小田原周辺のマイナースポットや些細な出来事を少しずつ
小田原の端々



昨年、おだわら諏訪の原公園に出かけた際に、園内の通路脇で外国人遊歩規程測量標石を見つけた。明治の初期に、居留外国人の移動範囲を横浜から測量した測点に置かれた標石は、その数約60ヶ所。その後の都市化や開発により現存する標石は半分ほどになり、この小田原周辺には約10ヶ所に標石が現存している。おだわら諏訪の原公園の第56号標石は本来あるべき蓋石が残っておらず完全な形ではない状態で置かれている。蓋石も残っている標石も見てみたくなり調べたところ、小田原市小八幡の小八幡神社の標石には蓋石も残っていることが分かり出かけた。小田原市小八幡の小八幡神社。神社の縁起などは詳しく分からないが、承応4年(1655年)の石碑や元禄年間の庚申供養塔などが境内にある。小八幡神社の鳥居をくぐってすぐ左手の植込みの中に、外国人遊歩規程測量標石が置かれている。しかし当地の看板には「小八幡村の道路元標」と書かれている。道路敷設のための元標ではないのだが。もともとはこの場所ではなく、小八幡字家の下144番地先に設置された標石を小八幡神社境内に移設したもの。標石の上に蓋石が置かれている。本来は測点の地面に穴を掘り、標石を埋め込み、その上に蓋石を置いたようだ。この小八幡神社の標石はどちらも地表に出ている。厚さ15センチ、縦横35センチほどの蓋石をどかす。蓋石の重さは40キロほどだろうか、かなり重かった。標石には「第52号」「測点」「地理寮」と刻まれている。文字に入れられた朱もうっすらと残っており、保存状態も良好だった。一通り写真を撮った後に重たい蓋石を再び標石に被せて帰路についた。

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