沖縄Daily Voice

沖縄在住の元気人が発信する

うちなー唄の道行けば vol.8 上間綾乃

2009年08月25日 | 火曜(2009年7~8月):上間綾乃さん
伝承者として

7歳で三線を手にした頃は「伝承者」としての意識は無く、
沖縄民謡が好きで、三線を弾けること唄えることが楽しくて続けていました。
伝承者としての意識は、沢山の人々との出会いや人前で唄う事が多くなるにつれ確かなものになってきました。



私の愛用三線


沖縄民謡は伝統文化・伝統芸能であり、世に伝え継がなければならない大事な文化財です。

しかし、守るだけでは発展はしません。
言霊。と書く様に、言葉の一つ一つには魂があり、生きています。
音楽も生身の人間が奏でるのですから、魂があり、生きています。

三線教室に通い、師匠から技術を教わり心を受け継ぎ、師匠から伝承したものを次は私が後世に受け継いでいかなければなりません。

私は先人の思いを受けて、今ここで唄っている。
唄の道行けば、沢山学ぶ事があり日々勉強。
そしてたくさんの人たちとの出会いがあります。

ひとつひとつを大事にしながら唄い続けようと思います。


大好きな横田千恵師匠です

今回がコラム連載最終回になります。
お付き合いありがとうございました。

私のうちなー唄の道はまだまだ長い・・・
よんなーよんなー、ゆっくり歩いて行きます。
この道を皆さんと、まじゅん歩いて行けたら嬉しいです。




text:上間綾乃



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うちなー唄の道行けば vol.7 上間綾乃

2009年08月18日 | 火曜(2009年7~8月):上間綾乃さん
現在の沖縄のエイサーは海を渡り、世界でエイサー団体が存在するくらい
活動が活発になっています。




沖縄のお盆は旧暦なので、
今年は
9月1日(ウンケー:お迎え)
2日(ナカビー:中の日)
3日(ウークイ:お送り)。

お盆には欠かせないエイサー。
男は太鼓、女は手踊りで構成されるエイサーですが、
私は天願区青年会に地謡(じかた)唄三線で参加しています。



私が青年会に入った頃は他の団体でも、女の地謡はあまり見られませんでした。
当時の会長に、地謡で参加させて下さい!
とお願いをして、許可をもらいました。

本土に出稼ぎに行っていた人もエイサーの時期になると沖縄に帰ってきて
エイサーに参加するくらい、皆エイサーが好きなメンバーが集まり、
本番まで毎夜練習を重ねます。


お盆の3日間はもちろん「道じゅねー」。
天願区内を踊り練り歩きます。
夕方4時頃からスタートし、夜中2時くらいまで続きます。
終盤になるとメンバーは互いに囃子で気合を入れながら
踊ります。




翌日の4日は天願公民館に舞台を組み、地域まつりを行います。

もちろん盆が本番ですが、我が天願区青年会は毎年10月に三重県の
伊勢神宮神嘗祭に沖縄代表として参加しています。

沖縄の地で踊るエイサー、海を渡り異郷の地で踊るエイサー。
どちらも魂の踊り。
また今年もエイサー好きが集まり賑やかになりそうです。


text:上間綾乃



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うちなー唄の道行けば vol.6 上間綾乃

2009年08月11日 | 火曜(2009年7~8月):上間綾乃さん
今日は少し、昔話でもしてみますかね。

先輩方から聞いたり、本などで読んだことがあるのですが、
昔三線をするのは「遊ばー」(遊び人)だとか言われたと。
三線にのめり込み夢中になって仕事・農作業をしなかったら
そんな風に言われていたのではないでしょうか・・・
三線をやっていても「あしばー」なんて呼ばれなかった人も
いるはず。



偉大な先人を紹介します。



戦後の沖縄の人々の心を癒したのは唄三線でした。
有名な「小那覇舞天」(おなはぶーてん)さんは、
普段は歯科医で、無口な先生。が、白衣を脱ぐとなんともユーモラス!

何もかも失って
気落ちしている人々の家々を回り、「ヌチヌグスージサビラ!」
(命のお祝いをしよう!)
といって人々を勇気付けたのです。
唄と笑いを融合させたステージはとにかく見事だったそうです。

その勇士を見れなかったのは残念ですが、
人々を幸せへ導く偉大な先人の思いを継いでいこうと思います。

うるま市石川(旧石川市)出身の小那覇舞天さんは、今も
民に愛されていて、石川の至る所の看板などに踊っています。

石川のイメージキャラクター


:余談:
沖縄の人々の栄養は唄三線だけでなく、
闘牛でもあったんですよ^^
牛と牛が戦う沖縄闘牛。勇ましい!



