました。
わたしたちもその機敏な動きをまねて、なんとか撮影完了
カメラマンには、隣でスタンバッていたおじさんが「もうすぐ●●が着陸するよ」と教えてくれたらしい。
ただ、●●は戦闘機の型番なのか専門用語らしく、意味がわからなったらしいですが。

なんかスゲー、と妙に感動してしまったロケでした。
みなさんもぜひ、道の駅かでなへ。
いろんな意味で楽しいところです。








text:まっぷるマガジン編集スタッフ(な)




              ★沖縄観光の旅行雑誌を作る会社が素顔の沖縄を紹介するサイト

紅茶の島のものがたり vol.16 冨井穣

2009年07月17日 | 金曜(2009年4月~):冨井穣さん
第16話
紅茶文化とは

2005年。山城が沖縄に戻って緑茶生産と紅茶研究を始めてから、はや5年の歳月が流れていた。
 5年間。長い月日である。
 石の上にも3年、桃栗3年柿8年とはよく言うが、結果が出ないまま過ごした5年間は、さぞかし歯がゆい思いが募ったことだろう。それとも逆に、自然を相手に生活する農家にとって、5年という歳月は微々たるものに過ぎないのだろうか。例えば林業に携わる山守は、50年、100年先の成長を見据えて木を植える。茶業では、苗木を植えて5年待てば、子、孫の代まで収穫できる茶樹に育つ。そう考えると、山城が試行錯誤を繰り返してきたこの5年間も、次なるステップへ向けての助走期間ととらえることができるかもしれない。
 実際に、少量ながらも紅茶の出荷は続いていたし、この年には公から将来有望な事業であるとお墨付きを受け、スリランカへ海外研修にも赴いた。
 19世紀から20世紀半ばまでイギリスの植民地だったスリランカは、インド、中国に次ぐ世界第3位の紅茶の産地。輸出量に至っては世界1位を誇り、かつての国名「セイロン」は紅茶の代名詞としてその名をとどめている。
 山城が研修先にスリランカを選んだのは明確な理由があった。スリランカはインド南東沖に浮かぶ島国で、面積は北海道の8割程度の広さに過ぎないが、海岸沿いには温暖なビーチが広がり、その一方で中南部は標高2000メートル超の高地になっている。そのため、スリランカでは製茶工場の位置する標高によって、ハイグロウンティー(1300m以上)、ミディアムグロウンティー(670~1300m)、ローグロウンティー(670m以下)と品質を3段階に分類しており、産地の気候が異なるさまざまな種類の紅茶をコンパクトに見て回ることができるのだ。例えば世界3大紅茶の一つに数えられる「ウバ」はハイグロウンティーに属し、先週紹介したミニカさんが「キャンディーという産地でとれる茶葉は、アメ玉とは無関係ですが名の通りとても甘みがあって、自然からの贈り物は素晴らしいとつくづく感心してしまう」と評する「キャンディー」は、ミディアムグロウンティーの一種である。
 山城が滞在したのは約1カ月間。それはそれは至れり尽くせりの充実した研修期間だったと思いきや、実際にはコロンボ空港までの往復チケットが手配されていただけで、現地のガイドがいるわけでもなければ宿も決まっていない。到着した瞬間にそのことを知り山城はぼうぜんとしたが、そのまま沖縄へトンボ帰りするわけにもいかず、片言の英語で宿探しから始めなければならなかった。しかし、これがかえって山城には、無二の経験として作用したようだ。
 幼少時から変わらぬ無鉄砲さで、製茶工場へ見学を申し込む。コトバもろくに話せない外国人の押しかけ訪問にもかかわらず、3分の1の確率で了承を得られたというから大したものだ。移動はバスでも列車でも観光客仕様は避け、現地の人と同じ賃料の安い車両を利用する。さすがは喫茶の風習が浸透した紅茶の国とあって、車内ではお湯を沸かして紅茶を販売しており、粉のような安い茶葉で入れたものでも、なぜかとてもおいしく感じる。車窓を流れる景色はいつまでもどこまでも茶畑が続き、茶摘みをする人々の顔には笑顔が絶えない。
「これが文化なんだ…」
 研修を通じて学んだことは、茶樹の栽培方法でも紅茶の加工技術でもなく、本場の紅茶文化を肌身で体感したことだった。
「町の至る所にティーハウスがあり、茶園に行けば紅茶を飲ませてくれるスペースが必ずある。そこでいただいた紅茶の味が忘れられなくて、やっぱり紅茶はほかの農作物同様、収穫したその土地で飲むのがいちばんおいしいんだと実感しました」
 これは単なる感慨ではなく、取りも直さず自らに対する課題としてはね返ってくる。
 山城の紅茶はおいしいと言わせたい。山城の紅茶が飲みたいから沖縄へ行ってみたいと思わせたい。
 こうして1カ月間の研修期間を終えた山城は、沖縄へ戻っていつも通りの作業を再開した。茶葉を摘んでは萎凋、揉稔、発酵させて紅茶を作る。茶樹の栽培に関しては、スリランカのやり方に比べてむしろ優れているという自負さえあった。となると、あとは沖縄の茶葉に合った発酵方法をどうやって見つけるかが問題である。
 そんなある日、一人の青年から連絡があった。少し込み入った話がしたいので時間を取れないかと言う。以前から仕事の会合などで何度か顔を合わせたことはあるが、果たして何の用事だろうか。


