荻野洋一 映画等覚書ブログ

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『岸辺の旅』 黒沢清

2015-09-22 23:47:54 | 映画
 浅野忠信と深津絵里がローカル線の座席で寄り添う宣伝ポスターなどを見ると、黒沢清初の恋愛映画のように予想されたが、蓋をあけるとじつに黒沢清的なホラーであった。しかしこれまでと決定的に異なるのは、死者が生者に対して「世界の秩序を回復せよ」などと恫喝して生者をまがまがしくリモートコントロールしようとしないことだ。死者がこの世でおこないうる最後の行為は、ここでは〈岸辺の旅〉と名づけられる。此岸(この世)──岸辺──彼岸(あの世)という図式だとするなら、〈岸辺の旅〉とは煉獄のような状態を指すのだろう。
 ピアノ教師で生計を立てる深津絵里のもとに、数年前に蒸発した夫の浅野忠信が帰ってくる。彼が帰ってくるシーンのカット割りはホラーである。しかし深津は、それをごく自然なこととして受け入れる。「俺、死んだよ」と開口一番、浅野は自分が幽霊であることを白状する。冒頭にしてあっさりと謎は消えた。あとは生者と死者のむきだしの対峙があるのみであり、その点でいうと、生死の境を行ったり来たりしながら謎の解明にあくせくとなる『リアル 完全なる首長竜の日』(2013)の失敗を、作者はくり返すまいとしているかのようである。
 冒頭での本人の述懐によれば、浅野忠信はどうやら心の病に勝てず、流浪のはてに日本海で自殺したらしい。死者として戻った浅野は、失踪のあいだお世話になった人々を再訪する旅行を妻に提案する。これにほいほい付いていく深津絵里のユーモラスささえ醸す、折り目正しい快活さがなんともすばらしい。考えてみれば、配偶者との死別に際し、禊ぎのハネムーンを挙行できる人は、彼女をおいて他にいないのだから、彼女の晴れやかさは、孤独に現世とおさらばするわれわれ一般人すべてにとって羨望の対象なのである。これほど幸福なロードムービーは類例がないだろう。


10/1(木)よりテアトル新宿ほか全国でロードショー予定
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