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佐久・小県訪問記 後編

2009-08-27 21:42:16 | 旅行記

上田城の周りは駐車場も豊富。
わたしたちが止めたのは、城の南側の駐車場。城跡の一部は、野球場や体育館などとなっており、本当に市民公園という感じです。
駐車場のすぐ近くにも、3on3コートやスケートボード場などがありました。
南側の駐車場から本丸址へ登るのは、急な階段があって小さい子どもやお年寄りにはいささか重労働かも知れません。
すぐに見えてくる西櫓は、1600年初期から残る数少ない遺構の一つです。
本丸址には、真田神社という神社があります。主神は真田父子となっており、二度にわたり徳川の大軍を追い返したということで、勝負ごとなどに御利益があり、さらに「おちない」ことから受験の神としても有名だそうです。
わたしは、ここで売っていた日本手ぬぐいのあまりのシュールさに心惹かれて、ついつい買ってしまいました。この戦国ブームの時勢にあきらかに逆行していますが、まぁそういうのも嫌いじゃないどころか、むしろ好きです。
お参りをして、その奥にある真田井戸を見学します。
建築当初から残るといわれる真田井戸は、その中に城外へ抜けるための抜け道もあるそうです。昔の城にはこういう抜け道があるのが当たり前だったのでしょうか。なかったらなかったで、なんと危機管理に疎い殿様だということになったのかも知れません。
それから、東虎口櫓門を見ます。
この櫓、維新後に別の場所に移築されて娼楼(!)として使用されていたそうです。それを、昭和18年から本丸跡へ再移築したそうです。中は簡単な資料館になっていて、上田城の歴史を一覧することができます。
やはり、二度にわたる上田合戦は上田城最大の見せ場のようで、力のこもった展示でした。

それから、門の脇にある真田石を見て、同じく敷地内にある上田市立博物館へ。
わたしはたびたび言っているのですが、市の単位で博物館をもっているなんて、なんてすごいんだろうと思うのです。いえ、規模はピンからキリまでですが、博物館は単なる観光資源ではなく、その収蔵品の研究と成果の発表の場が本来なのですから。規模云々ではないと思っています。
その点、赤穂市立博物館などは規模にしろ内容にしろ、かなりのものだと思うのですが、上田市立博物館は規模は小さいですが、内容はすばらしいんじゃないかと思います。
山極勝三郎(1863~1930)は明治・大正に活躍した病理学者で、日本初のノーベル賞受賞者となる可能性のあった人物です。
うさぎの耳にコールタールを重ね塗り、人工癌を発生させることに成功した。という話を聞いたことがあるかも知れません。それを成し遂げたのが勝三郎でした。
結局、ノーベル賞は逃してしまったのですが、のちに彼の業績は見直され、その分野において高い評価を受けています。
その勝三郎に関する展示や前述の上田合戦、江戸時代の上田の民俗を伝えるものなど、非常に興味深かったですね。

続いて、版画家であり美術教育者でもある山本鼎(1882~1946)の記念館も見ました。
山本鼎の版画は、美術や図工の教科書にも載っているので、見たことがある人は多いのではないでしょうか。名前は知らなくても、作品は知っていると思います。
建物はいささか古い感じですが、二階の展示室は広くてびっくりしました。
山本の仕事は、版画・自由画教育運動・農民美術運動の三つに分けられるそうで、それぞれにきれいな作品が並んでいました。
農民美術運動は、一見すると工芸と見間違えてしまいますが、自己の表現したいものを赴くまま作り出すという点で、絵画で言う素朴派的な独特な郷愁や幻想を感じることが出来ます。

