荻野洋一 映画等覚書ブログ

http://blog.goo.ne.jp/oginoyoichi

1月15日午後3時25分

2013-01-18 01:44:34 | 映画
 大島渚監督の死去という現実を前に、どのような哀悼の言葉を出したらいいのか、まだ見当もつきません。評論者としてはじつに情けないありさまですが、どうかお目こぼしを。

『LOOPER / ルーパー』 ライアン・ジョンソン

2013-01-15 00:25:00 | 映画
 タイムトラベルものというのはどうも理屈っぽくて、知的SF小説の題材としてはともかく、映画との形式的親和性に欠けるきらいがある。あれこれと説明に尺を割かねばならず、こまごまとした事情やルールを観客がようやく理解したあとでも、せいぜい登場人物たちは判で押したように、パラドックスの阻止やら修正やらに躍起になるのが関の山である。「精神的コストパフォーマンスの低いジャンル」などと断じると元も子もないが、『LOOPER / ルーパー』の作者ライアン・ジョンソンもそれは同感であるらしく、タイムトラベルを活用した黒社会の暗殺ものという題材だというのに、事情そのものに気乗り薄で、登場人物たちの顔つきが気だるくたわんでいるのである。
 タイムトラベルの具合やそこで生じる面倒について、主人公(ジョゼフ・ゴードン=レヴィット)が、未来から派遣されてきた組織の支配人(ジェフ・ダニエルズ)や、現代にタイムスリップしてきた30年後の自分(ブルース・ウィリス)に二度三度と感想を訊ねてはみるのだが、未来の連中はいっこうにちゃんと説明してくれない。やれ「説明がややこしくなるから」だの「もううんざりだ」だのとぶつぶつ呟くのみで、まったく要領を得ない。要領を得ないのは主人公だけでなく、観客はずいぶんと協力的に作者に寄り添って見てやらねばならないが、未来人がタイムトラベルを発明したことからどんな災難を経験したのかといった経緯までこちらに察してくれと言わんばかりに全シーンが構築されているのは、少々虫がよすぎやしないか。
 結局、大風呂敷を広げきれずに、田舎にたたずむ一軒の農家ですべての事柄をやっつけようとする。たしかに農家が一軒あれば、映画はできる。その点は、いろいろな古今の作品を見てきたこちらも首肯するけれども、そもそも提示の方法論がちぐはぐだったのではないか。誰かがひそむ小麦畑に向かってライフルを構える、農家の若き母親エミリー・ブラントの健気な勇姿は悪くはないのだが。


丸の内ルーブル(有楽町マリオン新館)ほか全国で公開
http://looper.gaga.ne.jp

スーザン・ソンタグ 著『サラエボで、ゴドーを待ちながら』

2013-01-12 00:21:53 | 
 『サラエボで、ゴドーを待ちながら』(みすず書房 刊)は、スーザン・ソンタグ(1933-2004)の単行本に入っていない批評を集めたアンソロジーの第2弾。紛争下のボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボで芝居の演出を依頼されたソンタグがサミュエル・ベケットの『ゴドーを待ちながら』を選んだのは、しごく直感的な結果だった。救いの日、解放の日がいつ来るとも知れぬ灯火管制下の無防備都市で、それこそロウソクの火も惜しみながら稽古を続ける毎日が語られる。
 前段としてダンスについて、バレエについて、オペラについて、そしてメイプルソープやアニー・リーボヴィッツなどの写真について、さまざまな媒体に書き残したレビューが収録されている。そして、そこにはつねにアメリカとヨーロッパの距離が介在している。ロラン・バルトについて熱心に書くいっぽうで、ヘンリー・ジェイムズもフォークナーも論じようとせず、シェイクスピアやヴァージニア・ウルフは好きだと言いつつ正面から批評しようとしない。にもかかわらず彼女は正真正銘のアメリカのライターなのだ。ニューヨークの匂いを濃厚に漂わせた文体は現代の読者に、落ち着き払った狂気とアンビバレンスを体験させる。
 サラエボで過ごした苛酷な日々を、ソンタグはいささか得意げな調子で書きつらねる。『ゴドー』の演者たちは本来才能豊かな俳優であるようだが、生存のための日常の闘い──風呂には何ヶ月も入れず、飲料水の配給を求めて何時間も行列に並ぶ日々──に追い立てられて、堆積した疲労が稽古に暗い影を落としていることを、演出者は記録せざるを得ない。「われわが待っているのはゴドーでも、クリントンでもないと思うこともあった。われわれが待っていたのは小道具であった。」 窮乏の中でゆっくりとだが研ぎ澄まされた果てに生まれた『ゴドーを待ちながら』は、演出者たる著者の魂を揺さぶる。
 「8月18日、午後2時からの上演の終わり近く、ゴドーはきょうは来ない、しかし明日には来るだろうという使いの言葉に続くウラディミールとエストラゴンの長い悲劇的な沈黙のとき、私の眼は涙で痛みはじめていた。観客のだれ一人として音を立てる者はいなかった。聞こえてくるのは、劇場の外から来る音だけであった。国連軍の武装した人員輸送車が轟音を立てて通りを走る音と、狙撃兵の銃声だけであった。」

