沖縄Daily Voice

沖縄在住の元気人が発信する

Imago vol.7 宮城 敬

2010年02月22日 | 月曜(2010年1~2月):宮城 敬さん
Imago07

急ですが、今回のImagoはちょっと短めに書きます。
理由は二つ。
一つは、実は今引っ越し中。
住み慣れた幸地グスクの隣から引っ越して、那覇の住民となりました。
まぁ、自然に囲まれた生活からはなれる事になるのはちょっと寂しいけど、
今回の住処は、なななんと、書斎を持つスペースあり。
これは過去5年の間で一度もなかったこと。
やっばい楽しみにしています。
考えているのは今まで収集してきた書籍、画集を壁いっぱいに本棚を作って並べ、
画材や編集機器、参考映像集だらけで埋め尽くされた研究ラボを設立すること!

もう一つは妻がなんとおたふく風にかかってしまいました。
これはびっくりしましたね。
年齢二十代後半までおたふくかかった事がない人も世の中にいるものなんですね。
しかもそれが自分の妻とは。。。
世間では夫が一家の大黒柱だといっているけど、
その一家の大黒柱を根元でしっかり支えているのは妻ですね。
だから本当の柱は世間の家庭のお母さんたちですよ。
夫側はどんなに頑張りたくても、
それを支える妻がいなければ何にもできないですからね。
今回の病気で如何に自分が支えられて生きているのかを改めて実感しちゃいました。

そんなこんなで、
また人生の一つの転機を迎えて右往左往するわたしですが、
このブログがキッカケとなって最近、
やたら自分の考えを書き留める癖がついてしまいました。 
これまでも確かにアイデアとか、
ふと気がついた事をメモにとる習慣はあったのですが、
その99%は一行、二行程度の走り書きに終わってどれも形あるものには転換されず。
日の目を見る事なくメモの山に埋もれて消えていくのがほとんどでした。 
しかしこのプチ習慣が最近違った方向へ走り始めています。
先日、仕事中に頭上にひらひらと落ちて来たアイデアを
いつものようにメモに書いていると、気がついたときには4ページ目でした。
ワオ。
焦って「仕事せな!」ってそのときビビりましたね。

確かに今までメモ書きをしてると調子良く
スラスラと自分の考えがまとまってノートに刻まれていく経験は二度三度ありますが、
4ページになるとこれは次元が違います。

多分(私が思うに)、昔からの「何か気になる点を見つけると
それに宇宙を感じるまで考え込む」癖がレベルアップをしたのかもしれません。

現在執筆中なのは、
仮に題して「映画製作意識学」と言う論文まがいの個人的映像制作論と、
かねてから挑戦したかった長編小説の「カラヤン」と、
子供向けの絵本のお話。それと短編を数本。

忙しいです。笑
どれでも出来上がったら何かの形で公表しようと思ってますので、
時間がある方、読んで感想を聴かせてくださいね。

Latez

Ps.
映像小僧様
いつも、何度もコメント頂いて、本当にありがとうございます。
VJ映像ですね、長い間作ってなくて感覚が鈍ってるのです、
環境が整い次第つくってのせますね!

Imago vol.6 宮城 敬

2010年02月15日 | 月曜(2010年1~2月):宮城 敬さん
Imago06


もう何度かブログを読まれて気づいた方も多いと思うが、
僕は何か気になった事を一つ見つけると、
その一点に集中してしばらく考え込んでしまう癖がある。
その考え込む題材は無尽にあり、
場合によっては壁の染みを見つけて考え始めたと思えば、
その2、3時間後には“壁”という存在そのものに
哲学をかんがえてしまう困ったちゃんです。笑

そんなノリで最近5ヶ月になった愛娘を見つめていた時に妻が、
「この子、何考えているんだろ?
まだ言葉が分からないから頭の中もア〜ア〜っていっているのかな?」、
といいました。その時の自分。ハッとした。笑

皆さん、夢は何語でみますか?
やっぱりこれを読んでる方は日本語がわからないといけないので
答えは“日本語”が多いでしょう。
でもこれは僕からすると疑わしいことで、
私達は本当に夢の中で言葉をハッキリ言っているのでしょうか?
僕はアメリカと日本のハーフです。
二カ国語話せます。
なら、僕は何語で夢をみるのでしょうか?