スリランカで茶摘みを行うのはほとんどがタミル人。イギリス植民地時代にインドから移民としてスリランカに渡ってきた労働者の子孫たちだ。



text:冨井穣




              ★沖縄観光の旅行雑誌を作る会社が素顔の沖縄を紹介するサイト

~スローライフwithみゅーじっく~ vol.3 大山百合香

2009年07月16日 | 木曜(2009年7~8月):大山百合香さん
うがみやぶら~!!(沖永良部の方言で「こんにちは」)
木曜日担当、大山百合香です。
今週もよろしくお願いします。

さて、全国的に少しずつ夏がやってきましたね。
沖縄は相変わらず夏本番の暑さが続き
セミがここぞとばかりに鳴いています。


早くも私は夏バテ気味。。。
冷えピタを貼って寝ています。。。

皆さんは夏バテ対策、何かしていますか?
オススメの対策があれば教えてくださいね!



「夏」は一番好きな季節でもあり
この季節になるとワクワクしてしまいます。

楽しそうなイベントがたくさんあって、
家の中にいるのがもったいなく感じ
予定が無くてもどこかに出かけたくなる
そんな季節です。

でも沖縄の人たちは基本、
昼過ぎだいたい13時~16時くらいまでは外に出ない!と言っていました。
一番暑い時に、なんで外に出るわけ?
昼間から海で泳ぐなんてとんでもない!と。。。


ですよね。。。

私も島にいた頃はそうでした。
家族で海に行くときは、夕方5時くらいから行って
暗くなる前に帰ってたっけ?

でも、真っ昼間の海の色は
サンサンと照り輝く太陽の下に映るブルーの海の色がとってもキレイで
ついつい行ってしまうんですよねー。








おかげでもう私は真っ黒。
サンダルを履いていないのに、
履いてるように見えるくらいはっきりと黒と白に分かれています(笑)

そんなわけで、天気が良いとついつい出かけてしまう私が
行く先々で素敵な出会いがあったので、ぜひ皆さんにご紹介したいと思います。





沖縄に移住してきてよく出かける読谷村。
ここは、昔からの景色や風習がそのまま残っているような所が多いです。

たまたま立ち寄ったお店の方のオススメで
「Birth Lilac ~楽園cafe~」というCafeにいってきました。
以前は「楽園cafe RAINBOW BRIDGE」という名前で、
最近新装したそうです。


場所は読谷村字 座喜味という所の住宅街の奥にあり
緑に囲まれていて、隠れ家的な所です。

入ってからまず広がるのは、このお庭。









これすべてお店の人たちと、近所の方々の手造りなんです。









海へ行って砂を拾っては袋に詰めて運ぶところから
石垣を敷き詰める所まで全部手作業。
それを嬉しそうに案内しながら語ってくれる店長さんのお話を聞いて
この場所を愛する人たちの愛情の深さが伝わってきました。

中もとても広く、落ち着ける空間で
ここにも手作りの温もりがありました。
そして音楽がありました。








そこでこんなマップを発見。
ここを訪れた方が、手作りで綴った「読谷マップ」






沖縄、読谷の歴史や、色々なお店を写真付きで紹介しています。
その中でとても気になるお話がありました。







『~沖縄戦を伝える~
2018、つまり11年後、0%....。
この数字が何を表しているか分かりますか?
実は、沖縄戦を語ることのできる方、つまり沖縄戦体験者の方の数なのです(生
きていらしても語れる状況ではない場合を含む、あくまで推計)
実は現在でさえ、体験者の方の人口は一割強。
真実を知る方々が約10年もしたら居なくなってしまうのです。

ある人は言いました。「生の声に勝るものはない」と。
私もそう思います。
だからこそ、たくさんの方の話を聞きたい、と。
そう思い、実行している間に私自身の心に芽生えた思いは
「語ることはできなくても、伝えることはできる」というものでした。
実際に体験していない事を語ることは出来なくとも、体験した事を聴き、調べ、
伝えることは出来るのです。

