第31話
エピローグ
10月某日、宜野湾市普天間で、私は崎浜と待ち合わせた。普段は帰宅ラッシュに
見舞われる夕刻の国道58号線も、台風が接近中とあって多くの人は既に帰途へ着い
たのか、車線は深夜のようにガラリと空いている。
街路樹のヤシの木が大きく左右に揺れる。これではあすの畑作業は難しいだろ
う。無理言って今晩呼び出して正解だったかもしれない。
その日の朝、私は思い立ったように崎浜に電話して、2人きりで会えないか尋ねて
みた。今後の山城紅茶の展望を探るに当たって、彼はどのような深謀を巡らしてい
るのか、直接聞いてみたかったのだ。
山城の言動を考えるに当たっては、茶農家の3代目というバックボーンを紐解く
ことで比較的話の筋道は立ちやすい(高校を中退して茶業一本で生きていく決断を
する人間は今の時代では希少だが)。一方で崎浜は、茶業に縁もゆかりもないまっ
たくの新参者だ。聞けば誰もがうらやむようなキャリアを持ちながら、その一切を
かなぐり捨てて紅茶作りに賭けるのはいったいなぜか。「将来性があるから」と言
ってしまえばそれまでだが、もっと別のところに動機の根っこのようなものがある
はずだ。山城紅茶の未来が、彼のさじ加減に大きくかかっているのは間違いない。
待ち合わせ場所のスーパーにほぼ定刻通り滑り込むと、先に到着していた崎浜は
首にタオルを巻き腕組みをして駐車場に立っていた。マラソンの練習がてら自宅か
ら30分近くかけてジョギングしてきたそうだ。
「走りながら途中でいい店がないか探したんだけど見つからなくて。すぐ近くに小
料理屋があったからそこでいいですか」
私は崎浜のあとについて店に案内され、暖簾をくぐり畳席に座った。中老の女将
が一人で切り盛りする、10人も入れば満席になりそうな名の通りの小料理屋。夕飯
を済ませてきたという崎浜はビールだけを頼み、私は運転があるためコーラを注文
した。残業中に口あたりだけでもビールを飲む気分を味わいたいという、サラリー
マン時代のさもしい知恵である。しばらくしてお通しの冷や奴が運ばれてきたとこ
ろで、いよいよインタビュー開始。紅茶作りのことよりほとんどが雑談だったかも
しれないが、2時間ほどあれこれと話を聞いた。それにしても、大の大人2人が豆腐
だけを肴にビールとコーラで談義を交わすとは、女将からすれば何ともけたくそ悪
い客だっただろう。
この日の会合だけで、私が彼の思想や人柄についてどれほど知り得たのかまった
く怪しいところだ。幾つかのやり取りや言葉が心に残った。
例えば、これからの山城紅茶の夢を聞かせてほしいと尋ねたところ、即座に「夢
はない」と返された。本編でも簡単に触れたように、「夢という言葉は月に住みた
いとか、そういう場合に使うものであって、紅茶農園に関して考えていることはす
べて“プラン”の一つです」と言う。ここに山城紅茶の本質の一端があると思うの
だが、山城にしても崎浜にしても、夢とか運命のように目に見えないもの、人知の
及ばない世界に対する敬意の念がある。それはどこか「諦め」にも通じる思考で、
彼らは求道者的ともいえるほど紅茶作りを追求していながら、紅茶の入れ方や飲み
方について一切説くことがない。仏教用語で「諦める」とは「明らめる」こと。「人事を尽くして天命を待つ」ではないが、山城がよく「紅茶は嗜好品。好きなよ
うに飲めばいい」と話すように、結局はおいしい紅茶を飲んだときの素直な喜びの
感情が大切だと考えているのだろう。
そして店を出る前に崎浜は、「きれいごとに聞こえるかもしれないけれど」と前
置きした上で、「縁あって出会った山城に、代々まじめに茶業を営んできた山城の
家に、絶対成功してほしい」と語った。天の邪鬼だった私はその言葉を聞いて、根
っこの詮索などやめようと思った。崎浜がキャリアにこだわらず紅茶作りに専念し
ているのは、何か深遠な特別な理由があるわけではない。今までの経験を身近な人
や社会のために生かせる機会があれば協力は惜しまないという、自身の心に素直に
直面しようとしているにすぎない。
時に山城紅茶の味が、エグミがない、雑味がない、などと評されるのは、彼らの
紅茶作りが正直だからかもしれない。山城も崎浜も、紅茶を作ることと生きること
を同じ地平でとらえている。あえて崎浜の動機を探すなら、「正直に生きたい」と
いう思いこそが究極の動機だろう。
店を出ると外は小雨が降っていた。車で送るという私の申し出を崎浜は断り、
少々酔っぱらいながら「こうやって雨に降られるのも運命でしょう」と言って暗闇
の中を歩き出した。そのときふと、パッケージデザインを手がけているmisanoさん
が、「ふつう2人組ってお互いの欠点を補い合うものだけど、あの2人はいいときも
悪いときも一緒のような気がするの」と話していたことを思い出し、そのセリフの
本当の意味を理解した気がした。私は大きなエールを持って、崎浜の背中を見送った。
text:冨井穣
