沖縄Daily Voice

沖縄在住の元気人が発信する

南の島に誘われて vol.8 朝尾未希

2009年12月30日 | 水曜(2009年11~12月):朝尾未希さん
今回このブログを書かせて頂いたことによって、また新たな出会いがあり、
そして自分が沖縄へ移住してきたことを振り返る良い機会となりました。

移住してきて1年5ヵ月。

移住を実行するまでには多大な労力と気力が必要でしたが、
こうして文字にしてみると、こちらに来てからは環境に慣れることと与えられた
仕事をこなすことに精一杯で、とても慌ただしく、移住してきたことをしみじみ実感する間もなかったです。
憧れの沖縄に住んでいるということを楽しむ、ということには欠けていたかも
しれません。
ただ仕事柄、知り合う方は音楽関係の方が多く、沖縄の音楽シーンを深く掘り
下げることが出来たことが一番の実りだったかもしれません。
地元の広島にいたときよりも、地域密着型というか地元を盛り上げようという
意識は沖縄の方が強いように感じました。
今まで見ていた「沖縄の音楽」から「地元の音楽」という風に視点も変わり、
そういう小さな事が私が沖縄へ移住したことへの実感に繋がったように思います。
沖縄は横の繋がりが大切だと、よく耳にすることがあったのですが、その見えない
繋がりの正体を、私なりの解釈で言えば
沖縄の人はよく知人同士を紹介をしているような気がしました。
そうやって輪が広がっていくんだろうなぁという場面をよく見かけたように
思います。
一度、お仕事関係の方々と飲みに行ったときにも、道でたまたま知り合いの方に
出会った人がいて
気がついたらその人たちも輪に加わっていて、いつの間にか大人数になっていると
いうこともありました。
これがいわゆる「いちゃりばちょーでー」という、一度出会えば兄弟みたいなこと
なのかなぁと思いました。
これからはもっといろんな角度で沖縄を知っていけたらいいなぁと思っています。
そして、私自信ももっと「沖縄の輪」に馴染んでいけるように。



text: 朝尾未希



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南の島に誘われて vol.7 朝尾未希

2009年12月16日 | 水曜(2009年11~12月):朝尾未希さん
こんにちは。
今日は個人的沖縄の好きなトコ、ベスト5を挙げてみようと思います。
移住してから今まで、そこまで具体的に考えてみたことがなかったので
改めて考えてみたのですが

まずその1
ズバリ気候です!
ここ数日なんかはお昼は暑いくらいで、日中は半袖で過ごせます。
だけど、一応街はクリスマスムードです・・・。
日本だけど亜熱帯気候な感じで、うちの近所にもヤシの木やハイビスカスが普通に
生えています。
でも、この気候に慣れてしまうと冬に帰省はできなくなってしまいます。
本当の寒さというものを体が忘れてしまっています。
でも、暮してみてこの年中の温かさはとっても心地よいです。


その2
いろんなことがスピリチュアル!
例えば、今まで何気なくお墓参りをしてきたお盆なんて、沖縄では
一大行事のようで、
「しーみー」と言って、御先祖様が戻ってきてからあちらに戻られるまでの間、
仏壇のある本家の方は特に、いろいろと準備が大変だと聞きました。
私も最初衝撃的だったのですが、お墓(沖縄のお墓はめっちゃ大きいんです!)
に沢山ごはんを作って持っていき、親戚一同でお墓でごはんを食べるんです!
今まで自分のご先祖様とは言え、お墓ってちょっと怖いイメージしかなかった
のですが、沖縄の人のご先祖様を敬う心や、その精霊を迎え入れる気持ちを知っ
て、私のお盆への考え方も変わりました。
あと、道の突き当たりには悪いモノが溜まりやすいとのことから、沖縄の
道の突き当たりには必ず「石敢冨(いしがんとぅー)」 という石碑があります。
あと霊能者のような「ゆた」という人がいて、定期的に自分のおうちの仏壇などを
見てもらって、御先祖様がちゃんと戻ってこれるようになっているか確認してもら
ったりするそうです。
まだまだ謎多き沖縄の文化は知れば知るほどおもしろいです。


