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播磨旅行記(6)

2008-11-30 21:18:47 | 旅行記

いよいよ、今回の旅行のメインである姫路城に登城します。
昨晩と同じく、大手門から入城します。三の丸広場を突っ切って、入城口へと向かいます。
さぁといって広げたのが『まっぷるマガジン兵庫』です。この雑誌の、姫路城ガイドに沿って観光・見学を行っていきたいと思います。
まず姫路城の玄関口、菱の門をくぐって入城。
多くの人たちは、菱の門からいの門へと直線でいってしまうのですが、わたしはガイドブックに沿って、左に折れて西の丸へと向かいます。

西の門は、先述の千姫の御殿があったところです。ここから、千姫の持参金で作ったといわれる化粧櫓に向かうんですけどね、今回はせっかくですので、百間廊下と呼ばれる長い廊下を歩いていくことにしました。
百間ですから、三十三間堂のちょうど三倍。一間は約1.82mですので、その百倍、約182mにも渡る非常に長い廊下ということになりますね。実際は、300mにも及ぶといいますから、渡りきるのは意外と長い時間がかかったと思います。
百間廊下といっていますが、実は西の丸長局といいましてね、奥方付女中の集団住居だったのです。今風にいえば、女の園だったわけですね。現代では、そんな女の園もどかどか歩いていきます。
百間廊下のいくつく先は、化粧櫓です。千姫がもってきた化粧料(持参金)で建てられたので、こういう名前がついたといいます。
何でも、当時姫路城がある姫山には神様をまつる社があったそうで、千姫はそこに毎日お参りに行っていたそうです。で、この化粧櫓はその中間地点にあたり、休憩所としておかれたそうです。
ちなみに、千姫の持参金は十万石と言われていますから、やはり家族共々千姫の安否をかなり気にしていたんでしょうね。

看板もなかったんですけど、将軍坂といわれるゆるやかな坂を登ります。
将軍坂とは穏やかではありませんが、何のことはない『暴れん坊将軍』の撮影がここで行われて、そう呼ばれるようになったそうです。
ところで、姫路城にはとにかくたくさんの門があります。その数、実に21。しかも、敵を分散させ、袋小路に追い込んだり、あるいは本丸までの到達時間を遅らせるために、どの門も工夫が凝らされています。
クロス瓦や姥が石などいくつかを見落としながらも、ようやく大天守へとたどり着きます。
大天守は計七階もある高いものです。いろいろ城を見てきましたが、こんなにでかい城を見たのは初めてでしたね。
岐阜城も大きかったですけど、まず岐阜城がのっかている稲葉山が大きいですから、別物ですね。
彦根城もこんなに大きくなかったです。あんなに階段を上りませんでしたからね。
中は、やはり資料の展示が主です。池田氏~酒井氏までの貴重な資料が多く展示されています。
しかし、そこは現存天守。建物自体が立派すぎる資料です。表の白壁とは打って変わって、内は重厚漆黒の木造。戦に備えた作りであることをまざまざと見せつけられます。
天守を支える心柱は、東西二本あります。天守自体の重さは実に約5700tもあるといいますので、それを支えるというのはかなりの大仕事ですね。しかし、昭和の大修理の折り、そのうちの西の柱が腐っていることがわかって、取り替えることになったそうです。
ところが、これが大事になってしまったんです。まず兵庫県内の神社のご神木に白羽の矢が立ちましたが、根本が腐っていたり、上部が折れていたりといろいろと不都合があって見送られました。
やがて、岐阜の山林でちょうどよさげな巨木を発見し、切り出しはうまくいきました。しかし、そのあまりの巨大さに運搬中に折れてしまったそうです。
途方に暮れてしまいましたが、その解決策としてその二つの巨大檜を組み合わせることに。
その檜を運ぶときは、姫路の大手通りをお祭り騒ぎで市民が引っ張っていったそうです。
うーん、いい話ですね。やはり、でかい城があると違いますね。

さて、最上階からの眺めは格別の一言です。殿様になった気分ですね。岐阜城からの眺めには適いませんが、それでもやはり城からの眺めはいいものです。
ところで、姫路城の最上階には、神社があるって知っていますか?
刑部明神を祭ったといわれる社があるんですよ。わたしは、水木しげる(1922~)先生が大好きですから「長壁」という妖怪が姫路城天守に住んでるという話を知ってはいたんですが、まさか刑部明神という神様だったとは驚きです。
長壁は、年に一度正月に、城主にしか姿を見せないという高貴な妖怪で、たいへんな人間嫌いだったそうです。
何でものちの創作ではないかという話ですが、そういう話ができる時点で姫路城がどれだけ知名度があるかってことですよね。
「何ぃ、あの姫路城にぃ?」って感じになるわけですよね。うーん、やっぱり違いますね。

登るのも大変なら、降るのも大変です。けっこう疲労困憊となって、天守をあとにします。
次は腹切丸という物騒な名前の曲輪です。本当の名前は、帯曲輪といいます。天守を人の頭に例えると、このあたりがちょうど帯びに当たるというのでそう呼ばれたそうです。
腹切丸という名前も、ただの例えです。しかも、何の根拠もないらしい。ただ場所が東の端で、隠してあるよう暗くて、じめじめした感じが切腹を連想させるというので、そういわれているそうです。
日本人がそんな連想で腹切なんて名付けるんですから、いわんや外国人をや。といったところでしょうか。
そして、終盤の目玉はお菊井戸。かの有名な「播州皿屋敷」の、あのお菊が放り込まれたという井戸です。
江戸番町が舞台の「番町皿屋敷」は、播磨の称である播州がなまったものだといいます。
物語のあらましは、リンク先を参照していただくことにして、話を進めましょう。
「まっぷる」ガイドの締めくくりは、菱の門をくぐったところにある三国堀です。

と、ここまで来て姫路城見学は終了。
ざっと二時間程度だったと思います。意外なことに、赤穂よりも短かった。
おそらく要因はですね。読むものが少なかったことです。ハコモノ施設好きな人間であるわたしは、遅読のくせに一から十まで読まないと気が済まない人間なので、必要以上に時間がかかってしまうんですよねー。

取りあえず、明日の最終回を目指しまして、今日はここまでです。
今日の一枚は『姫路城』です。うーん、白鷺城とはよくいったものですね。


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