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うちなー唄の道行けば vol.5 上間綾乃

2009年08月04日 | 火曜(2009年7~8月):上間綾乃さん
はいたい!
暑い日が続きますが皆さんお元気ですか?
私は、ちゃーがんじゅーよ。


この度私、
8月2日にNEWアルバムCD「まじゅん」をリリースしました。(祝!!)
まじゅん=一緒に。という意味で、本当に沢山の方々の支えと協力、
愛を受けて今回の作品が仕上がりました。



ギター:伊集タツヤさん(プロデュース)
和太鼓:仲宗根達也さん
ベース:上間勝吉さん
ピアノ:松元靖さん
パーカッション:宮良和明さん
ドラム:伊波厚さん
↑太陽風オーケストラのメンバーさん総参加でバックアップしてもらいました。
語りお囃子:古謝美佐子さん。
ヴァイオリン・ヴィオラ:くによしさちこさん
馬頭琴:カオリさん
ピアノ:宮里あゆ(高校時代の同級生)
囃子・指笛:上間智司(私の従兄弟)
アコーディオン:福本真由子さん
レコーディングエンジニア:長廣まなさん



ひとつの作品を創るということは凄く時間や労力が必要で、
決して一人ではできないことです。
自分で気づけない所を指摘していただいたり、
多くのアイディアを出してくれたり。

この作品を通して、一人じゃない!こんなに沢山の愛を受けて私は
今こうして唄っているんだ。という強い感情が沸いてきました。
私が受けた愛を多くの人達に届けたい。
そういう想いから、全レコーディング日程を終える頃、CDタイトルを
「まじゅん」と決めました。

出来上がったCDを手にした時、思わず涙がでました。
参加してくださったメンバーさん、いつも応援してくださっている皆さん、
家族、私に関わるすべての皆さん。
感謝の気持ちでいっぱいです。
これからがスタート。まじゅんを手に上間綾乃始動!^^

皆手を取り合い、共に歩んでいきたい。
みんな一緒なんだ。



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うちなー唄の道行けば vol.4 上間綾乃

2009年07月28日 | 火曜(2009年7~8月):上間綾乃さん
民謡コンクール(試験)について紹介します

先日、第6回琉球國民謡協会コンクールが実施されました。
試験の段階は新人賞・優秀賞・最高賞・教師・師範。教師師範は一年越しで、
今回は二日間に渡り新人・優秀・最高の試験が実施されました。
私が通う教室からも受験者がいたので応援へ行きました。






試験会場の様子です。
受験者の前にマイクがありますが、録音用のマイクでスピーカーへの接続は無く、
生声で勝負。
最前列に審査員の先生方がズラリ!10人ほど。
サイドには協会の会長・副会長・理事長が控えています。
会場後方は一般席で、物音もなく静まり返っています。

受験者の皆さんはこの日のために日々稽古に励み、
3分足らずのステージで勝負するのですから、その緊張は大の大です!
私も受験の時は緊張しました。
受験者の方を見るとあの日の緊張がよみがえってきます。

高校3年生「金城実咲」さんを追っかけて紹介します。
試験の正装は琉装。朝早く起きて準備。
髪を結い、化粧をし、綺麗な着物を着て試験に挑みます。







試験会場には三線教室の仲間全員で応援に駆けつけます。
仲間の前で声出し練習。




実咲さんは実力派なので心配はしていませんでしたが、本番に近づくにつれて
緊張の色が見えてきました。



舞台袖で受験者が控えています。



そして本番


審査基準は、声かが出ているか・音程・三線のバチさばき・礼儀作法などなど。

試験を終え、安堵の笑顔でパチリ。



この様な感じで試験が行われます。
三線(民謡)の普及と伝統芸能を守り、伝承すること目的に
我が協会は存続しています。
私もその協会の一員として日々努力していきます。

実咲さん最高賞に見事合格しました!
おめでとうございます。



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うちなー唄の道行けば vol.3 上間綾乃

2009年07月21日 | 火曜(2009年7~8月):上間綾乃さん
うちなーんちゅの血が騒ぐ

お正月や旧盆の時期になると、スーパーのBGMにはカチャーシー曲が流れます。
勝手に足がリズムを取り、勝手に手が踊りだします。
そんなお茶目(?)だった小学生の頃の私。(今でもたまに^^:)
そんな姿を見て母は笑顔で「あんたよ~」といいながら面白がっていました。

民の謡と書くぐらい、民謡は本当に日常生活の中に溶け込んでいます。
労働・教訓・恋唄など、日常の風景が映し出されている曲が沢山あるということもそうですが、私たち家族は、日常会話の一部分を唄でやりとりすることがあります。

2階に居るおばーと、1階の私たちを結ぶ電話があり、
おばーとお出かけするので、2階のおばーの呼び鈴をならしました。

私「ぷるぷるぷる(呼び鈴)」
おばー「は~い?」
私「行ちゅんど~や加那志~」(行きますよ、愛しい人よ)
おばー「待ちみそ~れ~里前~」(待ってくださいアナタ)

西武門節(にしんじょうぶし)という曲の一部分で、男女の掛け合いの唄です。
さすがおばー!笑いながら唄でかえしてくれました。
このおばーの血をひいているからスーパーでカチャーシーを踊ってしまうんだ。うん。
血は孫の私、そして曾孫までちゃんと受け継がれています!

