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入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

      ’25年「夏」(35)

2025年06月30日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 きょうは完全にこちらの手違いで一度消えた。

 6月がきょうで終わる。この月はいつもより短く感じたこと、1年の半分が終わったことなどの感慨を呟いた。しかしそれでも、この6か月の中にネパールへの旅や4月早々の撮影があったことなどを思い返すと、それらのことは最早もっともっと遠い日々の出来事であったようで、時間の経過について混乱したとも独り言ちた。

 法華道の草刈りはついに御所が池と、さらに芝平へ下る分岐まで進んだこと、途中、北原のお師匠が刈ったとしか思えない古い落葉松の根っこを見付け、師の古道への熱い思いを、閉村となった故郷芝平への愛着を、今さらながらに感じたことも伝えようとした。

 手を休めていたら、日曜日であったからか、黒い犬を連れた夫婦と出会い、少し立ち話をした。この人たちは赤坂口から登り、少し遠回りをして再び元の道へ戻るつもりのようだった。
 種平小屋の夫婦が整備した道が一部分かりにくかったと聞き、小屋主が体調を崩し小屋の営業を断念せざるを得ず、二人で汗を流した山道の管理、維持は難しいことを、また、彼の静養中であることにも配慮して、古道を再訪するなら芝平の諏訪神社口の方を、と言っておいた。

 以前から気になっていたことながら、山椒小屋跡を過ぎ、尾根道を終えて複雑厄介な古道を登り切ると、今は使われなくなった古い林道に出る。ここからは牧場近くの「オタマジャクシの池」少し手前までは、古道と林道は重なる。
 しかし、もしかすれば今も、落葉松の人工林のどこかに、本来の古道が人知れずに長い眠りを貪ぼっているかも知れないと考えることもよくあった。
 それが偶々昨日、作業を終えての帰り道、ひょっとしたら古道の跡かも知れないと疑いたくなるような場所の一部を見付けた。断言はできない、そうではない可能性もある
 
 いけない。まさに、ヤマイコウコウニイルではないが、気を付けなければ山を下りることができなくなる。
 法華道に関心のある方はカテゴリー別「法華道と北原師」及び「入笠の歴史」をご覧ください。少しは参考になるかも知れません。

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 本日はこの辺で。
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      ’25年「夏」(34)

2025年06月28日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

       落葉松林の中の静かな古道、法華道
 
 今朝はガスコンロが着火しない。午前6時半の気温は15度、最近こういうことはなかったが、コンロが用をなすギリギリの気温なのか。それにしても毛布1枚、布団1枚でも、少々床を離れるのには苦労した。下界のうだるような暑さに閉口している人たちに惚気話をするようで恐縮だが、今朝は上に1枚薄いジャンバーまで羽織っている。
 昨日から2泊の予定で来ているMさん夫婦は、日の当たらないタープの下でなく、明るい朝日の射す場所にテーブルを移して朝食を摂っている、笑う。


     
 西日本は梅雨明けしたとか、呆れた。これから約3か月、100日近くを炎暑に耐える生活をしなければならない人が多いだろう。誰かが「日本は東南アジアのようになってしまった」と言っていた。
 その言葉を聞いて、クアラルンプールの飛行場を出たら、夕暮れでも湿度の高い熱気の中で、野球に興ずる若者たちを目にして、見る側の方が倒れそうになったことを思い出した。
 今はこんなことを言っていても、来年からは暑さに耐え、寒さに震え、清貧独居禁欲のお先短い晩年を行かねばならない。

 話題を変え、また草刈りの話をするが、落葉松林の中を走る古道法華道、何が厄介かと言うと、草の中に落ちている枯れ枝である。これが必要以上に敏感に反応して、研ぎ上げた刃と接触すると悲鳴を上げ、邪魔をする。一冬の間に雪の重みに耐えられず落ちたその数は無数、仕事の流れを遮ること街中の道路の信号並み。
 それと、草陰に隠れた石ころも大敵と言えるが、イノシシほどではない。何を貪るのか、飢えたブタの親戚は土を掘り、石をどけ、人の通ること稀な古道をデコボコにしてしまう。
 