あの思い出したくもないであろう戦争を私たちに語って下さるお年寄りの方々。
どんな気持ちで語って下さっているのでしょう。
同情してもらうため?いいえ、違います。私たちが創る次世代に二度とあのよう
な事が起こらないように、
自分達が思い描いた平和のために。』
(2007年に書かれたもの)
(一部抜粋)




この著者の方の名前も分からず、お会いしたこともないのですが
ここに大切に置かれていました。

ここを訪れた方々がこの本を手にとって
一人でも多くの人に過去の存在、未来への平和について伝えられたらという願い
を込めているそうです。
この著者の方のおかげで私も手にとり、知り、考えるきっかけを頂き、こうやっ
て皆さんに伝えられています。



私も祖母から戦争の話を聞いた事があります。
祖母がよく、「生きてるだけで幸せ」と言っていたことを思い出しました。
親族や知人を亡くした祖母にとって戦争という現実は私たちが想像できないくら
い辛いもので
思い出したくもない事かもしれない。
だけど、しっかりとした口調で話してくれます。
そして、話をしてくれた最後にはいつも
「ばあちゃんは、あんたたち孫達がいて、とっても幸せだよ」と笑顔で微笑みか
けてくれます。
とても強く、優しい祖母。
大好きなおばあちゃんです。
私はおばあに ありがとう と伝えました。
おばあがいなかったら、私はこの世に生まれてくる事さえできなかったのだか
ら。


こうやって話してくれる事はとても貴重なのですね。
この本を読んで改めて感じました。
知り、少しでも理解して、現在に生きる人たちが次世代に繋げていかなければ、
過去の物語になってしまいます。

私一人の力はとても小さなもの。
だけどその小さな力がなければ何も始まらない。

沖縄戦に限らず、今もどこかで起きています。
決して昔の話で終わらせてはいけないと思いました。

私も祖母が話してくれた戦争という現実、祖母の思い、命の大切さ、私が感じた
こと、
将来子供を授かったら話そうと思います。
その子供へと語り継いでいくために。
そして平和を自分たちの手で創っていくために。


you tube 星の歴史
http://www.youtube.com/watch?v=-Tk_gRnQACs





text:ゆーりー



大山百合香プライベートブログ(KIND OF BLUE)
http://ameblo.jp/yurin0520/
ここからCD購入できます(ソニーミュージック オフィシャルサイト)
http://www.sonymusic.co.jp/Music/Arch/AI/YurikaOhyama/index.html
小さな恋のうた 大山百合香





              ★沖縄観光の旅行雑誌を作る会社が素顔の沖縄を紹介するサイト

The Okinawan spirits ~泡盛百花~vol.3 稲垣千明 

2009年07月15日 | 水曜(2009年7~8月):稲垣千明さん
一足お先に梅雨明けした沖縄は、連日、真夏の空模様。
これから毎週末のように各地でお祭りが開催されます。夏から秋にかけては、
沖縄も、伝統的なお祭りの多いシーズンです。




 伝統的なお祭りは、神様へのお祈りから始まります。というより、
本来はお祭り自体が神様にささげる目的で行われたものだったわけですから
お祈り無くしては始められませんよね。そして、その神様へのお祈りに欠かす
ことができないのが、泡盛です。


目の前のお供えを喜んでいるように見えませんか?

見えづらいですが、泡盛で清められています
   
     
 昔は、地方の役人が、首里王府からの賜り物として、地域で行われた
お祭り(神事)に泡盛を奉納したといいます。
その泡盛は、お祈りが終わると、神事に列席した人たちの間を回され、人々は盃を押し戴いてから、
ほんのわずかずつの泡盛を、ありがたく味わいました。

  

 首里王府が存在しなくなったこんにち、その提供元は、今度は地域の
企業や団体などへと変わりましたが、泡盛は変わらず、お祭りに奉納されています。
さらには、お祭りを運営する資金を補うための記念販売物としての泡盛も
登場しています。時代とともに、新たな役割も生まれているのですね。

 少し観点は変わりますが、神様に供える泡盛にまつわる、大変、面白い
エピソードをひとつご紹介したいと思います。

 沖縄は国内でも有数の移民県としての歴史を持っていますが、今から
三十数年ほど前に、アメリカのロサンゼルスの沖縄県人会を訪問した方が
県人会婦人部の老婦人とお話をしていたときに、そのご婦人が、こう
おっしゃったそうです。
「島酒(泡盛)じゃないとウガン(拝み)が通らん(神様に通じない)さぁ」(!!!)。

