沖縄Daily Voice

沖縄在住の元気人が発信する

歌をたずねて、あまハイ くまハイ vol.9 しゃかりチアキ

2009年08月31日 | 月曜(2006年7~8月):チアキさん
☆最終回 「命を喜ばせる、故郷の歌」☆

 
 沖縄には、命を喜ばせる歌がある。
それを教えてくれたのは、私の最愛のひと「祖母」でした。

 私が幼少の頃、両親が離婚。
生活にあまり余裕のある家庭ではなかったので、
母は私達家族を支える為に、本土へと出稼ぎへ。
その日から私は、祖母とのふたり暮らしが始まりました。

 祖母は目が全く見えませんでした。
ですが、料理に掃除洗濯、針に糸を通せば縫い物までできる、
超ウルトラスーパーば~ちゃんでした。
なので私は、一度も不便を感じたことがありません。
それどころか、全てパーフェクトに近い家事をしてくれていたので、
私は大人になっても、料理ができなかった程です。
でもそれは今考えてみると、幼い私にもしも何かあったとしても、
すぐに助けられない祖母の「守り」だったのかも知れません。
なので私は外で遊ぶより、家の中で祖母と一緒に過ごす日々が続きまし
た。

祖母は音楽が、特に歌が大好きなひとでした。
なんと、ギターも三線も弾けたのですよ♪
私達は、毎日歌をうたって遊んでいました。
そこが私の「歌」の原点となります。
そして祖母は私の歌をテープに録音し、「これは三歳、これは四歳」な
どと言いながら、
何度も繰り返しては聞き、笑い、それは私が大人になってからも続いて
おりました。
きっとそれが祖母に見える、私のアルバムだったのでしょう。

そしてある日、私が歌手を志すきっかけとなる、大きな出来事が訪れま
す。

私が中学へ上がる頃、生活も大分落ち着き、母が帰沖します。
その時母が私の歌を聞き、「もしかしたらこの子は歌が上手かも?」と
(笑)、
あるカラオケ大会へ応募します。
ですが私は、当時はもの凄く内気で、もうイヤでイヤで仕方がありませ
んでした。
でもまぁ、家族が喜んでくれるのならと渋々出場。

するとなんと! 優勝しちゃったじゃぁ~あ~りませんか!! もう
びっくり!!
それはそれは、家族、親戚、近所までもが大喜び。

優勝も、もちろん大変喜んで下さいましたが、でもそれ以上に喜んでい
たと思われるのが
副賞の『掃除機』(笑)
我が家に新品の掃除機がやって来たと、とても褒められました。

その時決めたんです。
「歌手になって、私も家族のチカラになりたい」と。

そしてそこから約六年間、大変だったでしょうに、
祖母は私を音楽学校へ通わせてくれました。

 そして月日は流れ、アマチュア時代、プロ活動初のDIAMANTES
を経て、
しゃかりを結成。
ようやく家族に、少しずつ恩返しができるかと思っていた矢先でした。

辛い出来事が訪れます。
それは、最愛の祖母が末期ガンに襲われたという知らせ。余命一ヶ月。

私は、言葉に表せない大きなショックと恐怖と悲しみで、
毎日毎日、泣いて過ごしました。

ガンは悲しい病気です。
日に日に、祖母の身体を壊していきます。

でも、泣いてばかりではイケナイ。
今、私ができること。それはやっぱり歌うこと。

そして夏のある日、祖母の入院する病院で、しゃかりのミニライブをさ
せて頂けることになりました。
先生、看護婦さん達が手作りで迎えてくれた、可愛いくて優しいステー
ジです。
観客は、患者のみなさんとご家族。そして、私の祖母。

実はもうその頃、祖母は起き上がることも話すことも困難で、観覧も危
ぶまれていましたが、
でもその日は、なんと、車椅子で観に来てくれたのです。

私はこぼれそうになる涙をこらえながら、祖母が教えてくれた民謡を、
闘病されている皆さんの、少しでも元気に繋がればと懸命に歌いました。

そしてライブも終盤になり、結びの唐船ドーイを歌い始めたその瞬間で
す。

リーダーが私に合図をします。

「チアキ、見て!  ば~ちゃんを見て!!」

私は一瞬、自分の眼を疑いました。 ありえない光景だったからです。

なんとウチのばーちゃん、みんなに交ざってカチャーシーを踊っている
ではありませんか!!


「音楽の奇跡だね」と、リーダーが笑います。
でももう、私は涙をこらえることができません。
何度も何度も拭いながら、歌い続けました。

そして、心から感謝をしました。
歌を教えてくれた祖母に、支えてくれた全てに、

そして、奇跡を与えてくれた故郷の歌に。。。


 沖縄のみならず、生まれ育ったその土地の歌・芸能・文化は、
世界中どこへ行っても言葉を越え、共鳴し、
時には誰かの命を喜ばせる、奇跡の産物だと私は思います。
そして、みなさんの心の中に残る子守唄も、家庭から生まれた愛の歌で
す。
だから、カタチは少しづつ変化していっても、決して絶やしてはいけな
いもの。

