沖縄Daily Voice

沖縄在住の元気人が発信する

The Okinawan spirits ~泡盛百花~vol.2 稲垣千明 

2009年07月08日 | 水曜(2009年7~8月):稲垣千明さん
日本酒では伏見や灘などが酒どころとして有名ですが、
現在は沖縄県内各地で造られている泡盛にも、「酒どころ(泡盛どころ?!)」
がありました。それは、沖縄を訪れる方の大半が足を運ぶ地・首里。
しかも首里城から眼下に望む崎山・赤田・鳥堀地域に酒造所が密集していた
というのですから驚きです! 
それは、沖縄が、まだ琉球王国だった時代、王府が泡盛造りを統制していた
ことに起因していました。


※写真は首里城から眺める、現在の崎山、赤田方面

 琉球王府は、泡盛造りを、その職に任じた家だけに許し、原料のお米も
王府から支給していました。泡盛を密造した者には厳しい罰が下され、
島流しの刑を受けた例もあったといいますから、当時、泡盛造りが、
どれほど重要とされていたかが想像できます。

 また首里は、高台に位置していますが、湧き水が豊かで、
その水質も泡盛造りに適していたのだといいます。現在でも首里の
街を歩いていると、井戸の跡を見つけることができます。
昔ほどの水量は、もうないようですが、皆さんが訪れる首里城でも、
湧き水を見ることができます。現在の首里城観光の順路をたどると、
入口付近には龍樋(りゅうひ)が、そして出口付近には寒川樋川(さんがひーじゃ)が
待ち受けています。



 首里城は、その歴史の中で、多くの外国人を迎え、もてなしてきましたが、
これらの客人にも泡盛がふるまわれていた様子が記録に残っています。
ペリー一行も泡盛でもてなされ、その風味を「フランスのリキュールのよう」と
評しています。きっと上等な古酒をふるまわれたのでしょうね。
首里城を訪れ、城からの景色を眺めた外国人が、城の間近に、
煙突から、もくもくと煙を上げる建物(酒造所)が立ち並んでいるのを目にし、
けっして美しいとはいえない景観に、なぜ、この国の王は、このような
ありさまを許しているのか…と驚いたというエピソードも残っているようですが、
美味しい泡盛をふるまわれ、それが、その煙突の下で蒸留されたものと知った
途端に、そんな思いは、かき消されたかもしれませんね。

 現在でも首里では瑞泉酒造や咲元酒造、識名酒造などが酒造りを続けていて、
かつて「泡盛村」とも呼ばれた名残をとどめていますが、その隣近所にも
酒造所が立ち並び、多い時代には40軒あまりを数えたという歴史があった
ことを、ぜひ、首里をお訪ねの際には思い巡らせてみてください。


瑞泉酒造


咲元酒造


識名酒造
※写真は風情あふれる酒造所のようす






text:稲垣千明



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うちなー唄の道行けば vol.1 上間綾乃

2009年07月07日 | 火曜(2009年7~8月):上間綾乃さん
はじめまして。沖縄民謡唄者の上間綾乃と言います。
1985年うるま市(旧具志川市)の出身です。今回「うちなー唄の道行けば」と題し、
沖縄の唄三線、私の唄道などを綴っていこうと思います。



幼い頃から三線やエイサーの音に反応する子供でした。
保育園の盆踊りで民謡が流れると、得意気に手を上げ、カチャーシーを
踊っていました。



私が三線を習うきっかけになったのは、大好きな祖母の影響と
祖母のお誘いでした。

家の近くに三線教室があり、そこに祖母が通っていました。
軽い気持で教室見学ということで祖母について行きました。
心地よすぎる三線の音や唄が、眠くて眠くて座布団を枕に
すやすやと眠っていました。
小学1年の幼い私にとって、良い子守唄でした。
それから何度か祖母に付いて教室に遊びに行くようになり、
心地よいお昼寝を楽しんでいました。
しかしだんだんと、お昼寝だけでは物足りなくなり、家で
祖母の三線を触って遊んでいると、祖母に「三線習ってみる?」と
聞かれ、「うん」と応えた私。
母も後押ししてくれたこともあり小学2年、私の唄・三線の道が
スタートしました。

