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入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’24年「春」(19)

2024年03月12日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

 
 雪が降っている。すでに薄く積もって、辺りは白い冬の季節に戻ってしまった。
 昨日、ようやく小さな春の花、勝手に「ユキワリソウもどき」と名付け、呼んでいる花が開花したというのに、今はその姿も雪に隠されてしまって見えない。
 あんな小さな花でも陋屋の庭の一隅に桃色の花を見ると、それだけで待ちあぐねていた季節が訪れたと実感できたり、安堵したものだが、また招かざる雪で台無しにされてしまった。


       無惨!
 それから約1時間が過ぎた。雪は霙から雨に変わり、過って降らせた雪と気付いたのか、天気は自らの手でそれを始末をしているように見える。
 
 里はそんなだが、外の気温は3度、ということは入笠は零下ということになり、まだ雪は降り続けている可能性が高い。様子を見に、途中まででも行こうかと思うと、決まって雪を降らせて邪魔をする。
 3月の中旬にこれほど雪の降る回数が多いのは珍しく、この雪もこのまま根雪となって4月半ば、いや、仕事を始める20日ころまでも残りそうだ。

 富士見町に問い合わせたところ、ゴンドラを営業する富士見パノラマがすでに除雪の計画を立てていて、週内には詳しいことを知らせてくれることになっている。
 しかし、伊那側にはそんな計画などない。富士見とは事情が違うから、こちらもそれをあれこれと言うのを諦め、望み薄だが、お天道様の機嫌を窺っているしか他に手はなさそうだ。
 よほど気温が上昇しなければ、例年と変わらず今年もド日陰から先は歩くしかなく、その後は雪掻きが待っている。
 分かるだろう、吠えたいのを我慢している。
 
 本日はこの辺で、と思ったら、友人のムラカミ君から電話があり「ユキワリソウもどき」などという名前はけしからんと叱られた。あれは間違いなくミスミソウの仲間「ユキワリソウ」だとのお墨付きをもらった。また、春の花ではまず福寿草を語れとか、草花について該博な蘊蓄を承った。その辺りのことは追々とし、今年もカタクリ峠に行く約束もできた。多謝!
 ということで本日はこの辺で。

 
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     ’24年「春」(18)

2024年03月11日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

             春まだ浅き伊那谷

 筋萎縮性側索硬化症(いわゆるALS)を患っている女性の求めに応じ、薬物を投与して死にいたらしめた医師に対する裁判、懲役18年の判決が出たと知って驚いたと先週の土曜日に呟いた。
 その後で、それを報じる新聞記事を読んでみた。量刑に関しては医師の側に重大な余件もあり、この点に関して分を超えそうなので、呟くのは控えておく。
 
 判決内容は、安楽死という手段を一概に否定したわけではなく、ALSという回復の見込みのない難病に対し、当の女性の心情にも配慮していた。
 そして、1)「苦痛の除去、緩和のために他に手段がないことを慎重に判断する」2)「患者に説明を尽くし、意志を確認する」3)「苦痛の少ない医学的な方法を用いる」4)「一連の過程を記録する」、これらが、医療従事者らが安楽死の求めに応じる際の「例外的に許容される四つの要件」だとした。

 こういう判決内容だったが、生死に関わる哲学的問題でもあり、今後の安楽死の議論の一歩前進になるかも知れないし、是非なってほしい。
 もとより、自殺者などいないにこしたことはない。しかし、不治の病による人格崩壊の怖れ、あるいは耐え難い苦痛、そればかりか生への失望、その意欲の喪失、自死を考える理由はいろいろとあるだろう。そこに、できるだけ苦痛を伴わない安楽死という手段が、窮余の解決策として考えられるのは不思議でもなんでもない、と思う。
 
 自己の決定権の観点からも将来は、安楽死という手段により自らの生命を絶つことをより柔軟に認められるような社会が来ることを望む。それが、自分ばかりでなく、自死を決断した人たちの過激な方法に走らせない、"不条理な支援"の一つともなり得よう。
 オランダの93歳になる元首相夫婦の例もある。立前では生命の大切なことを言う人たちでも、多くの人々があの死を受け入れ、羨望さえした。
 
