沖縄Daily Voice

沖縄在住の元気人が発信する

歌をたずねて、あまハイ くまハイ vol.9 しゃかりチアキ

2009年08月31日 | 月曜(2006年7~8月):チアキさん
☆最終回 「命を喜ばせる、故郷の歌」☆

 
 沖縄には、命を喜ばせる歌がある。
それを教えてくれたのは、私の最愛のひと「祖母」でした。

 私が幼少の頃、両親が離婚。
生活にあまり余裕のある家庭ではなかったので、
母は私達家族を支える為に、本土へと出稼ぎへ。
その日から私は、祖母とのふたり暮らしが始まりました。

 祖母は目が全く見えませんでした。
ですが、料理に掃除洗濯、針に糸を通せば縫い物までできる、
超ウルトラスーパーば~ちゃんでした。
なので私は、一度も不便を感じたことがありません。
それどころか、全てパーフェクトに近い家事をしてくれていたので、
私は大人になっても、料理ができなかった程です。
でもそれは今考えてみると、幼い私にもしも何かあったとしても、
すぐに助けられない祖母の「守り」だったのかも知れません。
なので私は外で遊ぶより、家の中で祖母と一緒に過ごす日々が続きまし
た。

祖母は音楽が、特に歌が大好きなひとでした。
なんと、ギターも三線も弾けたのですよ♪
私達は、毎日歌をうたって遊んでいました。
そこが私の「歌」の原点となります。
そして祖母は私の歌をテープに録音し、「これは三歳、これは四歳」な
どと言いながら、
何度も繰り返しては聞き、笑い、それは私が大人になってからも続いて
おりました。
きっとそれが祖母に見える、私のアルバムだったのでしょう。

そしてある日、私が歌手を志すきっかけとなる、大きな出来事が訪れま
す。

私が中学へ上がる頃、生活も大分落ち着き、母が帰沖します。
その時母が私の歌を聞き、「もしかしたらこの子は歌が上手かも?」と
(笑)、
あるカラオケ大会へ応募します。
ですが私は、当時はもの凄く内気で、もうイヤでイヤで仕方がありませ
んでした。
でもまぁ、家族が喜んでくれるのならと渋々出場。

するとなんと! 優勝しちゃったじゃぁ~あ~りませんか!! もう
びっくり!!
それはそれは、家族、親戚、近所までもが大喜び。

優勝も、もちろん大変喜んで下さいましたが、でもそれ以上に喜んでい
たと思われるのが
副賞の『掃除機』(笑)
我が家に新品の掃除機がやって来たと、とても褒められました。

その時決めたんです。
「歌手になって、私も家族のチカラになりたい」と。

そしてそこから約六年間、大変だったでしょうに、
祖母は私を音楽学校へ通わせてくれました。

 そして月日は流れ、アマチュア時代、プロ活動初のDIAMANTES
を経て、
しゃかりを結成。
ようやく家族に、少しずつ恩返しができるかと思っていた矢先でした。

辛い出来事が訪れます。
それは、最愛の祖母が末期ガンに襲われたという知らせ。余命一ヶ月。

私は、言葉に表せない大きなショックと恐怖と悲しみで、
毎日毎日、泣いて過ごしました。

ガンは悲しい病気です。
日に日に、祖母の身体を壊していきます。

でも、泣いてばかりではイケナイ。
今、私ができること。それはやっぱり歌うこと。

そして夏のある日、祖母の入院する病院で、しゃかりのミニライブをさ
せて頂けることになりました。
先生、看護婦さん達が手作りで迎えてくれた、可愛いくて優しいステー
ジです。
観客は、患者のみなさんとご家族。そして、私の祖母。

実はもうその頃、祖母は起き上がることも話すことも困難で、観覧も危
ぶまれていましたが、
でもその日は、なんと、車椅子で観に来てくれたのです。

私はこぼれそうになる涙をこらえながら、祖母が教えてくれた民謡を、
闘病されている皆さんの、少しでも元気に繋がればと懸命に歌いました。

そしてライブも終盤になり、結びの唐船ドーイを歌い始めたその瞬間で
す。

リーダーが私に合図をします。

「チアキ、見て!  ば~ちゃんを見て!!」

私は一瞬、自分の眼を疑いました。 ありえない光景だったからです。

なんとウチのばーちゃん、みんなに交ざってカチャーシーを踊っている
ではありませんか!!


