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The Okinawan spirits ~泡盛百花~vol.4 稲垣千明

2009年07月22日 | 水曜(2009年7~8月):稲垣千明さん
現在、沖縄県内には47の泡盛メーカーがあります。
面積2265平方km、人口約130万人の島県には、多い軒数のように思われるでしょうか? 
いえいえ、もっと驚く数字があります。今から116年前の明治26(1893)年当時、
沖縄県内の泡盛メーカーは、なんと、その10倍近い447軒を数えたというのですから、
びっくりしますよね!

  
昔の酒造所を彷彿とさせる風景



 二回目のブログで、琉球王府が泡盛造りを取り締まっていたことを
ご紹介しましたが、
琉球処分で琉球王国が失われると、それまでの取り締まりの仕組みも
無くなりました。
そして明治12(1879)年に琉球藩から沖縄県となると、免許料を払えば
誰でも酒造が許されるようになりました。
その免許料も、それほど高額ではなかったことから、またたく間に
酒造所の数が増えたということだったようです。

 それにしても447軒は、あまりにも多い?! ご心配なく! 
そのほとんどが家内工業であったり、副業的な規模での酒造で、
一軒あたりの製造量は、わずかだったといいます。

 地方や離島で、かつての泡盛の流通や製造に関して、お話をうかがうと、
そういった酒造のスタイルに通じる内容を多く聞くことができますし、
現存する酒造所にも、そのイメージが重ねられることが少なからずあります。



与那国島の祖納(そない)集落と久部良(くぶら)集落


 与那国島には、現在でも3軒の酒造所がありますが、かつては、この軒数を
上回る酒造所があったそうです。
 西表島には、現在、酒造所は一軒もありませんが、私が現地でうかがったかぎり、
2ヵ所で酒造が行われていたようです。
 与那国島は現在、人口およそ1700人、西表島は2300人。
どちらも、現在の人口からすると、一軒あたりの酒造量が多くないとしても、
それでも、まだ、その酒造所の数は多いと感じるかもしれませんね。
でも、これらの酒造所が大いに稼働した時代もあったのです。

 
かつて酒造を行っていたという西表島の星立集落


 与那国島はかつて鰹漁や鰹の加工業、貿易などで栄えた時代があり、
当時の人口は4万人にものぼったといいます。映画館や銭湯、飲食店も
たくさんあったそうで、お酒の消費のほども想像できます。
西表島にも、かつて炭鉱労働者があふれた歴史がありました。造った泡盛を、
炭鉱まで売りに行っていたというお話も、うかがっています。


与那国島では、今でも鰹漁がさかんです

 
西表島の炭鉱跡。今はジャングル状態です。
 
 

泡盛や酒造所の歴史を追うとき、そこからさらに見えてくる地域の歴史が
あります。泡盛は雄弁な歴史の証人でもあるのです。





text:稲垣千明





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