あとの3つは来週また書かせて頂きたいと思います。



text: 朝尾未希



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南の島に誘われて vol.6 朝尾未希

2009年12月09日 | 水曜(2009年11~12月):朝尾未希さん
今回は、私が沖縄でびっくりした「うちなーんちゅサービス」を
ご紹介したいと思います。
前々から、沖縄の人はとても親切だという印象はあったのですが、
生活をしてみるとさらにそれを実感することが多々ありました。
たとえば、スーパーで買い物をするときレジでは必ずお店の人が袋詰めを
してくれます。
後ろの列がかなり伸びてもやってくれます(笑)
あまりにも混雑している場合だけ、「すみませんが、袋詰めお願いします。」と
言われるのですが、ないちゃーの私からしてみたら、自分でするのが当たり前
だと思っていたので最初はびっくりしました。

あと、私がよく行く定食屋さんはランチを食べると、デザートのぜんざいが
タダで付いてきます。
たぶん、なにを食べてもぜんざいはタダで付いてくるのだと思いますが
何杯食べてもいいらしいです。
他にもおそば屋さんでそばを頼むと、おにぎりとぜんざいがセットで出てきたり・・・
この値段でこれやって大丈夫なんだろうかと、こちらが心配になるほどの
サービスっぷりなんです。
最近見つけた今私のお気に入りの商店街にある天ぷら屋さんは、もずくの
天ぷらとイカの天ぷらと魚の天ぷら3個買って120円・・・ということは、
1個40円!?という衝撃価格です。
しかも、味もすごくおいしいんです!!

あと道を歩いていても驚くことがあります。
交通量の多い道路で信号がなくても手をあげて横断する人が多いことです。
とくに年配の方ほど勇気があります。
そして車も止まってくれたりするのです。
だから、私はそんなおじいおばあの後ろを付いて横断させてもらいます(笑)
何かの本で読んだのですが、あるおばあさんが「車にはブレーキ付いてるから
大丈夫」という名言を残していました。
観光でレンタカーに乗る時には、そこに注意が必要かもしれません。


働いていてもそのサービス精神にびっくりすることがよくあります。
たとえば、近くの他のCD屋さんから電話がかかってきて
「そちらにこのCDありますか?」と聞かれて、私はとっさに何かの調査かと
思いおそるおそる「ありますけど・・・なぜですか?」と聞くと、
「よかったー!今からうちのお客さんが買いに行くので取っておいてもらえますか?」と
言われ、衝撃を超えて脱帽するしかありませんでした。
普通、他店といえば多少なりともライバル視してしまうものですが、
お客さんの為ならばそんなこと関係無しにそういうことができてしまうのです。
お店を紹介するだけなら私もよくするのですが、さすがに在庫の確保までは・・・。
沖縄は横のつながりが大切だとよく言いますが、まさにこういうことなのかも
しれません。
それは、同じ職場で働いている人たちにもよく感じます。
「こうしてあげた方が親切さ」と、いつも最低限のことではなく、出来る限りの
ことをするという精神は、沖縄の人々に根付いているものなのかもしれません。
一人一人が沖縄代表じゃないけど、いつも沖縄が優しくいられるようにみんなが
行動しているような気がします。
その和を乱さないように、私も心掛けようと思っています。







text: 朝尾未希



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南の島に誘われて vol.5 朝尾未希

2009年12月02日 | 水曜(2009年11~12月):朝尾未希さん
こんにちは。
今回は沖縄へ引っ越した時の不動産巡りのことなどを書きたいと思います。

私の場合は、仕事の採用が決まってから移住するまでに1ヵ月もなかったので
不動産巡りは1日しかしていないのですが...
まず、インターネットで沢山の不動産屋さんが集まって情報を載せている
サイトで何件か物件を絞ったところ
見てみたい物件のほとんどが同じ不動産屋さんだったので、そこに電話でアポを
取りました。
インターネットで見た中で、もうほぼここに決まりだろうと思っていた
職場から徒歩5分の物件を一番最初に見に行ったのですが
中は改装されたばかりでとてもキレイで、不動産屋さんのお兄さんは
「ここはベランダがとっても広いんですよ!」と言って窓を開けたと同時に、
なんと鍵が丸ごと取れて大慌て!
その時の一言は「今、取れてよかったですね。住む前だから。」
なんてポジティブなんだと脱帽しました。
そして、次の物件に行って中を見ていると、壁をヤモリがシャーーーっ。
私は大絶叫して、お兄さんにしがみついてしまったのですが、
その時の一言は「ヤモリは家を守ってくれる存在なので、これはいい兆候です。」
とこれまたポジティブでした。