「音楽の奇跡だね」と、リーダーが笑います。
でももう、私は涙をこらえることができません。
何度も何度も拭いながら、歌い続けました。

そして、心から感謝をしました。
歌を教えてくれた祖母に、支えてくれた全てに、

そして、奇跡を与えてくれた故郷の歌に。。。


 沖縄のみならず、生まれ育ったその土地の歌・芸能・文化は、
世界中どこへ行っても言葉を越え、共鳴し、
時には誰かの命を喜ばせる、奇跡の産物だと私は思います。
そして、みなさんの心の中に残る子守唄も、家庭から生まれた愛の歌で
す。
だから、カタチは少しづつ変化していっても、決して絶やしてはいけな
いもの。

私の旅は、まだ始まったばかり。
これからも、もっともっと多くを学び、誰かのチカラになれるよう、
大好きな沖縄の歌を繋げられるよう、歩んで行きたいです。



最後まで読んで下さり、ありがとうございました。
そして、つたない文章を毎週読んで下さったみなさまに、
そしてそして、沖縄の風スタッフのみなさまに、心から感謝を申し上げ
ます。
本当にありがとうございました。



text:しゃかりちあき



しゃかりオフィシャルサイト(言葉のかわりに心の歌を)
http://www.syakari.jp/


動画『結まーる』


新曲『結まーる』
2009年5月14日~
着うたサイト『沖縄ちゅらサウンズ』にて独占先行配信!!!
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沖縄取材こぼれ話 vol.9 まっぷるマガジン編集スタッフ

2009年08月29日 | 土曜(2009年7月~):編集スタッフ
念願かなって、ニッポンのワンダーランドへ

ついに、行ってきました! 神秘の国、北大東島&南大東島へ。
もちろん仕事ではありません。まったくのプライベート旅です。

といっても、一般の方にとっては「それ、どこにあるの?」「どんなところ?」ですよね。
ええ、ええ、そーですとも。ガイドブックにも載ってないし。
しかし、わたしにはある野望があったのです。
それは・・・・
巨大クレーンで吊り上げられて、船に乗り込む、あるいは船を下りてみたい!
というのも、断崖絶壁の島ゆえ、船が港に接岸できないため、
荷物はもちろん、人もクレーンで荷揚げされるのです。
そんなところ、たぶんニッポンでもここだけ。
それがあと数年で、かなわなくなるらしい(港の整備が進んでいるとか)と聞き、
同じく離島マニアのライターRさんと二人、大東ツアーを決めたのでした。

そーはいっても、大東島と那覇を往復する船は週一便、運航の日程はなかなか決まらず、天候によって変更ありと、かなりてごわい。
仕事の都合もあり、大東―那覇間は飛行機で移動、あとは北大東から南大東の移動で船に乗るチャンスをうかがうことに。

まずは北大東島へ。一面がサトウキビ畑に覆われ、昼間はまったく島の人に出会わず。
動いているのは、砂埃をあげて走り去るダンプのにぃちゃんと道路施設工事のおっちゃんたちのみ、というフシギな島でした。
でも、ここにはあるんです。わたしの大好物、廃墟が! 
しかもコバルトブルーの海を背にして! (ひとりで大興奮)
ジャーン! コレです。西港近くの燐鉱石貯蔵庫跡。



しかもなんてきれいな海。港とは思えない青い海に感動。石垣島在住できれいな海を見慣れているRさんも絶賛!



北大東に2泊したのち、南大東へ。フェリーに見放されたわたしたちは、なんと漁船をチャーターするという荒技を敢行! ここでやっとクレーンに釣り上げられての乗船を果たしたのです。ま、あっという間でしたが。写真を撮るヒマもなかったほどでした。

そして南大東島。こちらには大東そばや



サワラの漬けをのせた大東寿司、




荒海が打ち寄せる崖をくりぬいてつくった海軍棒プール、



大東コウモリなど、お楽しみ満載。




あまりにもオモシロ過ぎて、あまりにもフシギ過ぎて、書ききれません。
そのうえ、ここにも廃墟が。旧ボイラー小屋ですが、ここもバックは海。いやいやタマリませんな。




最後に。島にやってきたフェリー「だいとう」の釣り上げシーンがこれ。写真の荷物はガソリン缶ですが、こんなボックスに数人の乗船客が自分の荷物を持って乗るわけです。
どーです、乗ってみたくなったでしょ? あれ、ならない・・・?





text:まっぷるマガジン編集スタッフ(な)




