ねがいのいえ理事長 藤本真二のブログ

障害を持つ方たちに寄り添い支援する日々の中で感じたこと、そのほか伝えたい話題などを、思いのまま日記風に綴ります。

言いたいことがたくさんある

2008-10-31 19:45:52 | Weblog
 毎日たくさんのエピソードに出会い書きたいことがたくさんあるのですが、昨夜はあまりの疲労についにダウンし、年に数回しかない日付が変わる前の就寝となりました。

 というわけで2日前のエピソードの続きです。ご家族のお話の中で、特に世に訴えたいと感じた話です。

 障害の子が急に入院になってしまったとき、兄弟の保育園の迎えはどうしたらいいのか、また、世の中は完全看護で付き添いはいらないはずなのに、障害者の場合は付き添いが求められる中、幼い兄弟はどうするのか、父親がずっと休めるほど会社は甘くない、実家が近ければ頼むこともできますが、実家が遠いと頼む親もいない、近かったとしても、高齢の親にずっと頼ることもできない、友人知人に頼むにも限度がある・・・
 
 また、付き添いは2親等の家族に限るという病院もあるそうです。友人知人はもちろん親戚もだめだということです。

 ではヘルパーをお願いしたら?

 これも制度の欠陥というべき点ですが、現在の制度の中に、入院の付き添いができる制度がないのです。身体介護は居宅に限るので対象外、なんでも出来るはずの生活サポート事業でさえ、入院は施設入所とみなされ、在宅者を支援するサービスなので使えないと言われます。

 一体行政は市民の苦しみを支える気があるのでしょうか?要綱に想定していないことが起こったら、柔軟に解釈すればいいのではないでしょうか?入院中は病室を居宅と考えれば、身体介護でも生活サポートでも使えるはずです。 そもそも、家であろうと外であろうと病院であろうと、身体を介護すれば身体介護。それでいいのではないでしょうか?


 移動支援でヘルパーが車を運転してはいけない、通勤通学には使えない、プールには行けない、ヘルパーを利用中に家族が就労してはいけない・・・不可解な制約をたくさんつけて、使いたいときに使えない制度にしてしまっています。あっても使えない制度ならないのと同じです。

 行政はまるで、快適に使える制度になるとみんなが使いすぎてお金が足りなくなるから、使いにくくしておこう、と言っているかのようです。しかし、市民が安心して暮らせるようにサポートしようと思えば、お金はかかるのが当然なのです。だからこそ、むだな道路造りや公共事業をやめ、官僚の天下りをなくし、公務員の高すぎる待遇をあらためなければならないし、そうやって節約した上でなお足りない部分は消費税を上げてまかないましょうということになります。生活の安心が保証されるのであれば、市民は増税も納得するのだと思います。


 来年度からのさいたま市の障害福祉計画に、新しい施設の建設がはいるかもしれないということです。遠くのショートステイに行くしかないみなさまの話を聞くたびに、いつかはねがいのいえでショートステイをやらなければと思っていましたが、もしもしっかりした団体が安心できるショートステイをやってくれるのなら、ねがいのいえは24時間体制で緊急対応するステーションをやってみたいなあ、と思いました。市が予算をつけてくれたたら、全国に誇れるモデルを作るのになあ。

 またまた長くなってしまいましたので、続きはまた次回。

みなさまの困りごと

2008-10-30 01:45:59 | Weblog
 先週のヒアリング会に続き、今日は養護学校の親御さんたちが作っている会に招かれ、みなさまの困りごとや要望をお聞きしに行きました。

 20年前この世界にはいり、なんと大変な世の中なんだろう、自分は障害を持つ人たちの暮らしを支援していきたいと考えた頃と、あまり変わっていない状況を改めて感じました。

 ご主人が夜勤の晩に、ご自分の持病が発症し救急車を呼んだお母さんは、お子さんが障害児で家に残すわけにいかないから、一緒に救急車に乗って見守って欲しいとお願いしたところ、あっさりと断られ、お子さんをひとり残すわけにいかなかったそのかたは、救急車に乗ることをあきらめ、翌朝まで痛みに耐えるしかなかったそうです。

 またあるかたは、第2子の出産を迎えたその日に、なんとご主人が病気で倒れてしまい、障害の子を誰かに託さなければ自分の出産入院ができないという緊急の事態に直面し、友人知人、あらゆるつてを頼んで、なんとかその局面を乗り越えたそうです。

 何日も前から予定したとしても、車で2時間はなれた遠くのショートステイに行くしかないさいたま市の状況で、ましてや緊急の事態に対応してくれるシステムが何もない政策の貧しさが、市民の暮らしをこんなにも苦しめています。