チクタクッ、チクタクッ、チクタクッ。。。。はい、時間でぇす。
正解は“どっちも使わない”でした。
僕の夢の中ではアメリカ人も、日本人も同様に登場しますが、
皆お互いを理解してます。何故かと言うと夢は“意識の世界”です。
意識とは普段からその人が生活する中で作られた制約の中で形成されているものだから、
一つの言語しか持たない人
(このような人たちの事を英語ではmonolingualと言います)が
夢の中で外国人とであっても“話せない”と自分の制約で考え、
“日本語を話している”んだと思い込んでいるのです。

それをハッキリと僕に教えてくれたのが僕の娘。
赤ちゃんは、言葉を話せません。
しかし、赤ちゃんは確実に夢をみますし、寝言も言いますよ。
ここで大事なポイントは、寝ながら笑いもすれば、悲しそうにもすること。
赤ちゃんには言語がないため“感情”でコミュニケーションするしかない。
となれば赤ちゃんは夢の意識の世界の中を感情だけで冒険してることになるのでは? 
そしてその夢の世界の中でも嫌な事や楽しい事を見ているとすれば、
それは夢にストーリー性がある事の実証だと思います。

となると、赤ちゃんはやはり“感情”で夢の中で話している。
実はそれは夢の外、現実の世界も一緒で、お腹がすいたら悲しそうな声、
あやされている時は楽しそうな声を出していますよね?

私達人間は忘れてしまいがちですが、私達の言葉、
言語は元々生まれもってきたものではなく、
感情を表現するためのtool(道具、手段)なのです。
ある学者がいいました。
「私達人間は他の動物がほとんど持たない感情という素晴らしい機能を携えて生まれてくる」
私達の毎日の生活の基盤として働いている感情という機能は
近代文化の高度成長で言葉や数字などの合理性を優先してしまいがちな為に
忘れ去られようとしているんじゃないでしょうか?
そうなってくると、とても“悲しい”ですよね。

アメリカインディアンの大半は、文字文化を持ちません。
それは、言葉が人の口から発せられる時が一番意味を持つと考えたからです。
これが文字だと、逆にその人を制約するものとして考えていたためです。

制約だらけの今の時代。
本当に自分のしたい事を、感情を押し殺して飲み込んでいませんか?
もしそうなら、せめて夢の世界では羽を伸ばして
外国にでも飛んでみてはいかがでしょうか?
新しい世界が広がると思いますよ。。。

こんな僕の横で娘がすやすやと眠っています。
どんな夢をみているのかな?

Laterz

Malika Giggle.m4v



Imago vol.5 宮城 敬

2010年02月08日 | 月曜(2010年1~2月):宮城 敬さん
Imago05

寒い夜だ。
真夜中を過ぎた頃、ひっそりと読みかけていた本を
テーブルに置き、外へ出てタバコに火をつける。
外は雨が降っていたようだ。
街頭の明かりが静かに玄関前の暗い道をぼんやりと照らす。

風が山の木々の間をかけぬける。
音はするが、しかしその姿は闇に埋もれていて見えない。
ひっそりと静まりかえった辺りは風の音以外は、
じっと動かないかのように思えるほどだ。

タバコを吸い込むと、ジッジッと鳴る。

見上げると、街頭の周りが忙しなく動いている。
よく見ると、街頭の光が舞い落ちる小雨を照らし出し、
その周囲だけが光の粉を振ったように、
はらはらと音もなく幻想的に揺らめいている。

「はい、ここでピアノBGMが入るぅ!」
映像制作の編集室ならそんな声が聞こえてきそうです。
さて急に小説風な出だしで始めましたが、
今回は映像制作の『音』についての話。

では、一般家庭にあるような普通のビデオカメラで映画を作りましょう。
上記の様なシーンを撮影する場合は、まず普通のカメラで録音した
“その場”の音は使えません。
その理由は、実はカメラというのは“全て”を録音するからです。
例えば上記のシーンは様々な音の要素が入っているため、
音の役割が重要になって来るため、
ポイントとなる音を確実に収録したいですよね?