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紅茶の島のものがたり vol.22 冨井穣

2009年08月28日 | 金曜(2009年4月~):冨井穣さん
第22話
苦難のスタート


 会社設立後の「山城紅茶」は、初めから順風満帆な道のりというわけではなかった。時間と労力をかけて作ったものが必ず売れるとは限らないし、多額の広告費をかけてキャンペーン活動を展開できるわけでもない。まずは人海戦術などの労を惜しまず地道に販路を開拓し、認知度を高め売上の向上を図らなければならないのはどの会社も同じだろう。しかも山城らは、会社の登記を済ませたのが農閑期の2月だったため紅茶を量産できるだけの茶葉がそろわず、収穫期を迎えるまではほとんど無収入のまま、販売準備を進めなければならなかった。
 パッケージデザインは県内の若手アーティストに依頼し、4月の量産開始に合わせてホームページを開設。制服の作業着は赤いつなぎを採用し、背中には「上等紅茶」の刺しゅうを入れた。
 3月には認定農家(プロの農業経営者を支援するためにできた農業経営改善計画の認定制度。税制上の特典や長期低金利融資などの優遇措置が受けられる)に認められた。「前例がない」「実績を作るまで申請を断念したらどうか」といった否定的な意見をよそに、それまで培ってきた研究データに基づいて計画書を作成し、行政担当者のもとへ何度も足を運び事細かに事業内容を説明して認定を受け取った。今後、紅茶農家で同制度の認定を受けようとする者が現れれば、おそらく山城紅茶の資料が「前例」として使われることになるだろう。
 営業面では社長の山城自らが前線に立ち、崎浜がそれをサポートした。営業先はホテル、みやげ品店、カフェ、エステ、ゴルフ場などをジャンルごとに選別しリストアップ。一軒ずつ直接電話をしてアポを取り、商品説明に回ることにした。
 しかし、そんな矢先のこと。珍しく事務所の電話が鳴り、問い合わせか注文かと崎浜は目を輝かせていたが、しばらくたっても山城はなかなか受話器を取らない。
「早く出てよ」
「…ああ」
 山城は神妙な面持ちで電話を握り、
「はい…もしもし」
 あまりにもぶっきらぼうな物言いに、崎浜は目を丸くした。
 茶業ひと筋、それも土着の茶農家として生きてきた山城にとって、ホテルやカフェの営業などはまったくの未知の世界。自分の応対では不十分ではないかと過剰に心配するあまり、緊張で言葉が出てこなかったのだ。
「営業先に電話するときも、最初の自己紹介からその後の対応の仕方まで、崎浜に聞いたことをノートにまとめてそれを見ながら話していました」
 と山城は当時を振り返る。暇さえあれば2人で何度もシミュレーションを繰り返し、山城はビジネスマナーの習得に努めた。崎浜がそこまでして「営業マン山城」にこだわったのは、「生産から加工、販売まで一貫して行っている山城紅茶の特色を印象づけるにはそのほうが得策。自分が出れば一介の営業マンになってしまうが、山城なら話し方が多少ぎこちなくても、農家特有の“土臭さ”が自然と相手に伝わるはずだ」という目論見があったのだろう。今では山城もすっかり度胸が据わり、ホテルでも国際通りでもトレードマークの赤いつなぎ姿で訪問するという。とはいえ、営業開始後しばらくの間は取引先はゼロ。世の中そんなに甘くはない。
 ホームページの反応もほとんどなかった。崎浜はそれまでの経験上、紅茶単品をネット販売しても売上は限定的と考え、SEO対策(サーチエンジンの検索結果のページの表示順の上位に自らのWebサイトが表示されるように工夫すること)には未着手。山城が営業先を回る際のツールとして活用した。
 ダイレクトメールも一度だけ作成した。当時の予算の範囲内では200通が限度だったため、せっかく送るなら全国の著名なホテルや専門店をターゲットにしようと発送先を厳選。紅茶の需要は沖縄より県外のほうが圧倒的に多く、ひょっとしたらと淡い期待を抱いていたが、待てども待てども返事はなし。形式的なお礼の電話が一本あっただけだった。
 手摘み無農薬の自家製紅茶の開発という2人の取り組みは、全国どこを見ても前例がなく、ベンチャー魂あふれるとても刺激的な挑戦だ。しかしそれは、現状としてある程度軌道に乗ったから言える話で、失敗すれば誰からも見向きされず、ドンキホーテよろしく笑いものの種になるのが関の山だ。売れ行きが鈍ければ功を急いで妥協が始まり、少しでも売りやすいものへ、少しでも利益を確保できる方法へと手を伸ばしがちになるものだが、そこは2人の本物志向が許さない。世の中に迎合するのが嫌いな、あるいは苦手な2人にとって、少々の逆風は心地よいそよ風程度にしか感じられないのだろうか。それとも逆境時こそ、農家のDNAを引き継いだ耐力が発揮されるのか。いずれにせよ信念を貫くには胆力がいる。



トレードマークの赤いつなぎ。背中には「上等紅茶」の刺しゅう入り






text:冨井穣



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~スローライフwithみゅーじっく~ vol.9 大山百合香