 世の中は自立支援協議会を発足させて、地域の支援センターが困りごとに対応するといっていますが、現実には、そんなにたくさんの支援センターがあっても、肝心の実際支援をするサービスがない状況で、相談に行っても、重度の人をみてくれるところがありません、自閉症の人はみれません、医療的ケアがある人はできません、と言われて、なにも支援を受けられずに終わっているそうです。だとしたら、支援センターに投入される予算は意味があるのでしょうか。それよりも、実際支援をする事業所に投資し、24時間緊急に対応してくれる場所を整備するほうがよほど有効なお金の使い方ではないでしょうか。

 このようなお話をヒアリングしていけば、何が求められているのか、何が必要とされているのか、おのずとわかってしかるべきはずなのに、障害福祉計画に一切あがってこないというのは、行政の担当者は一体何を見ているのでしょうか?

 ねがいのいえの利用者のみなさまには、困ったときには夜中でも連絡してくださいと伝えています。何のうしろだてもない小さな団体がどれだけできるかはわからないけど、できるだけのことはしますと伝えたとき、涙を流して、「そんなことを言ってもらったのは初めてです」と言われます。

 困っているみなさんが言って欲しいのは、「なんとかします」の一言なのだということを、われわれは知っています。

 夜、社協でがんばっている20年来の友人と話をしました。とてもいい話ができましたが、長くなるのでまた明日報告します。

不安な時代に

2008-10-29 00:08:23 | Weblog
 世の中は不況を通り越して恐慌とも言われています。毎日のように株価の下落が衝撃的に報道され、町工場などの中小企業は仕事がなくなって倒産の危機に瀕しているそうです。

 バブルのとき経験したのは、それまで振り向いてもらえなかった福祉の仕事が、逆に、行政から委託されている限り倒産することのない優良企業のように受け取られ、人気が高まるという現象でした。

 今回の大不況もそんな状況をひきつけるでしょうか?

 いや、逆に心配です。一般の労働者も救済されない状況の中で、介護報酬の改善を求めている声がまたも無視されたりしないでしょうか?また、困っているかたが役所の窓口でサービスを申請してもかんたんに支給してもらえない、などという状況に陥らないでしょうか?

 こんどの年度末は自立支援法の見直しがおこなわれる重要な時。みんなが重大な関心をもってしっかりと見つめなければなりません。

 
 
 撮りためた写真を整理するために最新のプリンターを買ってきて、たまっていた写真をプリントしました。たった半年前なのに子どもたちの成長はなんと早いことか。つい数ヶ月前の姿をなつかしみながら、桜の下でいきいきと輝いているみんなの表情に魅入られました。写真を見に集まってきたスタッフ全員が、あたたかい幸せを感じました。

 明日の暮らしにも不安の多いこの世の中、過酷な労働に追われてうつ病になる人も多いこの時代に、私たちの仕事はなんと幸せな仕事だろうと思います。障害を持つ人たちの笑顔や優しさはまさに、今の時代にみんなから求められている癒しなのかもしれないと思います。

 そんなことにたくさんの人が気づいてくれたら、いい世の中になるだろうなあ・・・

 


地区労

2008-10-25 00:08:35 | Weblog
 行政に対して訴えたいことをどのように伝えたらいいのか、市議会や県議会の議員の方に会いに行き相談していた結果、紹介されて地区労協という団体に参加させていただくことになりました。11月に総行動の日があり、市の各担当者に市民の声を直接訴え、その場で返答してもらえるということです。初参加ながら、障害者施策について自分が発言させていただけることになりました。

 報酬単価が低く介護職員が仕事を続けられない問題や、利用者の1割負担の問題など、マスコミでもたくさん取り上げられている問題は世間にまかせて、もっと突っ込んだ問題、制度の使い勝手が悪すぎて利用しにくい点を追求したいと思っています。

 ひとりの持ち時間は5分程度なので、問題をしぼりこんで臨むことになりますが、移動支援で車が使えないこと、通勤通学が認められないこと、プールが認められないことについて質問します。また、ヘルパーの利用時に家族が就労できないことについては書面上で答えていただくことになっています。

 制度として保証する気があるのなら、なぜこのような不可解な制約をつけて、みなさまが困った末に利用するのを抑制するのでしょうか?あっても使えない制度ならないのと同じです。

 帰り道、方角が同じかたと話しながらご一緒しました。作業所の運営に関わっているそのかたは、ご家族が高齢になり一緒に暮らすのが大変になった障害者のかたたちの家での時間を、ボランティアで長年支えてきたそうです。しかし職員の負担は重く、制度の定める報酬ではケアホームの運営も困難で、これから一体どうしたらいいのかと悩まれていました。

