沖縄Daily Voice

沖縄在住の元気人が発信する

紅茶の島のものがたり vol.31 冨井穣

2009年10月30日 | 金曜(2009年4月~):冨井穣さん
第31話
エピローグ


 10月某日、宜野湾市普天間で、私は崎浜と待ち合わせた。普段は帰宅ラッシュに
見舞われる夕刻の国道58号線も、台風が接近中とあって多くの人は既に帰途へ着い
たのか、車線は深夜のようにガラリと空いている。
 街路樹のヤシの木が大きく左右に揺れる。これではあすの畑作業は難しいだろ
う。無理言って今晩呼び出して正解だったかもしれない。
 その日の朝、私は思い立ったように崎浜に電話して、2人きりで会えないか尋ねて
みた。今後の山城紅茶の展望を探るに当たって、彼はどのような深謀を巡らしてい
るのか、直接聞いてみたかったのだ。
 山城の言動を考えるに当たっては、茶農家の3代目というバックボーンを紐解く
ことで比較的話の筋道は立ちやすい(高校を中退して茶業一本で生きていく決断を
する人間は今の時代では希少だが)。一方で崎浜は、茶業に縁もゆかりもないまっ
たくの新参者だ。聞けば誰もがうらやむようなキャリアを持ちながら、その一切を
かなぐり捨てて紅茶作りに賭けるのはいったいなぜか。「将来性があるから」と言
ってしまえばそれまでだが、もっと別のところに動機の根っこのようなものがある
はずだ。山城紅茶の未来が、彼のさじ加減に大きくかかっているのは間違いない。
 待ち合わせ場所のスーパーにほぼ定刻通り滑り込むと、先に到着していた崎浜は
首にタオルを巻き腕組みをして駐車場に立っていた。マラソンの練習がてら自宅か
ら30分近くかけてジョギングしてきたそうだ。
「走りながら途中でいい店がないか探したんだけど見つからなくて。すぐ近くに小
料理屋があったからそこでいいですか」
 私は崎浜のあとについて店に案内され、暖簾をくぐり畳席に座った。中老の女将
が一人で切り盛りする、10人も入れば満席になりそうな名の通りの小料理屋。夕飯
を済ませてきたという崎浜はビールだけを頼み、私は運転があるためコーラを注文
した。残業中に口あたりだけでもビールを飲む気分を味わいたいという、サラリー
マン時代のさもしい知恵である。しばらくしてお通しの冷や奴が運ばれてきたとこ
ろで、いよいよインタビュー開始。紅茶作りのことよりほとんどが雑談だったかも
しれないが、2時間ほどあれこれと話を聞いた。それにしても、大の大人2人が豆腐
だけを肴にビールとコーラで談義を交わすとは、女将からすれば何ともけたくそ悪
い客だっただろう。
 この日の会合だけで、私が彼の思想や人柄についてどれほど知り得たのかまった
く怪しいところだ。幾つかのやり取りや言葉が心に残った。
 例えば、これからの山城紅茶の夢を聞かせてほしいと尋ねたところ、即座に「夢
はない」と返された。本編でも簡単に触れたように、「夢という言葉は月に住みた
いとか、そういう場合に使うものであって、紅茶農園に関して考えていることはす
べて“プラン”の一つです」と言う。ここに山城紅茶の本質の一端があると思うの
だが、山城にしても崎浜にしても、夢とか運命のように目に見えないもの、人知の
及ばない世界に対する敬意の念がある。それはどこか「諦め」にも通じる思考で、
彼らは求道者的ともいえるほど紅茶作りを追求していながら、紅茶の入れ方や飲み
方について一切説くことがない。仏教用語で「諦める」とは「明らめる」こと。「人事を尽くして天命を待つ」ではないが、山城がよく「紅茶は嗜好品。好きなよ
うに飲めばいい」と話すように、結局はおいしい紅茶を飲んだときの素直な喜びの
感情が大切だと考えているのだろう。
 そして店を出る前に崎浜は、「きれいごとに聞こえるかもしれないけれど」と前
置きした上で、「縁あって出会った山城に、代々まじめに茶業を営んできた山城の
家に、絶対成功してほしい」と語った。天の邪鬼だった私はその言葉を聞いて、根
っこの詮索などやめようと思った。崎浜がキャリアにこだわらず紅茶作りに専念し
ているのは、何か深遠な特別な理由があるわけではない。今までの経験を身近な人
や社会のために生かせる機会があれば協力は惜しまないという、自身の心に素直に
直面しようとしているにすぎない。
 時に山城紅茶の味が、エグミがない、雑味がない、などと評されるのは、彼らの
紅茶作りが正直だからかもしれない。山城も崎浜も、紅茶を作ることと生きること
を同じ地平でとらえている。あえて崎浜の動機を探すなら、「正直に生きたい」と
いう思いこそが究極の動機だろう。
 店を出ると外は小雨が降っていた。車で送るという私の申し出を崎浜は断り、
少々酔っぱらいながら「こうやって雨に降られるのも運命でしょう」と言って暗闇
の中を歩き出した。そのときふと、パッケージデザインを手がけているmisanoさん
が、「ふつう2人組ってお互いの欠点を補い合うものだけど、あの2人はいいときも
悪いときも一緒のような気がするの」と話していたことを思い出し、そのセリフの
本当の意味を理解した気がした。私は大きなエールを持って、崎浜の背中を見送った。




text:冨井穣





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紅茶の島のものがたり vol.30 冨井穣

2009年10月23日 | 金曜(2009年4月~):冨井穣さん
第30話
ホッとティータイムその4:
山城紅茶の商品包装を手がける
知的障害者通所授産施設「ありんこ」

「小さいころから、“何かを始めるときはすべての物事がうまく回るように考え
ろ”と父親にたたき込まれた」と山城が話すように、山城紅茶が目指す循環型農業
の理念は、お茶作りの枠を越えて世の中の仕組みにまで及んでいる。本編で何度か
触れたように、茶摘みには地元のシルバー人材を雇い、加工後の商品包装は同じく
市内の障害者施設に作業を依頼している。紅茶作りのスローガンが「適栽適地」な
ら、これは文字通り「適材適所」の経営形態。地域の人材を積極的に活用すること
で雇用格差の解消を図り、循環型の労働市場の活性化に貢献している。
 今回は山城紅茶の商品包装を請け負う障害者施設「ありんこ」を訪ね、指導員の
松田美智代さんに話を伺った。