2009年08月27日 | 木曜(2009年7~8月):大山百合香さん
うがみやぶら~!
私は今、鹿児島から書いています。

沖縄に住んでいる私からしたら
鹿児島は少し涼しく、秋の気配が感じられます。


今回は、大阪→鹿児島とイベントLIVEに参加させてもらい
歌ってきました。









毎回歌う度に思うのですが、
こうやって歌える場所があるというのは
とても幸せなこと。

そして、「出会い」というのはかけがえのないものです。


この広い地球の中に何億人もの人がいて
その日その時その場所で、出逢う。
何か偶然じゃなく、必然のような気がしてなりません。

音楽が結びつける出会い。

ひとつひとつの出会いが宝物です。

それを改めて実感した旅でした。







スローライフwithみゅーじっくと題して
これまで、日々の様々なことを書かせてもらいました。

気がつけば今回のコラムで私の連載は最終回となります。

多少読みづらい部分もあったかと思いますが、
読んで下さったみなさん
コメントを下さったみなさん
本当にどうもありがとうございました!


音楽は私にとって、生活の中で欠かせないものです。
音楽に助けられたことも沢山あります。

このコラムを通して、私自身また歌への想いが大きくなり、
改めて、大切な事に気づかされました。

素敵な機会を下さり、本当にありがとうございました!


これからも歌人として
日々の中で歌を育んで、精進しながら
感じること、思うことを音楽の力を借りて
聴いて下さる皆さんの心へ少しでも届くように歌っていきたいと思
います。


ゆっくりゆっくり
生かし生かされ
歩いていこう。








またどこかでお会いしましょうね~






text:*ゆーりー*



大山百合香プライベートブログ(KIND OF BLUE)
http://ameblo.jp/yurin0520/
ここからCD購入できます(ソニーミュージック オフィシャルサイト)
http://www.sonymusic.co.jp/Music/Arch/AI/YurikaOhyama/index.html

The Okinawan spirits ~泡盛百花~vol.9 稲垣千明

2009年08月26日 | 水曜(2009年7~8月):稲垣千明さん
 とうとう、やってきてしまいました。「泡盛百花」最終回。

 

【歴史の証人たる泡盛たち】



 そういえば、今さらながら、ブログタイトルの「泡盛百花」の由来については、ご説明したことがありませんでしたよね。

 「泡盛百花」の「百花」は、「百花繚乱」「百花斉放」の「百花」から付けたのですが、いろんな科目・学科を意味する「百科」という語も、ちょっぴり掛け合わせさせていただきました。

「百花」は、たくさんの花・いろんな花という意味の言葉ですが、泡盛の魅力の花々が、いろんな分野で咲き誇っていることを、ご紹介できれば…という思いを込めたタイトルだったのです。

 このブログを書かせていただくにあたって、ブログタイトルには、特に頭を悩ませました。不特定多数の方の目に触れるかもしれないブログですから、そのタイトルとなると、名前を名乗るくらいに(いえ、もしかしたら、それ以上に!)大切なのでは…と思うと、まるで子どもの名前を考える親の心境でした。

「名は体を表す」と言いますが、はたして、この「名前」は、体を表すことができていたでしょうか? ちょっと、名前負けしちゃっていたでしょうか…?

私が泡盛の世界に本格的に引き込まれたのは、修士論文のテーマとして泡盛にまつわる文化を探求しようと決めてからでした。

論文の資料収集で県内各地を巡って聞き取り調査をするところから始まったのですが、調査に出るにあたっても、ご協力くださる方がいて下さったり、行く先々でも、いろんな方々との出会いや、思いがけない展開がありました。



【先輩方と久米島で開催された「焼酎・泡盛文化フォーラム」に参加するため、船旅をご一緒させていただきました】



【泡盛の世界での大先輩にして大恩人。『醸界飲料新聞』の仲村征幸さんと「うりずん」店主・土屋實幸さん(左より)。お二人が琉球泡盛賞を受賞された際の写真】





お話をうかがわせていただきたいと思っていた方、もしくは、そうして実際にお目にかかった方が、偶然にも私の友人・知人とつながりや面識を持っていた、なんていうことは、けっして珍しいことではありませんでした。

アポイントを取ろうとしていたのに、どうしても連絡が取れずにいた離島の酒造所代表の方と、偶然、同じ船に乗り合わせていて、下船と同時に、それがひょんなきっかけで判明して、そのまま、その方が直接、酒造所までご案内下さったこと! (結局、島を離れる直前まで、その方には、すっかりお世話になりました)

現在は酒造所が存在しない離島で、特に期待もせず、ただ泡盛の流通についてでも、お話を聞かせていただければ、とお訪ねしたお宅で、かつては、その集落を含む二集落で泡盛が造られていたことを教えていただくことができた上に、なんと、そのお宅の庭の片隅には、かつて別の集落での酒造に用いられていた甕まで置かれていたこと!