 ねがいのいえオープンから5年、これまで運営にかかりきりで外のかたと出会う時間がありませんでしたが、最近たくさんの人とお会いしてお話しすると、自分たちと同じ情熱を持って長い間困っている人たちを支え続けてきた方々に出会います。本当に頭が下がります。

 こんな仲間たちと力を合わせ、協力しながら、地域を、街を、変えていきたいと思いました。

 しかし。スタッフの基本給が低いのは仕方ないとしても、ボーナスをせめて2か月分出してあげたい・・・

 

 

ヒアリング会

2008-10-23 23:30:40 | Weblog
 利用者の方から将来についての不安や要望をお聞きし、一緒に勉強するヒアリング会を開きました。5月におこなった第1回目に続き、2回目の試みです。

 学校を卒業後の行き先について、行くところがない、あってもうちの子に合わない、障害が重度だと受け入れが難しい、医療的ケアがあるとますます難しい・・・切実な意見がたくさん上がりました。また、通所で通えるのも親が元気なうち、将来はねがいのいえで過ごす仲のよい友達と一緒に暮らせたら、という希望も出ました。

 もしもねがいのいえで就労支援や生活介護をおこなうとしたら、他のところでやってないことをしたい、そうでないとみなさまの選択肢が増えることにならない、また、下請けではない一般企業と同じ仕事がしたい、仕事量は健常者の10分の1でもいいから、仕事内容は普通の仕事がいい、そして、高齢者などの役に立つ地域に貢献する仕事にしたい、など目指す理想をお伝えました。

 暮らす場については今日の時間ではお話できませんでしたが、今後、第3回、第4回と重ねる中で、思いをどんどん出していただき、その中から実現可能なアイデアとして練り上げていきたいと思います。

 みなさまの思いをじかにお聞きできるのはとても貴重です。これからもたくさんの意見をお聞かせください。

貧困な政策

2008-10-23 01:20:55 | Weblog
 またも救急搬送された妊婦の方が亡くなったというニュースがありました。医師の不足によって引きおこされる悲しい出来事。本当に日本の話でしょうか?
 
 病院から医師が足りなくなったと言われて数年が経ちます。医療関係者なら気になるニュースだからだいたいわかりますが、一般の人はマスコミを通じて伝えられる現場の訴えをきちんと受け取っているでしょうか?

 研修医制度が変わり、医学生がどこでも自分の希望する病院へ行っていいということになってから、研修医が集中する病院とまったく集まらない病院に分かれてしまったという話です。

 原因がわかっているのに今まで誤った政策を放置してきた国の責任を、国民はもっと関心をもって見つめる義務があると思います。先日ようやく改善に着手するという報道を見ました。現場の大変さを知るものとしては、病院を責められない思いが拭えません。政策をきめる人たちに、現場の困難に耳を傾け、間違いに気づいたら緊急の対策をとる姿勢が欲しい。

 どの分野にも共通しています。

容疑者Xの献身

2008-10-19 23:02:49 | Weblog
 小5の夏、学校帰りに買ってきた世界一おもしろいと言われているミステリーを、あまりのおもしろさに夜まで一気に読み通した。その日から連日、一冊買ってきては一日で読み、世界のミステリーランキングを一週間読み続けた。ミステリーファン歴35年の始まりだった。

 その35年の中でナンバー1だと感動したのが、「容疑者Xの献身」。映画を観てきました。

 はじめから犯人がわかっている形式をとりながら、真相はすべて隠されたまま進行する実は本格ミステリー。そのトリックの壮大さがすべてのミステリー部門で賞を総なめにした理由だが、直木賞をとったのは、文学性の高い深い人間ドラマだからだ。原作に忠実な作りと役者の演技が、原作に劣らないくらい涙を誘った。 

 この作品の何が人の心をつかむのか。主人公が他人の犯罪を助けるという行為は別として、存在そのものが自分を支えてくれた相手に対して、あくまでも見返りを求めない献身をつらぬくというその愛情の深さ。

 人を支援する人間が、その行為によって自分も生かされているという共依存の状態にならないように気をつけなければならないと、支援者としていつも思っているが、容疑者Xの主人公にとってはそんなレベルの低い次元をとうに超越し、気高ささえ漂わす。

 心の言葉なので映画では登場しなかったセリフがある。

「こんなにも深い愛があること自体、知らなかった」

 パンフレットには主人公を演じた堤真一の思いが書かれていた。
「もしも犯罪があばかれずに愛する親子を守り通したとき、彼は親子の前からそっと姿を消したのではないだろうか」