 本当はクマササ以外はそのままにしておきたいのだが、そうもいかず、手加減しながら新しい植生やクリンソウも刈る。それでも、その刈り跡を見て下手糞だと思う旅人もいるだろうが、刈り過ぎるとまたクマササに縄張りを奪われてしまうのだ。
 それにしても、予定のオタマジャクシの池はとうに過ぎたというのに、一体どこまで続けろというのだろうか、お師匠様。ワタクシ奴も、ついに貴方と同じく古道に取りつかれてしまった一人なのでせうか。

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 本日はこの辺で。明日は沈黙します。

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      ’25年「夏」(33)

2025年06月27日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 午前4時10分になろうとしている。つい先程鳥の声がした。そろそろ夜の帳が明ける。
 昨日、塩を使って囲い罠へ鹿の誘引を始めたが、もう少し明るくならないと中の状況は分からない。すでに丑三つ時の午前2時から起きていたから、ひとまずもう一度眠ろう。

 ひと眠りして目が覚めた。7時半、曇天。罠の中は空っぽかと思ったら、1頭だけ鹿が入っている。囲い罠の中は牛の喜びそうな牧草の生育が今年も良好で、もしかすれば草に隠れてまだいるかも知れないが放っておく。
 この時季になると、牧場周辺も春先のような大きな鹿の群れは消えて、いずこに去ったのか目にする頭数もすっかり減ってしまっている。それでも、まだ出産の時季ではある。草刈りを終えて帰ってきたら、生まればかりの小さく危うい小鹿を連れた1頭の親鹿が、湿地帯の藪の中に消えていくのを見た。
 アレッ、罠の中には1頭かと思ったらまだいる。それでも誘引に成功したということで満足し、欲はかかない。ゲートは開けたままにしておく。

 囲いの中を別にすれば、牧草の生育はあまり良くない。特に第3牧区は昨年イノシシに掘り起こされた跡には雑草も生えて来ず、入笠山の登山道脇、第2牧区のBも、一面草が第3牧区と同じように剥がれて、そこも無残にも茶色の表土が露わになっている。
 やがて生えてくるのはカヤか、実生から生えた落葉松だろう。そして、あのままだと、いずれ原野に還るのか。

 星の狩人かんとさんが伊那市の白鳥市長に出した手紙には、丁重な返事が来たという。牧場や周囲の景観、自然を市長はよく知っているだけに、どのように生かすべきか今後しっかり検討していくという返事だったようだ。
 それに、かんとさんがここで撮った天の川の写真が今も市長の名刺に使われているというから、入笠にとっては強力な支援になるだろう。
 かんとさんが出した1通の手紙をもって市長には、ここを長年愛し、親しんだ多数の人たちの総意というふうに捉えてもらえたら有難いと思っている。

 一昨日だったか、週末のキャンプの予約が女の人の声で留守電に入っていたが、電話番号が分からず応答できなかった。予約を受け付けたことにしますので、よろしければお出掛けください。
 
 刈り払い機の歯もしっかりと研いだ。きょうも古道が待っている。
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      ’25年「夏」(32)

2025年06月26日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 ここと里の標高差が1千㍍。100㍍につき0.6度の気温差だから、その違いは6度ほどになると前にも呟いた。昨日はそのことを痛感して、再び上に帰ってきた。
 山を下っていた時は気付かなかったが、下に着いたのが11時少し前、その時になって初めて里の暑さに驚いた。
 
 用事を済ませて家にも立ち寄った。「やはりわが家は涼しいな」と思ったが、ガスコンロで湯を沸かしたらたちまち室内温度が上昇し、即エアコンを点けた。22年前に都落ちした時は、エアコンの人工的な冷気を必要としない田舎の夏が何より嬉しかったというのにだ。
 そもそも当時わが家には冷房機などというものは無かった。必要なかったからで、それを買ったのは夏対策ではなく、冬の寒さ対策だった。信州では暖房にエアコンは無理だと思い込んでいたら有効だと言うからだったが、あまり世話にはなっていない。
 起きた時、居間を暖かくしておきたかったからだったが、例によって取り扱い説明書を読むのが嫌で、設定の仕方をよく知らないからだ。石油ストーブ、炊飯器、風呂、どれも右に同じ。