Q施設の活動について教えて下さい
A私たち通所授産施設「ありんこ」は、知的障害者の社会参加と自活を図ることを
目的に、2003年に設立された社会福祉法人です。現在は約40名の知的障害者が利用
しており、一人一人の障害レベルに応じて授産科目を決定し、適切な指導、訓練、
援助を行っています。
 授産科目は農工演芸班、手工芸班、食品加工班などがあり、朝9時から夕方4時半
まで、食事や休憩を挟みながらグループごとにさまざまな作業を行っています。就
労を目指す利用者は民間企業に赴き外部実習に励んでいます。
 施設内での作業は公共機関や民間企業からの受注業務がほとんどですが、島ひじ
き、黒糖梅干しなどの加工食品や手工芸品など、中には自社製品として生産、販売
している商品もあります。


自社製品の島ひじき

Q山城紅茶との取引のきっかけは
A私たちの施設では受注業務を行うために、さまざまな設備を導入しています。そ
の中にはティーバッグの自動包装機もあり、それをたまたま聞きつけ山城紅茶さん
から連絡をいただいたのが始まりでした。今から約1年半前、ちょうどティーバッグ
製品を発売したころですね。
 ただし機械があるとはいえ、それほど頻繁に動かしたことがなかったので、最初
のうちは私が使い方を覚えたりうまく包装できるよう微調整したりするのに時間が
かかって大変でした。しかも機械を作業室に持ってきて実際に動かしてみたとこ
ろ、排気で粉じんが室内に舞ってしまうので機械用にガラス張りの部屋を作り、さ
らにそこに閉じこもって作業すると暑くてたまらないので換気扇を設置したりと、
なかなか大がかりな仕事になりました。
 それから山城さんは、「ゴミに出しても環境に負荷をかけないから」という理由
で、ティーバッグの包装材に植物由来の原料で作られる不織布を指定されました。
一般的なお茶のティーバッグはナイロン製を使うケースがほとんどです。茶葉の栽
培を有機無農薬で行うだけではなく、商品開発時にそこまで気を配ることができる
なんて、とても感心しますね。


ティーバッグ自動包装機

Q実際にはどんな作業をしているのですか
Aティーバッグの製作に限らず、パッケージの裁断からシール張り、茶葉の計量、
袋詰めまで、ひと通りの作業をさせていただいています。食品加工などの室内業務
は主に女性が担当し、現在は11名、2班合同でやるときは15名前後で仕事に取りかか
ります。利用者の中には数字をきちんと読める人もいれば、10までなら数えられる
人、まったく分からない人など、作業レベルに個人差があるので、一人一人の状況
に合わせて仕事を分担しています。
 山城紅茶さんの商品は紅茶の種類が4つに分かれている上、リーフタイプとティー
バッグのタイプがあり、崎浜さんからはシールの張り方をミリ単位で指定するなど
とても細かい指示が来ます。いちばん大変なのはティーバッグの商品です。リーフ
タイプのものは茶葉を計量して袋詰めし、再計量してチェックするだけでいいので
すが、ティーバッグはタグを付けたり個数を数えたりしなければいけないので、必
ず誰か指導員が入って一緒に作業するようにしています。
 利用者の教育はもちろんですが、商品は一般のお客さんが口にするものなので、
仕事は確実にこなさなければなりません。私が受け持っている業務の中では最も複
雑かもしれませんね。個人的に「山城紅茶業務ファイル」を作り、作業室には専用
棚も作りました(笑)。


ティーバッグ製品は大変な作業


慣れた手つきで作業をこなす利用者


あとは袋を閉じてできあがり

Qこれからの抱負と山城紅茶にひと言お願いします
A障害者施設を取り巻く環境は年々厳しさを増しており、2年後には障害者の就労増
や最低工賃引き上げなどが義務づけられます。私たちも現在はそれに向けたさまざ
まな対策を検討中で、例えば来年4月には那覇市国場に就労支援センターを開業した
り、山城紅茶さんからの仕事のような受注業務を増やすためにコンサルタントの方
に相談したりしています。
 いちど施設を見ていただければ分かると思うのですが、障害者が貢献できる仕事
はいくらでもあります。例えば山城紅茶さんの袋詰め作業だって、普通なら1、2時
間もすれば飽きてしまうところを、彼らは延々と集中して作業できるんです。一般
の人や企業の方に、彼ら彼女らのそんな長所を少しでも知ってほしいですね。
 だから山城紅茶さんが今以上に有名になって生産量が激増しても、私たちはまだ
まだ十分に仕事をこなすことができますよ。商品ごとに細々と作業するより、例え
ば「今日はNO.909のリーフタイプ」と決めて取りかかったほうが、利用者はもっと
もっと力を発揮できますからね(笑)。