風、雨、タバコやその場の静けさが重要になります。

しかしそんなシンプルな様子を簡単に実際にカメラで撮影し、
再生してみると聞こえて来るのは、

暴風、雨、自分の呼吸音、服がこすれる音、
遠くの車、下水の音、雨受けの配管を流れる水等々、
要らない音が入っています。
カメラのマイクは正直に平等に、その周囲に聞こえる音を録っただけ。
なのに、何とも雰囲気のない映像に仕上がっちゃいます。

例えば服がこすれる音。ウィンドブレーカー等を着て外を歩くと
フィンフィンとうるさい!
でも、しばらく歩いていると嘘のように気になりません。

実は、これは私たちの耳が原因なのです。
人間の耳とはよく出来ていて、私達は普段の生活で、
何千、何万もの音を聴き分け、
その中から本当に自分にとって必要な情報だけを割り出して脳で処理します。


要するに私達は、日常生活での
“聴きたい音”と“聴きたくない音”を分けているのですね。

実際、耳ででわなく、心で世界を聴いている訳ですよ。
スゴいですね。。。

あっ。夜が明けました。

今週はちょっと色々事件があってつかれましたよ。。。笑

今日は温かいコーヒーを持って外でタバコを吸いながら、
自然の音色に耳を傾けて静かに癒されることとします。。。

どうですか? あなたもご一緒しませんか?

Laterz

Imago vol.4 宮城 敬

2010年02月01日 | 月曜(2010年1~2月):宮城 敬さん
Imago04

ブログを書き始めて早くも4回目を迎えてしまいました。
初めてこのコラムの執筆を依頼されたときは
何を題材に書き始めたら良いのか全くイメージが湧かず四苦八苦したものですが、
今となっては逆に書きたい事が多すぎて困っているくらいです。
そこで、今までドでかい人生観に関係する話が続いたので、
今回は少し心を落ち着かせて(?)映像作家らしく
映像の話を回をまたがってさせて頂きたいと、思います。

今回はホワイトバランス。
皆さんは、自分が普段の生活の中で
どれだけスゴい事を繰り返してるのかご存知ですか?
そうです。これを読んでるあなたです。

いくつかあなたが普段、何のためらいもなくしてることが、
実は映像制作の視点から捉えるとんでもない労力を伴う作業に変身することがあるのです。
その“変身する作業”について幾つかお話しましょう。

そのうちの一つがホワイトバランス。
ご存知でしたか? 
カメラは白という色を知りません。
知っていましたか? 実は一般蛍光灯の発色が“青”だってこと?
しかし、青い蛍光灯のもとに照らされる物は青くないですよね?
これは私たちの脳が無意識にそのモノに付随する色を宛てがって
認識しているからなのです。

ニュースの速報などで
逮捕された犯人を追うカメラマンが建物の中から外へ出るとき、
一瞬画面が真っ青になる瞬間をご覧になった事があると思いますが、
あれがそう言うことで、室内にカメラがいる状態で
カメラの“白”の認識方法を設定(カメラに教えてあげる)すると、
蛍光灯の色で設定されたホワイトバランスは『青が白』と認識している為、
屋外へ出て“本当に白い”モノを見ると“青”と認識し、
結果画像が真っ青になります。

最近のカメラはホワイトバランス設定が自動で設定されている物が多いため、
一般家庭のカメラではそんなに大した違いを感じません。
しかし、カメラが解釈する色と人間の眼が解釈する色はやはり違うので、
撮影した映像を後から見直すと、
その時の色の雰囲気が妙に違うと感じるのはそこから来てるのです。

意味分かりますか?笑
今度、このホワイトバランスに関するビデオを作って説明しますね。

この複雑難解な作業を私たちの脳は休む事なく毎日やっているのです。
この小さな眼の玉で。

言葉を変えて説明してみると、
要するにカメラは馬鹿正直であるため、本当の色を認識する為に
“嘘”の色を教えてあげなきゃわからない。
私たちの眼は、どんなに外の光が変わっても真実の色が分かる。
人ってスゴいですね。
だから浮気してる人ってすぐバレるのかも知れませんね。
常にビクビクして真っ青な顔をしてるから
奥さんのホワイトバランスに見破られるんでしょうね。笑