 里の暑さに辟易して戻ってきたら、ここはすこぶる快適だった。刈り払い機の歯を新しいものに換えて、法華道の草刈りに出掛けた。雨は止んでいたが、何時降り出すか分からないような天気で、雨具も用意した。
 イヤー、新調したばかりの歯の切れ味の良さはまさに感動ものだった。その前に一度、超硬チップ付の新品で試し刈りをしたら意外と期待外れで、そのためそれまで研いでは使っていたのと同種の歯、もちろん新品でやってみたのだ。
 林業関係者が帰る時、車に積んだ刈り払い機から歯を外しているのには気付いていた。思うに、やはりあの人たちはチェーンソーと同じく切れ味が悪くなればその都度ヤスリで研いでいたに違いなく、その際には面倒でも歯を刈り払い機から外して研磨作業をやっていたのだろう。

 待て、こんなことをいくら呟いても、山にいて都会の「うだる」ような暑さを想像するのが難しいように、刈り払い機など使ったことのない人にとっては、さながら愛刀の試し斬りの話でも聞くようなものかと、いや失礼しました。
 それにしても夕暮れ時の古道の雰囲気がことのほか味わい深く、降り出した雨に「もう帰れ」と言われても、去りがたかった。きょうも行く。

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      ’25年「夏」(31)

2025年06月25日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 横になって本を読んでいた。ふと、あることを調べようと思い付いて、そのまま3文字読み続けたら、その調べたいと思ったことは煙のように消えてしまった。まるで打った文字や言葉が突然消えてしまうこのPCみたいなもので、思い出せない。
 それで、数行戻って読み直したらどうかと考えたら、無駄ではなかった。狩猟に関する蘊蓄を読まされているうちに、「サファリ(safari)」の意味を改めて確認しておきたくなったのだ。
 日本では「XXXサファリパーク」なんて言って、キリンやライオンが飼われていたりする動物園のような場所に使われているが、本当の意味はどうも狩猟やそれを目的にした旅の事だろうとは思っていた。
 英和辞典で調べたらアラビア語とあり、国語辞書ではスワフィリ語だという。どっちにしても思っていた通りの意味で、言葉の舞台はアフリカだから、それ以上は拘らないことにした。

 台所に行って、さて何をしに来たのかと目的を忘れて当惑することはしょっちゅうである。思い出そうとすると多少は脳も使うだろうが、むしろかなりの体力を使うような気になる。
 仕事をしに外へ出掛ける時は、一応必要な物を考えながら用意する。しかし、急いでいると大概何かを忘れる。富士見に食料の買い出しに行く時も、必要な物をメモしておかなければ、何かを買い忘れることは十のうち八や九はあるというありさまだ。

 一昨日も、取材に来た中日の記者に、何を話していたのか途中で分からなくなったり、北条時行との関連で幕末の儒学者横井小楠の名前が出てこずヒズをこいた(「苦労した」、くらいの意)。
 そもそも、記者の来訪目的が古道「法華道」の取材であったことさえ、明確には呟かなかったような気がする。まぁ、小黒川のヤマメ釣りが目的ではないことぐらいは分かったと思うが。
 ご同輩各位は、如何だろうか。当方は山の中でも主婦の役目までも負っているので(こう呟くと、あのタジマさんが怒る?)余計にこの手の苦労に心を乱すことが多い。

「お世話になりました
 21日、22日の一泊二日のキャンプでしたがお世話になりました。牧場案内楽しかったです。次回は入笠山に登ってみようと思います。ありがとうございました。追伸:夜空の撮影しましたが星空凄いですね」

 Yさん、こちらこそありがとうございました。こういう通信も頂戴するが、今年は例年に比べ予約が少ない。昨日はおかしな噂も耳にした。真実でないことを願っている。
 
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      ’25年「夏」(30)