◎連絡先
知的障害者通所授産施設「ありんこ」
うるま市宇堅919
TEL098-973-1888
施設の訪問、見学は大歓迎です!お気軽にお立ち寄りください。


働き者のありんこのようにコツコツと…との願いを込めて





Text:冨井穣




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紅茶の島のものがたり vol.29 冨井穣

2009年10月16日 | 金曜(2009年4月~):冨井穣さん
第29話
理想という名の野望

 10月を過ぎ、静岡や鹿児島などの緑茶農園が来春の新茶に備えて冬支度を始める
ころ、沖縄の茶畑ではまだ収穫期が続く。近年は台風の襲来がめっきり少なくなり、
真夏さながらの汗ばむ陽気の下、来る日も来る日も変わらぬ作業が繰り返される。
それでもさすがに朝晩は涼しい風が吹き、茶畑に立つとひところより影が薄く遠く
まで延びていることに気づく。沖縄の短い秋。やがてミーニシと呼ばれる北風が吹き
冬の到来を告げ、茶畑はようやく農閑期に入る。
「今年は密度の濃い冬になりそうです」
 と山城は話す。直売所ならぬカフェの完成がゴールデンウイーク前後になる見通しで、
設計・施工の打ち合わせから備品の手配、近隣ホテルへの営業活動まで、畑管理と
並行して取りかかるべき準備がめじろ押し。さらに
「カフェがオープンしたら僕と崎浜だけでは手が回らないので、どうしても専任の
スタッフが必要になる。紅茶作りに対する理念を共有できる人を今から探しておか
ないと」
 会社設立当初からの目標だったカフェのオープンに向け、山城紅茶は新たな局面
に突入している。
 カフェの成功如何は山城紅茶の社運を左右するだけではなく、沖縄産紅茶が広く
普及するための試金石でもある。うまく軌道に乗れば、魅力ある産業との認識が行
き渡って人材が集まり、業界全体が活性化するだろう。茶摘みや商品包装といった
単純労働の需要が増えれば高齢者や障害者の雇用の受け皿となり、さらに興味を持
つ若者が増加すれば、深刻な後継者不足に悩む沖縄茶業界の救世主になるかもしれ
ない。
 人が集まるところにはお金も集まる。茶園に多くの人が訪れるようになれば、そ
の周辺には店舗や企業の進出が加速するだろう。うるま市山城地区に限らず、茶業
組合がある県内各地の茶産地に同様の取り組みが波及していけば、沖縄がスリラン
カのような「紅茶の島」になることも夢ではない。崎浜がにらんだとおり、沖縄の
紅茶は、地域主導による産業振興の起爆剤となりうるものだ。
 あまりにもきれいすぎる話だが、これはあくまでカフェが「軌道に乗れば」のこ
と。逆に懸念材料として、例えば沖縄産紅茶の市場価値が格段に高まった場合、大
手資本が茶園を買い占めるようなケースは発生しないだろうか。結論から言うと、
山城と崎浜の予想は大方“No”だ。
 その最たる理由は、沖縄で生産される茶葉をすべて集めても国内の紅茶消費量の
数パーセントにしか満たないため、企業からすれば投資効率が極めて悪いのだ。茶
所に大規模な自社茶園を持つ大手清涼飲料メーカーでさえ、販売額の9割以上を仕
入れ加工に頼っているのだから、離島県の沖縄にわざわざ茶園を造ることは考えに
くい。また、先の例のように紅茶を中心に各種産業が発展し、県や市町村が「紅茶
の里」としてまちづくりに取り組んでいるような場所には、一企業がわざわざ手を
出すことはないだろう。そのようなリスクを冒してまで、どうしても沖縄を紅茶の
島として開拓したいという企業があれば、それはそれで結構なことではないだろう
か。2人はおそらく協力を惜しまないだろう。結局のところ、「人材=人財」とは
よく言われる話で、人のいないところに産業は育たない、いや、人知らずの産業な
ど2人は(多くの人は)興味がないだけの話である。
 ちなみに、これまでにも山城のところに「紅茶をやってみたい」と訪ねてきた者
は数名いたそうだ。将来的には加工技術の講習など人材の育成にも尽力したいとこ
ろだが、今は自分たちの成功が先決だろう。
「大切なのは、紅茶業に携わっていて楽しいと感じられること、しっかり収益を確
保できること。どちらが欠けてもいい人材は集まらないし、長続きしませんから
ね。まずは僕らが布石を敷き、優秀な人がどんどんやって来る環境ができあがっ
て、そのうち“お前はもう使いものにならないからお役ご免だ”と言われるように
なれば本望です」
 山城と崎浜の目指す紅茶作りは理想論ではない。世界一という旗印を掲げ、その
夢に向かって突き進む人間の崇高な生き様だ。2人はこの先どんな夢の続きを見せ
てくれるのか。ティーカップ片手に紅茶を飲みながら、じっくり待ちわびることに
しよう。(了)




次回は山城紅茶の商品作りに携わる人々を紹介します




text:冨井穣



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紅茶の島のものがたり vol.28 冨井穣

2009年10月09日 | 金曜(2009年4月~):冨井穣さん
第28話
目指すは農業ベンチャー


 さて、半年以上にわたって紹介してきた山城紅茶のサクセスストーリー、いやあくせくストーリーだが、話が現在の状況に追いついてきたところで、そろそろ稿を閉じることにしよう。あとは彼らが考えている山城紅茶の今後の展望について、差し迫った現実的な話も、雲をつかむような空想的な話題もすべてひっくるめて、幾つか紹介してみたい。
 まずは念願だったカフェの建設が、近いうちに実現の運びとなりそうだ。手続きに時間を要するため着工は少し先になるかもしれないが、すでに設計図の素案はできあがっている。相談した建築士の提案によると、建物はログハウス調の2階屋で、1階に直売所兼カフェスペースがあり、ひと続きになった屋外のテラスには紅茶作り体験などが行える作業場を設置。2階は眼下に茶畑が見渡せるよう窓を大きく取って展望スペースとし、喫茶のほかギャラリーやコンサートにも活用する。まだ叩き台の段階とはいえ、誰もが気軽に訪問できる清潔でしゃれた雰囲気と、茶畑の中ならではの土臭さが見事に表現されている。
 カフェと並行して一帯を観光農園として整備する計画があることは前回紹介した通りだが、2人の構想はさらに暴走してどこまでも突き進む。山城は「これで紅茶が軌道に乗れば、次は半発酵茶のウーロン茶を試してみたい。もちろん緑茶だってまだ完全にあきらめたわけではないですよ」と茶業の可能性を追求する意欲を示しつつ、「実は以前からキノコを栽培したいと本気で考えているんですよ」と言う。キノコ?沖縄だから十歩譲ってパイナップルやマンゴーなど亜熱帯作物ならまだ理解できるが、なぜキノコ?「山城地区は丘陵地になっていて至る所に起伏があり、そのくぼみになった場所の湿度がキノコ栽培に最適なんです」とその理由を話す。しかし、「農作物の単純栽培は誰でもすぐまねできるから、ビジネスとしてやっていくには原料に何かしら加工を加えることが必要」というのが崎浜の持論だが、それに対しては「キノコは種菌の使い方がポイント。簡単なようで技術と知識が要る」のだそうだ。しかも「キノコといえばスーパーマリオ。任天堂にスポンサーになってもらって、観光農園にマリオカートを建設したら面白い」と冗談吹く。これは2人からそれぞれ別の機会に聞いた話なので、日ごろから常にそんなことを話し合っているのだろう。
 さらに抱負を尋ねていくと、キノコの次は丘の斜面でブドウを作り、麓では米、余裕があればコーヒーまで手がけてみたいと展望を語る。「ブドウは食用ではなく酒造りに使いたい。一般常識からすると、沖縄産のぶどう酒なんて無理して造っているように思われるかもしれませんが、紅茶を開発した経験と感触から、ひょっとするとうまくいくのではないかと勝手に仮説を立てて楽しんでいます。米は国策の関係上、まずはせいぜい自家消費分でしょうけどね」と崎浜は話す。
 そんな型破りの発想も、2人がやろうとしていることは要は農業ベンチャーなんだと考えれば合点がいく。代々伝わる農業の知恵とノウハウを身に付けた山城と、いわば「異業種参入」して既存の枠組みを打破しようとする崎浜がタッグを組み、次代を担う新たな農業のあり方を模索する。その中でいちばん大切なのは、農業が「面白い」と感じられること。仕事に対する働き手の意欲が高まればスキルも向上し、魅力ある産業として安定した人材が集まり農業基盤が活性化する。またキノコやぶどう酒の話は決して夢ではなく、プランの一つに過ぎないというから面白い。「到底実現不可能と思えるようなことでも、話をしているうちにその中から方向性が見えてくる」というのが山城と崎浜の経営スタンスだ。
 彼らは今後の紅茶や農業の展望について話をするとき、決して「夢」という言葉を使わない。「夢」と「目標」は切り分けて考えるべきであって、仕事の延長戦上にあるものは結局どこまでいっても「目標」に過ぎないということだろう。夢とはもっと崇高なものであり、スケールの大きなもの。しかし現在の世の中ではこれらの言葉が混同して使われるケースが多く、仕事や勉強における目先の成功こそが「夢の実現」だと解釈するような風潮がある。どんな言葉を使おうが当人の勝手かもしれないが、せめて「ささやかな」という形容詞を付けるくらい謙遜した気持ちが欲しいものだ。