今ではこの教室は閉まっていますが、祖母は舞踊稽古など毎日忙しい
日々を過ごしています。
私に、唄の道を進むきっかけをくれた祖母に感謝しています。


text:上間綾乃



上間綾乃オフィシャルサイト
http://uemaayano.com/




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歌をたずねて、あまハイ くまハイ vol.1 しゃかりチアキ

2009年07月06日 | 月曜(2006年7~8月):チアキさん
 ハイタイ!
今日拝なびら(ちゅーうがなびら=ご機嫌いかがかしら?)
皆さま、こんにちは。
初めましての方も、たくさんいらっしゃるかと思います。
私は『しゃかり』という音楽ユニットでボーカルを担当しており、
沖縄を中心に活動をしておりますチアキです!
今回ステキな縁で、こういう風にブログを書かせて頂ける事となりまし
た。
でーぢでーぢ(とてもとても)嬉しく思っております。
という事で私のコーナーでは、私が日頃生活している中で、観て聞いて
感じた事をお伝えし、
そして私自身も、沖縄音楽に更に目を向け、皆さまと一緒にあまハイ!
くまハイ!(あっち行ったりこっち行ったり)しながら、歌の旅が出来
たら嬉しいな~と思っております。
それではこれから2ヶ月間、ユタシクウニゲーさびら!(よろし
くお願い致します)


☆第一回目の旅 「花ぬカジマヤー」☆
 
 私が歌を歌うきっかけとなったのは、祖母の影響からでした。
私の祖母はとても音楽が好きで、家の中では毎日ラジオや録音したカ
セットから音楽が流れ、
そして一緒に歌っておりました。
また私の祖母は全盲でしたので、外で私を遊ばせる事が出来ず、家で一
緒に出来る「うた遊び」が、
私の一番の楽しい遊びでした。
そんな祖母からは、たくさんの歌を学びました。
 さて今回はその中から「花ぬカジマヤー」をご紹介したいと思います。

 「花ぬカジマヤー」は、沖縄一円で親しまれているわらべ歌で、メロ
ディーも覚えやすく楽しい曲です。
標準語表記だと「花の風車」。
そして夏の風物詩であります『エイサー』では必ずと言って良いほど演
舞される曲なので、
きっとウチナー大好きな皆さんは、どこかで聞いた事があるかも知れま
せんね。

「カジマヤー」とは風車を意味し、風をうけてクルクルと回る風車が、
花のように美しい様子を歌にしています。
歌詞の途中で「チントゥンテントゥン、マンチンタン」というお囃子が
出てくるのですが、
「チントゥンテントゥン」はきっと、三線の音を表しているのかと思わ
れますが、
「マンチンタン」とは、ハテ?。。。何を意味しているのか。。。謎な
んです(笑)
ちなみに島唄にはこういう面白い反復表現が結構多いんですよ~。
なので先人達はその頃から言葉遊びも楽しみ、ユニークな人が多かった
のが思い描かれますね。

その「花ぬカジマヤー」、沖縄では旧暦の九月七日に数え年の九十七歳
の長寿を祝う
『カジマヤー』という行事にも、深い繋がりがあると考えられます。

人は誰でも『カジマヤー』を迎える歳になると童心に帰るとされ、風車
はそれを象徴するもの。
そして楽しかったこと、辛かった事、色んな出逢いと別れを意味し、
その人の一生に例えられていると言われています。

その行事では、祝い座にたくさんの風車を飾り、カジマヤー(九十七
歳)を迎えた本人も風車を持ち、
街中をパレードするんですね。
そしてその長寿にあやかろうと参列した大人、子供達にもみんなに風車
が配られ、
集落全体で盛大にお祝いをします。
それはそれは華やかで優しくて、で~ぢ感動する光景なんですよ。
 

