結局、途中3時半頃、Oが離脱。豆鬼にして就寝。
残った三人で5時頃まで頑張り、とうとう14年目で終了。勝ったのは、わたしでした。
もうこの頃になると、結果なんぞどうでもいいみたいな雰囲気になりましたので、じゃあ終わらせて寝ようということになりました。
Mが翌日早朝、三島駅に行かねばならぬということで、KとMの二人は寝始めてから2時間後には起きて三島駅へ。
すごい寝ぼけ眼で、Mにお疲れさんといったのを覚えていますが、結局うろ覚えの範囲を出ません。
Kは帰宅後に風呂に入ったらしいですが、わたしが気が付いたとき、Kは尻をこちらに向けパジャマのズボンをはかんとしているところでした。
わたしは見なかったことにして、再び就寝しました。
次に起きたとき、すでに時計は12時を回っていました。
Oが18時からアルバイトがあるというので、まぁ帰る前に飯でも食おうということになり、前日の昼に行きそびれたラーメン屋に行こうと言うことになりました。
前日の17日は三嶋大社の祭りで外食屋はすべて混み混み。
しょうがなく某ファストフード屋に行った次第なのですが、今日はお盆も終わりだし、平日なのですいているだろうと、改めてそのラーメン屋に行ってみるかということになったのです。
そのラーメン屋は名前を『鈴福』さんといいます。
店は狭いですが、味は格別。
わたしとOは、ジモティのブラザーKオススメの辛口みそラーメンを頼んだのですが、麺は太麺でよくスープが絡み、みその味と辛みのバランスがとてもよいです。
その日も、お客さんが多くようやく3人座れるといった状況でした。わたしたちが入店した後も、お客さんが入れ替わり立ち替わりといったふうな感じでした。
Oはラーメンを食べながら汗がダクダク出てくるのですが、わたしは代謝が悪いのか、それとも猫舌が幸いしているのか。
わたしはさほど汗をかきません。普段汗かきなのになぁと思いつつ、不可解な昼間でした。
ラーメン後半、わたしはペースト状のにんにくを入れて味に変化をつけました。
ところが、これがわたしに悲劇をもたらす結果になったのです。
ラーメンを食し終わって、時間は2時を回っていました。
名残惜しさを感じつつ、Kと別れ一路、山梨へ向かったのでした。
ルートは来たときと同じく、裾野・御殿場を通って山中湖へ、そして都留へ立ち寄りOを降ろして、甲府へ戻る。というものでした。
うちについたのは、もはや5時近く。
家につき、「ただいま」をいうと、家族の第一声は
「くさい! にんにくくさい」
え? と思ったときには、時すでに遅し。
わたしは、ニンニク臭をまき散らす迷惑男と化していたのでした。
残った三人で5時頃まで頑張り、とうとう14年目で終了。勝ったのは、わたしでした。
もうこの頃になると、結果なんぞどうでもいいみたいな雰囲気になりましたので、じゃあ終わらせて寝ようということになりました。
Mが翌日早朝、三島駅に行かねばならぬということで、KとMの二人は寝始めてから2時間後には起きて三島駅へ。
すごい寝ぼけ眼で、Mにお疲れさんといったのを覚えていますが、結局うろ覚えの範囲を出ません。
Kは帰宅後に風呂に入ったらしいですが、わたしが気が付いたとき、Kは尻をこちらに向けパジャマのズボンをはかんとしているところでした。
わたしは見なかったことにして、再び就寝しました。
次に起きたとき、すでに時計は12時を回っていました。
Oが18時からアルバイトがあるというので、まぁ帰る前に飯でも食おうということになり、前日の昼に行きそびれたラーメン屋に行こうと言うことになりました。
前日の17日は三嶋大社の祭りで外食屋はすべて混み混み。
しょうがなく某ファストフード屋に行った次第なのですが、今日はお盆も終わりだし、平日なのですいているだろうと、改めてそのラーメン屋に行ってみるかということになったのです。
そのラーメン屋は名前を『鈴福』さんといいます。
店は狭いですが、味は格別。
わたしとOは、ジモティのブラザーKオススメの辛口みそラーメンを頼んだのですが、麺は太麺でよくスープが絡み、みその味と辛みのバランスがとてもよいです。
その日も、お客さんが多くようやく3人座れるといった状況でした。わたしたちが入店した後も、お客さんが入れ替わり立ち替わりといったふうな感じでした。
Oはラーメンを食べながら汗がダクダク出てくるのですが、わたしは代謝が悪いのか、それとも猫舌が幸いしているのか。
わたしはさほど汗をかきません。普段汗かきなのになぁと思いつつ、不可解な昼間でした。
ラーメン後半、わたしはペースト状のにんにくを入れて味に変化をつけました。
ところが、これがわたしに悲劇をもたらす結果になったのです。
ラーメンを食し終わって、時間は2時を回っていました。
名残惜しさを感じつつ、Kと別れ一路、山梨へ向かったのでした。
ルートは来たときと同じく、裾野・御殿場を通って山中湖へ、そして都留へ立ち寄りOを降ろして、甲府へ戻る。というものでした。
うちについたのは、もはや5時近く。
家につき、「ただいま」をいうと、家族の第一声は
「くさい! にんにくくさい」
え? と思ったときには、時すでに遅し。
わたしは、ニンニク臭をまき散らす迷惑男と化していたのでした。