カフェのイメージ図。まだ原案の段階だが、実際にどのような建物に仕上がっていくのか楽しみだ



text:冨井穣




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紅茶の島のものがたり vol.27 冨井穣

2009年10月02日 | 金曜(2009年4月~):冨井穣さん
第27話
夢の世界へ


 山城紅茶は会社設立から2009年で3年目を迎えた。3という数字は何かと物事の節目になりやすく、「ホップ、ステップ、ジャンプ」と飛躍の段階に見立てられることもあれば、逆に「3日坊主」のようにマイナスの側面も持ち合わせている。それでは山城紅茶はどうかといえば、現在のところはまだどちらにも当てはまらず、「石の上にも3年」という形容がぴったりかもしれない。やや贔屓目に見れば前者に近く、飛躍のための萌芽が少しずつ芽吹き始めてきた段階と言えるだろう。飛躍の萌芽とは、山城念願のカフェ(直売所)建設がようやく現実味を帯びてきたということだ。
 2009年3月、山城紅茶は有機JASの認証を取得した。これは農林水産省が2001年に定めた有機農産物とその加工食品の規格のことで、適合検査に合格し「有機JASマーク」を張ったものでなければ、「有機●●」「オーガニック●●」などの表示をしてはいけないというルールである。ちなみに農林水産省の定めによる「有機」表示の条件は、「3年以上化学合成農薬や化学肥料を使わなかった田畑で生産された農産物」であり、「無農薬」などの表示は「栽培期間中に農薬を使わないこと」である。父の代から20年、30年と長きに渡って有機無農薬の茶樹を作り続けてきた山城紅茶はこの審査を無事にクリア。名実ともに有機無農薬の紅茶として世間に売り出せるようになった。
 さらに同月下旬、沖縄県から経営革新計画の承認を受けた。沖縄県は2006年から、「中小企業の新たな事業活動の促進に関する法律」に基づき、新商品の開発、新たなサービスの提供、新分野への進出など、新たな取り組みにチャレンジする中小企業を資金面などでサポートする「経営革新支援制度」を導入。承認企業は設定した経営目標を達成するために、政府系金融機関からの低利融資や設備投資の税制優遇などの支援策が受けられるメリットがあり、山城と崎浜は「これをカフェ建設のための契機にできれば」と考えたわけだ。実際に承認を受けた計画内容を見ると、テーマは紅茶製品の開発ではなく「体験・観光型紅茶農園への発展」と掲げられている。会社設立当初の目標だったカフェ建設に向けて、構想は大きく動き出した。
 体験・観光型とあるように、施設内には直売店を併設したカフェと紅茶作り体験作業場を設置するとともに、茶摘み体験ツアーの受け入れ体制を整備。さらに紅茶加工を見学できる工場を新設し、多くの人に紅茶文化そのものを丸ごと体感してもらうのが目的だ。新茶の試飲発表会を開いたり、茶樹のオーナー制度を導入したりするのも面白いかもしれない。
 そしてこれらの構想はすべて循環型農業をベースに組み立てられており、環境意識の啓蒙につなげたいという2人の考えがある。将来的には、太陽光発電システムを導入して工場やカフェをオール電化にし、光熱費はすべて自家発電で賄う。茶葉の運搬には車を使わず、馬を飼って馬車で移送する。カフェを訪れた人に乗馬体験をして楽しんでもらってもいいし、馬ふんは牛ふん同様、堆肥の原料として再利用できる。
「馬車は手作りでいいだろうと軽く考えていたんですが、調べたところ国内にはれっきとした輸入馬車専門店があることが分かりました。カタログを眺めてみると、おとぎ話に出てくるような馬車がゴロゴロ載っていて、これはすごいな、と。中古でいいから、やっぱり本物を導入したいですね」
 計画は着々と進行中だ。
 また以前にも触れたように、店を開けていれば農閑期でも客足が期待できるから、生産調整にかける労力は大幅に軽減される。要は販売予想に合わせて畑をコントロールすることなく、作りたいだけ作ればいいという理想の状態に近づくことができるのだ。
「それでも生産が追いつかなかったら?自分たちで新たに茶畑を開墾したり、茶農家の人と契約を結ぶ方法などが考えられますが、そこまで手を広げようとは思っていません。理想的なのは、県内各地の茶畑で紅茶作りが行われること。発酵のメカニズムは非常に複雑で、同じ加工手順を踏んだとしても茶葉の産地が異なればまったく別の味になるから、紅茶には必ず地域性が生まれるんです。だから例えばスリランカのように、中部なら私たち山城地区の紅茶、北部に行くなら奥地区の紅茶といったように、沖縄全体が“紅茶の島”として活気づいていけばいいですね」
 いつになく控えめに話す山城だが、沖縄産紅茶が本当に産業資源として定着していくならば、彼がその先陣を切っていることは間違いない。