一通り物件を見終わる頃に、その不動産屋さんのお兄さんに
「おなか空きませんか?」と言われ、なぜか一緒に沖縄そばを食べに行きました。
そして「他にもこれから物件を見に行くのですか?」と聞かれ、
私がこの不動産屋さんしか調べて来てないということを言うと、
「よくうちのお客さんからあそこは親切だったって聞く不動産屋さんが近くにある
んで、そこも行ってみたほうがいいですよ!やっぱり、うちだけじゃなくって
いろいろまわってから決めないと!」と、本当ならライバルであろう、
親切だと有名な不動産屋さんまで車で乗せてってくれました。

その親切な不動産屋さんは、噂通り親切でした。
でもそれは物件とは全く関係ないのですが・・・。
私はその日に泊まる宿をまだ決めていなくって、荷物を持って物件巡りをしていたら、そこのおじさんに
「今日泊まるとこまだ決めてないの?」と聞かれ、
「お客さんから安くてキレイってよく聞くところがあるから、そこ行ってみよう
ね。」と、物件巡りも早々に、今度は私の宿探しに・・・。
その宿まで車で乗せてってくれたので「ありがとうございました!」と言って
車を降りようとすると「満室だったらいけないから、一度聞いておいで。」と言われて、行ってみると案の定満室・・・。
おじさんは「よし。次はあそこだな。」と言って合計3件ほど、私の宿の為に車を走らせてくれました。
3件目でようやく部屋が空いていて、おじさんに死ぬほどお礼を言ってから別れました。
物件を探す旅には、沖縄そばとその日の宿まで付いてきました。
そんなことは珍しいと言われたのですが、人の和というものは素晴らしいなと感じた出来事でした。





text: 朝尾未希



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南の島に誘われて vol.4 朝尾未希

2009年11月25日 | 水曜(2009年11~12月):朝尾未希さん
こんにちは。
今回は実際に移住をしてみて大変だったことを思い返してみようと思います。


私の場合、一人暮らし自体が初めてだったので、そこを思い切って最初から沖縄で
やってしまったことが必要以上にいろんなことを大変にしてしまったのかもしれま
せん。
だけど、沖縄に来て1年4ヵ月経った今、やっぱり沖縄でなければ一人暮らしも移
住も継続するのは難しかっただっただろうなと思うことが多いのですが。

なんと言っても、県民性の違いに「これでもか!」というくらいに衝撃を受けました・・・。
職場も9割が地元の人なのですが、私が思っていた以上に広島人という県民性は
せっかちなのか、それとも沖縄の県民性が思っていた以上にのんきなのか・・(笑)
最初は時間の流れの速度差に本当に悩み、戸惑いました。
たとえば職場で何か不測のトラブルが起こったとき。
早急に原因や対策を考え実行しなければならないというピリピリした空気になっていたのに、沖縄での先輩の一言は「よし。一回みんな落ち着こうか。」という、これまた衝撃の一言でした(笑)
今でこそ、これも立派な解決策だと思えるのですが、沖縄に来たての時にはそんな解決策はあり得ないと思っていました(笑)


それはお店に来られる地元のお客様についても同様で、広島では常に1秒でも早い
対応を求められている気がしていたのですが(モチロンすべてがそうという訳ではないのですが)沖縄の人は「急いでいる」という印象がなく、特にご年配の方など
は「今、忙しくないですか?」という前置きをされてから問い合わせをされること
も少なくありません。
中でも私が一番驚いたのは、お昼の時間帯に電話でのお問い合わせを受けたときに、「もうお昼ご飯は食べましたか?」と聞かれ、なんでそんなことを聞かれるの
だろうと思いながら「まだですが・・・。」と答えると、「じゃ、折り返しの電
話はご飯食べてからでいいからね。」と。。。
その一言は今でも忘れられない衝撃的な一言です。
もう、「のんき」とか「のんびり」という言葉を超越したものを感じました。