南洋群島・テニアンで、戦前、泡盛の製造をなさっていた一族の方々と、調査を通じてお近づきになり、ドライブをご一緒させていただいた際、その一族のおばあちゃまが、昔馴染みの場所に立ち寄りたいとおっしゃって、向かった先が首里の酒造所! 連絡もせずに訪れたのにも関わらず、おばあちゃまと幼馴染みの先代が迎えて下さって、昔話に花が咲き、先代が昔の遊び歌まで歌って聞かせてくださったこと!




【思いがけないドライブの余禄の記念写真】



…本当にさまざまなエピソードが、泡盛調査の記録・資料の数に比例して残っています。それらのエピソードは、私にとって、記録や資料と同じくらいに大切なものです。そして、そんな蓄積が泡盛文化探求の面白みをさらに深め、私の探究心はどんどん膨らんでいく一方です。



【調査・エピソードの数だけ思い出深い写真も残っています。これらは、ほんの一部】

泡盛をとおして学べたことは、沖縄の歴史・文化のみには止まりませんでした。お話を聞かせていただいた方々のライフヒストリーからは、生き方について学ばせていただくことも多く、また、多くの方々のあたたかいお気持ちや、ご協力のもとに私の調査が進んだことから、人の縁のありがたさや大切さを、とても感じさせられました。

ブログというものの性質上、写真と共に出せる内容を選ぶ必要があったり、ご紹介したくても、割愛せざるをえなかった題材は多くありましたが、こうして、みなさんに泡盛の魅力の一部分をご紹介する機会をいただくことができたことも、本当に幸せなことだと思っています!
 
 みなさんの気持ちの中に、小さくても、泡盛の魅力のつぼみがふくらんでいてくれると、とても嬉しく思います。

 読んでくださったみなさん、コメントをくださったみなさん、本当にどうもありがとうございました!!



text:稲垣千明





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うちなー唄の道行けば vol.8 上間綾乃

2009年08月25日 | 火曜(2009年7~8月):上間綾乃さん
伝承者として

7歳で三線を手にした頃は「伝承者」としての意識は無く、
沖縄民謡が好きで、三線を弾けること唄えることが楽しくて続けていました。
伝承者としての意識は、沢山の人々との出会いや人前で唄う事が多くなるにつれ確かなものになってきました。



私の愛用三線


沖縄民謡は伝統文化・伝統芸能であり、世に伝え継がなければならない大事な文化財です。

しかし、守るだけでは発展はしません。
言霊。と書く様に、言葉の一つ一つには魂があり、生きています。
音楽も生身の人間が奏でるのですから、魂があり、生きています。

三線教室に通い、師匠から技術を教わり心を受け継ぎ、師匠から伝承したものを次は私が後世に受け継いでいかなければなりません。

私は先人の思いを受けて、今ここで唄っている。
唄の道行けば、沢山学ぶ事があり日々勉強。
そしてたくさんの人たちとの出会いがあります。

ひとつひとつを大事にしながら唄い続けようと思います。


大好きな横田千恵師匠です

今回がコラム連載最終回になります。
お付き合いありがとうございました。

私のうちなー唄の道はまだまだ長い・・・
よんなーよんなー、ゆっくり歩いて行きます。
この道を皆さんと、まじゅん歩いて行けたら嬉しいです。




text:上間綾乃



上間綾乃オフィシャルサイト
http://uemaayano.com/




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歌をたずねて、あまハイ くまハイ vol.8 しゃかりチアキ

2009年08月24日 | 月曜(2006年7~8月):チアキさん
☆第八回目の旅 「みんな大好き!沖縄そば」☆

 ハイタイ!
今日拝なびら。しゃかりのチアキやぃび~ん。
それでは今週も、ゆたしくうにげ~さびら♪

 さてさて突然ですが、
皆さんは沖縄そば好きですか?
私はですね。。。。。超~~~大好きです!!
しゃかりのファンクラブ会報で、「ウチナーすば紀行」というコーナー
もある程、
ほんとにそばが大好きなんです。

と言うことで。。。
今回は誠に勝手ながら、私の大好き沖縄そば、ベスト3をご紹介
させて下さい!
そして個人的な感想も書きましたが、
ぜひご参考までに☆

 それでは、ベスト3に行く前に、
沖縄そばの歴史をおさらいしてみましょう。


 沖縄そばは、沖縄料理の一つで、沖縄県の伝統的な麺で作られます。
「すば」、あるいは「うちなーすば」とも呼びます。
ですが「そば」とは言っても、そば粉を使わない小麦粉100%の
麺なので、
本土復帰後「そば」と呼ぶことを禁止されていました。
ですが「沖縄そば」として親しまれ、愛されてきた呼称をなんとか存続
させようと、
数年間に渡って運動を続けた結果、昭和53年10月17日に公正取引
協議会から正式に
「沖縄そば」の呼称認定を受け、全国麺類名産・特産品にも指定されま
した。
そしてこの10月17日を「沖縄そばの日」と設定し、
益々県民に愛される伝統料理のひとつとなりました。

 

 それでは、私のお気に入りのそば屋さん
ベスト3をご紹介させて下さい。

まず私のお気に入りウチナーすば、第三位は!