2025年06月24日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

      一昨日(22日)、緑陰の濃い晴天の御所平峠
 
 激しい雨音が続いている。きょう明日と、こんな天気が続くのだろうか。梅雨の時季とあれば致し方ないと思いつつも、所在ない時を早送りでもしたくなるような気分で過ごしている。

 山の中にある牧場の管理小屋、こんな時は「農休み」と決め、風呂でも沸かし、あるいは何か美味い物でも作り、酒と一緒に溜まった疲労を少しでもなだめなければと思うも、さてさて、長い一日にだけはなりそうだ。
 昨夜も知らないうちに寝入ってしまい、気が付いたら11時半だった。それからなかなか寝付けないと思って時計を見たら、3時40分になっていて驚いた。眠ったという意識は全くなかったのに、4時間近くが過ぎていたのだ。
 外はまだ夜が続いていたのでそのまま惰眠に引きずりこまれ、目が覚めた時は6時半近かった。一体何時間眠ったのだろうか。
 
 こんな天気では、前から話のあった取材はないだろうと思っていたら、これも意外、北原のお師匠の次女Yさんが運転する車で、長女のKさんも一緒に中部日本新聞の女性記者Iさんが来た。
 思案の末、雨なのでまずは北原新道まで車で行き、そこから高座岩、そして尾根道を御所平峠へ戻るような道順にした。ただし、案内役の管理人は高座岩で一行とは別れ、北原新道を下り、捨てておいた車を拾って林道を戻り、途中にある御所平峠の登り口で3人を迎えるという段取りを決めた。

 雨はそれほどひどくなかった。北原師の思いで話などしながら、快調に高座岩まで登った。ただ、Kさんは下降の経験はあっても登るのは初めてだとか、少々消耗気味に見えた。大きめの雨合羽も彼女の足を引っ張ったかも知れない。
 そこで予定を変更し、案内人の代わりにKさんに新道を下ってもらうことにして、高座岩の取材を終えたI記者とYさんも一緒に、御所平峠へ向かうことにした。
 土砂降りでなければ、雨に煙る山歩きも決して悪くはない。濡れた樹々の緑が晴れた日とはまた違った古道の趣を感じさせてくれていた。(6月23日記)
 
 7月5,6の予定で来る小屋泊のSさんご夫婦は朝着だと知り、理由を聞いたら初日に法華道を往復するのだと言う。こういう人たちが少しづつだが増えてきている気がする。北原のお師匠もさぞかしあの世で喜んでいるだろう。

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      ’25年「夏」(29)

2025年06月21日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 驚いた。星の狩人、かんとさんが、伊那市のホームペイジにある「市長への手紙」に、入笠牧場内のキャンプ場と山小屋の存続を訴えてくれたという。思ってもみなかったことだ。そもそも、こういうサイトの存在があることすら知らなかった。
 言うまでもなく、南西の空に向かって深くふかく白髪頭を下げた。
 
 確かに、ここを長年愛し、大切に思う人たちが同様のことを市に請願しようとする動きがあったことはあった。しかし、有難いと思いつつも、それについては遠慮した。いろいろなことが不確かで、先の見通しが立たないままでは却って良くないと思ったからで、今もその状態は変わらない。
 それと、管理人である自分の立場からすれば、こうした行動が利己的な保身に基くものだと誤解されたくはなかった。

 牧を下りても、入笠とは細い糸で繋がっていたいという気持ちはある。しかしそれは、北原のお師匠が見せてくれたような個人的なものであり、遠くへ行ってしまった人たちへの思慕、哀惜と似たような思いだ。
 譬えが飛躍過ぎたと言われたが、それでも入笠は女房のよなものであり、語り、触れ、力を与えられてきた生き甲斐であったと言っていい。
 
