ねがいのいえ理事長 藤本真二のブログ

障害を持つ方たちに寄り添い支援する日々の中で感じたこと、そのほか伝えたい話題などを、思いのまま日記風に綴ります。

ごちゃ混ぜの街づくり

2017-12-29 16:30:22 | Weblog
開発の手続きの縛りが厳しくて思い通りに行かないことばかりで、事業計画は目まぐるしく変転し翻弄されっぱなし。市民会議では耳に心地いい福祉計画が語られて、これからはやりやすくなるのかと思ったのはやはり虚構なのか。

そんな閉塞感の中、どうしても見ておきたい気持ちを抑えられずに急遽出かけた金沢への視察。ごちゃ混ぜの思想で福祉会を席巻するシェア金沢の、地域を巻き込むイベントの様子は圧巻。

街の一体感を感じさせるごちゃ混ぜの街づくりは、間違いなく今の日本社会の最先端モデル。国も推進して3年以内に100以上の市町村が同様の取り組みを実現することが決まっているということに感激を表していた雄谷理事長は、これほどの偉業を達成した偉人なのに、近づきになりたいと思わせる気さくさに満ち。スタッフのみなさんで披露したミュージカルダンスにも参加し楽しまれる姿は、一番の感動だった。

たった2日で出来るだけたくさんの事業所を回ろうと、ナビを頼りに効率よく回ったが回りきれず。就労支援としておこなっているという温泉やカフェには驚嘆しきり。また通わなければ。

「金沢に何の視察に行ったんですか?」と後日スタッフに聞かれ、
「施設に決まってるでしょう、温泉とグルメのツアーだとでも思ってたの?」と答えたが。

社会福祉法人仏子園の視察は温泉とグルメツアーそのものだった。

志でつながる仲間

2017-12-13 00:44:17 | Weblog
昨夜からJCOMで始まった「王様のレストラン」、25年前の想い出のドラマを見ないわけにいかないと見始めたらのめりこみ。人生で一番苦しかった時代を支えられたこのドラマは、自分の生涯に大きな影響を残したことを改めて認識した。不器用な若者の誠実な優しさ、夢を見出して成長していく人物たちの純粋さ、そして、自分が口癖のようにつぶやく「素晴らしい」というセリフは松本幸四郎のものだったことも思い出した。

今年下半期は3ヶ月に一度のペースになってしまったネットワーク定例会だが、久々に再開したみなさんは、熱い志でつながる仲間であることに改めて感動した。しばらく会わない間の急成長ぶりは本当に素晴らしく。互いの展開を披露し合い、行政との関わりの大変さも情報交換して、何よりも勉強になった。

つながりを続けていった先に、細い糸が太いつながりになり、大きな連携が生まれれば。やがて利用者のみなさんの工賃が社会に誇れるレベルに発展していけるように。意義ある話し合いが出来た。

新研修プログラム

2017-12-12 01:10:28 | Weblog
今、「ごちゃまぜ」というキーワードで大注目の仏子園理事長の講演は、ごちゃまぜの中で育ったバックボーンがあった結果だとわかり。誰もが付け焼き刃で真似できるものではないと納得し腹にすとんと落ちた感。しかしそれに続く試みが各地で行われて、この国が変わってゆく予感。

2年間リハビリして変わらなかった障害者が、認知症の老人との出会いによって3ヶ月で変容を遂げた。認知症の老人も、自分がいなければ彼が死んでしまうと言って希望を取り戻した。そのエピソードは、富山型共生福祉から20年目にして、世界が次のステップアップを迎えたことを感じた。1年後に完成するねがいのいえの新拠点に強力なヒントを得た。

新しい学びを求めて現場を空けることも多かったこの3年。苦労をかけたスタッフに、学んできた内容を伝えようと企画した施設内研修会。3年で学んだことを4時間で伝えようとした試みは・・・やはり無理だったか。

しかし。来月も継続して、ねがいのいえもまた次のステージに上がる時を迎えよう。クオンタムタッチ、ブレインジム、セドナメソッド、まだ知る人の少ない最先端の方法をスタッフに伝えることが出来て大満足。詰め込み過ぎの無理やりな企画だったが、いい一日だった。

改革への一歩

2017-12-01 15:44:38 | Weblog
 今週の「相棒」は。ミステリーテイストに満ちた雰囲気を醸しながら、複雑に入り組んだストーリーはやり過ぎ感もありわかりにくく、感動よりも苦い後味が強く、名作でも佳作でもない凡作かも。

 高級家具の社長が出演のカンブリア宮殿は、貧乏なNPOには縁がない話かと思いきや、危機を乗り越えた経緯や何でもやってみる精神に、学びと感動がいっぱい。特に心に響くエピソードとなった。

 年末に近づいてついに大吉の一年が一気に花開いたかのように、あらゆるプロジェクトが一斉に動き出し。不動産屋、設計士、銀行、コンサルタントなどが順に来訪し対応で終わる一日。昨年の今頃から危機が加速して身動きがとれなくなっていった一年前から考えたら、奇跡的と呼べるかも。

 2ヶ月前の大騒動も、今となっては改革への一歩だったかもしれないと思えるこの頃。