 沖縄では祖先を神様として拝むしきたりがありますが、このご婦人は、
ロサンゼルスでも、いえ、もしかしたら異国の地に暮らし続けているからこそ、
いっそう祖先を拝みたいと思われたのでしょう。
そしてきっと、洋酒か何か手に入りやすいお酒をお供えにして拝んだものの、
その拝みが届かなかったというふうに感じられて、このようなことを
おっしゃったのでしょうね。

 沖縄の神様には沖縄の酒・泡盛。時代が変わってお祭りの形式が変わっても、
異国の地で拝みをしようと思っても、やはり泡盛なくしては、はじまらないようです。




text:稲垣千明





              ★沖縄観光の旅行雑誌を作る会社が素顔の沖縄を紹介するサイト



うちなー唄の道行けば vol.2 上間綾乃

2009年07月14日 | 火曜(2009年7~8月):上間綾乃さん
今回は、最近多い質問について書きますね。
「三線の上達の近道は無いですか?」
私の答えは「ありません。練習あるのみ!!」
この答えではあまり納得してくれないようなので、近道ではなく、
私視線の上達のコツを少し。
まず唄と三線はSetだと考える。三線は唄のメロディーラインを弾くことが
多いのでCDなどで曲を覚えてから練習に入ると覚え易い。

独学で稽古に励む方も居ますが、それでは変な癖がついてしまったり
上達にも限りがあるようです。
一番良い方法は三線教室で確実に基礎を師匠から教わる事だと思います。
『師匠の姿を見て学ぶ』
師匠の手を見る→自分の手を見る
これを繰り返し、師匠と自分の手は何処が違うか観察し師匠を真似る。
ポイント 
姿勢良く、体の無駄な力を抜いてリラックス。
 左手
・爪を短くして、弦にあたらないようにする。爪があたると音が悪い
・指の腹ではなく、指を立てて弦を押さえ音を出す弦以外、他の弦に触れない
・かんしょ(抑える所)があっているか、音に気をつける

 右手
・バチの角度は寝かし過ぎず立て過ぎず
・男弦(うーじる)を弾くときは中弦(なかじる)でバチを止める。
中弦を弾くときは女弦(みーじる)で止める。女弦は下まで弾きおろす



私が始め通っていた教室の稽古時間は2時間の週3回(普通は週2回)。
この当時のお師匠さんは譜面を用いず、見て聞いて三線と唄を同時進行で
学ぶ方式でした。
最初に習う曲は、大抵「安波節」で、基礎を固めます。
私は最初から器用だったわけではなく、三線に気を取られ一生懸命引いていると
唄が止まり…唄をうたうと三線が止まり…という風に、なかなか同時進行が
できませんでした。
悔しくて何度も何度も練習しました。
練習の甲斐あって、やっと唄と三線をマスター出来た時は凄く嬉しかったのを
覚えています。
この喜びが更なる練習意欲を刺激してくれます。
皆さんもこの喜びを感じてみてください。
まだ私も勉強中の身。これからも頑張って行きます。



体の小さかった頃は肩掛けを使用していましたが、すぐに肩掛けからは
卒業しました。



text:上間綾乃



上間綾乃オフィシャルサイト
http://uemaayano.com/




              ★沖縄観光の旅行雑誌を作る会社が素顔の沖縄を紹介するサイト

歌をたずねて、あまハイ くまハイ vol.2 しゃかりチアキ

2009年07月13日 | 月曜(2006年7~8月):チアキさん
ハイタイ!
今日拝なびら。しゃかりのチアキやぃび~ん。
それでは、今週もユタシクウニゲーさびら!

 今では全国どこへ行っても「ゴーヤーチャンプル~」が食べられるく
らい、
沖縄の文化は本当にたくさんの方に知ってもらえるようになりました。
特に夏が近づくと、必ずどこかのチャンネルでは沖縄の特集が組まれて
いると言っても過言ではないでしょう。
そして、沖縄を舞台にしたドラマや映画も増えましたね。
その中で、必ずや登場する歌・三線。

よく本土のファンが質問してきます。
「沖縄の人は、本当にあんな風によく歌い踊っているの?」と。
いやいやいや。あれは大袈裟ですよ。。。
と言いたいところですが、
見事に『本当なんです』(笑)
チアキ家も、日々音楽があふれていました。

なぜにウチナーんちゅは、こんなにも歌が好きなのか?
と言うことで、沖縄音楽の歴史を辿ってみましょうね。

☆第二回目の旅 「古謡ーこようー」☆

 沖縄音楽の源流は遥か11世紀以前にさかのぼり、「古謡ーこよ
うー」から始まったとされています。
古謡とは、神に祈りを捧げる唱えのようなカミウタ(神歌)で、祭祀儀
礼の際五穀豊穣や無病息災など、
理想の状態を述べてその実現をはかろうとする、願いの言葉から生まれ
たものです。