じゃらじゃららららら。。。(←効果音です:笑)

『しまぶく』
住所:沖縄市南桃原1-6-2
電話:098-932-0445
営業:11:00~17:00(売切れ次第終了)
定休:月曜




 しまぶくそばは、中部出身なら知らない人はいないと言っても過言で
はないほど、
超~有名な老舗のそば屋さんです。
もちろん、沖縄全域から見ても、有名店のひとつだと思います。
なんと創業60年以上で、現在は四代目だそうですよ。

ここのお出汁はカツオ出汁。
あっさりながらもコクがあり、出された時のあのカツオの香りはなんと
も言えないほど、
とても良い香りです。
麺は少し太めで、具は三枚肉と赤肉(ロース)とネギとかまぼこ。



そしてしまぶくそばのメニューは、そば中・大と、いなり、ジュー
シー、飯しかないというところからも、そばへのこだわりが伺えますね。
ちなみに昔、初代しまぶくそばが、沖縄市山里の映画館の側にあった頃、
店主のおばぁーにまつわる面白い話がたくさん残っております。

特に有名なのが、女性客が訪れたら追い返したということ。
その理由が、
「イナグーやら、ヤーでチュクレー!!」
(女なら、家で作りなさい!!)なんだって(笑)あはははは☆

そしてもうひとつ、
客「おばぁー、そば大ひとつね~!」

おばぁー『こっちはそばしかないのに、大か中だけで言いなさい!!』

おばぁー、確かにそうですね(笑)

その頃は私はまだほんとに小さかったので、その時代にぜひ行ってみた
かったなぁ~。

さて勝手に評価の第三位の理由と致しましては、
きっとカツオのその日の状態だと思うんですけど、
たまーにお出汁が、カツオ特有の酸っぱさが強い時があることと、
あと好みとしては、麺があと1割くらい少なめで、
汁をもっと多めに飲みたいな~というところかな。
ジューシーは売れ切れることが多いので、早めの来店をお薦め致します。

 次に、第二位は!

じゃらじゃららららら。。。。

『玉家ーたまやー』
住所:沖縄県南城市大里字稲嶺57
TEL:098-946-8885
営業時間:11時半~16時(売切れ次第終了)
定休日:月曜
駐車場:20台


(写真は、玉家HP http://www.tamaya-soba.jp/ からお借り致し
ました)

玉家はですね、元メンバーのマサルさんから
「めちゃめちゃ美味しいから」と教えてもらったそば屋さんで、
地元の方からすごい支持を得ている人気店です。
そして食べてみると。。。
本当にめちゃめちゃウマい!

まずお出汁。
豚とカツオ両方を組み合わせたさっぱりなんだけど、でも深い旨味のあ
るお味でした。
そして麺もウマい!しっとりツヤツヤで、のど越しも良かったです。

んで、私はフーチバー(よもぎ)も大好きなので、フーチバーが食べ放
題なところも
ポイントが上がったひとつですね。
久しぶりに「美味しいなぁー」と思ったお店に出会えて嬉しかったです。



私は、南部ではナンバー1だと思っておりますよ~☆ ぜひ一
度、お試し下さいね♪

 
 そして!
栄えある第一位は!!

じゃらじゃららららら。。。。。

『浜屋』
住所:沖縄県中頭郡北谷町字宮城2-99
電話:098-936-5929
営業時間:10:00~21:30(L.O.21:00) 
定休日:なし


 
もうですね。。。
私の中では言う事なしなんです。
まず、一番感動するところは、お醤油を一切使用しない、
こだわりの塩味スープが子供の頃から味が全く変わらない。
いつ訪れても味が一緒。

これは当たり前のようで、でもとても難しいことだと思うんですよね。
例えばその時の材料の具合とかでね。
でも、浜屋は不動。いっつも美味しい。

麺は平たいちぢれ麺で、これがスープとの相性抜群なんです。
そしてなんと言っても人気の秘訣は、
あの豚軟骨ソーキの柔らかさでしょう。
本当にめちゃんこ柔らかい!



