小田原周辺のマイナースポットや些細な出来事を少しずつ
小田原の端々



紀元前より人類を大いに苦しめてきた疫病の一つが天然痘である。天然痘はかつて、疱瘡とも呼ばれ発症すると高熱や炎症などにより最悪死に至る病として恐れられていた。医学の発達していなかった時代、その疱瘡は御霊の祟りと信じられ呪術的信仰により、土地への侵入防止や症状の軽減を祈る風習があった。その疱瘡の神を祀った石塔が小田原と開成町の境の神社にあると知り出かけた。 小田原市曽比、県道720号沿い開成町との境際にある曽比稲荷神社。 曽比稲荷神社の創立年代は、はっきりとしていないが江戸時代中期には当地の鎮守になっていたようだ。約400坪の境内には土俵も設けられており、10月の大祭時には子供相撲が催されるとのこと。社殿は平成に入り修復が行われたようで、所々に古い社殿に使われていた彫刻や部材が移設されている。 境内西側の一角には15基ほどの石塔が並んでいる。石塔のいくつかは、もともとこの境内にあったものではなく、地区内にあったものを移設したようで、様々な種類が見られる。 石塔に混じり石の彫像も置かれている。いくつかの資料を探したがこの彫像についての記載がなかったので詳しいことは分からず。像容からして天部か祭神と思われる。 15基ほどの石塔の中には代表的な民間信仰の庚申供養の石塔も見られる。青面金剛像と3猿が浮き彫りされた庚申供養塔は享保年間の造塔。 並んだ石塔の中ほどに、自然石に疫神と刻まれた高さ70cmほどの疱瘡神供養塔が立っている。石塔の裏手を見ると明治7年7月と刻まれている。天然痘の予防接種である種痘が一般に行われるようになったのは明治9年からだが、それでも明治25年には東京で大流行するなど、当時、疱瘡は恐れられていた。疱瘡の神は異境から入り込むと考えられたため、速やかに疱瘡の神が立ち去ってくれることを願い、村の入口や神社の境内などに石塔を建て祀った。小田原でも幾度か疱瘡が流行したようだが、疱瘡神供養塔の造立は少なく、この曽比稲荷神社のほかに数基しかないようだ。日本では1955年を最後に天然痘は根絶され、天然痘という言葉もほとんど聞くことは無くなった。

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