 沖縄のわらべ歌は、風土に育まれた自然発祥の明るく元気な歌がたく
さん残っています。
その多くが詠み人知らずという点からも、文明はどんどん変化しており
ますが、
今も昔も『心』は同じなんだということを、その時の「ウチナーン
チュ」が語ってくれています。
そしてこの「花ぬカジマヤー」も永い歴史の中、色あせることなく多く
の人に愛され、
歌い継がれた名曲に違いないでしょう。

 私達しゃかりも、こんな風に永遠に歌い継がれる歌が創れたらいい
な~!!歌者冥利に尽きますね♪
そしてそして、私がカジマヤーを迎えた時、百人くらいの子や孫に囲ま
れて、そして片手には三線を持ち、
この「花ぬカジマヤー」を大熱唱したいさ~♪
はまてぃ、いちゅんどー!(がんばるねー!)



「花ぬカジマヤー」

♪花ぬ風車(カジマヤー)や
風連(かじち)りてぃ 回(みぐ)る

(花のような風車は 風を連れて回るよ)

♪我(わん)や友連(どぅしち)りてぃ
 今(なま)どぅ 戻る(むどぅる)

(私は友を連れて 時間を戻るよ)

国際通りでカジマヤーパレードの様子



写真右)カジマヤーの風車 左)カジマヤーパレードの様子


text:しゃかりちあき



しゃかりオフィシャルサイト(言葉のかわりに心の歌を)
http://www.syakari.jp/



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紅茶の島のものがたり vol.14 冨井穣

2009年07月03日 | 金曜(2009年4月~):冨井穣さん
第14話
ウチナー紅茶作りのスタート



 人にとって“ふるさと”は特別なものだ。
 甲子園では出身県の高校を応援して盛り上がり、酒席では故郷に錦を!と管を巻き、税金はもちろんふるさと納税。寺山修司のように「帰る故郷があるならよかろ、おれにゃ故郷も親もない」と歌っても、結局それは“ふるさと”の反面教師に過ぎない。有名な言葉を借りれば、「人間はいつまでも故郷を身に付けている」のだ。
 そういえば以前に新聞記事で、都道府県別の「ふるさと納税ランキング」なるものが掲載されていた。結果はトップが北海道で二位が沖縄県、そして最下位は岡山県だった。
 北海道の人気分析は他の人に譲るとして、沖縄県出身の人々は“ウチナーンチュ”“ヤマトンチュ”と県内外の人を呼び分けるくらい、確かに地元愛が強い。例えば進学にしろ就職にしろ、高校生のほとんどが県内志向。Uターン就職率も他県に比べて圧倒的に高く、本土の学校を出て数年働いてから戻ってくる者も少なくない。またサザエさんのマスオさんよろしく、交際男性を沖縄へ引っ張ってきて婿入りさせる(彼らをウチナームクと言う)女性がとても多い。
 山城も言うなればUターン族に入るのだろうか。静岡にいる間ずっと、沖縄で茶業を成功させるにはどうすればいいかをとことん考え続けてきたのだから、その郷土愛は並々ならぬものがある。
 2001年3月、国立茶業試験場での研修期間を終えた山城は、実家の茶畑があるうるま市山城地区へ戻ってきた。本来なら少しの間ゆっくりして旧交を温めたりしたいものだが、季節はすでに新茶の摘採期。しかも数年前から父・豊の体調がすぐれなかったため、ほとんどすべての業務を自分で切り盛りしなければならなかい。そんなわけで息つく暇もなく、さっそく茶園の仕事に取りかかった。
 当初は従来通り、緑茶作りを中心に行った。静岡で学んだこと、沖縄へ帰ってから試したかったことを確認しながら、ひとつ一つ丁寧に。その中でも真っ先に取り組んだのは、水出し緑茶の製造だった。担当教官の根角の指導の下、研究したのは紅茶だけではない。沖縄は夏の暑い期間が長いので、麦茶感覚で飲める緑茶の開発も続けていたのである。
 さっそく周囲の人たちに振る舞ってみたところ、なかなか評判がいい。渋味がなく清涼感があり、水色も香りもいい。これはひょっとするとヒット商品になるかもしれない。
「でも、どうやって売ればいいんだろう?」
 山城は茶農家だ。お茶の栽培と加工についてはひと通りこなすことができても、当時はまだ流通の仕組みを理解していなかった。そこで山城は地元の商工会に入り、商売のノウハウを一から教わったのである。
「7がけのガケって何?上代ってどういう意味?それすらも分からなかった」
 と山城は振り返るが、農家ではなくても使い慣れていなければ分からない人は多いだろう。いちおう説明しておくと、7がけといえば定価に0.7を乗じた数字を仕入れ値とすることであり、上代(じょうだい)とは小売価格、いわゆる定価のことを指す。
 ちなみに、この水出し緑茶は、現在は紅茶作りに追われているため手を回すことができないが、いずれ本格的に売り出すことも考えているようだ。
 さて、山城は緑茶作りの傍らで、いよいよ紅茶の実験を始めていた。静岡でとったデータを参考にしながら、萎凋や揉念といった工程をもういちどいろいろなパターンで再現し、沖縄で最適な加工方法を見つけなければならない。
「自分一人の力ではさすがに限界がある。根角さんに相談しよう」
 山城は試作品を作るたびに、国立茶業試験場にいる根角のもとへ郵送し、感想とアドバイスを求めた。
「どうですか?前より発酵時の温度を1度上げてみました」
「香りはよくなったけど少し渋味が強い。揉み方を変えたほうがいいんじゃないか」
 そんなやり取りが何回も続いた。
 ちょうどそのころ、少量ながらも紅茶作りを行う人が全国にちらほらと現れ始め、山城のところにも紅茶を買い取りたいというバイヤーが訪れるようになった。味も品質も、まだまだ単独の茶葉として市場に出せるような状態ではなかったが、ブレンドや増量用に使うなら構わないだろうと思い、年間数十キログラム程度ずつ出荷を続けた。
 しかも、これは絶好のチャンスだ。沖縄産の紅茶として全国に打ち出せるかもしれない。
「一日も早く完成品を仕上げなければ…」
 来る日も来る日も試行錯誤が続いた。