また浜屋はですね、他のメニューも全部美味しいんですよ。
ゆしどうふそばも絶品です。
豚軟骨ソーキ、そして三枚肉両方を食べたい方には、
その両方がのっている「沖縄そば」がお薦めです♪
あぁー、こうやって書いていると、また食べたくなってきました(笑)
ちなみに余談ですが、店主は明るくてとてもファンキーな方ですよ☆


 と言うことで今回は、
あらあら、歌をたずねて あまハイ!くまハイ!
ならぬ、「そばをたずねて。。。」になってしまいました(笑)

これからも、どんどん食べに行きたいと思います。
ぜひ皆さんのお薦めも知りたいさ~☆


目指せ!全店舗食制覇!?



text:しゃかりちあき



しゃかりオフィシャルサイト(言葉のかわりに心の歌を)
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動画『結まーる』


新曲『結まーる』
2009年5月14日~
着うたサイト『沖縄ちゅらサウンズ』にて独占先行配信!!!
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沖縄取材こぼれ話 vol.8 まっぷるマガジン編集スタッフ

2009年08月22日 | 土曜(2009年7月~):編集スタッフ
7月のトップシーズンに取材に行くと、
それはそれは青くキレイな海が、やさしく迎えてくれます。

今回はグルメ取材がメインゆえに、
ロケーション撮影は少なかったのですが、
いくつか見ました。ステキな青い海を。

まずはコチラ。



南部の高台に建つ海カフェ、八風畑のテラス席から眺めた海です。
太平洋が広がり、まさに絶景。

次はコチラ。



残波岬灯台から見下ろした紺碧の海です。
灯台(入場料200円必要)は上る価値アリ。

最後はコレ。



ドラマのロケ地にも使われた、古宇利島にあるビーチの写真です。
抜群の透明度に、ただただ感激。

マップル沖縄でも、もちろん上記の情報は紹介します。
行きたくなったらマップル買って沖縄へGO☆




text:まっぷるマガジン編集スタッフ(イデー)




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紅茶の島のものがたり vol.21 冨井穣

2009年08月21日 | 金曜(2009年4月~):冨井穣さん
第21話
「山城紅茶」の誕生


 茶葉の手摘みは、必ずしも専門知識や技術が必要な仕事ではない。芽の先端から2枚の若葉が付いた部分を摘む「一芯二葉摘み」が原則とはいえ、若葉が2枚付いていることをいちいち目視することはなく、収穫期の茶樹に触ってみれば摘み取る個所は一触瞭然。茎がちょうど柔らかくなっている部分に指を触れ当ててへし折り、一芯一葉、二葉、三葉…を摘み取っていく。しかも茶葉の収穫期は限られているため、常勤ではなく一時的に大量に人手が必要になる。
「アルバイトを募集しても、そんな都合よく人が集まるだろうか」
「派遣労働者を頼もうか。仕事がなく困っている人の手助けになる」
「そうか。でもそれなら、高齢者の力を借りたらどうだ。シルバー人材という手もある」
 以前から山城は、父・豊の教えの下、有機無農薬栽培による循環型の生産システムを取り入れていた。しかしそれはお茶の栽培に限った話ではなく、社会全体のあり方にもつながる思想である。現在の世の中は仕事が社会全体にうまく行き渡らず、30代、40代の労働者に著しく仕事が偏り、若年層の新規雇用や高齢者の活用が十分に行われていない状況だ。労働力のこうした年齢格差を解消し、あらゆる年齢層に仕事を再分配していけば、社会が活気づき明るさが増してくるはずだ。
 山城と崎浜は協議の結果、シルバー人材を活用する方法を選択した。徹底した生産システムの改善とコスト管理を行い、手摘みでもどうにか利益を確保できる見通しが立ったのだ。実際に茶摘みの様子を見にいってみると、ほおかむりしたおばぁたちが脇に籠を抱えて慣れた手つきで手摘みしており、昔の農村風景をほうふつさせる。しかもここは沖縄、流れているBGMは琉球民謡。三線の音色にのせておばぁたちは一緒に口ずさみ、土地柄が感じられてとても清々しい。
 山城の話によると、茶摘み仕事は高齢者に向いているそうだ。若い人は作業のスピードは速いが飽きるのも早く、一日を通すと結局は高齢者のほうが仕事量が多いというケースがほとんどらしい。シルバー人材の起用では徳島県上勝町の葉っぱビジネス(山の中で採取した木の葉を料理に添える「つまもの」として高級料亭に卸すが事業。高齢者がパソコンを使って販売)が有名だが、紅茶の味や品質だけではなく、高齢者の活用という点でもぜひ頑張ってもらいたいものだ。
 さて、機械摘みから手摘みへ収穫方法を切り替えた紅茶事業だが、実はいちど「頓挫」仕掛けたことがあるそうだ。
 茶摘みを依頼するシルバー人材の話がまとまり、生産ラインも手摘み用に整え、いよいよ山城「手摘み」紅茶を本格加工。さて、そのお味は…
「?」
 山城と崎浜は顔を見合わせて絶句した。おいしくない、のだ。当面の予算は手摘み加工のために費やしてしまったし、今さら後戻りはできない。最悪の事態が脳裏をよぎった。
「…こんなはずはない。どこかで方法を間違ったのかもしれない。とりあえず、もう一度やってみようか」
 2人は肝を冷やしながら、恐る恐る一つひとつの工程をチェックし合い、収穫から加工まで念入りに作業を行った。舌の先まで冷や汗を垂らし、再び紅茶を入れてみると、
「おいしかった、んです。最初に手摘みで実験をしてうまくいったので、“これはいけるぞ”という思いが先走り、2人とも細かい確認作業を怠っていたんですね。ともかくひと安心でした」
 これでようやく、商品化の道筋は整った。手摘み無農薬栽培の沖縄産紅茶を、4種類の味をそろえて発売する。一軒の茶農家が1つの茶樹(厳密には2つ)から4つの紅茶を加工できるということは、国内に限らず世界的にみて画期的なことなのだ。
「最終的には国立茶業試験場の根角さんに試作品を送って、味をチェックしてもらいました。そして“これなら大丈夫だ”というお墨付きをいただき、私たちも自信を持って勝負に出ることに決めました」
 山城と崎浜は商品の発売に先立って、法人化の準備を進めた。山城は以前から「農業経営を成功させるためには徹底した収支管理が必要」と考えており、株式会社として農業生産法人を設立。代表取締役社長には山城が、崎浜は取締役に就任した。
「会社名は沖縄紅茶農園で、商品名は山城紅茶。これは決して私の名前ではなく地域名なんです。アッサムやダージリンなど世界的に有名な紅茶は産地の地方名が付いているように、沖縄から世界で勝負できる紅茶を発信しようという私たちの決意表明です」
 緑茶から紅茶へ。かくして2007年2月1日、「山城紅茶」は晴れて世の中にお披露目になったのだ。