さて次回はマイクについての小話をしたいと思います。
楽しみにしてください。
では、

Laterz

Imago vol.3 宮城 敬

2010年01月25日 | 月曜(2010年1~2月):宮城 敬さん
Imago03

以前、料理の腕を磨きたくなってイタリア料理をはじめた事がある。
理由は単純。パスタ料理が好きだからだ。
しかしいくつかの料理本を読んだ後、あることに気がついた。
「オレは今までに本物のパスタ料理を食べたことがない」と。


理由は複雑。実はイタリア料理はオリーブオイルにこだわる。
エキストラバージンや、バージンなどの大まかな種類は
一般的によく知られているが、イタリア半島ではオリーブの産地によって
様々な料理に使い分けられる場合もあるぐらい
その用途用法に細かく分類して使う。


これはオリーブオイルだけではなくバルサミコ酢やトマトの種類、
パスタの麺の種類も同様である。
そんな“こだわり抜かれた”料理。考えてみると
今まで自分の食べて来た物はイタリア料理の名前を愚弄するかの様な、
なんと粗末な、なんと乱雑に、なんとおおざっぱなこと。
しかも、いざ本物の食材を揃えようと全国を走り回っても
日本国内に輸入されているオリーブオイルは合わせて
8等級あるうちの3等級しか手に入らない為、
よっぽど金持ちでない限り無理なのである。


既に味付けされたトマトの缶詰のラベルを眺めながら、
イッパシのイタ飯をこしらえるつもりでいた自分の浅はかさを憂いた。


自分の味覚は企業の利便性、合理性のもとに成り立っていたことに気がつく。


そんな時、“本物とはなんだ”と疑問に感じ始めた。
今のご時世、どれだけ本物に囲まれて私たちは生活しているのだろうか?


以前、大手のレコード会社に勤めた経験を持つ友人に聞くと、
業務の一つとして自社のレコードを売り上げチャート等にランクインさせるために、
一度発売した自社のCDを買うことがあると教えられた。
買われたCDは、翌日再び店頭に並ぶために出荷される。
客は星の数ほどある音楽のなかから選ぶことが出来ないから、
売り上げチャートを参考にし、一番売れているCDを買う。
これでは本当に聴きたい音楽を聴いたことになるのだろうか。


思えば私自身、五、六年前に仕事で東京へ行った時、
ある曲が渋谷の歩行者天国のスピーカーからひっきりなしにリピートで流れていた。
まるで催眠術にでもかけられたかのように
自分もその曲の入ってるCDを買ってしまったのだが、
今はどんなに無理を言っても好きな曲とは呼べない。
完全にリピート催眠術にしてやられた。


戦争が終わって高度成長を成し遂げた日本は生活が豊かになり、
現代では物があり溢れている。しかしその傍ら、
お金で何でも手に入ることを良いことにあまり考えずに
事を済ますことが多くなっているのではないだろうかと思う。
本物と呼ばれるものが一般的解釈や流行、流通の都合によってどんどん省略され、
やがてその姿、形を失い始め、しだいに消えていくような気がしてならない。


「コーヒーとは、缶に入っていて自販機で売られている物」
「みんなが着ている服が自分の欲しい服」
みたいな感じで当たり前が常識に転換し、やがて自己意識の消滅になるのでは?!


きゃー!


うん。よし! 自分は本物志向でいくぞ!
なんでも本物でなければ認めない!
そんな気持ちを新たにイタリア料理本のめくると
次々に眼に飛び込むカッコいいイタリア語の料理名。意味を調べてみると、


ペペロンチーノ=唐辛子
アーリオオーリオ=ニンニクと油
ポモドーロ=トマト
ジェノベーゼ(バジルソースを絡めたパスタ)=ジェノバがバジルの産地だから
“ジェノバ風”の意。