今まで沖縄に遊びに来ていたときには、体も頭も完全にオフの状態だったので
このゆるい感じが心地よかったのですが
いざ暮して働くとなると、オンの状態をこのうちなータイムに合わせるのには時間がかかりました・・・。
でも「郷に入っては郷に従え」という言葉があるように、時間の流れに徐々に自分を合わせられる時が自然にやって来たように思います。

あと(これはもしかしたら私だけなのかもしれないのですが)私はこの名前と顔に少し苦しめられました・・・。
役所に行っても、銀行で口座を開くときも、病院に行っても、タクシーに乗って
も、事あるごとに「沖縄の人じゃないですよね?」という前置きをされることが
とっても多かったからです。

もちろん、ちょっと移住をしたからと言って沖縄の人になれることは一生無いとは
わかっているのですが、この名字とこの顔は隠しようのない島ないちゃー(移住
者)の証なのです。
悪気があってしているとは思わないのですが、「沖縄の人ではないという確認」を、どこかへ行くたびにこんなにも言われるのは沖縄ならではではないのかなぁと思いました。
内地(本土)では、というか広島では、県外から広島に来ている人のことをそんなことを気にすることなんてなかったので・・・。
知念さんとか比嘉さん(沖縄でのメジャーな名字)が羨ましく思いました(笑)
あくまでも、これは私個人の感想なのでそんなこと思ったことない人も沢山いらっしゃると思います。



次回も沖縄で感じた文化の違いについて書かせて頂こうと思います。




text: 朝尾未希



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南の島に誘われて vol.3 朝尾未希

2009年11月18日 | 水曜(2009年11~12月):朝尾未希さん
こんにちわ。
今回は7年越しで現実となった沖縄への移住の話を書かせて頂こうと思います。

初めて沖縄に行ってからというもの、ライブやイベントに合わせてだけではなく、
何をするわけでもなく沖縄へと足を運ぶようになったのですが、時には現地集合、
時には一人で、時には私の沖縄話に興味を持った友達と一緒に・・・と、それから
の7年間で沖縄は私にとって欠かせない場所になったのです。
なぜそうなったのか、それに関してはどう説明したら良いのかよくわかりませ
ん・・・。
一度、人生最大と言っていいほどの闇に落ちてしまい、体調も悪くしてしまった時
に、どうしても一人になりたくて誰にも何も告げずに沖縄に来たことがありまし
た。
往復の航空券だけを買って、ホテルもレンタカーの予約もせず、気付いたら那覇空
港のベンチに一人座っていました。
そこに置いてあったパンフレットで車と宿の予約をして、当てもなくただずっとふ
らふらとしていました。
夕焼けを見たり、海を見たり、ただそれだけでした。
その時泊まった民宿がまたとてもいい出会いでした。
到着して荷物を置いて出かけようとすると、そこのおじさんに「今日は何時に帰っ
てくるの?」と聞かれ、「まだわからないんですけど、門限とかありますか?」と
聞いたら「それはないんだけど、8時から夕ごはんだからさ。夕ごはんタダだから
時間があったら帰っておいで。」って・・・。
宿代だけでも安いのに、ごはんまで付くなんて!!(笑)
しかも、おじさんが作ってくれるらしく「今日は魚煮るよー。」と言ってました。
その日は遠出をしすぎて夕ごはんに間に合わなかったのですが、帰ると1階の応接
間のような所で近所の方々が集まって宴会をしていて「おかえりー。ほら一緒に飲
もうよ。」と、結局朝まで泡盛祭りでした・・・。もちろん初対面です。
私が悩んでいるとか落ち込んでいるとか、そんなことを知っているわけでもないの
に励まされている気がしました。
沖縄の人というのは私にとってものすごく不思議で、興味をそそったのです。

