荻野洋一 映画等覚書ブログ

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ユーセフ・シャヒーン死去

2008-07-28 11:59:00 | 映画
 すでに各紙朝刊が報じているように、アラブ世界を代表するエジプト人監督、ユーセフ・シャヒーンが、7月27日、脳出血で死去した。享年82。
 坂本安美さんが「カイエ」用のインタビューをするのに、臨時のスチール係を買って出て、帝国ホテルまで付いていったのは、『炎のアンダルシア』(1997)のプロモーションで来日した時のこと(1998年初頭?)だから、もう10年前となる。あの頃はまだ当然のことながら、巨匠の溌剌とした姿があった。取材するこちら側が元気をもらったほどだった。

 去年の今ごろ、アントニオーニとベルイマンが同時に亡くなったが、残念ながら映画界は、またしても偉大な作家を失うこととなってしまった。今の中堅作家がいっこうに巨匠に登り詰めてくれないので、巨匠の数が少なくなるばかりだ。

『スピード・レーサー』 ラリー&アンディ・ウォシャウスキー

2008-07-28 00:19:00 | 映画
 ウォシャウスキー兄弟の新作『スピード・レーサー』は、徹底的に平面性が追究された作品だ。画面上のコースは縦横無尽に、まるで草月流の生け花のごとく蜷局を巻き、客席の応援者、または出場者の家族たちは、なにか一点を見つめてコースの一部始終に視線を合わせる雰囲気を作る。各社ロゴがあしらわれたコンパネ前に陣取る各国放送局の実況アナも同様だ。レーサーたちはとにかく画面の奥へ奥へと猛進する。その光景を眺める連中は、なにやら画面隅の方角へ虚しく視線を投げかけ、ハーとかオーとか気勢を上げるのが精々だ。要するにここでは映画を見る受け手への過剰な信頼がある。視線の演出をめぐる甘えである。
 だが、この編集に対して特に言うべき言葉はない。鮮烈な原色の世界だとか、薄っぺらなポップ性だとか、ゲーム的スピード感だとか、そういう参照物を手繰り寄せる必要もない。日本のいにしえの名作アニメを実写化してくれたのは光栄なことだが、ウォシャウスキー兄弟は一刻も早く、このスパイラルから抜け出すべきで、『マトリックス』(1999-03)を超えるために時間を使うべきだと思ってしまうのだ。むしろポール・バーテルの『デス・レース2000年』(1975)のグロテスクさがふと恋しくなった。
 ただし、ここまで書いて無責任にも、以上のような評言を根底から覆したくなっているのも事実だ。題名は、スピードを出すレーサーの物語だと単純に思っていたら、なんと「スピード」というファーストネームに「レーサー」というファミリーネームを持つ主人公の固有名詞だった。一杯食わされたわい。


P.S.
ちなみにこの兄弟の姓 "Wachowski" はおそらくポーランド系の姓と思われ、ネイティヴ的には本来「ヴァホヴスキ」となると思われる(完全な余談)。



TOHOシネマズ錦糸町他、全国で上映中
http://wwws.warnerbros.co.jp/mach5/