私の旅は、まだ始まったばかり。
これからも、もっともっと多くを学び、誰かのチカラになれるよう、
大好きな沖縄の歌を繋げられるよう、歩んで行きたいです。



最後まで読んで下さり、ありがとうございました。
そして、つたない文章を毎週読んで下さったみなさまに、
そしてそして、沖縄の風スタッフのみなさまに、心から感謝を申し上げ
ます。
本当にありがとうございました。



text:しゃかりちあき



しゃかりオフィシャルサイト(言葉のかわりに心の歌を)
http://www.syakari.jp/


動画『結まーる』


新曲『結まーる』
2009年5月14日~
着うたサイト『沖縄ちゅらサウンズ』にて独占先行配信!!!
http://www.cyura.com/pc/






              ★沖縄観光の旅行雑誌を作る会社が素顔の沖縄を紹介するサイト

歌をたずねて、あまハイ くまハイ vol.8 しゃかりチアキ

2009年08月24日 | 月曜(2006年7~8月):チアキさん
☆第八回目の旅 「みんな大好き!沖縄そば」☆

 ハイタイ!
今日拝なびら。しゃかりのチアキやぃび~ん。
それでは今週も、ゆたしくうにげ~さびら♪

 さてさて突然ですが、
皆さんは沖縄そば好きですか?
私はですね。。。。。超~~~大好きです!!
しゃかりのファンクラブ会報で、「ウチナーすば紀行」というコーナー
もある程、
ほんとにそばが大好きなんです。

と言うことで。。。
今回は誠に勝手ながら、私の大好き沖縄そば、ベスト3をご紹介
させて下さい!
そして個人的な感想も書きましたが、
ぜひご参考までに☆

 それでは、ベスト3に行く前に、
沖縄そばの歴史をおさらいしてみましょう。


 沖縄そばは、沖縄料理の一つで、沖縄県の伝統的な麺で作られます。
「すば」、あるいは「うちなーすば」とも呼びます。
ですが「そば」とは言っても、そば粉を使わない小麦粉100%の
麺なので、
本土復帰後「そば」と呼ぶことを禁止されていました。
ですが「沖縄そば」として親しまれ、愛されてきた呼称をなんとか存続
させようと、
数年間に渡って運動を続けた結果、昭和53年10月17日に公正取引
協議会から正式に
「沖縄そば」の呼称認定を受け、全国麺類名産・特産品にも指定されま
した。
そしてこの10月17日を「沖縄そばの日」と設定し、
益々県民に愛される伝統料理のひとつとなりました。

 

 それでは、私のお気に入りのそば屋さん
ベスト3をご紹介させて下さい。

まず私のお気に入りウチナーすば、第三位は!

じゃらじゃららららら。。。(←効果音です:笑)

『しまぶく』
住所:沖縄市南桃原1-6-2
電話:098-932-0445
営業:11:00~17:00(売切れ次第終了)
定休:月曜




 しまぶくそばは、中部出身なら知らない人はいないと言っても過言で
はないほど、
超~有名な老舗のそば屋さんです。
もちろん、沖縄全域から見ても、有名店のひとつだと思います。
なんと創業60年以上で、現在は四代目だそうですよ。

ここのお出汁はカツオ出汁。
あっさりながらもコクがあり、出された時のあのカツオの香りはなんと
も言えないほど、
とても良い香りです。
麺は少し太めで、具は三枚肉と赤肉(ロース)とネギとかまぼこ。



そしてしまぶくそばのメニューは、そば中・大と、いなり、ジュー
シー、飯しかないというところからも、そばへのこだわりが伺えますね。
ちなみに昔、初代しまぶくそばが、沖縄市山里の映画館の側にあった頃、
店主のおばぁーにまつわる面白い話がたくさん残っております。

特に有名なのが、女性客が訪れたら追い返したということ。
その理由が、
「イナグーやら、ヤーでチュクレー!!」
(女なら、家で作りなさい!!)なんだって(笑)あはははは☆

そしてもうひとつ、
客「おばぁー、そば大ひとつね~!」

おばぁー『こっちはそばしかないのに、大か中だけで言いなさい!!』

おばぁー、確かにそうですね(笑)

その頃は私はまだほんとに小さかったので、その時代にぜひ行ってみた
かったなぁ~。

さて勝手に評価の第三位の理由と致しましては、
きっとカツオのその日の状態だと思うんですけど、
たまーにお出汁が、カツオ特有の酸っぱさが強い時があることと、
あと好みとしては、麺があと1割くらい少なめで、
汁をもっと多めに飲みたいな~というところかな。
ジューシーは売れ切れることが多いので、早めの来店をお薦め致します。

 次に、第二位は!

じゃらじゃららららら。。。。

『玉家ーたまやー』
住所:沖縄県南城市大里字稲嶺57
TEL:098-946-8885
営業時間:11時半~16時(売切れ次第終了)
定休日:月曜
駐車場:20台


(写真は、玉家HP http://www.tamaya-soba.jp/ からお借り致し
ました)

玉家はですね、元メンバーのマサルさんから
「めちゃめちゃ美味しいから」と教えてもらったそば屋さんで、
地元の方からすごい支持を得ている人気店です。
そして食べてみると。。。
本当にめちゃめちゃウマい!

まずお出汁。
豚とカツオ両方を組み合わせたさっぱりなんだけど、でも深い旨味のあ
るお味でした。
そして麺もウマい!しっとりツヤツヤで、のど越しも良かったです。

んで、私はフーチバー(よもぎ)も大好きなので、フーチバーが食べ放
題なところも
ポイントが上がったひとつですね。
久しぶりに「美味しいなぁー」と思ったお店に出会えて嬉しかったです。



私は、南部ではナンバー1だと思っておりますよ~☆ ぜひ一
度、お試し下さいね♪

 
 そして!
栄えある第一位は!!