赤いつなぎ姿で経営革新事業の認定書を受け取る山城



text:冨井穣




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紅茶の島のものがたり vol.26 冨井穣

2009年09月25日 | 金曜(2009年4月~):冨井穣さん
第26話
ティーバッグとアイスティー

 カフェと聞くと、cafe、coffeeともに発音が似ているからだろうか、どうしてもコーヒーがメインの喫茶店を連想してしまう。調べてみると、どちらの単語もアラビア語を語源を持ち、ワインを意味する「カフワ」という言葉が転訛したもののようだ。余談ついでに辞書を引き、三省堂の大辞林をめくってみると、カフェとは「コーヒー店。喫茶店。また特に、コーヒーなどのソフトドリンクだけではなく、酒類や軽い食事も出す都会的な飲食店」と定義されており、英語学習でおなじみのロングマン英英辞典にも同じく、cafeとは“a small restaurant where you can buy drinks and simple meals”とある。さらに日本の大正、昭和初期には女給のいる洋風の酒場のこともカフェと呼び、谷崎潤一郎や吉行淳之介あたりの小説によく出てくる「カフェの女給」とは、喫茶店のウエートレスではなく今で言うところの「スナックのホステス」を指す言葉だった。
 そんなことを考えていると、カフェとは非常に幅広い意味を持つ言葉で、山城のカフェ構想も崎浜の案に従い「直売所」と呼んだほうがしっくりするような気がしてくる。カフェと聞くとドリンクのほかフードやスイーツにも過剰な期待を抱く人は多そうだが、当面は2人ともそこまで手を回すつもりはないだろう。むしろ、茶畑の中にある喫茶スペース、といった意味合いが強いから、直売所か、ちょっと気取った言い方をすれば本場イギリスに倣ってティーガーデンか。
 さて、2年目を迎えた山城紅茶は、カフェの建設は先の目標として、まずは足場固めに取りかかった。初年度の経験を踏まえ生産・販売体制の見直しを図り、販路拡大に向けた取り組みを強化した。商品化した4種類の紅茶を常に安定した品質で供給するために設備の保守と工程管理を厳しく行い、新商品開発に向け発酵パターンのデータ収集を継続した。茶畑の管理には特に力を注ぎ、手摘み無農薬栽培はもちろんのこと、紅茶の販売量に合わせて茶葉の収穫量をコントロールできるよう最適な方法を模索した。山城の営業力にも磨きがかかり、ホテルやカフェで赤いつなぎはますます威力を発揮した。
 新しい取り組みとしては、一つはティーバッグの販売を開始した。紅茶愛好家の中には「フルリーフじゃなければ紅茶じゃない!」という人も多いだろうが、実際のところ、全世界の紅茶生産量のうち半数以上はティーバッグが占めている。
 ティーバッグが商品として普及し始めたのは、20世紀初頭のアメリカだった。効率と利便性が優先され、食品もシリアルやハンバーガーなどのファーストフードが相次いで開発された時期でもあった。ティーバッグに対する需要は急速に高まり、1920年代以降、一般家庭での普及はもちろん、レストランやホテルで「簡単、速い、常に同じ味で入れられる」という三拍子そろった優れものとして定着していったという。この流れは全世界に広まり、日本でも1971年に紅茶の輸入が自由化されて以降、高度経済成長というせわしない時代を背景に、紅茶=ティーバッグとして急速に普及した。
 ティーバッグは茶葉がジャンピングできないからうま味が少ない、茶葉が細かいからボディーが軽い、といった声もよく聞かれるが、技術の進歩とともに茶葉の加工方法や茶葉を包むナイロンメッシュの形状は改良を重ねられ、今ではフルリーフに負けないしっかりした味の紅茶が作られているそうだ。
 山城たちが始めたもう一つの試みは、アイスティーの販売だった。年間を通して蒸し暑い季節が続く沖縄では、炎天下で熱い紅茶を入れるより、冷たいアイスティーを飲むほうが生理にかなっている。そういえば、昔ながらの沖縄の食堂では、お茶代わりにアイスティーを出している店が多い。
 アイスティーの販売場所は2個所。沖縄市にあるJAのファーマーズマーケットと、泡瀬漁港内のパヤオ直売店である。JAでは移動販売車を利用して、漁港では敷地内の一角を間借りして、週末と祝日限定で販売を始めた。
「沖縄で紅茶文化を広めるにはどうすればいいか、その新しい可能性を探るために始めたことですが、将来カフェを開くに当たっての情報収集という意味合いもありました。一杯当たりの量や価格設定を見定めるにはちょうどいいテスト舞台ですから」
 と山城はその狙いを話す。
 アイスティーといえば、1900年前後にアメリカで開かれた万国博覧会で大評判となり、その盛況ぶりがアイスティーを商業化するきっかけになったと言われている。伝統的な紅茶文化はイギリスで花開き、ティーバッグとアイスティーの誕生によって茶の飲み方に対する概念は大きく変わった。奇しくも2年目の戦略としてこれらの方法を選択した山城紅茶が、沖縄の喫茶文化にどれだけの影響を与えられるか、期待を持って見守りたいところだ。




