さじかげんだと思うわけッ!

日々思うことあれこれ。
風のようにそよそよと。
雲のようにのんびりと。

四十七

2007-05-20 20:57:12 | 『おなら小説家』
書いた。
草田男は、ただひたすら書いた。
書いては消し、書いては消しを、愚直に繰り返した。
しかし、浮かぶ言葉は「恵美の感性」そのものであった。
一体どれほど長い間、恵美に頼ってきたのか。

草田男の感性を取り戻すという、この作業が燃圓の真ん中に草田男を帰ってこさせるための、そんな役割を担っていたのかも知れない。
考えてみれば、現在の草田男は恵美なしではあり得なかった。
政略ともいえる結婚後、彼の裏側に徹し、支え、助けてくれた。
いつの間にか、それが当たり前になり、「頼る」だけでは済まなくなっていた。乳母車に乗せられ押されて散歩する子どもと化していたのだ。
いうなれば、「退化」していた。
常に進化を続けてきた人間にあるまじきことだと、彼は思っていた。

恵美という人物は、もし生まれる時代が違っていて、その性格さえも違っていたならば、稀代の芸術家となっていただろう。
何せ、彼女の感性はすべての芸術を網羅している。
それは、燃圓の小説はもちろん、彼女が趣味で始めた刺繍の世界でも認められたことが証明している。
きっと、どの芸術分野に進出しても、彼女は一流の成果を収めるであろう。
それをしないのは、彼女に功名心とか野望というものがないからであろう。
それを損と思うか、個人の自由と思うかで、その人の人生は変わってくる。

草田男は…そんな恵美を、あまり気にしてこなかった。
いや、恵美があえて影を潜めていたことにも気付かず、川にたゆとう船のようにふらふらしていたに過ぎなかったのである。
彼は、彼のこれまでの半生をとても情けなく思った。

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