それから益々「いつかは沖縄に住んでみたい。」と常々思うようになったのです
が、私にとって「沖縄へ行く」という行為はとても特別な行事だったので、「行
く」という行いを失いたくないという気持ちと、移住をするきっかけの無いまま7
年が過ぎました。

そんな中、私は元々地元広島のタワーレコードで働いていたのですが、もしも広島店を辞めるならばその時は
沖縄へ行こうと考えていました。
もちろん、那覇店で働けるならばそれ以上のことはないと思っていたのですが、そ
んなに上手くはいかないだろうとも思っていました。
そんな時、辞めたいというより、辞めるなら今しかない!という自分的なタイミン
グが訪れました。
それから那覇店の求人が出たらすぐに応募しようと、その時を待ちました。
半年ほど経ったとき、那覇店の求人が出ていて、私はすぐに応募しました。
店長にはすでに私のことは知られていて、(広島から那覇店に行きたいどうしても
行きたいやつがいるということを・・・)そこからも紆余曲折あったのですが、無
事面接をしてもらえることに・・・。
広島店で働いていた時に、初代那覇店の店長をされていた方とお仕事をさせて頂く
機会があって、その時にもいつかは沖縄に住みたいということ、できたら那覇店で
働きたいということを話していて、その人からの後押しや、広島の上司からの後押
しもあって、那覇店で採用して頂けることになったのです。
それだけでも十分なのに、偶然にもインディーズバイヤーのポストも空いていて、
願ってもいない那覇店のインディーズ担当に抜擢して頂きました。
沖縄に住めて、沖縄の音楽の近くにいられる。
これ以上ないほどの最高の形で移住が実現となり、本当にいろんな人との縁に改め
て感謝しています。
そこからバタバタと家を決め1ヵ月後には移住する形となりました。
その不動産巡りもかなり衝撃的だったので、今度は移住実践編を書かせてもらいた
いと思います。



text: 朝尾未希



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南の島に誘われて vol.2 朝尾未希

2009年11月11日 | 水曜(2009年11~12月):朝尾未希さん
こんにちは。
今回は私と沖縄をつないでくれた音楽について書かせていただこうかと思います。

今を去ること10年前
地元の深夜のローカル音楽番組でやっていた某CDショップのインディーズチャート。
その番組内でランキング圏外だけどスタッフのイチオシとして紹介されたのが
MONGOL800の1stアルバムだったのです。
その時は、ジャケットの映像と曲がほんの5~6秒流れただけだったのですが
次の日に私はもうCDを買いに走っていました。
ジャケ買いというかイントロ買いというか・・・
でも、その一瞬が今の私の職と移住の原点になったのです。

それまでにもインディーズというカテゴリーの音楽を聴くことはあったの
ですが、これほどまでに衝撃を受けたものには出会ったことがなくって
まだ当時情報がほとんどなかったモンパチについていろいろ調べていくうちに
彼らの地元である沖縄に辿りついたのです。

私が初めてモンパチと出会ってから、彼らが広島に来るまでに2年程あったのですが
それまで我慢できるわけもなく、方々に足を運ぶなかで、
そこでさらにいろんな音楽に出会うこととなり
インディーズという分野に開眼し、今の職に至ることにもなったのです。


さらに運命的な出会いが重なり、なんと、そのモンパチの1stアルバムのジャケットをデザインされた人と知り合う機会をGET!!
尚且つ、その人が仲間と沖縄でいろんなイベントを企画しているという話を聞き、
私の沖縄への興味は一気に高まったのです。

それが、JACKEROO'Sという沖縄を中心にイベンターとして活動している人たちとの出会いでした。
前回書かせていただいた「どうしても行きたかった沖縄でのイベント」というが彼らのイベントです。
場所は読谷村にあるログハウスの敷地内での野外のイベント。

沖縄のバンドだけではなく大阪のバンドなども出演していたのですが
ステージもタイムテーブルもない
地面に置かれたアンプとその向い側にあるターンテーブルだけという
とてつもなくゆる~~~くステキなイベントでした!
もちろん、朝まで飲み続けるという打ち上げ付きで(笑)
その時はモンパチは出演していなかったのですが、もう今では伝説となったであろうモンパチメンバーによる覆面バンドも出演していました!
歌の途中でキャベツの千切りをしたり・・・今では考えられませんよね(笑)