言霊思想を強く抱く先人達は、美しいことばには善い結果が、悪いこと
ばには悪い結果が表れる
霊的なチカラがあると心から信じていました。

そしてその言霊から生まれた古謡は、沖縄本島ではクェーナ、宮古では
ニーリ・アヤグ、
八重山ではアヨー・ジラバ・ユンタと呼ばれ、自由な表現方法で歌い継
がれて来ました。

 それではその古謡の中から、子孫繁栄を願うオカタベ(神に祈願する
言葉の意)の一説をご紹介しますね。
舌をかみそうですが(笑)


「命名のオカタベ」
~参照:沖縄の古典文学(沖縄文化社)より~

生まりたるボウジャーや 
チムすぐれ チブルすぐれ 
でぃきらしめしよわちへ
きもがね むねがね 
でぃきやーなち うたびみしょうり

(生まれた 赤ん坊は 心も優れて 頭も優れて
良くできるようにさせて下さい。
肝美しく 胸美しく 
良くできる人に 成長させて下さい)

生まりたるボウジャーや
ようのあるかぎり おやぼさえ こぼさえ
のちかほう まんねん くわひぼう
どうつよく みいつよく たいつよく
おたすけめしよわちへ

(生まれた 赤ん坊は この世のある限り
親は栄え 子は栄え 命の果報は万年です
食運があり 胴強く 身強く 体強くなるように
お助け下さい)

白さばね 綾さばねまで
百・九十ののち おたすけ うたびみしょうり

(白い羽を 美しい綾羽をいただくまで
百九十歳の命も栄えるよう お助け下さい)


。。。なんて美しい歌なのでしょう。。。

1000年以上の月日が経ち、言葉も文化も景色も変わっていきますが、
人々の「心」はあの時も今も変わらないんだと、時空を越えて教えてく
れています。
愛であふれた歌だからこそきっと、現代の私達にも響くんですね。。。
素晴らしいです。
私もそんな歌を歌いたいです。

調べてみると、その素晴らしい古謡を残そうと、今様々な活動が行われ、
そして昨年にはCDも発売されたそうですよ。

参照:(財)沖縄県文化振興会
http://okicul-pr.jp/mov/2008/09/post_42.html



そのCDのオビに書かれていた言葉より、

『伝えたいのは、歌じゃない。魂だ。』


歌を、音楽を愛する心は、何にも優る魔法だと私は思っております。
時代と共に色々進化しつつも、でもその心を忘れず、
明るく健康で愉快に歌い踊り続けるウチナーんちゅでありたい、と、
あらためて深く思いました。

 それでは次回も、そんな陽気なウチナーんちゅの原点に迫りたいと思
います(笑)


動画はユーチューブから宮古島古謡
Old Okinawan Folk Song 宮古島古謡




text:しゃかりちあき



しゃかりオフィシャルサイト(言葉のかわりに心の歌を)
http://www.syakari.jp/



              ★沖縄観光の旅行雑誌を作る会社が素顔の沖縄を紹介するサイト

沖縄取材こぼれ話 vol.2 まっぷるマガジン編集スタッフ

2009年07月11日 | 土曜(2009年7月~):編集スタッフ
ハイタイ!

編集スタッフNです
先週に引き続き、今週のスタッフブログも担当させていただきます。

先週の「沖縄プロレス」、反響が大きかったので嬉しかったです
(とくに社内のみんなには、かなりうらやましがられました!
なんだ、みんな、スキなんじゃ~ん


さて今週は、憧れの「波布食堂」のお話です。
「まっぷる沖縄」には常連様の波布食堂。
ボリューム満点の食堂メニューが話題です



今回撮影したのは、波布食堂の看板メニュー「肉そば」
スゴイんです、この肉そば。
どんなにスゴイかと言うと・・・・・・

じゃーん!!



横からの方がわかりやすいですね。
じゃじゃーん!!!