じゃらじゃららららら。。。。。

『浜屋』
住所:沖縄県中頭郡北谷町字宮城2-99
電話:098-936-5929
営業時間:10:00~21:30(L.O.21:00) 
定休日:なし


 
もうですね。。。
私の中では言う事なしなんです。
まず、一番感動するところは、お醤油を一切使用しない、
こだわりの塩味スープが子供の頃から味が全く変わらない。
いつ訪れても味が一緒。

これは当たり前のようで、でもとても難しいことだと思うんですよね。
例えばその時の材料の具合とかでね。
でも、浜屋は不動。いっつも美味しい。

麺は平たいちぢれ麺で、これがスープとの相性抜群なんです。
そしてなんと言っても人気の秘訣は、
あの豚軟骨ソーキの柔らかさでしょう。
本当にめちゃんこ柔らかい!



また浜屋はですね、他のメニューも全部美味しいんですよ。
ゆしどうふそばも絶品です。
豚軟骨ソーキ、そして三枚肉両方を食べたい方には、
その両方がのっている「沖縄そば」がお薦めです♪
あぁー、こうやって書いていると、また食べたくなってきました(笑)
ちなみに余談ですが、店主は明るくてとてもファンキーな方ですよ☆


 と言うことで今回は、
あらあら、歌をたずねて あまハイ!くまハイ!
ならぬ、「そばをたずねて。。。」になってしまいました(笑)

これからも、どんどん食べに行きたいと思います。
ぜひ皆さんのお薦めも知りたいさ~☆


目指せ!全店舗食制覇!?



text:しゃかりちあき



しゃかりオフィシャルサイト(言葉のかわりに心の歌を)
http://www.syakari.jp/


動画『結まーる』


新曲『結まーる』
2009年5月14日~
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歌をたずねて、あまハイ くまハイ vol.7 しゃかりチアキ

2009年08月17日 | 月曜(2006年7~8月):チアキさん
 ハイタイ!
今日拝なびら。しゃかりのチアキやぃび~ん。
それでは、今週もユタシクウニゲーさびら!


☆第七回目の旅 「美しい心を育てる、沖縄のお盆」☆

 さて今回は、沖縄のお盆についてお話したいと思います。
本土のほうでは先週でしたね。今年は4連休だったそうで、
帰省やご旅行等、さぞかし大賑わいだった事でしょう。

沖縄では旧暦の7月13日から15日(場所によっては
16日)まで行われるので、
今年は9月1日から3日までが、沖縄のお盆となりま
す。

ちなみに沖縄では、本土のように特に休日は設けられておりませんが、
でもその期間中はどこもかしこもお祭りのような騒ぎですので(笑)
ある意味休日のような感覚ですね。
特に子供時代は、明日学校があっても何故かお盆の時は夜遊びが
OKだったので(笑)、
とても楽しいイベントとして体に溶け込んでおります。

そして私も大人になり、祖父と祖母が他界したので、
今は毎年旧盆行事をがんばっていますよ~♪


それではチアキ家編、旧盆の様子をお伝えしたいと思います。

 
 さて、まず13日は「ウンケー」と言って、祖霊をお迎えする日
です。

我が家では夕方にお迎えするので、それまでに
ウンケージュウシー(炊き込みご飯)、ソーミン汁(おそうめんのすま
し汁)、
千切りイリチャー(大根千切りの炒め物)、スヌイ(モズクの酢の物)
と、
ウンケー白玉団子を準備致します。
その中でも毎年特に気合いが入るのは「ウンケージューシー」。
最近ではジューシーミックスと言って手軽に出来るレトルトパックもあ
りますが(これがかなり美味しいの!)、でも時間がある時には、やは
り自分で作りたいものですね。
なので出来る限り挑戦していますよ。



そして夕刻になると、玄関の門両脇にロウソクを立て、「ウムカエサビ
ラ」お迎え致しますと言って、おじぃちゃん、おばぁちゃんをお迎え致
します。



その時に門の側に立てておくのが、この「ソーローメーシ」。



ご先祖さまは歩いて来られるので、お家の中に入るときに、これで足の
汚れを落とすそうです。どこまでも優しい文化に胸が熱くなりますね。
ちなみにお茶碗の中には、水が入ってますよん。
そして枝は、ご先祖様のお箸として使います。



お迎えしましたら、料理をお仏壇にお供えし、
家族全員で「お帰りなさい!」
さぁここから3日間、ご先祖様も揃い楽しいお盆が始まります。


 

 次に14日は「ナカヌヒー(中日)」といい、三度の
食事をお仏壇にお供えして、
お線香を焚きます。

一般では、その各家庭でとるお食事を頂く前に、お仏壇にお供えする事
が多いですね。
ちなみに我が家では、生前祖父母が大好きだったお食事を用意します。
それはなんと「スパゲッティ」!喜んでもらえてたら嬉しいなぁ☆
またその日は、お盆的に落ち着いている日ですので、親戚の家をまわる
事が多いですね。

 
 そしてラストは最大のイベント、15日の「ウークイ」。ご先祖
さま達をお送りする日です。

この日は腕によりをかけてクワッチー(ごちそう)をお供え致します。
盛りつけ方法は色々で、重箱や大皿に三枚肉やごぼう、昆布、かまぼ
こ、天ぷら等、
奇数の品を盛ります。
また我が家では毎年「ソーキ汁」(豚のあばら肉汁)も作るんですよ~☆
また沖縄では、昆布をこのようにねじり結びます。



そして夜が更けるまで、家族みんなで美味しいクワッチーを頂きながら、
またチアキ家では三線や太鼓を打ち鳴らして歌いまくるのですよ(笑)
ちなみに太鼓を叩いているのはウチの母です。
じぃちゃん、ばぁちゃんも一緒に歌ってくれているかな?