text:冨井穣






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~スローライフwithみゅーじっく~ vol.1 大山百合香

2009年07月02日 | 木曜(2009年7~8月):大山百合香さん
はじめまして、こんにちは!
今日から木曜日のデイリーボイスを担当する事になりました
沖永良部島出身、大山百合香と言います。

ソニーミュージックよりデビューし、7年程東京で音楽活動をしていました。

今年の4月に大好きな沖縄の地に移り住み、歌を歌っています。

「スローライフwithみゅーじっく」と題して
沖縄のゆっくり流れる時間、日々の中で
大好きな音楽に囲まれ
出会う人たちや景色
感じること
思うこと
音のこと
などを気ままに書いてみようかと思います。

さて、まずは自己紹介がてら
私の沖永良部島のことを少し。

実は私の生まれ育った島は、沖縄にとても近いんですが
鹿児島県奄美群島に位置しています。



(めんしょり沖永良部島HPより)

とっても沖縄に近く
文化や方言、民謡なども少し似ているんです。

ここのサイトに沖永良部島の事が分かりやすく書いてあるので
よかったら覗いてみてくださいね!
http://www.oki-erabu.com/oki-what/


そういえば先月、沖縄に移住してきてから初めて
島に帰ってきました。
那覇港から船で約6時間程で着きます。

気候は沖縄と変わらないけど、
海の色や空の近さも少しずつ変わりますね。

先日は天気が悪かったため写真があまり撮れなかったので
以前の写真で少し紹介しますね。



隆起珊瑚礁の島で、飛行機から見下ろすと赤土の畑が広がっています。



「花の島」とも呼ばれているくらい、年中花が咲き乱れていて
その中でも有名なのが、エラブのシンボル花でもある
エラブユリ




ブーゲンビレア


ハイビスカス


電照菊



などなど、他にも様々な花が栽培されています。

私の名前もそんな花の名前からつけられました。

ちなみに、ハブはいません(笑)
ご安心して、沖永良部島にも遊びにいらしてくださいね!