写真は沖縄市の泡瀬漁港内パヤオ直売店にある山城紅茶の販売店。最近は外国人観光客が増加していることから、メニュー名は日本語、英語、中国語と国際的だ



text:冨井穣




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紅茶の島のものがたり vol.25 冨井穣

2009年09月18日 | 金曜(2009年4月~):冨井穣さん
第25話
「山城紅茶カフェ」の構想

 現代はスピードが要求される世の中だ。どんな分野であれ、新人といえども容赦なく1年目から結果を求められる。三十路を過ぎればもう待ったなし!だ。しかし最初からあまりにも華々しい活躍をしてしまうと、その後の結果が芳しくなければ、2年目のジンクスだ、早熟だ、などとレッテルを張られてしまうから難しい。そう考えると、初めのうちは無視されない程度にそこそこの結果を残し、機を見て一気に才能を発露させるのが成功する最大の秘訣かもしれない。野球の例で言えば、イチローが1軍で頭角を現したのはプロ入り3年目だし、王貞治がホームランバッターとして君臨するようになったのは同じく4年目のことだった。もちろん、そんなサクセスストーリーを自分で描けるようなら誰も苦労しないのだが。
 余談が過ぎたが、山城と崎浜にとって会社設立後の1年間はどんな年だっただろうか。経営の舵を握る崎浜は、「自己採点するなら、客観的に見れば50点、台所事情を考えると100点満点」と振り返る。
 山城紅茶は経営面で二つのジレンマを抱えていた。一つは新規事業者のご多分に漏れず、資金繰りの問題である。畑と工場設備はそろっていたものの、山城紅茶は実質ゼロからのスタートだった。それまでの収入源だった緑茶作りを完全に断ち切って1年前から本格的に研究開発を進め、生産体制をすべて紅茶にシフトしていたため、紅茶が売れなければ収入はゼロ。金融機関から融資を受けて運転資金に回そうとしても、国内ではほとんど例のない事業で、しかも農業分野とあって一向に許可が下りない。農地は農地法の売買制限により流動性が低いので、担保価値は限りなく低く見積もられてしまうのだ。農業金融に明るいJAから何とか微々たる金額を借りることはできたものの、最初の半年間はほとんど売上がなく無収入状態。それが夏以降になって、ようやくホテルとの取引などが始まり持ち直すことができたのだから、崎浜が「台所事情を考えると…」と話すのもうなずける。いわばゼロからのV字回復。客観的に見た場合の50点の減点材料は、打ち出したいキャンペーンまで手が回らなかったという無念さだろう。
 同じ年の秋には沖縄県産業まつりで優秀賞を受賞し、知名度が上がり売上も飛躍的に向上した。しかし、ここでもう一つの問題に直面することになる。12月を迎えるころには茶畑が農閑期に入ってしまうため、その時点で来春の収穫期までの紅茶の販売数を正確に予測して、生産量を決定しなければならないのだ。簡単に言えば、経費を抑え生産量を少なくした場合、すぐに売り切れても追加生産できないのでそのぶん販売機会を逃すことになり、逆にたくさん作り過ぎた場合には在庫分が赤字になる。しかも会社設立1年目とあって予想が付かない上、資金に余裕があれば多少の誤差は許されるだろうが、そうのんきなことを言っていられない事情もある。結果的には翌4月までにちょうど在庫分が売り切れたそうだが、その間に崎浜も山城も「作りたいだけ作って、売れる方法を模索し伸ばしていかなければ」という思いを強くした。
 2人が思い描くその方法とは、「山城紅茶カフェ」の建設である。茶畑に囲まれたカフェで作りたての山城紅茶を飲みながら、よく合う茶菓子をつまんで自由気ままにのんびり過ごす。それはまさに、クマと女の子が茶畑でティータイムを楽しんでいるNO.918のパッケージデザインの世界であり、山城がかつてスリランカを訪れた際に体験した紅茶文化への入口である。
 カフェには体験施設を併設し、茶摘みや紅茶作りなどのプログラムを導入する。紅茶の習慣が浸透していけば、沖縄のやちむんのティーポットや沖縄の食材で作ったスイーツが生まれ、紅茶を基軸にして可能性の和がどんどん連鎖していくかもしれない。考えれば考えるほど、夢は膨らんでいく。
 実は山城は、会社設立に当たってまず始めたかったのがカフェの建設だったと言う。金融機関に融資を依頼するときもこの建設費を見込んだ計画を立て、資金を要求したそうだ。冬でも来客が見込めるので、農閑期の生産管理が楽になる。実現には至っていないが、今もその気持ちは変わらないようだ。
「だから実感としては、会社ができて2年半たった今でもまだスタートラインに立っていない心境です。沖縄紅茶農園はカフェとともに歩み始めるものだと思っているので」
 熱く語る山城の横で、「カフェじゃなくて山城紅茶直売所がいいよ」と崎浜が茶々を入れている。


 





実際の茶畑とNO.918のパッケージデザイン。近い将来、このイラストのように茶樹に囲まれながらティータイムを楽しめる日がくるかもしれない




text:冨井穣



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紅茶の島のものがたり vol.24 冨井穣

2009年09月11日 | 金曜(2009年4月~):冨井穣さん
第24話
ほっとティータイムその3:
山城紅茶のパッケージデザインを手がける
イラストレーター misanoさん



 山城紅茶といえば、クマと女の子のかわいらしいイラストを思い出す人が多いのでは。パッケージを眺めているだけで絵本の世界に入り込んだような幸せな気分になり、楽しいティータイムをひときわぜいたくな時間にしてくれる。
 デザインを手がけているのは、沖縄で活躍中のイラストレーター misanoさん。
「なぜ沖縄なのにクマがいるの?」
「イラストにはどんな意味があるの?」
 そんな素朴な疑問から、misanoさんの現在の活動状況に至るまで、幅広く尋ねてみた。

Qまずは簡単な自己紹介をお願いします
A絵本のようなイラストを中心に、油絵、水彩画、色鉛筆画など、こだわりなく自由に絵を描いています。生まれも育ちも沖縄で、学校卒業後は沖縄、大阪、北海道などを転々とし、グループ展を開いたりイタリアに留学したりしながら創作活動を続け、3年前に沖縄へ戻ってきました。現在はデザイン会社に勤務しています。仕事では主にパソコンを使ってパンフレットやキャラクターデザインなどを制作し、プライベートでは気ままに作品を描きためています。

Qこの世界に進んだきっかけは
A小さいころ毎晩寝る前に母親が、ブリタニカ絵本の世界名作シリーズを読んでくれたんです。イラストは確かヨーロッパの作家が描いたものだったと思うのですが、とてもきれいで幻想的で…そのときの思い出がずっと心に残り、自然と絵が好きになっていきました。絵本のようなイラストが得意なのもそのせいでしょうね。絵本は想像上の世界ですから、今でも絵を描くときはイメージを膨らませながら、自由に発想をつなげて描くことが多いんです。小学生のころ先生に「もっとしっかり見て描いてごらん」と注意されたこともありました(笑)
 高校は当時県内で唯一デザイン科のあった学校を選び、絵本の勉強するために大阪の専門学校へ進学しました。イタリアではフィレンツェの伝統的なモザイク画を習いました。

