小さな頃から人のお世話をするのが大好きだった小5のもえちゃんが、その心を持ち続けたまま成長し、最近は、体の不自由な子に靴をはかせたり、お茶を飲ませたりする技術にますます磨きがかかってきました。水分を飲む時にむせることの多い涼ちゃんなのに、もえちゃんが飲ませると不思議とむせない。そんな様子を眺めるたびに、過去に勤めた施設での体験を思い出します。
20年前、レスパイトという言葉もまだなかった時代に、全国で初めてレスパイトを事業として成功させた東京の「ゆきわりそう」で、修行を積んでいた頃。小さなアパートを改装した50坪の建物に、子どもからお年寄りまで、障害のタイプも様々な人がごった返すように集まって、活気に満ちた幸せな場所を作り上げていた。いろいろな人が集まったとき、知的な障害はあっても体は自由な人が、体の不自由な人のお世話をするという現象が自然に生まれ、体は不自由でも知的な遅れのない人が、知的障害の方に、いろいろなやり方を教えながら、互いに足りないところを補って、助け合って生きる様子が展開していた。
代表は、いろいろな人が一緒に生きることで、お世話される人から役にたつ人へ成長することができる、というメッセージを発信していた。
数年後、看護師になって勤めたある療育施設で、お世話好きな中学生の女の子が小さな子におやつを食べさせていた。翌日の申し送り簿で、「このような光景をご家族が見たらどう思うでしょうか?専門のスタッフが介護してくれると思って預けているのに、許されないことです」という注意が申し渡された。
施設にはそれぞれの考え方がある。専門家ひとりひとりにもそれぞれの考えがある。だからどちらがいいとは評価できない。しかし。
ねがいのいえは、ひとりひとりの心が大切にされる場所でありたいと思います。お世話好きな子が、人の役に立つことで豊かな成長を遂げていくことは素敵なことだし、年齢も障害のタイプも違う人たちが、互いの存在を意識し、言葉の会話はできなくても、「この子かわいい」「このお姉さん好きだ」という内面の思いを育てて成長しあうことは素晴らしいことです。
ゆきわりそうやねがいのいえで展開している姿が、世の中を明るく照らし、豊かな世界を築く縮図であって欲しいと願います。
20年前、レスパイトという言葉もまだなかった時代に、全国で初めてレスパイトを事業として成功させた東京の「ゆきわりそう」で、修行を積んでいた頃。小さなアパートを改装した50坪の建物に、子どもからお年寄りまで、障害のタイプも様々な人がごった返すように集まって、活気に満ちた幸せな場所を作り上げていた。いろいろな人が集まったとき、知的な障害はあっても体は自由な人が、体の不自由な人のお世話をするという現象が自然に生まれ、体は不自由でも知的な遅れのない人が、知的障害の方に、いろいろなやり方を教えながら、互いに足りないところを補って、助け合って生きる様子が展開していた。
代表は、いろいろな人が一緒に生きることで、お世話される人から役にたつ人へ成長することができる、というメッセージを発信していた。
数年後、看護師になって勤めたある療育施設で、お世話好きな中学生の女の子が小さな子におやつを食べさせていた。翌日の申し送り簿で、「このような光景をご家族が見たらどう思うでしょうか?専門のスタッフが介護してくれると思って預けているのに、許されないことです」という注意が申し渡された。
施設にはそれぞれの考え方がある。専門家ひとりひとりにもそれぞれの考えがある。だからどちらがいいとは評価できない。しかし。
ねがいのいえは、ひとりひとりの心が大切にされる場所でありたいと思います。お世話好きな子が、人の役に立つことで豊かな成長を遂げていくことは素敵なことだし、年齢も障害のタイプも違う人たちが、互いの存在を意識し、言葉の会話はできなくても、「この子かわいい」「このお姉さん好きだ」という内面の思いを育てて成長しあうことは素晴らしいことです。
ゆきわりそうやねがいのいえで展開している姿が、世の中を明るく照らし、豊かな世界を築く縮図であって欲しいと願います。