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エピローグ
10月某日、宜野湾市普天間で、私は崎浜と待ち合わせた。普段は帰宅ラッシュに
見舞われる夕刻の国道58号線も、台風が接近中とあって多くの人は既に帰途へ着い
たのか、車線は深夜のようにガラリと空いている。
街路樹のヤシの木が大きく左右に揺れる。これではあすの畑作業は難しいだろ
う。無理言って今晩呼び出して正解だったかもしれない。
その日の朝、私は思い立ったように崎浜に電話して、2人きりで会えないか尋ねて
みた。今後の山城紅茶の展望を探るに当たって、彼はどのような深謀を巡らしてい
るのか、直接聞いてみたかったのだ。
山城の言動を考えるに当たっては、茶農家の3代目というバックボーンを紐解く
ことで比較的話の筋道は立ちやすい(高校を中退して茶業一本で生きていく決断を
する人間は今の時代では希少だが)。一方で崎浜は、茶業に縁もゆかりもないまっ
たくの新参者だ。聞けば誰もがうらやむようなキャリアを持ちながら、その一切を
かなぐり捨てて紅茶作りに賭けるのはいったいなぜか。「将来性があるから」と言
ってしまえばそれまでだが、もっと別のところに動機の根っこのようなものがある
はずだ。山城紅茶の未来が、彼のさじ加減に大きくかかっているのは間違いない。
待ち合わせ場所のスーパーにほぼ定刻通り滑り込むと、先に到着していた崎浜は
首にタオルを巻き腕組みをして駐車場に立っていた。マラソンの練習がてら自宅か
ら30分近くかけてジョギングしてきたそうだ。
「走りながら途中でいい店がないか探したんだけど見つからなくて。すぐ近くに小
料理屋があったからそこでいいですか」
私は崎浜のあとについて店に案内され、暖簾をくぐり畳席に座った。中老の女将
が一人で切り盛りする、10人も入れば満席になりそうな名の通りの小料理屋。夕飯
を済ませてきたという崎浜はビールだけを頼み、私は運転があるためコーラを注文
した。残業中に口あたりだけでもビールを飲む気分を味わいたいという、サラリー
マン時代のさもしい知恵である。しばらくしてお通しの冷や奴が運ばれてきたとこ
ろで、いよいよインタビュー開始。紅茶作りのことよりほとんどが雑談だったかも
しれないが、2時間ほどあれこれと話を聞いた。それにしても、大の大人2人が豆腐
だけを肴にビールとコーラで談義を交わすとは、女将からすれば何ともけたくそ悪
い客だっただろう。
この日の会合だけで、私が彼の思想や人柄についてどれほど知り得たのかまった
く怪しいところだ。幾つかのやり取りや言葉が心に残った。
例えば、これからの山城紅茶の夢を聞かせてほしいと尋ねたところ、即座に「夢
はない」と返された。本編でも簡単に触れたように、「夢という言葉は月に住みた
いとか、そういう場合に使うものであって、紅茶農園に関して考えていることはす
べて“プラン”の一つです」と言う。ここに山城紅茶の本質の一端があると思うの
だが、山城にしても崎浜にしても、夢とか運命のように目に見えないもの、人知の
及ばない世界に対する敬意の念がある。それはどこか「諦め」にも通じる思考で、
彼らは求道者的ともいえるほど紅茶作りを追求していながら、紅茶の入れ方や飲み
方について一切説くことがない。仏教用語で「諦める」とは「明らめる」こと。「人事を尽くして天命を待つ」ではないが、山城がよく「紅茶は嗜好品。好きなよ
うに飲めばいい」と話すように、結局はおいしい紅茶を飲んだときの素直な喜びの
感情が大切だと考えているのだろう。
そして店を出る前に崎浜は、「きれいごとに聞こえるかもしれないけれど」と前
置きした上で、「縁あって出会った山城に、代々まじめに茶業を営んできた山城の
家に、絶対成功してほしい」と語った。天の邪鬼だった私はその言葉を聞いて、根
っこの詮索などやめようと思った。崎浜がキャリアにこだわらず紅茶作りに専念し
ているのは、何か深遠な特別な理由があるわけではない。今までの経験を身近な人
や社会のために生かせる機会があれば協力は惜しまないという、自身の心に素直に
直面しようとしているにすぎない。
時に山城紅茶の味が、エグミがない、雑味がない、などと評されるのは、彼らの
紅茶作りが正直だからかもしれない。山城も崎浜も、紅茶を作ることと生きること
を同じ地平でとらえている。あえて崎浜の動機を探すなら、「正直に生きたい」と
いう思いこそが究極の動機だろう。
店を出ると外は小雨が降っていた。車で送るという私の申し出を崎浜は断り、
少々酔っぱらいながら「こうやって雨に降られるのも運命でしょう」と言って暗闇
の中を歩き出した。そのときふと、パッケージデザインを手がけているmisanoさん
が、「ふつう2人組ってお互いの欠点を補い合うものだけど、あの2人はいいときも
悪いときも一緒のような気がするの」と話していたことを思い出し、そのセリフの
本当の意味を理解した気がした。私は大きなエールを持って、崎浜の背中を見送った。
text:冨井穣