『もうひとりのシェイクスピア』 ローランド・エメリッヒ

2013-01-09 23:41:43 | 映画
 シェイクスピアの作品をじっさいに書いたのは別人だったという根強い説を敷衍して、登場人物の現れ方・消え方が小気味よく、なかなか愉しい宮廷陰謀劇をでっち上げたのは、『インデペンデンス・デイ』などSFパニック大作で財を築いた、ドイツ・シュトゥットガルト出身のローラント・エメリッヒである。
 『アマデウス』におけるサリエリのような、天才の出現におののきつつ「すべてを目撃した証人」として、当時の代表的な劇作家のベン・ジョンソン(セバスティアン・アルメスト)が召喚され、「処女王」エリザベス1世(ヴァネッサ・レッドグレイヴ)、冷血宰相ウィリアム・セシル(デヴィッド・シューリス)、そして「真のシェイクスピア」オックスフォード伯エドワード(リス・エヴァンス)など、実在の人物を絶妙な配置地図のもとに置き直し、ゲーム性豊かな歴史ミステリーを構築する。
 グローヴ座などエリザベス朝時代の円筒形をなした劇場の内部をぐいっとした仰角のパンで見せてくれたり、『ハムレット』上演中の降雨が観客の頭を濡らしたりするのは浮き浮きさせられるし、泥土と汚水にまみれたロンドンの市道、曇天に鈍く光るテムズ川、テューダー朝の隠然たる宮廷、ベン・ジョンソンやシェイクスピアたちがたむろする猥雑な居酒屋、オックスフォード伯が覆面の劇作家としてせっせと傑作戯曲を書き続けた書斎のようすなど、空間の見せ方に非常なる豊饒さをたたえている。
 時制の扱いが妙にシェイクされ、説話構造が不必要に複雑化しているのは、いつものSFパニック大作とはちがって、「作家性が試されている」とエメリッヒ以下、彼のブレーンが力んでしまったせいだろう。こういうのはしたり顔でやられると救いようがないが、もう少し単純に作ってもよかったのではと感じる程度で、嫌みなものではないし、シリアスな覆面を被った1個のゲームと捉えれば気にはならない。詩=演劇という火遊びが血なまぐさい事件の契機となり、またその事件の血の匂いが、あらたな詩=演劇の材ともなる。ケネス・ブラナーのようにシェイクスピアの戯曲そのものを「公式」的な感覚で映画化するより、こういう異説を活用して外伝的な歴史ミステリーを撮りあげるというほうが、映画としてのいかがわしい面白味が出る。


TOHOシネマズシャンテ(東京・日比谷)ほか全国で公開
http://shakespeare-movie.com

『マリア・ブラウンの結婚』 ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー

2013-01-06 09:41:30 | 映画
 青山真治監督のツイートを読んでいたら、“ 今年第一弾に相応しい「素敵な豚野郎」映画『ローラ』を終え、続けて『マルタ』。” “ そして極北のSM映画『マルタ』もまた、今年に相応しすぎる作品だった。” とつぶやいていて、思わず大笑いしてしまった。今年に相応しすぎる…たしかにその通りである。
 ひるがえって私はというと新年一発目は、誰が見ても傑作とわかる『マリア・ブラウンの結婚』なのだから、おのれの小市民気質を暴き立てているというか。3作中もっとも昔に見た作品から見てやろうという魂胆だった(私にとっては人生初のファスビンダー映画)が、それにつけても『マリア・ブラウンの結婚』は、まごうことなき傑作なのである。ただ、どうしてもラストからの逆算で見てしまう。それほどまでに鮮烈なラストをもつ本作だが、最後だけでなく、去っていた夫が帰還してからの一連全体がすばらしい。
 渋谷哲也による日本語字幕は上映時間中つねに見る者を煽り、視聴覚を全開することを要求する。友人Hからのメールには「ラストのワールドカップ決勝・独洪戦の展開がすごく、昔はここまで実況を訳していたかな?」と書いてあったが、たしかにロードショー時はここまで克明に実況を訳してはいなかったように思う。しかも、あの息づまる歴史的一戦の実況を、主人公夫婦(ハンナ・シグラ&クラウス・レーヴィッチュ)がちっとも聴いちゃいないというところがいい。
 この映画はナチス降伏の1944年に始まり、西ドイツがワールドカップで初優勝を遂げた1954年で終わるが、参考までに、同じ敗戦国の日本に当てはめておくなら、この1954年には成瀬『山の音』『晩菊』、木下『女の園』『二十四の瞳』、川島『真実一路』、溝口『山椒大夫』『近松物語』、五所『大阪の宿』、黒澤『七人の侍』、本多『ゴジラ』etc.が発表されている。壮観である。世界映画史上に例を見ぬほどに壮観である。そういう同時代を想像しながら『マリア・ブラウンの結婚』の終盤を見ると、身体がゾクゾクしてくる。

 ハンナ・シグラが苦労に苦労を重ねて、戦後西ドイツの経済的復興を象徴する存在へと取り立てられていく、いわば花登筺のごとき細うで繁盛記というふうに記憶していたが、これはとんだ間違い。ハンナ・シグラは汽車の中で偶然知り合った資本家(イヴァン・デスニー)にうまく取り入って、とんとん拍子で出世コースを辿る。
 ヒロインに利用されるだけ利用され、嬉々として身をすり減らす資本家役のイヴァン・デスニー、そして彼の心配をする小心な会計士役のハルク・ボーム。この二人組がすごくいい。ハルク・ボームはファスビンダー映画でしょっちゅう見る顔。イヴァン・デスニーは、マルセル・カルネ、クロード・オータン=ララ、マックス・オフュルス、パプストからアントニオーニ、ピエール・カスト、アレクサンドル・アストリュックまで、そうそうたる監督の作品に名を刻んでいる。


シアター・イメージフォーラム(東京・渋谷 金王坂上)で、特集〈ファスビンダーと美しきヒロインたち〉開催中
http://mermaidfilms.co.jp/fassbinder30/