Q山城紅茶との出会いは
Aイタリアから沖縄へ戻ってきて、ホームページの作り方を勉強しようと学校に通っていたとき、崎浜さんの奥さんと一緒になったのがきっかけです。会社を立ち上げるだいぶ前から、紅茶作りを始めるという話はよく聞いていたし、崎浜さんの家に遊びに行ったこともありました。そしてあるとき崎浜さんから「どんな絵を描いているの?」と聞かれ、作品をいくつかお見せしたところ、崎浜さんも山城さんもとても気に入ってくださり、それから紅茶のパッケージデザインを作ってほしいと頼まれました。

Q紅茶のイラストにはどんな意味が込められていますか
A実はそれを聞かれると、答えるのが難しくて…2人からは「動物と女の子と緑を入れてほしい」という要望があっただけで、あとは私が好きなように描かせてくれました。絵のテイストはいちばん得意な絵本風の油絵にして、自由に想像を膨らませながら仕上げることができたので、とても楽しかったですね。
 イラストは紅茶の種類に合わせて4種類描きました。それぞれの絵にストーリー性を持たせていますが(下記参照)、これは最初の打合せのときに2人があれこれ冗談を言い合っていたのをヒントに組み立てたものなんです。

(筆者注)
NO.905 女の子が森でクマと出会い
NO.909 茶畑で一緒に茶摘みをして
NO.918 2人仲良くティータイム
NO.927 食後は芝生に寝転んでひと休み

 実はもう一枚、頼まれてまだ渡していないイラストがあるんです。アイスティー用のイラストで、木の枝に女の子が座っていてその下には池があり、ティーカップを船代わりにした魚が泳いでいるというものです。できあがってからしばらくたっているので、早く見せないといけませんね。

Q今後の山城紅茶に期待することは
A最初に紅茶作りの話を聞いたときは、正直言って「大丈夫かな?」と心配しましたが、崎浜さんの自信に満ちた表情や話しぶりが妙に頼もしく感じられました。山城さんも情熱に満ちた人で、初対面の私に向かって紅茶作りの理念を延々と語って聞かせてくれました。会社を立ち上げてから今まで自分たちの信念を曲げずにやってこられたので、これからもその姿勢を貫いて頑張ってほしいと思います。

misanoさんプロフィール
沖縄を拠点に活動するイラストレーター。山城紅茶パッケージデザインをはじめ、サイトキャラクターデザイン、レストラン装飾画などを手がける。2000年misano展(北海道)、2004年グループ展(大阪)、2007年2人展(沖縄)開催。現在はデザイン会社に勤務するかたわら、個人的な創作活動を精力的に続けている。


misanoさんが描いた油絵と色鉛筆画の作品。どこか懐かしくて味わい深く、心温まる作風だ









text:冨井穣





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紅茶の島のものがたり vol.23 冨井穣

2009年09月04日 | 金曜(2009年4月~):冨井穣さん
第23話
自信から確信へ


 おぼつかないスタートを切った山城紅茶だが、明るい兆しは随所に見え始めていた。
 会社設立2カ月後の2007年4月下旬、「NO.927コク重視」がうるま市の地域推奨品に認定された。そのちょうどひと月前、うるま市商工会から出品を依頼され、「エントリーだけしてみたら?」と言われるがままに書類を提出していたものが、期せずして選ばれたのだ。しかも当時は本格的な営業活動前とあって、茶葉はほとんど出尽くしてしまっていた上、パッケージなども準備不足。締め切り間近だったため大慌てで茶葉をかき集め、包装は手元にあったセロハンテープでのり付けする始末だった。そんな急場しのぎでの応募だったから、市から認定通知があったときは山城も崎浜も「そういえばそんなものがあったっけ?」とまるで人ごとのような気分だった。地域特性を生かした商品を自治体が推奨品として認定する取り組みは全国各地で行われており、取り立てて珍しいものではない。それでも駆け出したばかりの2人にとって、第三者からの「お墨付き」は大きな自信になったことだろう。
 とはいえ、推奨品に選ばれたからといってすぐに売上に結びつくわけではない。地域のイベントに出展したり、親類や知人の口コミを通じてポツリポツリと個人客は増えていたものの、ホテルやみやげ品店などの取引先は5月になっても6月になっても一軒も現れなかった。電話口でにべもなく断られるのは営業マンのさだめ。富裕層の利用客が多くひそかに期待していたゴルフ場では「プレイ後はビールしか飲まない」と突き返されるなどニーズを読み違えることもしばしば。訪問までこぎつけたエステでは女性客と店員の怪訝な視線にさらされ尻尾を巻いて逃げ帰った。
 営業スタイルを変えてみようと、沖縄のビジネスマンらしくかりゆしウエアを着て営業に出向いたこともある。しかし、今まで以上に相手の食いつきが悪い上、崎浜曰く「何だかみすぼらしい」ので作戦変更。それなら一層のこと、飾らずに茶園にいるときと同じ格好で訪ねてみようと、結局は赤いつなぎに落ち着いた。
 そんな試行錯誤を繰り返しながら、ようやく8月になって、国際通りにある「ホテルJALシティ那覇」との取引が決定した。「宿泊客のほとんどは観光客。旅行者なら現地の食材を使った料理を楽しみたいと考えるもの」という総料理長の思惑と、山城らの紅茶作りの理念が一致したのだ。みやげ品としてホテル内に山城紅茶のパッケージが並べられ、レストランのメニューに「山城紅茶」の文字が加えられた。さらにランチタイム後のアフタヌーンティーを山城紅茶で楽しんでもらおうと「アイランドティーフェア」が開催されることになった。
 いちど流れが好転すると、不思議とその後も好調の波は続くものだ。9月以降になると道の駅やカフェ、ホテルなど続々と取引先が決定。メディアの取材も頻繁に増え、噂を聞きつけた大手飲料会社の視察客が茶園を訪問することもあった。
 そして10月には、沖縄県商工会連合会・各市町村商工会主催の「第10回特産品コンテスト」で「NO.909職人仕上げ」が優秀賞(食品の部)を受賞。その翌週に那覇市で開かれる「沖縄の産業まつり」への出展も決まった。産業まつりとは、沖縄の全産業から「ヒット商品の卵たち」が一堂に会し展示・即売などを行う県内最大の総合産業展。開催に先立ち、会場では特産品コンテストの授賞式が行われ、山城と崎浜はいつものように真っ赤なつなぎ姿で壇上に上がった。
 日によく焼けた顔をほころばせ、はにかむように表彰状を受け取る2人。背中に刻まれた「上等紅茶」の刺しゅうの文字が、「山城紅茶」の名を強烈に印象づけた。さぞ喜びは大きかっただろうと思いきや、
「非常に恐縮な話ですが、授賞式を迎えるまではそこまで大きな賞だと思っていませんでした。しかも“No.909職人仕上げ”をエントリーしたのは、一企業につき応募は一商品までという規定があったため、仕方なく選んだだけなんです。4種類の味を1セットにまとめた商品があれば、“山城紅茶”全体が受賞作になっていたはずなので、もったいないことをしたと今さら後悔しています」
 と山城は言う。この頓着のなさは産業まつりでも存分に発揮され、山城紅茶の展示ブースに客がまったく寄ってこないことを不思議に思い、その原因を考えていたところ、どこにも「紅茶」の文字が書かれていないことを発見。たまたまそこに転がっていた廃木に「山城紅茶」と大急ぎで書いて看板を設置し、ようやく他のブース同様にPRが行えたという。脇が甘いといえばそれまでだが、ビジネスにも茶目っ気は必要だ。それが山城紅茶の魅力の一つなのだから。