そして最後は、また玄関でお見送りです。

まず「ウチカビ」と言って、これは後生で使われるとされるあの世のお
金で、
このウチカビを焚きます。本当はお仏壇の前でやるそうなんですが、
我が家は狭く煙が大変なので、外でやっておりますよ。
今のご時世、向こうの世界でも物価が高いのかな?今年は多めに持たそ
うかな?
なんて、ちょっと心配しながら焚いています(笑)

そして全てが燃え尽きたら、その残り灰とともに、
ウコーロ(香炉)からのお線香、お花、クワッチー
(ご馳走)、等を少しずつ容器に入れて、
供えていたお酒やお茶で消します。それはお土産になるんですよ!

そしてウートートー(お祈り)しながらご先祖さまをお送り
して、
お仏壇の扉を閉めて終了。

これが、我が家のお盆です。





時代とともに、形式は少しずつ変化しているところもあり、
また時間の関係で省略する部分もありますが、でも私が一番感じてるの
は、
心からみんなでご先祖さまをお迎えする気持ちいっぱいで溢れている、
この行事が大切なんだということ。

特に大好きだった祖母を亡くした初めのお盆の時には、
「あぁ、帰って来てくれているのね。寂しくないね。」と、
本当に癒されたものでした。

だから勿論今年も、そして来年も次の年も、
心を込めておもてなししたいです。

そして、
家庭から学び、美しい心を育てるこの素晴らしい文化が後世までも残る
ように、
私達も大切に繋いでいきたいものです。



text:しゃかりちあき



しゃかりオフィシャルサイト(言葉のかわりに心の歌を)
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動画『結まーる』


新曲『結まーる』
2009年5月14日~
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歌をたずねて、あまハイ くまハイ vol.6 しゃかりチアキ

2009年08月10日 | 月曜(2006年7~8月):チアキさん
☆第六回目の旅 「伝説の唄者~北谷真牛 その2~」☆

 ひと声歌い出すと、飛ぶ鳥も羽を休めて聴き惚れたほどの
絶世の美声の持ち主『北谷真牛ーちゃたんもうしー』。
それでは彼女の軌跡を旅してみましょう。

 真牛は、14世紀後半頃生誕したとされ、北谷城主の姫君であったよ
うです。
そして真牛が13歳の頃、北谷城落城。
その際、城主の命令により乳母は真牛を連れて、山原の伊野波村(現・
本部町伊野波)へ
逃げ延びます。
そして当時豪農であった城間家に救われ生長。

その後真牛が18歳の頃、当時の北山王「攀安知ーはんあんちー」
が、支配下とする伊野波村に行幸したおりに真牛を見初め、
側室として今帰仁城の大内原に勤めることになります。

皆さん、ここでもうお分かりになられましたね!
そうなんです。だから真牛の出身地説は2説あるんです。

それではここで、真牛が城に仕えるきっかけとなった
面白いエピソードをご紹介しましょう。

 前述のように真牛が18歳の頃、今帰仁城から城主が伊野波村に
行幸する通知が届きました。それを受けた村頭、他幹部らは
非常に驚き、慌てまくります。
なぜなら、生きている神様をお迎えするに値するほどの、
大イベントだったからです。


「御主加那志御前を迎えるについて如何にすべきか」と悩み、
村中も勿論大騒ぎとなります。

そして最大のピンチの理由は、
伊野波の村人はほとんどが百姓で、当時最高級のおもてなしであった三
線・太鼓を打ち鳴らし、踊ってお目にかける術を
全く知りません。

すると、話を聞きつけた真牛は、北谷屋の主人に志願します。
それは、真牛が村の青年男女に唄と踊りを仕込むということです。
これを聞いた北谷屋の主人は笑い出し
「お前のような小娘に何が出来るというのか」と全く相手にしてくれま
せん。
ところが気の強い真牛は、今まで隠し持っていた美しい衣装を身に纏
い、三線の音にのせて唄い、艶やかに踊って見せました!
あまりの素晴らしさに主人は驚き、早速村頭以下幹部に紹介し、同意を
得て、踊りについては真牛に一任。

こうしてめでたく、行幸歓待の儀は大成功。
なんというシビレるお話でしょう♪真牛さん、最高です!

