燃圓が描いたモロチンの伝記小説『屁の如く』第1回目は、静かな反響を呼んだ。
いいにしろ悪いにしろ、評価の分かれる作家の伝記は、やはり評価の分かれる伝記となった。
対象についてはもちろん、重度の燃圓読者ならば、すぐに気が付くような文章の違いが特に大きかったのである。
桂木金五郎氏に至っては、大丈夫かと心配して電話をしてくるほどであった。
これに衝撃を受けたのは、誰あろう当の小奈良燃圓本人であった。
まさか、恵美に読んでもらわずに発表した作品が、これほどまでの違和感を持って捉えられたことは、衝撃的であった。
いかに、自分が恵美と恵美の感性に頼って作品を発表してきたかがわかったのである。
高校時代、同人仲間から「時代の奇跡」とまでいわれた草田男の文章は、今ではすっかり恵美の文章となっていた。
確かに、この文章は紛う方なき燃圓のものである。しかし、感性は恵美のものであった。
これではあたかも、代筆のようではないか。
小説家こそ天職と思い込んでいた草田男には、これは耐え難い事実であった。
とはいえ、連載を始めてしまったのだから、途中で打ちきりというわけにもいかない。
昔は、桂木氏にも認められるほどの感性を、恵美と同等の感性を有していたはずなのだから、それを取り戻すしかない。その機会は、恵美がいない今でしかできないことである。
草田男の、自分の感性復活を、この自身の一大小説上で行う羽目になってしまった。
自分の愚かさに、草田男は笑うしかなかった。
しかし、やらねばならない。
小説など、いくらでも書き直すことができる。
しかし、消え失せた感性を取り戻す機会は、今しかない。
いいにしろ悪いにしろ、評価の分かれる作家の伝記は、やはり評価の分かれる伝記となった。
対象についてはもちろん、重度の燃圓読者ならば、すぐに気が付くような文章の違いが特に大きかったのである。
桂木金五郎氏に至っては、大丈夫かと心配して電話をしてくるほどであった。
これに衝撃を受けたのは、誰あろう当の小奈良燃圓本人であった。
まさか、恵美に読んでもらわずに発表した作品が、これほどまでの違和感を持って捉えられたことは、衝撃的であった。
いかに、自分が恵美と恵美の感性に頼って作品を発表してきたかがわかったのである。
高校時代、同人仲間から「時代の奇跡」とまでいわれた草田男の文章は、今ではすっかり恵美の文章となっていた。
確かに、この文章は紛う方なき燃圓のものである。しかし、感性は恵美のものであった。
これではあたかも、代筆のようではないか。
小説家こそ天職と思い込んでいた草田男には、これは耐え難い事実であった。
とはいえ、連載を始めてしまったのだから、途中で打ちきりというわけにもいかない。
昔は、桂木氏にも認められるほどの感性を、恵美と同等の感性を有していたはずなのだから、それを取り戻すしかない。その機会は、恵美がいない今でしかできないことである。
草田男の、自分の感性復活を、この自身の一大小説上で行う羽目になってしまった。
自分の愚かさに、草田男は笑うしかなかった。
しかし、やらねばならない。
小説など、いくらでも書き直すことができる。
しかし、消え失せた感性を取り戻す機会は、今しかない。