山城紅茶の味は4種類。「コク重視」「あっさりストレート」「スモーキー」「職人仕上げ」と変化に富んだ味が楽しめます



text:冨井穣




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~スローライフwithみゅーじっく~ vol.8 大山百合香

2009年08月20日 | 木曜(2009年7~8月):大山百合香さん
皆さん、うがみやぶら~!
今週もよろしくお願いします。


さて、子供達は夏休み後半に入りましたね。
夏休みの宿題や自由研究などで追われているのでは?


そしてお仕事の方はお盆休みが終わり、
休みボケで苦しんでいる頃なのでは?(笑)


沖縄は相変わらず猛暑が続いています。

シーサーも暑そうです・・・。




天気予報では降水確率10%、
でも時折、空が真っ黒になり
スコールのような雨を20分くらい降らせ
しばらくして太陽が顔を出し、
さっきまでの雨が嘘のような晴れ渡る空に。


そんな気まぐれな天気が続いております。






先週の15日、64回目の終戦記念日でした。
第二次世界大戦(太平洋戦争)が終結した日。
「戦没者を追悼し平和を祈念する日」

私はこの日、知念へ行っていたので
海に向かって黙祷をし、手を合わせました。




今年の4月に沖縄に移住してきて、真っ先に行った所が平和祈念公園。






今も残るさびついたキャタビラーを見て、とても昔の事とは思えないくらい衝撃を受けました。


そして平和のいしじには数えきれないくらいの亡くなられた戦没者のお名前が刻まれています。
その中には、陸軍として戦い22歳の若さで戦死した祖父の兄の名前も刻まれていて、
私が沖縄の地に住む事の報告と挨拶をしにいきました。




以前は沖縄に訪れた際は必ず行っていました。


私はこの終戦の日、沖永良部にいる祖母に電話をして、
祖父や祖父の兄がどんな人だったのか、
そして祖母が体験した戦争の話を聞きました。


祖父の兄がこの地で
平和のため、日本のため、愛する家族のために戦っていた事実。


沖縄に移り住み、そういう現実を目の当たりにして、
しっかりと目に焼き付けて記憶に残していきたい。


きっと祖父の兄も見守ってくれていると思います。


私一人の力は小さいかもしれないけど、平和に向かうエネルギーは常に放っていたいです。
争いのない世界を願うこと、
生きること、
平和な毎日の中で暮らせること
笑ったり、泣いたり、
そして歌うことで
自分なりの平和へのエネルギーを放っていきたいです。


そして、戦争の記憶や平和のエネルギーを
いずれ生まれてくる子供や孫に引き継いでいくことが大切なんだと思いました。




text:*ゆーりー*



大山百合香プライベートブログ(KIND OF BLUE)
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