ちなみに真牛が教えた踊りは、今でも北部に伝わる伝統行事
「シニグ」だと言われておりますよ。

このように歌を知り、礼儀作法も充分に心得ていた真牛は、
やはり一城の姫君に相応しい人物であったそうです。
 
 そして月日は流れ、
西暦1416年、今帰仁城(ここでも)落城。。。と共に、
真牛は再び伊野波村の城間家へ戻り、その波瀾に富んだ生涯の
幕を閉じました。
文献には「同家で可愛がられて暮らし」とあったので、
晩年はきっと、穏やかな日々だったのでしょう。

という事で、これが、北谷真牛に纏わる伝説です。
 
 数百年の時を経て、今も尚語り継がれる歌姫は、
その時何を想い、何を祈り唄っていたのでしょうか。
私はこう、想像したいです。
きっとこの島の、そしてこの世全ての果報を願っていたんだと。。。
あぁー、もしタイムマシンがあったら、聴く者すべての心を掴んで放さ
なかったその唄声を、私もこの耳で一度は聴いてみたいなぁ~!
歌を生業にしている(しかも北谷で・笑)私にとっては、
本当に永遠の憧れの唄者です。

その心の師、北谷真牛に敬意を表して、なんと私達しゃかりも
「北谷もうし」という歌を作っちゃいました(笑)
三連調の、明るく元気な感じの仕上がりになりましたよ。

その曲は、しゃかり4thアルバム「コドウ」
http:// www.amazon.co.jp/



または、ベストアルバム「僕という名の地図」
http:// www.amazon.co.jp/



の中に収められておりますので、ぜひ聴いてみて下さいね♪
http://syakari.jp/disco.html



 
 さて最後になりましたが、
私が尊敬する真牛さんも、チルーさんも、ナビーさんも、
調べた上では生没の時が重なり合っていません。
だからチアキは「北谷もうし」の曲の中で、
三人を仲良しこよしにさせてしまいました。時空を越えて。
想像するだけで、幸せです。



text:しゃかりちあき



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動画『結まーる』


新曲『結まーる』
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歌をたずねて、あまハイ くまハイ vol.5 しゃかりチアキ

2009年08月03日 | 月曜(2006年7~8月):チアキさん
☆第五回目の旅 「伝説の唄者~北谷真牛~」☆

 私には尊敬する、琉球三大女流歌人がおります。
ひとりは「吉屋チルー ~ゆしやちるー~」、
ふたりめは「恩納ナビー~うんななびー~」、
そして中でも最も尊敬しているのが、
「北谷真牛~ちゃたんもうし」。

古典を勉強されている方でしたら、恩納ナビーの「恩納節」は
とても有名な曲ですので、歌われたこともあるかも知れませんね。
ですが「北谷真牛」は生没年禾詳で、チルーさんとナビーさんに比べると
ほとんど記録がなく、伝説的なかたでした。
 
 チルーとナビーは、『詠む』歌人でしたが、
真牛は『絶世の美声の持ち主』の唄者だったようです。
同じ歌を歌う者としては、めちゃめちゃ魅力的ですよね。
それでは、どのくらいの美声をお持ちだったのでしょうか。。。

『北谷真牛金が、歌声打ち出せば、中辺飛ぶ鳥も、淀で聞きよさ』

~北谷真牛が歌を唄いだすと、空を飛んでいる鳥もその美声に聴き惚れ
て、
しばらく羽を休めて唄を聴いていた~  

これが古典音楽の『百名節~ひゃくなぶし~』です。
この歌は「琉歌百控~一七九五年~」という王府時代の琉歌集に記され
ていました。

琉球古典音楽を愛し、今も日々勉学&稽古にいそしむチアキですが、
光栄なことに古典舞台で2002年あたりから、この歌をずっと
独唱させて頂いております。本当に嬉しいです。

その「北谷真牛」、出身地については2説あり、
ひとつは、私と同じ北谷(ちゃたん)の出身で、
北谷城の中腹にある墓に葬られていると伝えられており、
もう一説では、
本部町伊野波(もとぶちょういのは~本島北部~)の北谷屋(屋
号)の出身で、
北山に仕えていたとの伝承もあります。

これはどの本にも同じ事が書かれており、そして私の愛読する
『わかりやすい 歌三線の世界~古典のこころ~』(ゆい出版)
にもそのように記載されておりました。

まぁどちらにしても、尊敬する唄者には変わりありませんが、
やっぱり、同じ北谷出身であって欲しいな~というのが本心だったのか
も知れません。

そうしたら皆さん!!聞いて下さい!!(笑)
ななななんと、我が北谷町の役場に「北谷真牛」の文献が残っており、
真牛の事が詳しく、た~~~くさん載っておりました。
そして、どの古典の本にも書かれていない事実がそこに!!
それはそれは私も目からウロコで、古典の師匠もとても驚き、感激して
下さいました。

それではその「北谷真牛」の知られざる軌跡を、
次週たっぷりお伝えしたいと思います。


text:しゃかりちあき



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新曲『結まーる』
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歌をたずねて、あまハイ くまハイ vol.4 しゃかりチアキ

2009年07月27日 | 月曜(2006年7~8月):チアキさん
☆第四回目の旅 「黄金言葉~クガニクトゥバ~」☆


 日本全国、特に地方に行くとその土地独特の方言がありますよね。
私達の住む沖縄でも、今でも毎日使われている方言がたくさん残ってお
ります。
それを沖縄では「ウチナーグチ~沖縄口~」と言います。

私はおばぁちゃん子でしたので、幼少の頃から比較的ウチナーグチが分
かる方でしたが、
ある日バスに乗った時、前方に座っているオバァー達の会話をぼぉーっ
と聞いていたら、
どこの国にいるのか分からないなーと思いました(笑)
なので本土の人からすると余計に、
理解できない言葉もきっとあるのでしょうね。

私の愛読する『沖縄の古典文学』という本に、面白い話が載っていまし
た。
言葉は、時とともに移り変わって行きますが、
なんと沖縄の言葉の中には、一千年あまり前の昔から今日まで、
まったく変化のない言葉や、ほんの少ししか変わっていない言葉が
たくさん残っているのです。
その例を、いくつかご紹介しますね。