沖縄そばの上に、肉野菜炒めがてんこ盛り盛り
いつも本で見ていたけど・・・本当に写真のまんま!
そうであることを知ったうえで行ったにも関わらず、
その見事な盛りっぷりに、度肝を抜かれましたわ
(ややはしたない言葉ですが、あのときの気持ちを表すにはこれが一番ピッタリなのです。)


驚きの表情を隠せずにいる私の横には、
同じく度肝を抜かれたカメラマン。
過去に何度も撮影したことがあるはずなのに、
やっぱり感嘆の声を上げていました。
「すげー」



撮影終了後は、いよいよ、肉そば試食
2人でガッツリ
ガッツリ
ガッツリ
・・・食べてるはずなのに、ちっとも減らない

「ちょっとUさん、ちゃんと食べてます

「Nさんこそ、全然食べてないんちゃうんか

思わず相手を疑う言葉が口をついて出たりして。



しばらくすると、U氏から再び驚きの声が。

「おおー、麺があるっ

「な、なんですって

2人とも、もはやこれが「そば」であることを忘れていました。


そして、十数分後・・・
いろいろなせめぎ合いがありながらも、
なんとか完食
2人で分けて食べたのに、じゅうぶんお腹イッパイです


度肝を抜かれるボリュームが自慢の、波布食堂の肉そば
我こそは!という、ハングリー精神旺盛な方、
ぜひ挑戦してみてくださいね




ちなみに・・・

常連さんに聞いた正しい(?)肉そばの食べ方
①上にのっている肉野菜炒めを別皿に取り分ける。
②程よい量の「肉そば」になったところで、おいしくいただく。
③取り分けた肉野菜炒めは、お持ち帰りして晩ご飯のおかずに。

なるほど~
次はコレでいこっ



text:まっぷるマガジン編集スタッフ(N)




              ★沖縄観光の旅行雑誌を作る会社が素顔の沖縄を紹介するサイト





紅茶の島のものがたり vol.15 冨井穣

2009年07月10日 | 金曜(2009年4月~):冨井穣さん
第15話
ホッとティータイムその2:
山城紅茶を専門家が評価!

 コアなファンのクチコミで知名度が広がり、全国で最も有名な国産紅茶の一つに成長した山城紅茶。全世界に何千種類と存在する紅茶の中で、専門家はその味についてどのような評価を下すのか。ティーアドバイザーの資格を持ち、関西地方で紅茶サロンを主宰するミニカさんに話を聞いた。



Q山城紅茶からは現在4種類の味が発売されています。それぞれの味や特長について、どのような感想をお持ちですか。おすすめの飲み方があれば合わせて教えて下さい。
A今回の評価に当たっては、茶葉の量を3グラム、水道水を沸かしたお湯を150CC、蒸らし時間を4分で統一し、それぞれの銘柄についてテイスティングしてみました。

No.909:職人仕上げ
濃い水色で香り高く、渋味と香りとコクがバランスよく調和した完成度の高い紅茶です。渋味が口に残らないので後味がとてもすっきりしています。海外の濃厚な紅茶を飲み慣れた人、そのような味を好む人は、茶葉の量や蒸らし時間を調整するといいかもしれません。

No.905:スモーキー
明るく澄んだオレンジ色の水色で、花の香りにも似たどこか懐かしさを感じさせる芳香があります。世界三大紅茶の一つで独特の個性的な香りがある「キーマン」をイメージして作られたようですが、一般的なキーマンよりマイルドなスモーキーさがあり、国産紅茶ならではの上品な味に仕上がっていますね。とても飲みやすいので気軽にストレートで味わうのもおすすめですが、多めの砂糖を入れたりまたはミルクを入れると、また別の表情が表れて面白いですよ。

No.927:コク重視
鮮やかな赤い水色で、力強い茶葉の香りが印象的です。名前の通りとてもコクがあって、味にどっしりと重みがあるのにとても飲みやすい。後味にほのかに黒糖の香りがするのは気のせいでしょうか(笑)。おすすめの飲み方としては、ティースプーン一杯のシュガーにミルクを垂らして味わうこと。「心癒される一杯」という形容がぴったりのまろやかな味わいが楽しめます。

No.918:あっさりストレート
「まさに紅茶」と言えるような美しく透き通った水色で清々しい香りが特長です。飲み口に渋味やクセがほとんどないので、朝昼晩問わず1日を通して楽しめると思います。またティータイムには、ケーキなど洋菓子だけではなく和菓子ともよく合うはずですよ。それから、これからの暑い季節にぴったりの飲み方がありますので、ぜひ試してみて下さい。

ミニカ流 水出し山城紅茶



・用意するもの:No.918「あっさりストレート」ティーバッグ(2グラム入り×3袋)、軟水のミネラルウオーター500cc
・作り方:ティーバッグを水に入れて約8時間置いておくだけ。夜の寝る前に作っておけば翌朝には色鮮やかな水出し紅茶のできあがり!