そのまんまやしぇ!
「なんちゅう適当なネーミングなんだ。。。」
少し肩すかしを食らった。



Laterz
ImagoVideo01.mp4



Imago vol.2 宮城 敬

2010年01月18日 | 月曜(2010年1~2月):宮城 敬さん
Imago02

点と点を線で結んでいく。
単純に互いに繋がりを持たない要素を、じっくりみつめて。
最近こんなことを一人でよく考えてしまうんです。

僕の好きな言葉があります。
何処で聞いて覚えたのかはもう忘れたのだが、「飲水思源」(いんすいしげん)
と言って、意味は“水を飲むときはその源に思いを馳せなさい”と言う。
なぜかこの言葉が頭を離れない。 
点。

現在、僕は母親と一緒に暮らしている。目の前に西原町の史跡を臨む。
史跡名は幸地グスク。
点。

この幸地グスクにある説明札を読んでみると
『幸地グスクの城主は熱田子と呼ばれ、腕力も強く人々から懼(おそ)れられていた。
熱田子は隣りの津記武多按司といさかいを起こし、その一族を滅ぼした。
訃報を聞いた今帰仁按司は自ら仇討ちに出かけたが、熱田子の策謀にはまり、殺された。
その後、今帰仁按司の息子4人が兵を挙げついに熱田子を亡ぼした。』と書いてあるから
驚き。

800年前の当時、地域の統治を行政していた城主の按司というのはいわゆる豪族で、
悪い言い方を使って分かりやすく説明するとヤクザの様なもの。
日本歴史で言う所の侍とはちょっと違うイメージ。
按司は基本的に何らかの形で権力を手に入れた家族やグループが、その地域で最高の
物件を手に入れ、信仰対象である御獄(うたき)を取り込んで城下町を形成し、
ちょっとした都市の様な機能を抱えた地域の大地主だったのだ。

さて近年の研究によると、実は沖縄に数あるグスクの中で今帰仁グスクと言うのは
厳格な支配階級制度をもった“エリート”グスクであったらしい。
そんなエリートグスクに喧嘩を吹っかけたのが、現在、僕のお隣さんの幸地グスク。
しかも喧嘩をふっかけただけではなく、一回勝っちゃってるからウケる。
昔の人は強かですよ。

さて、そんな血なまぐさいドラマがあった幸地グスクも今はタクシーの運ちゃん用の
絶景昼寝スポットであり、深い木々に覆いかぶせられた小高い丘の上は、夏には
セミやクワガタ等が捕れるため、我が息子のお気に入りの遊び場だ。

そんな歴史の“水”を飲んで、その源に思いを馳せながらグスクの敷地内を我がもの顔で
遊び回る息子を眺めていると、如何に今の時代が平和なのだろうと思えてくる。
喧嘩っ早い幸地グスクの按司はこんな時代がくるとは夢にも思わなかっただろう。
ましてやその後、今帰仁グスクなんかよりもっと怖いアメリカ軍や日本帝国軍までが
押し寄せ、沖縄が第二次世界大戦の舞台となるなんて、全く想像つかなかっただろう。

しかしそんな平和な沖縄と裏腹に、戦争はまだ世界の何処かで行われていて、その理由も
貧困、土地、宗教などと様々。

これもまた何処で聞いたか覚えてませんが、
現在、世界中で起こっている戦争を人類が全て止め、その財と労力を宇宙開発に向ければ、
私たちは約10年足らずで月に住む事が可能であるという統計学的発表を耳にしたことが
あります。
幸地グスクの按司もびっくり仰天ですよ、これは。

“歴史”という点と“言葉”という点を結ぶ線に“世界平和”を見いだし、一喜一憂する
僕に向かって、木々のざわめきと虫達の声に紛れて幸地グスクの按司が言ってるような
気がします。
「喧嘩はつかれるよ。」って。
「命どぅ宝。」って。

今週約束していたビデオですが、手違いで今度に回したいと思います。
勝手かもしれませんが、楽しみに待ってて下さい。。。(苦笑)


Imago vol.1 宮城 敬

2010年01月11日 | 月曜(2010年1~2月):宮城 敬さん
新年明けましておめでとうございます。
宮城です。

映像作家と言う肩書きを背負い込み『次の作品は構成中』ときり投げて、はや十年。
こんな自分がブログで自己紹介するのもなんですが、
とりあえず、今回はタイトルの説明しますね。