写真は2007年5月、うるま市推奨品の認定後に出展した地域イベントの展示ブースのようす


text:冨井穣




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紅茶の島のものがたり vol.22 冨井穣

2009年08月28日 | 金曜(2009年4月~):冨井穣さん
第22話
苦難のスタート


 会社設立後の「山城紅茶」は、初めから順風満帆な道のりというわけではなかった。時間と労力をかけて作ったものが必ず売れるとは限らないし、多額の広告費をかけてキャンペーン活動を展開できるわけでもない。まずは人海戦術などの労を惜しまず地道に販路を開拓し、認知度を高め売上の向上を図らなければならないのはどの会社も同じだろう。しかも山城らは、会社の登記を済ませたのが農閑期の2月だったため紅茶を量産できるだけの茶葉がそろわず、収穫期を迎えるまではほとんど無収入のまま、販売準備を進めなければならなかった。
 パッケージデザインは県内の若手アーティストに依頼し、4月の量産開始に合わせてホームページを開設。制服の作業着は赤いつなぎを採用し、背中には「上等紅茶」の刺しゅうを入れた。
 3月には認定農家(プロの農業経営者を支援するためにできた農業経営改善計画の認定制度。税制上の特典や長期低金利融資などの優遇措置が受けられる)に認められた。「前例がない」「実績を作るまで申請を断念したらどうか」といった否定的な意見をよそに、それまで培ってきた研究データに基づいて計画書を作成し、行政担当者のもとへ何度も足を運び事細かに事業内容を説明して認定を受け取った。今後、紅茶農家で同制度の認定を受けようとする者が現れれば、おそらく山城紅茶の資料が「前例」として使われることになるだろう。
 営業面では社長の山城自らが前線に立ち、崎浜がそれをサポートした。営業先はホテル、みやげ品店、カフェ、エステ、ゴルフ場などをジャンルごとに選別しリストアップ。一軒ずつ直接電話をしてアポを取り、商品説明に回ることにした。
 しかし、そんな矢先のこと。珍しく事務所の電話が鳴り、問い合わせか注文かと崎浜は目を輝かせていたが、しばらくたっても山城はなかなか受話器を取らない。
「早く出てよ」
「…ああ」
 山城は神妙な面持ちで電話を握り、
「はい…もしもし」
 あまりにもぶっきらぼうな物言いに、崎浜は目を丸くした。
 茶業ひと筋、それも土着の茶農家として生きてきた山城にとって、ホテルやカフェの営業などはまったくの未知の世界。自分の応対では不十分ではないかと過剰に心配するあまり、緊張で言葉が出てこなかったのだ。
「営業先に電話するときも、最初の自己紹介からその後の対応の仕方まで、崎浜に聞いたことをノートにまとめてそれを見ながら話していました」
 と山城は当時を振り返る。暇さえあれば2人で何度もシミュレーションを繰り返し、山城はビジネスマナーの習得に努めた。崎浜がそこまでして「営業マン山城」にこだわったのは、「生産から加工、販売まで一貫して行っている山城紅茶の特色を印象づけるにはそのほうが得策。自分が出れば一介の営業マンになってしまうが、山城なら話し方が多少ぎこちなくても、農家特有の“土臭さ”が自然と相手に伝わるはずだ」という目論見があったのだろう。今では山城もすっかり度胸が据わり、ホテルでも国際通りでもトレードマークの赤いつなぎ姿で訪問するという。とはいえ、営業開始後しばらくの間は取引先はゼロ。世の中そんなに甘くはない。
 ホームページの反応もほとんどなかった。崎浜はそれまでの経験上、紅茶単品をネット販売しても売上は限定的と考え、SEO対策(サーチエンジンの検索結果のページの表示順の上位に自らのWebサイトが表示されるように工夫すること)には未着手。山城が営業先を回る際のツールとして活用した。
 ダイレクトメールも一度だけ作成した。当時の予算の範囲内では200通が限度だったため、せっかく送るなら全国の著名なホテルや専門店をターゲットにしようと発送先を厳選。紅茶の需要は沖縄より県外のほうが圧倒的に多く、ひょっとしたらと淡い期待を抱いていたが、待てども待てども返事はなし。形式的なお礼の電話が一本あっただけだった。
 手摘み無農薬の自家製紅茶の開発という2人の取り組みは、全国どこを見ても前例がなく、ベンチャー魂あふれるとても刺激的な挑戦だ。しかしそれは、現状としてある程度軌道に乗ったから言える話で、失敗すれば誰からも見向きされず、ドンキホーテよろしく笑いものの種になるのが関の山だ。売れ行きが鈍ければ功を急いで妥協が始まり、少しでも売りやすいものへ、少しでも利益を確保できる方法へと手を伸ばしがちになるものだが、そこは2人の本物志向が許さない。世の中に迎合するのが嫌いな、あるいは苦手な2人にとって、少々の逆風は心地よいそよ風程度にしか感じられないのだろうか。それとも逆境時こそ、農家のDNAを引き継いだ耐力が発揮されるのか。いずれにせよ信念を貫くには胆力がいる。



トレードマークの赤いつなぎ。背中には「上等紅茶」の刺しゅう入り






text:冨井穣



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