
牧場3日目(2月6日)、山を下りる日だから少し早めに起きるつもりが、目が覚めたら7時を過ぎていた。朝方の4時ごろ、寒くて一度目が覚めたからだろう。毛布2枚と1枚の軽い布団だけでは安眠というわけにはいかなかったようだ。
8時半、出発。状況が分かっている御所平峠を経由するか、牧場を見回って帰るか迷ったが、結局、牧場管理人であることを理由にして、深雪と急登を覚悟の上で第1牧区へ上がることにした。天気は悪くなかった。前夜に降った雪がコナシや白樺の枝を飾り、その粉雪がわずかな風に舞い上がると、権兵衛山の上に昇った朝日に輝き、周囲の白い世界はさらに幻想的な美しさを見せてくれようとした。
第2牧区の新雪の斜面に足を踏み入れると、予想以上に潜った。だからと言って、引き返すわけにもいかない。根気を出して登っていくほかなかった。登路にした左右から斜面が落ちてくる凹んだ部分は上部へと延びていて、いつか牧場がもっと観光目的にも利用されるようになったら、歩いて登って欲しい空想の登山道でもあった。
そんな日のことを思い描きながら進んでいくと、第1牧区の牧柵が見えてきた。有難いことに、予想と期待通り、雪の表面が風と太陽の光で硬く締まり、それまでが未舗装の山道だとすれば、まるで高速道路を行くような快適な登行に変わった。
当然周囲の大展望も目にした。冬山の爽快な気分も味わった。しかし、それよりなにより、雪の原を存分に歩けることを喜んだ。雪に埋もれた塩場も見た。世話の要った倒木処理の跡も歩いた。そして再び深雪の林を抜けて牧場の終わる場所に着いた。
意外なことに、牧柵は僅かだが上部が雪面に見えていた。ということは、それが雪に隠れていたこともあったのだから、もっと大雪の年があったのだ。そんな深雪の中でも、後を付いてきた健気なHALのことをまた思い浮かべて、その苦労が伝わって来た。死んだ愛犬が不憫であり、愛おしくもあった。
牧場から自分の残した踏み跡の残る古い林道にでた。そこからは、ただ淡々と歩けばいいだけで、そうした。行きは山椒小屋から2時間半近くかかったが、牧場超えをしたにもかかわらず帰りは1時間足らずで通過した。
気楽な下降に、「はばき当て」を過ぎてスノーシューズが外れた。ゴムのバンドが切断して、応急的な処置をしてあった箇所だった。また、履き心地、歩きやすさを犠牲にして、軽量化を図った化学繊維の木靴のような登山靴に足の傷が疼いた。登りは厚手の脱脂してない古いセーターだったが、下りはゴワゴワした防寒衣を着たため窮屈な思いをする等々と、安気さのせいでか幾つかの不満を感じ、それでも車を停めてあった「万灯」へは11時ごろに、約2時間半をかけて古道を帰って来た。
本日はこの辺で。