 役になりきった人間のさすがの考察である。

 心の奥深くでうずまくたくさんの思い。その思いはどういうものなのか言葉にせずに、その存在をじっと胸の奥に感じていたい。

 そんな作品です。


素晴らしい研修

2008-10-17 23:45:22 | Weblog
 研修旅行に行っていたスタッフが帰ってきました。

 ふだんの活動で取り入れているシェルボーン・ムーブメント、本場イギリスの講師陣からの研修を神戸で受け、翌日は滋賀県で、これまで日本の障害福祉界を牽引してきた「レガート」を見学し、3日目は愛知で、その取り組みが今最も注目を集めている「むそう」を見てきました。

 特に、「レガート」のカレー店、「むそう」のラーメン店や喫茶店は、障害者が働きながら地域で生きていくという概念に革新的な波を起こし、これから全国に広がっていくのだと思います。

 スタッフもその素晴らしさを感じて帰ってきました。これからの発展のためにはこういう研修が必要なのだと改めて思いました。

 ようやくスタッフの体制が元に戻り、今日はたまってた仕事が片付きました。明日はやっと休めます。土日で本を4冊読んで、「容疑者X」を観て、キックボクシングに行く予定です。

 「流星の絆」面白かった。今期のドラマはミステリーが多いので忙しくなる・・・

with

2008-10-16 00:15:25 | Weblog
 調子にのって歌の話をもうひとつ。

 きのう「誕生」を歌ったらいもづる式にいろいろ思い出して、今日は子どもたちと秋晴れの公園を散歩しながら、中島みゆきの「with」を口づさんでいました。

「僕の言葉は意味をなさない まるで遠い砂漠を旅しているみたいだ」
「・・・でも with・・・ そのあとへ 君の名を綴っていいか?
 with・・・ さみしさと むなしさと うたがいとのかわりに・・・」

 思いが伝わらない寂しさをかかえて生きるとき、人は人とつながっていたい。with you と言いたい。でもそれを伝えるのはとても勇気のいることだ。しかしそれでも、今のさみしさやむなしさ、自分を人が受け入れてくれるだろうかという疑い、そんなとらわれを、君といられる喜びでぬりかえていけたら、どんなにか人生は素晴らしいだろう。

 この歌は障害を持つ人のことを歌った歌だとライブで本人が言っていました。言葉を話せない人たちの思いを伝える名作だと思います。

 でも言葉を話せる人だって、伝えたい思いをいつだって必ず伝えているわけではない。言葉は話せても本当の心を表現できずに苦しんでいる人が多いと思います。世界中たくさんの人が、きっとこの歌に励まされることでしょう。

 

welcome

2008-10-14 23:49:34 | Weblog
 趣味を楽しむ時間もとれない毎日ですが、3ヶ月に一度くらいはカラオケに行って熱唱します。聴衆から必ずリクエストを受ける得意の歌が、中島みゆきの「誕生」という歌。

 「remember 生まれたとき 誰でも言われたはず 
耳をすまして想い出して 生まれてくれて welcome
remember けれどもしも 想い出せないなら
         わたしいつでも あなたに言う  生まれてくれて welcome」

 この歌を歌うとき、自由に動けない重度の障害を持つ人や、言葉を話せず、でたらめな行動をとってしまうことに苦しんでいる行動障害の人たちのことを思います。聞いている人たちはそんな想いがこもっているとは知らずに、ただただ伝わってくるわけのわからないオーラに涙ぐみながら聞いてくれています。

 ベテランのスタッフには何の問題もなく介助を受けているひろくんが、新人の若手スタッフには大声を出して抵抗を示し、入浴もままならないという報告を受け、見に行きました。

 聞いていた通り、なぜか険しい表情でスタッフに爪を立て、行動をコントロールできていませんでした。新人と自分が交代すると途端に落ち着きを取り戻し、入浴にも一切問題がありませんでした。

 若手スタッフのみんなに落ち度はありません。しいて言えばひろ君のほうに、新しい人とのかかわりを受け入れる準備がととのわないのです。スタッフも悩んでいるけれど、みんなに迷惑をかけているというひろくんの自己否定感のほうが心配でした。

 入浴中「誕生」を歌ってあげました。静かな表情で聞き入っていたひろくん。その言葉の意味はわからなくても、こちらが伝えたい思いを受け止める力を彼らはちゃんと持っていることを、私たちは知っています。

「生まれてくれて welcome」

 みんなに伝えたい言葉です。