 この安楽死の問題は老人ばかりのことではないが、高齢化社会を迎え、老々介護、独居老人、高額医療の問題等々を考えても、安楽死については日本でも、さらに踏み込んだ論議をすべき時が来たと思う。
 塩気の抜けた呟きになってしまった。意を尽くせないまま本日はこの辺で。
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     24年「春」(17)

2024年03月09日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

 あの事件は一応、嘱託殺人罪だと理解しているが、詳しいことは紙で読んでいないので知らない。なぜ、懲役18年の判決が下されたかについても、驚きはしたが、もっと詳しいことが分かれば納得できた可能性もある。
 そんなわけで、これから呟くことはあの事件に触発されて、たまさか頭に浮かぶ安楽死についての極めて個人的な思いであり、関連する法の理念を充分に承知した上、というわけではない。

 思想の自由、信仰の自由、結社の自由などなど、われわれにはいろいろな自由が法によって保障されている。まず素朴な疑問は、それらの自由よりもさらにもっと根源的なはずの生死の選択に限って、なぜ安楽死の選択がもっと自由に許されないのかということである。
 もっと言えば、当事者でない第三者と言ってもよい国が、そもそも一人の人間の生死に関することを、法により過度に縛ったりすることが正しいのかと疑問に思う。ただし、オランダのように手段には様々な規制があってもいい。
 
 難病で苦しむ人がいる。病による人格崩壊を怖れる人もいる。老々介護で苦労する人たちもいる。そうかと思えば、まだ30代の身で脊椎カリエスの痛みに苦しみ、悲鳴を上げながらも「あらゆる生を受け入れることが悟るということだ」と言い切った勁い人もいた。
 信仰する宗教が自死を認めてない場合もある。それに従うか否かも含めて、人生の閉じ方を決っする権利はその当人にあるはずだ。
 
 進化論を信じない人が多数いるというあの国でも、10州以上が安楽死を認めていると聞く。ヨーロッパにも先日のオランダも含め、認めている国が幾つもある。
 高齢者、独居老人が回復の見込みがない病に罹れば、あるいは生きることに疲れ厭きたり、痴呆症になって下半身を晒し徘徊するようなことになるなら、他人に迷惑を掛ける前に静かに逝きたいと思う。その手段としての安楽死を考えている人は周囲にも大勢いる。
 
 報道や雑誌もの言う人らが、高額の出演料や原稿料を貰い、庶民の暮らしに同情を見せるのもいい。しかしたまには、こういう問題についても世論を喚起してみてはどうか。
 裏金問題で紛糾を重ねる政治家たち、期待するのは無理かも知れないが、誰もがいずれは通らなければならない道、議場で白河夜船を決めているアンタもだ。
 
PS: TDS君が親切にも嘱託殺人事件に触れた3月6日付けの毎日新聞を届けてくれた。しかしそれを読まずに呟いた。加筆、訂正を含め、「つづく」としたい。
 本日はこの辺で。明日は沈黙します。
 

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     24年「春」(16)

2024年03月08日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


  梅の花が咲いていた。指標木にしていた木ではなく、思いがけずも別の木で、それも一輪「をば云うふにはあらず」、もっと咲いていた。
 
 それに気を良くして、午後は散歩に出た。道々あれこれ思ったり、感じたことを忘れずに覚えていて、それをここに呟くことができればと思うが、帰ってその後座ったら、爽快な満足感の外は何もかも忘れてしまった。
 ただ、天竜川の河原に根付いてしまったアカシアの枝が、大分黄色の薄衣をまとってきたように見え、そのことは印象に残っている。雪が降ったりしても、そんな季節の抗いなど取るに足らぬと、冷たさの和らいだ川音も教えてくれていた。