 人の声がする。きょうは土曜日、テイ沢から来た人たちのようだ。早朝の沢はまた格別な雰囲気がある。明るい男女の話声にもきっとそれが影響しただろうと思って聞いた。
 この前の大雨で心配したが、一昨日高座岩へ行った後、テイ沢の一部を岐阜から来た人を見回りを兼ねて案内したら、心配するほど沢は荒れていなかった。
 来週には某紙の取材、撮影の下見の話も来ている。キャンプ場の草刈りは一応終わった。
 
 久しぶりに来てくれたNさんが1泊して、今帰っていった。大病を患った後のようで、それでも「思い切って来て良かった」と言ってくれた。一緒に牧場を見回り、再訪を約し帰っていった。氏も、牧場の閉鎖には驚き、残念がっていた一人だ。

 赤羽さん改め二子玉川さん、久しぶりです。引っ越し15回ですか。わたくしも東京では10回、同じことをしました。
 それはともかく牧はこんなことになり、ここからの引っ越しも結構大変なことになると思っています。それまでには、1回をば云ふにはあらず、何回でも来てくだされ。待ってます。

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      ’25年「夏」(28)

2025年06月20日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 朝飯前に草刈りを始めようとしたら、どうも刈り払い機の切れ味が良くない。それに前日の仕事の粗(アラ)が目に付き、それも気になる。
 
 新品の歯の切れ味を知ってしまうと、どうもいけない。昨日もしっかりと研いだつもりでいたが満足の域には程遠く、これでは一日に2回もチェーンソーの歯を研ぐ樵のようなことを、草刈りにおいてもしなければならないということか。
 また、あまり丁寧に草を刈ると、翌年の生育に影響すると思うあまり、どうしても仕事が雑になってしまう。来年のことなどもう気にするなと言う声も聞こえるが、なかなかそうなれずにいる。

 キャンプ場内ではあるが、普段そこにテントを張る人はあの夫婦しかいない、という場所がある。昨日も、そこを草刈りしながら、多分今夏もあの人たちは来ないだろうなと思ったりした。何年もの間、夏になれば必ず来ていたのに、昨年から来なくなった。
 かなりの年齢差のある夫婦で、旦那さんは歳のせいか視力が低く、その他にもあまり健康とは言えず、ここへ来るときは運転はもっぱら奥さんがしていた。
 連絡を取ることはできるが控えている。来ることができなくなったのではなく、来る気がなくなったと思っていた方がいいからだ。

 20年近い年月の間には子供は成長し、大人は老いる。親子の関係も当然に変わってくる。望遠鏡を覗いて土星の環が見えると大きな声を上げていたあの子は大人になり、もしかすれば結婚したかも知れない。「いつまでもここは変わりませんね」と言ってくれた人は鬼籍に入ってしまった。
 例年来てくれた旅好きのMさん夫婦は「今年は3回行くからね」と言って予約を入れてくれた。有難い。
 昨日、法華道を登ってきて、ツエルトで1泊したS氏は、SNSを見たら管理人は気難しい人だと書いてあったから敢えて来たとか。
 夜はその気難しい管理人に言って、一人ながら露天風呂を用意させて入ったようだ。これまで訪れたキャンプ場の中では5本の指に入ると言ったから、3本の指だろうと訂正させた。
 まだまだ甘い、もっともっと気難しい管理人になれるよう努力しなければ。クク。

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      ’25年「夏」(27)

2025年06月19日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 午前6時半、気温20度快晴。30分ほど前は確か13度くらいだったから、気温の上昇は思いのほか早い。
 今年も、クリンソウの大群落が鹿によって全滅した。この時季、源流を桃色の渓に変えようとしていたのに、10年ほど前からか鹿が開花しかけた蕾を待っていたかのようにして食べてしまう。相当の数になるが花だけを狙う。以前にはなかった鹿の新しい習性と言えそうだ。

 キャンプ場の草刈りをしていて気づいたことだが、山柴の生え方が少しづつ衰えを見せるようになってきた。どうやら里とは違って、舐めるようにきれいに根元から刈るのは止めた方がいいようだ。刈れば刈るほど芝の稠密度が落ちていく。
 ここがなかなか難しい。カヤとかクマササならそれでいいが、地肌の出たキャンプ場より芝の上の方が快適だろう。