ちなみに私、沖永良部島の観光大使を勤めていました。

島に生まれ育って、島の事を分かっているようで
まだまだ知らない事ばかりでした。

島を離れて初めて、島の良さや大切さを知る事ができました。

故郷を離れることは、私にとってとても大きなことで
得るものが多かったです。

その中で島の民謡を全く教わった事がなく
三線も2年目になりますが、ほとんど独学です。

沖縄に来て改めて民謡の奥深さを感じて
自分の故郷の言葉や音を奏でたいと強く思い、
先月から沖永良部島の「川畑先民先生」の民謡研究所に通い
直接、永良部民謡を教わっています。

やはり同じ奄美群島でも、文化でも
言葉や音階、節や微妙な三線の弾き方まで違ってきます。

知れば知るほど奥深く、もっともっと島の音楽を追求したい気持ちが
以前よりも増してきました。

ちゃんと理解して、これから島を受け継ぐ私たちや
後輩たちに繋げていかなければいけないと思いました。





というわけで、今後もこんな感じでのんびりやっていこうと思うので
これからもよろしくお願いしますね〜♫


text:ゆーりー



●大山さんのリンク先
大山百合香プライベートブログ(KIND OF BLUE)
http://ameblo.jp/yurin0520/
ここからCD購入できます(ソニーミュージック オフィシャルサイト)
http://www.sonymusic.co.jp/Music/Arch/AI/YurikaOhyama/index.html



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The Okinawan spirits ~泡盛百花~vol.1 稲垣千明 

2009年07月01日 | 水曜(2009年7~8月):稲垣千明さん
はじめまして。稲垣千明(ちはる)と申します。

沖縄の文化に触れ、学びたくて、本州から移住してきました。
そんな私が念願かなって修士課程に進んだ際、選んだテーマが「泡盛」でした。
沖縄で暮らすうち、日常の生活や冠婚葬祭、さらには歴史や文化の中に、
さまざまなかたちで登場する泡盛への関心が、私の中で、どんどんふくらんで、
どうしても追い求めずには、いられなくなったのです。
けっして泡盛のおいしさに酔いしれたからでは、ありませんよ。
恩師に恵まれ、周囲の方々の協力や支援もいただきながら、
私は泡盛の世界に足を踏み入れたのですが、歩を進めれば進めるほど、
その奥深さを知ることとなりました。



今回、ご縁があって、このブログを担当させていただくことになりましたが、
私が今までに学んだり聞き知った泡盛にまつわるさまざまなエピソードをご紹介し、
飲むのが好きな方にも、そうではない方にも、風味だけにとどまらない
泡盛の魅力をお伝えできれば…と考えています。

前置きが長くなってしまいましたが、今回は、お祝いにまつわる泡盛に
ついて、少しご紹介しておきたいと思います。

お酒というと、沖縄に限らず、お祝い事には付き物ですが、
沖縄には「サキムイ(酒盛り)」という言葉が、そのまま名前となった
お祝い事があります。さて、みなさんは、どんな場面を想像されるでしょうか?
じつは、かつて沖縄では、「サキムイ」とは婚約のことを意味していました。
女性の家で行われる「サキムイ」には、男性の家から、お茶やお茶うけと共に、
お酒を持って行ったのだといいます。
現在からは想像できないかもしれませんが、昔、泡盛は、
とても貴重なお酒でした。
庶民が口にできる機会は、あまり無かったのです。
そういう貴重なお酒を酌み交わす数少ない機会でもあったことから、
きっと結納のことを「サキムイ」と言うようになったのでしょうね。
 結婚を約束する二人を取り持つ泡盛…。
泡盛は、ロマンチックな場面での立役者でもありました。


写真はお祝いに使われていた酒器・嘉瓶(ユシビン)
ユシビンについては今後のブログで紹介するつもりです

text:稲垣千明



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