 夕暮れ、いつものようにビールと本命の日本酒を代わるがわる飲む。「夜明け前」が残り少なく徳利を満たさなかったので、ならばと迷わず「八海山」をそれに足した。このごろは、こういうことを平気でする。「酒の味の分からない」と言われている者には、それで何の不足もない。
 不足ないどころか、却って味が良くなったような気がし、読みかけのある作家の随筆を肴に杯を重ねれば、五臓六腑に沁みる酒に褒める言葉をなくす。名ばかりの春の宵とはいえ、それとなく艶めかしさも潜んでいるらしく、それも心地の良い酒の酔いを深めてくれるようであった。(3月7日記)

 関東では雪が降っているようだ。早朝から各地の様子が伝えられているが、積雪が2センチ3センチで大騒ぎして報道する人に、雪国の人は呆れ、怒っているかも知れない。気温零度が一体どうだというのだろうか、それが日常である人がいくらでもいる。
 昨日の散歩でも、日の当たらぬ山道には雪が残っていて歩きにくかったが、恐らくきょう行けば消えているだろう。また言うが、老人の元気と春の雪などそんなものだ、自戒を込めて。

 問題は、まだ冬と春の狭間に揺れている入笠の雪で、今月の26日27日には上に行かねばならない。こっちは何とかするにしても、やって来る人たちが本当に来られるのかどうか、案じている。

 筋萎縮性側索硬化症の患者の求めに応じ、安楽死させたという医師に懲役18年の判決が出て驚いている。それについては、少々愚見を明日。
 本日はこの辺で。

 
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     24年「春」(15)

2024年03月07日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

    上はまだこんなだろうか、牧場内にある二つの大曲りのうち「下の大曲り」
 
 今朝は青空が拡がり、日も射している。久しぶりだ。それでもまだ梅の蕾は開かないし、経ヶ岳や西山は雪雲の中に隠れて見えない。

 NMさん、通信ありがとうございました。そうですか、1971年、もう半世紀以上前のことになりますが、馬や羊がいたかも知れません。ご推察の通り、鞍の代用にムシロとあっては、恐らく馬は農耕馬だったのでしょう。その点、Y君の馬はちゃんとした鞍も用意してあり、観光にも利用できるよう感染予防薬の投与など他の要件も満たしているはずです。
 牧場のキャンプ場は、タカハシの100ミリ屈折望遠鏡を備え、露天風呂ができたくらいで、殆ど何も変わっていません。周囲の自然、星空は今も変わらず自慢です。お出での際にはぜひ声をかけてください。
 
 そのころのことだったか、何かの補助金が降りて、牧場にもスキー場建設の計画があった記録が残っている。今になってみれば、現在のスキー場の広大な規模、状況からして、あんな貧弱な計画など頓挫して良かったはずだ。裏山にスキー場を、などと安易な思い付きで多額の金が投資されて、それから半世紀、営業不振で閉鎖されままのスキー場が各地に目立つ。
 
 観光で地域を活性化するということを声高に主張した一人に、確かアメリカの女性の学者がいた。あるがままの自然を利用すればよく、大した投資も必要ないということだった。
 しかし実際はどうだったか。それだけでは人は来ないし、金も落ちない。各地の観光地は行政も民間も相当の金をかけ道路を整備し、施設や設備を充実させるための努力をしたが、活性化するはずであった過疎地はさらに逼迫し、多額の負債を負ったという所もある。

 赤羽さんが言ってくれた当節流行りのクラウドファンディング、そういう方法があることは知っているし、2案ほど応援したこともある。
 将来、牧場は当然大きく変わっていかざるをえないだろうし、それも分かる。しかし、もう、そんなことを期待しない。待つつもりもない。どうせいつか、どこにでもあるような自然を無視した、遊園地もどきの観光地ができるだけだろう。
 牧柵を張り、草を刈り、実生から生えた若木を始末し、そして放牧を続けてきた。これまで守って来た今の牧場が、自分にとっての全てだと言うしかない。
 本日はこの辺で。


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