ぐずってなかなか眠らない姪っ子に、唄を聞かせてあげようと三線を手に取り唄うと
逆に目が覚めてしまい、三線に興味深々!(唄だけ唄うと、すやすやと夢の世界へ^^)
この子にもしっかりと沖縄の血が流れていると実感でき嬉しくなりました。
三線を触りたがるので膝に乗せて一緒に弾きました。声をあげて大喜びです。



三線をするかしないかは本人の意思。私も自分から習いたいと言ったように、姪っ子にも強制は決してしません。
「綾乃おばちゃん。三線習いたい!」って言ったら教えてあげてもいいかな(笑)

いつかライヴ会場で姪っ子を見かけたら、
皆さん仲良くしてあげて下さいねm(_)m

おばーと姪っ子のほのぼの写真です♪



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うちなー唄の道行けば vol.2 上間綾乃

2009年07月14日 | 火曜(2009年7~8月):上間綾乃さん
今回は、最近多い質問について書きますね。
「三線の上達の近道は無いですか?」
私の答えは「ありません。練習あるのみ!!」
この答えではあまり納得してくれないようなので、近道ではなく、
私視線の上達のコツを少し。
まず唄と三線はSetだと考える。三線は唄のメロディーラインを弾くことが
多いのでCDなどで曲を覚えてから練習に入ると覚え易い。

独学で稽古に励む方も居ますが、それでは変な癖がついてしまったり
上達にも限りがあるようです。
一番良い方法は三線教室で確実に基礎を師匠から教わる事だと思います。
『師匠の姿を見て学ぶ』
師匠の手を見る→自分の手を見る
これを繰り返し、師匠と自分の手は何処が違うか観察し師匠を真似る。
ポイント 
姿勢良く、体の無駄な力を抜いてリラックス。
 左手
・爪を短くして、弦にあたらないようにする。爪があたると音が悪い
・指の腹ではなく、指を立てて弦を押さえ音を出す弦以外、他の弦に触れない
・かんしょ(抑える所)があっているか、音に気をつける

 右手
・バチの角度は寝かし過ぎず立て過ぎず
・男弦(うーじる)を弾くときは中弦(なかじる)でバチを止める。
中弦を弾くときは女弦(みーじる)で止める。女弦は下まで弾きおろす



私が始め通っていた教室の稽古時間は2時間の週3回(普通は週2回)。
この当時のお師匠さんは譜面を用いず、見て聞いて三線と唄を同時進行で
学ぶ方式でした。
最初に習う曲は、大抵「安波節」で、基礎を固めます。
私は最初から器用だったわけではなく、三線に気を取られ一生懸命引いていると
唄が止まり…唄をうたうと三線が止まり…という風に、なかなか同時進行が
できませんでした。
悔しくて何度も何度も練習しました。
練習の甲斐あって、やっと唄と三線をマスター出来た時は凄く嬉しかったのを
覚えています。
この喜びが更なる練習意欲を刺激してくれます。
皆さんもこの喜びを感じてみてください。
まだ私も勉強中の身。これからも頑張って行きます。



体の小さかった頃は肩掛けを使用していましたが、すぐに肩掛けからは
卒業しました。



text:上間綾乃



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うちなー唄の道行けば vol.1 上間綾乃

2009年07月07日 | 火曜(2009年7~8月):上間綾乃さん
はじめまして。沖縄民謡唄者の上間綾乃と言います。
1985年うるま市(旧具志川市)の出身です。今回「うちなー唄の道行けば」と題し、
沖縄の唄三線、私の唄道などを綴っていこうと思います。



幼い頃から三線やエイサーの音に反応する子供でした。
保育園の盆踊りで民謡が流れると、得意気に手を上げ、カチャーシーを
踊っていました。



私が三線を習うきっかけになったのは、大好きな祖母の影響と
祖母のお誘いでした。

家の近くに三線教室があり、そこに祖母が通っていました。
軽い気持で教室見学ということで祖母について行きました。
心地よすぎる三線の音や唄が、眠くて眠くて座布団を枕に
すやすやと眠っていました。
小学1年の幼い私にとって、良い子守唄でした。
それから何度か祖母に付いて教室に遊びに行くようになり、
心地よいお昼寝を楽しんでいました。
しかしだんだんと、お昼寝だけでは物足りなくなり、家で
祖母の三線を触って遊んでいると、祖母に「三線習ってみる?」と
聞かれ、「うん」と応えた私。
母も後押ししてくれたこともあり小学2年、私の唄・三線の道が
スタートしました。

今ではこの教室は閉まっていますが、祖母は舞踊稽古など毎日忙しい
日々を過ごしています。
私に、唄の道を進むきっかけをくれた祖母に感謝しています。


text:上間綾乃



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