まず、奈良時代の「万葉集」から、

うぐいすの ”待ちかてに” せし 梅の花

この、”待ちかてに” という意味は、
「待つに耐えかねて」という意味で、今日の日本語では
”待ちかてに” とはもう会話しません。
ですが沖縄では現在でも、
「 ”マチカンティー” したよ~ 」と言って使われております。

また他では、

古語=まじもの  ウチナーグチ=マジムン
意味=魔物

古語=よこしものいい ウチナーグチ=ユクシムニー
意味=嘘

古語=しし(獣、宍)  ウチナーグチ=シシ
意味=肉

古語=ひる(蒜) ウチナーグチ=ヒル
意味=にんにく

等々。。。他にもたくさんありますが、
ほんとにびっくり! 
今でも普通に使っている言葉がたくさんです。
大昔の人々と同じ言葉を使っているなんて、
考えるだけで嬉しいしロマンチックで素敵です。

そしてその先人達は、多くの教訓語・教訓歌、
いわゆる『黄金言葉~クガニクトゥバ』もたくさん残して下さいました。

全国でも活躍するたくさんのウチナー芸能人&アーティストが発してい
るので、
もしかすると耳にした事もあるかも知れませんね。

黄金言葉の代表的なものとして、

なんくるないさ =なんとかなるさ

いちゃりばチョーデー =行き逢えば兄弟

ぬちどぅ宝 =命こそ宝 

等々。。。
(もっと詳しくは、「沖縄の風」内、”ハイサイ!! うちなぁぐち~
比嘉光龍~”さんの方をぜひチェックして下さいね)

私達はその黄金言葉に、何度励まされ元気を頂いたことでしょう。
本当に心から感謝感謝です。

だからその黄金言葉を風化させてはいけないし、
次世代へも絶対に残していきたいと思っているアーティストも、
きっと少なくないでしょう。
しゃかりも勿論、そう強く思っております。

さて、それでは今回の「歌をたずねて、あまハイ くまハイ vol.
4」
結びと致しまして、
しゃかりも黄金言葉のひとつをテーマとした楽曲を創りましたので、
ご紹介させて下さい。

タイトルは『結まーる~ゆいまーる~』。

『結まーる』とは、支え合う、助け合うという意味で、
勿論この言葉も、今でも大事に使われている黄金言葉です。

歴史上ウチナーの先人達は、幾度と大きなケガをしてきましたが、
でもそんな時でも進む道を誤ることなく、
倒れることなく諦めることなく、笑顔絶やさぬ明るく元気で気持ち豊か
な、
そして歌をこよなく愛する心を繋いで下さりました。

その大きな支えとなった『結まーる』精神。

私達も決して、忘れてはいけない心です。

今は簡素化や流行で、言葉が目まぐるしく変化し、
中には便利さを強調するものもありますが、
でも、このような美しい言葉達は、決してないがしろにしてはいけない
ものだと、
私は強く思います。
だってそれは、人と人としかできない対話、
大切なコミュニケーションなのですから。


『結まーる』  作詞:チアキ 作曲:上地一成

   

1. そっと心を静めて 風に耳を澄ませば
  いにしえ人の残した 黄金言葉 聞こえてくる
  辛い歴史の涙も 希望の笑顔咲かせ
  永遠に続くこの地球の 幸せを願うチカラ

平和への祈りをつなぐ
輝く 魔法のことば 「結まーる」

描いた未来を信じて 心と心を 重ね合えば
   そこからきっと 奇跡が生まれる


2.  いつの時代も人々は  誰かを愛し愛され 
   与える喜びを知り  生きる意味を追いかけて

美しい明日をつくる
輝く 魔法のことば 「結まーる」

特別なことはいらない 優しい温もり 感じ合えば
    奇跡はきっと とても簡単


☆平和への祈りをつなぐ
 輝く 魔法のことば 「結まーる」

 描いた未来は消えない 僕らの想いが 続く限り
    そこからきっと 奇跡は永遠



ありがとうございますm(__)m




text:しゃかりちあき



しゃかりオフィシャルサイト(言葉のかわりに心の歌を)
http://www.syakari.jp/


動画『結まーる』


新曲『結まーる』
2009年5月14日~
着うたサイト『沖縄ちゅらサウンズ』にて独占先行配信!!!
http://www.cyura.com/pc/





              ★沖縄観光の旅行雑誌を作る会社が素顔の沖縄を紹介するサイト




歌をたずねて、あまハイ くまハイ vol.3 しゃかりチアキ

2009年07月20日 | 月曜(2006年7~8月):チアキさん
沖縄が好き、歌が好き、文化が好きというかたがきっと多く集まる
「沖縄の風」。
その上で歴史を知ることで、より一層深みが増すかと思うので、また皆
さんと今回も時間をさかのぼってみたいと思います。
私もたくさんの参考書に囲まれ、勉強できるので嬉しいさぁ~!