と、すっかり上田城で長くなってしまいました。
本当は小諸によって懐古園もよっていきたかったのですが、時間的に苦しくなってきてしまいました。
海野宿にも寄りたいということで、海野宿を優先します。
海野宿は、1625(寛永2)年に北国街道の宿駅として開設されました。とはいえ、この東御市海野という地には、それ以上に古い歴史があります。
海野氏といえば、滋野三家のうちの一つで信濃では名族中の名族。真田氏ももとは海野氏の流れをくむそうで、幸村の祖父に当たる幸隆(1513~1574)は、海野棟綱(?~?)の息子とも、義理の息子とも、あるいは義理の孫とも言われています。
海野の地を本拠とし、小県に勢力を張っておりましたが、1541(天文10)年の海野平合戦において、武田・諏訪・村上連合軍(!!)の前に大敗を喫し、没落してしまうのです。
つまり、ある意味では真田氏発祥の地であるため、むしろわたしはそちらの方が興味があったのですが、海野宿では江戸時代以降の町並みが観光の中心であります。
この町並みは大変由緒正しいもので、1986(昭和61)年には「日本の道100選」に、1987(昭和62)年には「重要伝統的建造物群保存地区」に選定を受けており、極めて早い段階で整備が行われ、きれいな町並みが残されています。
およそ650mに渡り、伝統的な家々を見ることが出来るそうです。
特徴とされているのが、以下の四点。写真付きでどうぞ。

うだつ(江戸時代のものを本うだつ、明治時代以降のものを袖うだつというそうです。元は防火壁)

海野格子(長短二本ずつを組み、きれいな模様を作り出している)

出桁(二階部分の張り出しのこと)

気抜き(明治期、養蚕の際の換気に使われた開閉式の窓)

まぁこれらのものがあるというのは調べていったのですが、実際に見てみるとわからないものです。海野宿資料館でもらったパンフレットを見て、「あれがそうか」という具合でした。
見つけることができると、なかなか楽しいものです。
宿駅入り口の白鳥神社や先述の資料館、おみやげもの屋などをのぞいて、海野宿を後にします。

次に向かったのは、佐久市
知ってます? 佐久って、日本三大ケーキの町っていわれているそうですよ。
そういえば、「桃太郎電鉄CHUBU」では、佐久の物件はケーキ屋さんばかりでした。
佐久は私用で前にも行ったことがあるのですが、佐久は開けた土地です。大型のショッピングセンターはありますし、著名な店舗だって一通りは揃っています。何より、新幹線が通り、小海線の長野県側の始発駅でもあります。
昔は上田が東信地方の中心地だったそうですが、そういった事情もあって佐久もめきめきと力をつけているそうです。
なぜそんな佐久がケーキの町なのか…それはよくわかりませんでした。日照時間が長く、また果樹栽培も盛んな地域ですので、そこら辺が関与しているのかも知れません。
ちなみに、日本三大ケーキの町。ほかの二つは兵庫県神戸市と東京都目黒区自由が丘
なかなか肩を並べられるような所じゃありませんよ。
佐久市観光協会でもアピールがありませんでしたし、もう少し前面に押し出してもいいんじゃないでしょうか。それこそ、特産の巨峰や杏、桃やプルーンなどを使ったケーキなんかおいしいと思うんですけどねぇ。
まぁいいんです。
わたしたちは、そんな佐久市でケーキを食べます。
テイクアウトもあれですし、どうせならカフェで食べられるようなところがいい。ということで、見つけたのが「西洋菓子フォンティーヌ」さん。
1階が販売、2階がカフェになっております。
さすが、神戸・自由が丘と肩を並べるケーキの町です。実においしいケーキを頂きました。
おみやげもケーキを買いました。このおみやげがうちの人間にとても評判でしてね。
はんじゅくチーズケーキとはんじゅくショコラというのを買ったんですが、ふんわりとろとろしていて大変おいしかったです。

その後は、ちんたらちんたらと甲府に戻ってきたわけですが、ちょっと一日ではもったいない感じがしましたね。
上田には「池波正太郎真田太平記館」があったり、小諸には「小諸城址懐古園」があったり。ちょっと足を伸ばせば軽井沢ですし。佐久には「龍岡城五稜郭」があります。
二日あればあちこち見ることが出来たんでしょうけど。なかなかそれも難しく…。
いつの日にか、また来てみたいと思います。



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