 このごろは「Wi-Fiありますか」とか「ドッグランの設備ありますか」などと問い合わせてくる人もいる。そうかと思えば、キャンプ料金が安いからという理由でか、「トイレはありますか」とか「水道は使えますか」は、いくら何でもと思う。
 水質検査は必ず受けるし、今月の23日には保健所が来る。あまり意味のない消火設備の点検にも、一昨日業者がやって来た。消防署も来る。
 駐車場もあるし、富士見側の交通規制もここへキャンプに来ると話し、手続きを踏めば何の問題もなく車で来られる。

 牧場が閉鎖になり、来年からの小屋やキャンプ場の営業に関しては全く何も分からない。伊那市からは何人か職員が来たが、農協からは閉鎖を決めて以来誰も来てない。畜産課は課員も減って忙しいだろうし、彼らでは何も決められないからそれでいい。
 時代遅れの管理人は、古き良き時代のキャンプ場の面影に拘っている。Wi-Fiの設備も、ドッグランの施設も不要だと思うし、犬に関してはそろそろ一定の制限が必要だと考えている。
 料金に関しても、個人営業とはまた別の話だが、草の上に一夜の夢を結ぶのには適正だと思っている。

 〽昏れゆくは白馬か 穂高は茜よ 樺の木のほの白き 影も薄れゆく 寂しさに君呼べど 我が声空しく 遥か谷間より 谺はかえり来る・・・ (「山小屋の灯」)。

 こういう歌が生まれるような牧場であり、山小屋、キャンプ場であってほしいと思い、願ってきた。
 
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      ’25年「夏」(26)

2025年06月18日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

         ようやく、君の写真を掲載させてもらいます          Photo by Kawase氏                                                                        
  
 文句のない天気だ。真っ青な空、梅雨はどこへ行ったのだろうか。今朝もハルゼミが鳴き、それに混ざってカッコウの声がする。
 緑の色の濃くなった夏の森や林には、春や秋ほどには感興が湧いてこない。夏などなくてもいいと思うことさえある。
 ところが昨日は違った。ここには突然、本物の夏が来て、辺りの雰囲気が一変した。まず、光が違った。敢えて言えば光の色、輝きが違った。それを受け、周囲の不愛想な老人のような森や林が、途端に何歳も若返ったように見えた。
 
 雲一つない夕暮れの空には銀色の飛行機が2機、音もなく東に向かって飛んでいった。あれは航路からして、成田へ向かう日本航空の便だろう。
 第1牧区へ急いで上がると、馴染の風景が、眺望が、夕日に洗われでもしたようで、その真新しい新鮮な迫力に息を呑んだ。19年間の中でも、滅多にお目に架かれない"国宝級"の眺めだと言っても許されただろう。
 一人だけでは勿体ないほどの過分な天然の恵みと思いつつも、しかし写真は撮らなかった。撮れなかった。当然、言葉にもならないから、これもこれ以上は慎む、止める。

 都会では早くも猛暑だ、熱中症に気を付けろなどと喧しい。確かに、里では気温に関しては1千㍍の標高差を感じた。ここでは今も1枚の布団と毛布重ねて寝ているが、里では昨日、2枚重ねの毛布を跳ねのけて寝ていた。
 
 何年も前になるが、ある老婦人から、一夏をここで暮らさせてほしいと頼まれたことがあった。若いころは時代の先端を走るような、報道の仕事に携わっていた人だと聞いた。
 その人もすっかり老いて、人工の冷房が耐えられないと、都会から逃げて来たようだった。気の毒だと思ったが、ここでは賄い付きの営業はしていないと、断るよりなかった。
 夕暮れ時に、幾日か置いてもらえた小屋の近くで、所在無気げに腰を下ろしている寂しそうな姿を見た。そんなときは声をかけ、一緒に富士見まで往復したこともあった。いろいろ話したことを時々思い出すが、もう、消息はいつにか絶えた。

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