ねがいのいえ理事長 藤本真二のブログ

障害を持つ方たちに寄り添い支援する日々の中で感じたこと、そのほか伝えたい話題などを、思いのまま日記風に綴ります。

強制的なシステム

2021-04-18 22:53:02 | Weblog
 報酬改正の概要を理解するのに時間がかかり、体制届の提出締切と、2年務めた自治会役員のまとめが重なり、大変な一週間だった今週。自治会長の任期を終え、次期会長へ箱一杯分のファイルを引き継いで解放感にほっと一息。

 とはいえ新型コロナウィルスの影響であらゆる行事が中止となり、この1年は何もすることがなかったが。それでも毎月の役員会で災害のときに助け合える自治会になれるために何をすべきか語り合い、町内のこまごましたトラブルの相談にのり、一緒に協力しあう住民の仲間ができて。
 
 人は誰しも、今の自分の気持ちが何なのか説明できない時があるだろう。この一週間なぜか、人生で何度か体験する大切な人との別れの寂しさを感じて泣きそうな気持ちでいたのは、よく考えたらこの人たちとの関係がもう終わるからだったのだろうか。

「障害があっても地域で普通に生きることを目指す」のだと我々はよく語るが。では「地域で普通に生きる」とは何のことだろうかと考える。

 近所の人といつも笑顔で挨拶をかわし、町内の清掃を率先しておこない、祭りや運動会や行事にいつも参加することだろうか。しかし忙しい現代人は、隣に住んでる人の顔を知らず、行事も参加したことがない人が多い。いろんな人がいるが自分はもともと、誰にでも笑顔を向けて挨拶をする人間ではない。行事にも清掃にも参加したこともなかった。

 それは地域で生きていることにはならないのだろうか。いや、地域にはそんな人もいると理解を示したうえで、わずらわしさを負担に感じながら町内の面倒な役割を果たす人もいる。この日本社会で、地方の隅々まで張り巡らされた自治会と民生委員の制度は、素晴らしいシステムなのではないか。誰もがいやいやながらも、逃げようのない形で順番が回ってくることによって、きちんと成り立っているこのシステムは、奇跡的と言ってもいいのではないか。

 半強制的だったがしかし、終わってみればいい2年間だったと間違いなく言える。一緒に歩んだみなさんに心から感謝です。
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地域で生きるとは

2021-04-03 20:11:54 | Weblog
 2軒の保育園でお別れ会。入園のとき赤ちゃんだった園児たちが,お別れの時には園長を「ふっくん」と呼ぶようになり。春から次の幼稚園や保育園へ、それぞれ巣立って行きました。最後の日の夕方、保護者が迎えに来てもみんな「帰らない」と言って園庭で遊び続けていました。

 障害者の支援では出会った利用者に生涯寄り添うので利用に卒業がないねがいのいえでは,別れの機会があまりなく。あとになってからじわじわと寂しさが押し寄せて,可愛かった子どもたちとのお別れをかみしめました。

 翌日スーパーへ買い物に行ったら,卒園した園児の親子が偶然いらしていて「あ、ふっくんだ」と言ってくれました。互いに親しく声を掛け合う大人と子どもがいて,小学生になったときにばったり会ったら「大きくなったね」と感激し。高校生になったときに驚いて二度見し,同じ街でそんなふうに一緒に生きている実感を、これから数十年つなげていくことができる。地域で普通に生きるとはこういうことなのだろう。

 スクールバスに乗って特別な学校に通う障害の子は同じ町内の子でもつながりにくい。共生社会への第一歩はやはり統合保育からかな・・・
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