荻野洋一 映画等覚書ブログ

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『ダージリン急行』 ウェス・アンダーソン

2008-04-08 04:37:00 | 映画
 傑作、秀作なのかと考える前に、好きになってしまう映画。条件や時機をあれこれ考える以前に始まってしまう幼年期の恋のような映画である。アーヴィング的な『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』から、決定的な『ライフ・アクアティック』を経て、ここではあの、ふさぎがちな父性は葬儀の回想に押し込まれ、冒険と稚戯の片道切符が完全に息子たちに継承された。

 物事の始めなどを飾る、〈列車の到着〉ならぬ、列車の出発をとらえるスローモーションの横移動にぞくぞくさせられない映画好きというのは、いったいいるのだろうか(いや、意外といるんだろうね)。蓮實重彦が昔『GS』誌に寄稿した有名な文章「破局的スローモーション」なんて言葉を不意に思い出したが、『ダージリン急行』は破局とは対極の、メランコリックな楽天性を纏う。乗り遅れる者もいれば、乗り遂せる者もいる。途中下車を命じられる乗客もいるが、再び模範的な乗客となって回帰してくる者もいる。要するに、人生には次の列車はない、などというストイシズムは、ウェスの映画では最も忌み嫌われるのだ。『ユリイカ』の役所広司のバスのごとく、ウェスにあっても2台目のバス、2台目の列車は必ずやって来る。だからだろう、がっつくことなく、泰然とトラブルに身を任せる主人公3人組が、とてもいい。

 また彼らが、よくもまああんなに、というほど大量で可愛らしいマーク・ジェイコブス/ルイ・ヴィトン製スーツケースをごてごてと抱え込んで運搬に手間取っているのも、簡単には身軽にはならないぞと言わんばかりで、愛おしさがある。


日比谷シャンテシネ他、全国で公開中
http://microsites2.foxinternational.com/jp/darjeeling/

nobody No.27

2008-04-08 02:45:00 | 
 雨闇を突いて、今夜久しぶりに、日本橋小網町で元料亭経営者が人知れず営む小割烹「I」にて、白魚の玉子綴じを肴に少々。貧乏暇なし、まったく読書も映画もままならぬ状態がここしばらく続いたが、「nobody」通巻27号をようやく読み始めた。いろいろと楽しみな記事がありそうであるが、まずびっくりしたのが、オリヴィエ・アサイヤス自らがしたためた楊徳昌(エドワード・ヤン)の追悼文「エドワード・ヤンとその時代」という翻訳記事の存在。出典がどこなのか明記されていないのだが、貴重な文だろう。
 テシネ作品の脚本家としてまず好きになったマジャール系フランス人の映画作家アサイヤスについては、実は『イルマ・ヴェップ』でのアジア映画への傾倒の仕方には首をかしげる部分が多かったのだが、『HHH』は素晴らしい体験だった。  (続く)


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