この時感じた独特のゆるさというか、なんくるないさー精神みたいなものがさらに私に衝撃を与え
こういう土地だから、ああいうモンパチの曲は生まれたんだなぁと妙に納得できたのです。
そこから、SKAYMATESや耳切坊主やNEW TOWNERなど(他にもいっぱいありすぎて以下省略・・・)JACKEROO'Sを通じていろんな沖縄のバンドを知っていき
いろんなライブやイベントを見る為に沖縄に通うようになったのです。

そこから7年間通い続けてなぜ移住に至ったのか次回書かせて頂こうと思います。


JACKEROO'Sホームページ http://jkrs.jp/




text: 朝尾未希



              ★沖縄観光の旅行雑誌を作る会社が素顔の沖縄を紹介するサイト


南の島に誘われて vol.1 朝尾未希

2009年11月04日 | 水曜(2009年11~12月):朝尾未希さん
こんにちは。
はじめまして。
タワーレコード那覇店で邦楽インディーズを担当させて頂いております朝尾と申します。
この度、ご縁があって移住コラムを書かせていただくことになり、かなり恐縮なのですが・・・
沖縄移住1年生の私が
なぜ沖縄に移住してきたのか?
移住するのは大変か?
実際、移住してみてどうだったか?
などなど、リアルによく聞かれるあれこれを2ヵ月間書かせて頂きたいと思います。


私は広島出身なのですが、
初めて沖縄に上陸したのは8年前。
最初は沖縄という土地よりも、沖縄音楽への興味が
私を沖縄へと連れて来てくれました。

元々音楽が大好きで、いろんなライブやイベントに足を運んではいたのですが
そのうち、沖縄でのライブイベントに興味シンシンに。
でも、自分のまわりには共通の音楽の趣味を持っている人がおらず、
今のようにmixiなどもまだない時代。
しかも、当時まだ19歳で学生だった私は、一人で飛行機に乗ったこともなかったので
一人で「どうしよう、どうしよう...今回はあきらめるしかないか...」
と断念モード。

でも、どうしても沖縄のイベンターさんが主催する小さな野外イベントに行きたいと
思っていたその時に、インターネットを通じて知り合った音楽仲間が
「とりあえず飛行機だけ乗れたらあとは大丈夫だからおいで!」と誘ってくれて
初めて一人沖縄へと飛びました。

今考えると本当に無謀だったと思います・・・(笑)。
現地集合&現地解散なんです。
でも、この時の多くの人との出会いがなかったら
間違いなく沖縄に住みたいと思うことはなかったと思います。
沖縄の人はもちろん、いろんな県からいろんな人が集まっていて
その中には後に私よりもずっと早くに沖縄に移住した人も何人かいました。

そこで初めて感じた生の沖縄のバンドの音や雰囲気
空気、緑、人、海、空
その全てがその時の4日間で私の人生を変えた・・・と言ったら大袈裟かもしれませんが
なんとも説明しがたい衝動にかられ
帰りの那覇空港ではなぜか涙が止まらなくて
次はいつ来れるかわからないけど
死ぬまでにいつかは絶対沖縄に住みたいと思ったのです。

沖縄にハマっているという人の多くは、私のように思われたかもしれません。
私もまだこの時には漠然としたものしかなくて
いつ、どのようにして移住したいかとまでは考えていませんでした。

しかしそれから7年間、いろんなライブやイベントに合わせて沖縄に通うようになりました。
そうなんです。
「死ぬまでに移住したい」から7年かかって、ようやく昨年移住できたのです。
「死ぬまでに」という目標は達成できました(笑)。
この時にはまだ考えもしない形での移住となったのです・・・。

私にとって沖縄と音楽は、最初は常にセットになっていたのですが
(今でも切っても切り離せないではあるのですが)
今では音楽以外でも、だんだん沖縄という土地自体への興味関心が深まるようになっていきました。
そんなきっかけや出来事などなど
まだ沖縄に住む前の、沖縄へ通っていた時のことを
また次回も書かせて頂きたいと思います。