入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

    幻の古道「石堂超え」を行く

2014年07月02日 | 入笠にまつわる歴史


 入笠の「法華道」は、北原のお師匠をはじめ関係者の努力もあって、次第に人に知られつつある。だが、それよりももっと古い「石堂超え」と呼ばれる古道のことは、知る人も少ない。
 「日本書紀によれば天慶四年(九四一年」、甲斐の三牧から、朝廷に馬が献上されたという記録があるそうだが、その時の馬のたどったコースがこの「石堂越え」だった「という説もある」と、平成8年に刊行された長野県教育委員会編「歴史の道調査報告書」は曖昧な記述をしている。
 この報告書は、他にも首をかしげたくなる点が幾つかあるが、720年に成立した日本書紀に、いくらなんでも941年、先述の武徳殿における駒牽きの記録なぞがあるはずはない。出典は別で、誤りだろう。
 さてともかくも、この石堂越えなる古道が、昨日踏査した半対峠を通り高遠の三義山室に通じていることをうっかり忘れていた。昨夜のことだが、話せば負けん気の強い北原のお師匠のことさぞかし悔しがるだろうと、半対峠から不確かだった小黒川に下る道をしっかりトレースしたと報告したら、「それが石堂超えだ」と逆に指摘された。
 出発の前、半対峠から小黒川に下り「さてそれからと・・・」と、25000分の1の地図を眺めながら感じた疑問は、これで氷解した。半対峠から小黒川に下れば、対岸にもこの道に続くルートが当然なければならないが、地図上では小黒川林道で交差して終わっている。しかし現在の小黒川林道なぞ、この山道と比べたら問題にならないほど新しいはずで、別にもっと古い道がないとおかしい。
 で、なるほどそうだったのか、地図には描かれていないが、標識布に従い小黒川の削る谷をしばらく遡行した。あれこそが、地図から消えてしまっていた古道だったのか。南沢の少し手前で林道に出て、さらに行くとテイ沢の出会いに至る。そこから先は地図にも示されているように、テイ沢を高巻くようにしてヒルデェラ(大阿原)に出て、そして富士見町木ノ間へと下る、これぞまさしく「幻の石堂越え」を伊那側からたどるコースだったのではないか。納得・得心。
 ん?写真やコースの説明がないだと。実は、カメラを家に置いてきてしまったので、明日に続く、ということで了解のほどを。それにしても、このコースはイイ。「姫君の恋」になぞられる、燃えるような紅葉の秋は、特に。

 Chiyさんホントだね。もしも牧場がなくなってしまえば、望遠鏡の行き場がなくなってしまうものね。ウーン。

 山小屋「農協ハウス」とキャンプ場の営業に関しましては6月2日のブログをご覧ください。昼の間と夕方5時ごろでしたら、管理棟TEL:0266-62-4122でも応答できます

 
コメント
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