☆第三回目の旅 「ウチナーんちゅのDNA」☆
 
 生きる・食べられる=「幸せ」だった古代の人々は、それが叶
えられるよう、
月、星、太陽に、
そして大地に海に神に、祈りを歌で捧げて生きてきました。

その時の「古謡」は、神人(かみんちゅ)達の歌から次第に住人へと歌
い継がれ、
歴史と共に上流階層の教養人によって創造された「古典音楽」と、
庶民の心から生み出された「民謡」へと芽吹き、カタチを変え増えて行
きます。

そして皆さんもよくご存知の通り沖縄は、『琉球』というひとつの王国
を築き、
主に中国・アジアとの交易が盛んになる王朝時代へと時を進めて行きま
す。

私が知る多くの歴史書の中に書かれているのが、その王朝時代
(14世紀以降~17・18世紀頃)交易の中で、三線は
中国より、そして舞はバリ・インドネシアから伝わったとされ、
そして島では古代の祭祀歌謡をあつめた「おもろさうし」が編纂され、
それらをミックスさせた琉球独特の、オリジナリティ溢れる古典芸能が
たくさん誕生していきました。
またこの時代には、守礼の門ができるなど、琉球文化は最盛期を迎えま
す。

その交易時に大活躍したのが、そうなんです!
歌三線、そして舞。

よく考えると現代ではありえないかも知れません。
なぜなら沖縄は、音楽と芸能を交易の重要なツールとして活用し、
いわゆる芸能ができる人は「国家公務員」だったからです。
音楽家からすれば、ステキすぎるお話ではありませんか?
だって、音楽で他国との交流を深め重要な役割を果たしてきたのですか
ら。。。。
誇りに思いますね~。

ということで、なぜにウチナーんちゅがこんなにも歌がそして踊ること
が好きなのか、
分かりましたよね。
そうです。私達のDNAには、しっかり組み込まれているようです
(笑)。

ちなみに余談ですが、中国から伝わってきた当初の三線は、
今ある三線よりもう少し大きかったようですよ。
当時のウチナーんちゅはきっと、小柄だったので、
現在のようなサイズに改良されていったのでしょうね。


text:しゃかりちあき



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歌をたずねて、あまハイ くまハイ vol.2 しゃかりチアキ

2009年07月13日 | 月曜(2006年7~8月):チアキさん
ハイタイ!
今日拝なびら。しゃかりのチアキやぃび~ん。
それでは、今週もユタシクウニゲーさびら!

 今では全国どこへ行っても「ゴーヤーチャンプル~」が食べられるく
らい、
沖縄の文化は本当にたくさんの方に知ってもらえるようになりました。
特に夏が近づくと、必ずどこかのチャンネルでは沖縄の特集が組まれて
いると言っても過言ではないでしょう。
そして、沖縄を舞台にしたドラマや映画も増えましたね。
その中で、必ずや登場する歌・三線。

よく本土のファンが質問してきます。
「沖縄の人は、本当にあんな風によく歌い踊っているの?」と。
いやいやいや。あれは大袈裟ですよ。。。
と言いたいところですが、
見事に『本当なんです』(笑)
チアキ家も、日々音楽があふれていました。

なぜにウチナーんちゅは、こんなにも歌が好きなのか?
と言うことで、沖縄音楽の歴史を辿ってみましょうね。

☆第二回目の旅 「古謡ーこようー」☆

 沖縄音楽の源流は遥か11世紀以前にさかのぼり、「古謡ーこよ
うー」から始まったとされています。
古謡とは、神に祈りを捧げる唱えのようなカミウタ(神歌)で、祭祀儀
礼の際五穀豊穣や無病息災など、
理想の状態を述べてその実現をはかろうとする、願いの言葉から生まれ
たものです。

言霊思想を強く抱く先人達は、美しいことばには善い結果が、悪いこと
ばには悪い結果が表れる
霊的なチカラがあると心から信じていました。

そしてその言霊から生まれた古謡は、沖縄本島ではクェーナ、宮古では
ニーリ・アヤグ、
八重山ではアヨー・ジラバ・ユンタと呼ばれ、自由な表現方法で歌い継
がれて来ました。

 それではその古謡の中から、子孫繁栄を願うオカタベ(神に祈願する
言葉の意)の一説をご紹介しますね。
舌をかみそうですが(笑)


「命名のオカタベ」
~参照:沖縄の古典文学(沖縄文化社)より~

生まりたるボウジャーや 
チムすぐれ チブルすぐれ 
でぃきらしめしよわちへ
きもがね むねがね 
でぃきやーなち うたびみしょうり

(生まれた 赤ん坊は 心も優れて 頭も優れて
良くできるようにさせて下さい。
肝美しく 胸美しく 
良くできる人に 成長させて下さい)

生まりたるボウジャーや
ようのあるかぎり おやぼさえ こぼさえ
のちかほう まんねん くわひぼう
どうつよく みいつよく たいつよく
おたすけめしよわちへ

(生まれた 赤ん坊は この世のある限り
親は栄え 子は栄え 命の果報は万年です
食運があり 胴強く 身強く 体強くなるように
お助け下さい)

白さばね 綾さばねまで
百・九十ののち おたすけ うたびみしょうり

(白い羽を 美しい綾羽をいただくまで
百九十歳の命も栄えるよう お助け下さい)


。。。なんて美しい歌なのでしょう。。。

1000年以上の月日が経ち、言葉も文化も景色も変わっていきますが、
人々の「心」はあの時も今も変わらないんだと、時空を越えて教えてく
れています。
愛であふれた歌だからこそきっと、現代の私達にも響くんですね。。。
素晴らしいです。
私もそんな歌を歌いたいです。