 お湯を注ぐ場合に比べて、水出しでは茶葉中のタンニンが抽出されにくいので、そのぶん渋味の少ない紅茶ができあがります。夏は麦茶感覚で何杯でも飲めますよ。クリームダウン(アイスティーを作るとき氷を入れたりして紅茶を冷やすと、タンニンとカフェインが結合して結晶化し白く濁る現象)が起こることもありません。また冷蔵庫に入れておくより、常温で作ったほうがまろやかな味に仕上がると思います。一つ注意していただきたいのは、水の硬度です。私は関西の水道水を使いましたが、例えば沖縄の水は関西より硬度が高い(沖縄県の水の平均硬度は約84と日本一高い。ちなみに大阪府は約44)ので、水の量や抽出時間の調整が必要かもしれません。

Q山城紅茶の客観的な評価と、今後に期待することがあればお聞かせ下さい。
A紅茶は嗜好品ですから、味の好みは人それぞれに違うので一概に評価することは難しいのですが、鹿児島県の知覧紅茶や夢ふうきといった紅茶を飲んでみて思うのは、国産紅茶は海外のものに比べて味が薄めだということです。それはそれで日本ならではの特長だと思うのですが、多くの人は海外の紅茶を飲み慣れているので、国産紅茶ではやや物足りなく感じるかもしれません。また最近では、茶葉にフルーツやキャラメルなどの香りをつけたフレーバーティーの需要が多くなってきています。そのような状況下で山城紅茶は、茶葉の味で勝負しようという姿勢が強くうかがえますし、沖縄という土地で丁寧に育まれた茶葉であることがよく分かります。まだ誕生して間もない紅茶ですから、これからどのように成長していくかとても楽しみにしています。


ミニカさんプロフィール
ティーアドバイザー。関西で紅茶といやしのサロン「Salon de Belle boudoir」を主宰。季節感をとりいれたやすらぎの空間で、ゲストに自分だけの時間を感じてもらえるよう、おもてなしの心を大切に、毎回新たな発見のあるレッスンを展開している。





Text:冨井 穣




              ★沖縄観光の旅行雑誌を作る会社が素顔の沖縄を紹介するサイト

~スローライフwithみゅーじっく~ vol.2 大山百合香

2009年07月09日 | 木曜(2009年7~8月):大山百合香さん
うがみやぶら~(沖永良部島の方言で「こんにちは」)


前回のVol.1では、はじめましてという事で
私の故郷である沖永良部島の紹介を少しさせてもらいました。

コメントやメッセージを下さった皆さん、ありがとうございました。

さて、私は今沖縄を拠点に歌を唄っています。
歌は私の原点でもあり、常に隣にあり、
励まされたり元気づけられたり、
大切にしているものです。
歌を届ける事によって一人でも多くの人の心に届くよう、
そして一緒に音楽を分かち合い、少しでも元気づけられたらなと思いながら日々うたっています。

私が音楽を始めるきっかけは周りの環境にありました。

私の実家は電照菊を栽培しています。
小さい頃は家にいる事より、畑にいる事の方が多かったような気がします!
そして子供ながらにお花の手伝いをしながら、片手に鎌を持つおばあ達と唄ったり
仕事の休憩中、木陰に休んでお茶を飲みながら唄ったり
仕事が終わり夕方になると、近所の人達やおじちゃん、おばちゃん達が一升瓶やビールを持ち倉庫に集まり
仕事の疲れもなんのその、お酒を囲んで歌ったり踊ったりするんです。
(この楽しみのために仕事を頑張っているんだと言わんばかりに!笑)


そんなお酒の席や、めでたい席でよく唄われる島の民謡があります。
少し抜粋して紹介します。


♪サイサイ節


(サイサイサイ サイ持ち来う 飲でぃ遊ば)
(酒 酒 酒 酒持って来い 飲んで遊ぼう)


はにまさぬ御酒 我一人飲まりゆみ 親(はな)しゃある友達と共てぬまな(サイサイサイ サイ持ち来う 飲でぃ遊ば)
このように美味しいお酒私一人で飲めるか(飲めない) 愛しい友と寄り集まって飲みたい

酒とムリハクや 身ぬ薬でむぬ(サイサイサイ サイ持ち来う 飲でぃ遊ば)
酒と諸白(地酒の一種)は身の薬であるから 


如何なギグやてむ 満ちておいしら(サイサイサイ サイ持ち来う 飲でぃ遊ば)
どんな下戸であっても満足して召し上がってください

酒飲でむ八十 飲まだなむ八十(サイサイサイ サイ持ち来う 飲でぃ遊ば)
酒飲んで八十歳(まで生きる) 酒飲まないで八十歳 


酒飲でぬ八十ましやあらみ(サイサイサイ サイ持ち来う 飲でぃ遊ば)
(ならば)酒飲んで八十歳(になるのが)よいではないか?