Imago (イマーゴ)
この言葉と出会ったのは十数年前。
当時つき合っていた彼女がふと「“イメージ”という言葉が持つ雰囲気が好き」
言ったもんだから、すぐそこで電子辞書を引っ張りだし、
語順検索で類似表現や関連する言葉があるかを探してみたら出て来た言葉。
当時使っていた電子辞書は数年前に息子にオモチャ代わりにされて紛失してしまったため、
今回は自分なりに説明しますね。

Imagoとは心理学の世界で、
幼少時代に愛する者(親等)に対する愛情が抑制されて形成し偶像化された感情のこと。
生物学的には、
チョウやガなどの昆虫の最終変態をとげて成虫なったものの意味。

映像作家として作品をひねり出そうとするときは何かとやはり自分と向き合う事が多いもの。
そして、その向き合う時間のなかで最も頻繁に思い起こてしまうのが子供の頃の記憶。
子供の頃は、本当に一日も早く“大人”になりたかった。
大人はかっこ良かった。
確かに子供にしてみれば親や大人に愛情や尊敬を感じるのはありきたりの感情かもしれないが、
自分の場合、それが少しばかり違っていた。

自分の場合、思い憧れるのは自分自身の未来予想図であり、
大人になって夢を舞台に生きている自分自身の姿だった。
雲の上の大人になった自分自身。

多分これは離婚して家を出た父からの影響があるのかもしれない。
もとからカンシャク持ちで、ガソリンの様にふとした事がきっかけで
引火してはすぐに鎮火する親父とは馬が合わず、
そんなに深く交わることも少なかったからなのだろう。

時をみつけては大きく、かっこよく成長した自分の姿を想像し、
未来に期待を膨らませたものです。

しかし現実はやはり上手くいかないものですね。

そんな中である日、とうとうこんな自分にも息子が出来ました。
それはいわゆる“出来ちゃった婚”で、気がつけば隣に自分の分身がいました。
びっくりですよ。

予定も立てずに人の親になってしまったモノだから、ここからが大変。
家庭の為に収入を安定させなくてはならない。
この子が成長して立派な一人の人間になるためにも自分がしっかりしなきゃいけない。
親としてのプレッシャー。
夢を生きたい。
一日も早く、一人前の映像作家にならなくては。

しかし思いとは逆に空回りするのが現実というもの。
映像作家というものの、収入はピンキリで安定感は全くゼロ。
低収入が招く離婚の危機。
一時期は一年以上も仕事にありつけなかった。
不安定要素ばかりを抱え込んだ自分のこれからの道をケッコー悩みましたよ(笑)。

子供の頃に思い描いていた大人のイメージとはかけ離れて違う自分が大人(成虫)になってた。
「こんな親でごめんな。」と息子に向けて心の中でつぶやく。

そんな己を嘆き憂いている自分のもとへ、息子が甘えて近寄って来ます。
「遊ぼ」って。

大人になると、どうしても理屈っぽくなり、合理性や便利性を優先に選んでしまうことが多く、
しかも過去に捕われがちですが、息子の彼の愛情には理由なんかありません。

その時気付かされました。
自分は自分で造った自分に押し込まれていたのです。
息子にしてみれば親父は親父であり、それは普遍的な存在として
過去も未来も関係なく偉大な存在なんですね。

大人<成虫>になった少年は
思い描いていた自分自身の未来想像図<イマーゴ>によって本当の自分を失いかけていました。

現在、僕自身からすると、このimagoと言う言葉は呪いでもあり、賛美でもあります。
その理由は、人生って何があるかわからないじゃないですか?
明日は雨が降るかもしれないし、晴れるかもしれない。
でも天気予報で「晴れ」って言ってたのに実際のところ雨降ったりしたからって
落ち込んじゃっても意味ないと思いません?
それが人生って、思いませんか?
僕は今、そう思います。

さて、しょっぱなから重たい題材をテーマに初の記念すべきブログをかいた宮城ですが、
次回は少し軽く(笑)歴史と自分の好きな言葉について書いていきたいと思います。
ビデオなんかも添えて。
お楽しみに。。。


Laterz…