調べてみると、その素晴らしい古謡を残そうと、今様々な活動が行われ、
そして昨年にはCDも発売されたそうですよ。

参照:(財)沖縄県文化振興会
http://okicul-pr.jp/mov/2008/09/post_42.html



そのCDのオビに書かれていた言葉より、

『伝えたいのは、歌じゃない。魂だ。』


歌を、音楽を愛する心は、何にも優る魔法だと私は思っております。
時代と共に色々進化しつつも、でもその心を忘れず、
明るく健康で愉快に歌い踊り続けるウチナーんちゅでありたい、と、
あらためて深く思いました。

 それでは次回も、そんな陽気なウチナーんちゅの原点に迫りたいと思
います(笑)


動画はユーチューブから宮古島古謡
Old Okinawan Folk Song 宮古島古謡




text:しゃかりちあき



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歌をたずねて、あまハイ くまハイ vol.1 しゃかりチアキ

2009年07月06日 | 月曜(2006年7~8月):チアキさん
 ハイタイ!
今日拝なびら(ちゅーうがなびら=ご機嫌いかがかしら?)
皆さま、こんにちは。
初めましての方も、たくさんいらっしゃるかと思います。
私は『しゃかり』という音楽ユニットでボーカルを担当しており、
沖縄を中心に活動をしておりますチアキです!
今回ステキな縁で、こういう風にブログを書かせて頂ける事となりまし
た。
でーぢでーぢ(とてもとても)嬉しく思っております。
という事で私のコーナーでは、私が日頃生活している中で、観て聞いて
感じた事をお伝えし、
そして私自身も、沖縄音楽に更に目を向け、皆さまと一緒にあまハイ!
くまハイ!(あっち行ったりこっち行ったり)しながら、歌の旅が出来
たら嬉しいな~と思っております。
それではこれから2ヶ月間、ユタシクウニゲーさびら!(よろし
くお願い致します)


☆第一回目の旅 「花ぬカジマヤー」☆
 
 私が歌を歌うきっかけとなったのは、祖母の影響からでした。
私の祖母はとても音楽が好きで、家の中では毎日ラジオや録音したカ
セットから音楽が流れ、
そして一緒に歌っておりました。
また私の祖母は全盲でしたので、外で私を遊ばせる事が出来ず、家で一
緒に出来る「うた遊び」が、
私の一番の楽しい遊びでした。
そんな祖母からは、たくさんの歌を学びました。
 さて今回はその中から「花ぬカジマヤー」をご紹介したいと思います。

 「花ぬカジマヤー」は、沖縄一円で親しまれているわらべ歌で、メロ
ディーも覚えやすく楽しい曲です。
標準語表記だと「花の風車」。
そして夏の風物詩であります『エイサー』では必ずと言って良いほど演
舞される曲なので、
きっとウチナー大好きな皆さんは、どこかで聞いた事があるかも知れま
せんね。

「カジマヤー」とは風車を意味し、風をうけてクルクルと回る風車が、
花のように美しい様子を歌にしています。
歌詞の途中で「チントゥンテントゥン、マンチンタン」というお囃子が
出てくるのですが、
「チントゥンテントゥン」はきっと、三線の音を表しているのかと思わ
れますが、
「マンチンタン」とは、ハテ?。。。何を意味しているのか。。。謎な
んです(笑)
ちなみに島唄にはこういう面白い反復表現が結構多いんですよ~。
なので先人達はその頃から言葉遊びも楽しみ、ユニークな人が多かった
のが思い描かれますね。

その「花ぬカジマヤー」、沖縄では旧暦の九月七日に数え年の九十七歳
の長寿を祝う
『カジマヤー』という行事にも、深い繋がりがあると考えられます。

人は誰でも『カジマヤー』を迎える歳になると童心に帰るとされ、風車
はそれを象徴するもの。
そして楽しかったこと、辛かった事、色んな出逢いと別れを意味し、
その人の一生に例えられていると言われています。

その行事では、祝い座にたくさんの風車を飾り、カジマヤー(九十七
歳)を迎えた本人も風車を持ち、
街中をパレードするんですね。
そしてその長寿にあやかろうと参列した大人、子供達にもみんなに風車
が配られ、
集落全体で盛大にお祝いをします。
それはそれは華やかで優しくて、で~ぢ感動する光景なんですよ。
 

 沖縄のわらべ歌は、風土に育まれた自然発祥の明るく元気な歌がたく
さん残っています。
その多くが詠み人知らずという点からも、文明はどんどん変化しており
ますが、
今も昔も『心』は同じなんだということを、その時の「ウチナーン
チュ」が語ってくれています。
そしてこの「花ぬカジマヤー」も永い歴史の中、色あせることなく多く
の人に愛され、
歌い継がれた名曲に違いないでしょう。

 私達しゃかりも、こんな風に永遠に歌い継がれる歌が創れたらいい
な~!!歌者冥利に尽きますね♪
そしてそして、私がカジマヤーを迎えた時、百人くらいの子や孫に囲ま
れて、そして片手には三線を持ち、
この「花ぬカジマヤー」を大熱唱したいさ~♪
はまてぃ、いちゅんどー!(がんばるねー!)



「花ぬカジマヤー」

♪花ぬ風車(カジマヤー)や
風連(かじち)りてぃ 回(みぐ)る

(花のような風車は 風を連れて回るよ)

♪我(わん)や友連(どぅしち)りてぃ
 今(なま)どぅ 戻る(むどぅる)

(私は友を連れて 時間を戻るよ)

国際通りでカジマヤーパレードの様子



写真右)カジマヤーの風車 左)カジマヤーパレードの様子


text:しゃかりちあき



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