今日の福らしや(すーり)物に立てららん(サイサイサイ サイ持ち来う 飲でぃ遊ば)
今日の嬉しさは物にたとえができない 


何時む今日ぬ如に(すーり)あらち あらちたぼり(サイサイサイ サイ持ち来う 飲でぃ遊ば)
何時も今日の如くあらせてください


http://www.youtube.com/watch?v=TbIqV4z1Xn4&feature=related




そしてもう一曲ご紹介します。
沖永良部のシンボル花でもある「永良部百合」について唄ったもの。
大切な花をこれからもずっと島で守り咲かせようという意味を込めています。


永良部百合の花アメリカに咲かち(ヤリクヌ)うりが黄金花島に(ヨウ)咲かさ 
(アングワヨーサトゥナイチャシュンガシュンガ)
永良部百合の花をアメリカに咲かせて それの黄金花を島に咲かせよう

いかに横浜の波荒さあても百合や捨てるなよ島の宝
どんなに横浜の波が荒くても百合は捨てるなよ 島の宝だ

暗井戸水くみや美童の仕事 百合や枯れるなよ育ちたぼれ
井戸水汲みは娘の仕事 百合は枯れるなよ 育ってください

百合球の美らさ心抱きしめて永良部美童の身持ちよ清らしゃ
百合の球根の美しいことよ 心から抱きしめて 沖永部娘の身持ちの清らかなことよ

百合作て遊ば砂糖作て暮らさ 互に働ちゅて浮世渡ら
百合を作って遊ぼう 砂糖作って暮らそう 互いに働いて世の中渡ろう

永良部海の青さ珊瑚花咲かち 島や百合の花咲かちよ美らしゃ
沖永良部の海の青いことよ 珊瑚花を咲かせ 島は百合の花を咲かせてよ なんと美しいことよ


私の両親は、若い頃島を離れて暮らし
しばらくして島に帰ってきた時に、真っ白に咲き乱れている百合の花を見て
島にはこんなにいい花が沢山咲いてるんだと、島を離れて改めて感じたそうで
子供が生まれたら「百合香」と名付けようと決めていたという話を聞きました。






私は自分が民謡を習った事がなく、歌を唄う中で
島の民謡を取り入れて、若い人たちにも私なりの伝え方で
民謡を知ってもらいたいなと思いました。


そこで、沖縄の言葉や民謡を取り入れながら
自分たちの言葉で伝え続けているREGGAE Dee-Jayユニット「U-DOU&PLATY」http://udouplaty.com/を知り
彼らの故郷沖縄への真っ直ぐな思い、熱いソウルにとても影響を受け、
彼らとのコラボが実現しました。


U-DOU&PLATYは沖縄のわらべ唄「いったーあんまーまーかいが」をモチーフに自分たちでオリジナルの歌詞を作り
鳩間可奈子ねーねーの三線に、ひがけい子さん(でいご娘)の島太鼓! Rec.スタジオは宜野湾にて!
まさに沖縄と沖永良部が融合された曲になっています。


永良部の子守唄~Where is Your Mammy?~いったーあんまーまーかいが
http://www.sonymusic.co.jp/?70003277_AICL-1740&70003277_AICL-1740_02SFL




U-DOU&PLATYは以前に2回ほど沖永良部に訪れています。
沖縄ととても近い所にあるのに、海の色も空の色も
島の雰囲気も全然違うんだね~と話していました。








さて、そんな訳で少し告知をさせてください。








毎年8月、沖永良部にて夏祭りがあります。
私も小さい頃から毎年楽しみにしていた行事です。
デビューしてからも何度が参加させてもらっているんですが、
今年も沖永良部花火大会に出演させて頂く事になりました。
8月9日の予定で、今年は島の人たちと色々なコラボをしようかと企んでます!


まだ詳細が出ていないので、
分かり次第blogにアップしますね!
http://ameblo.jp/yurin0520/






今月は22日に奄美地方で皆既日食が見られるとのこと。


世界中から沢山の方が訪れるという事で盛り上がっていますね~。


ぜひ沖永良部島にもこの機会に足を運んでみてください!


皆さんにとって忘れられない夏になりますように☆




text:ゆーりー



大山百合香プライベートブログ(KIND OF BLUE)
http://ameblo.jp/yurin0520/
ここからCD購入できます(ソニーミュージック オフィシャルサイト)
http://www.sonymusic.co.jp/Music/Arch/AI/YurikaOhyama/index.html
小さな恋のうた 大山百合香





              ★沖縄観光の旅行雑誌を作る会社が素顔の沖縄を紹介するサイト