入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

      ’24年「秋」(51)

2024年10月05日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

       法華道の御所平付近を行く
 
 下界ではいまだ30度越えをしたとかいう話を聞いたりする。夏のしつこい名残は、幾歳になっても表舞台から退場できないあの人たちのように続いているのかと呆れるが、しかし、山はもうすっかり秋の季節に入っている。
 座頭沢の落葉松は水揚げを止め、焼き合わせのツタウルシは林を赤く燃やし、初の沢の大曲りにあるマユミの木は赤い実が一段と目立つようになってきた。
 今朝、車の前を横切っていった雄鹿奴は子づくりに励み過ぎたのか、虚ろな目をしていたし、最近よく見かける理想の高いあのキツネは、きょうも1匹だけで曇り空の下、御所平の森の中を彷徨っていた。

 今朝も見たが、まだ森の中にキノコ狩りをする人の姿があった。道路脇に停めてある車はすべてと言っていいくらい「諏訪」であり、伊那の人はここまでいわゆる「雑キノコ」を採りに来ようとはしないようだ。まだ採れるのかと訊いたら頷いていた。
 確かに昨日、法華道を整備していてヌメリカラマツタケを見付けた。「持っていけ」と言わんばかりに道を挟んで2か所、クマササの下にあった。写真は撮ったが、キノコは持ち帰らなかった。
 そのままでもいいと思って残してきた。良い味噌汁の具にはなったかも知れないが、そんな使い方ではもったいない気がしたのだ。



 御所平といえば、宗良親王と並び北条高時の遺児時行がここに逼塞したと伝えられるが、その時行を主人公にした漫画の人気が高いらしい。「逃げ上手の若君」という題名だと聞くが、彼の生涯から考えるとあまり似つかわしいとは思えない。
 以前にアウトドア関連の雑誌「Fielder」に時行のことを書くため、フリーライターの宗像充氏がここへ来たとは呟いた。後に記事が掲載された雑誌(vol.74)を送ってくれて、そっちの方は大いに参考になり、大変有難かった。
 この記事では触れていなかったと思うが、時行が熱田神宮の神官の娘に生ませた子の子孫こそが、幕末の偉人横井小楠(号)に当たるという話を、苦難の生涯を送った時行のために信じたい。

 深まる秋を求めてお出かけください。
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      ’24年「秋」(50)

2024年10月03日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

     この古道、法華道を歩いてみたくはないか
 
 昨日も、雨が降り出す前の少しの時間「法華道」へ行って草刈りをしていた。あそこにいると、いつものことながら延喜式に記されているというもう一つの古道「石堂越え」のことが気になってくる。
 こちらの方は法華道よりかもっと古く、5世紀に入って日本に馬が入ってきて以降、信濃国(長野県)がその最大の生産地となっていったころに、甲斐(山梨県)にも同様の牧があって、都へと馬が送られる際にはこの古道、石堂越えを通ったと伝え聞いている。
 
 以前は、大阿原から富士見へ下る少し先、右手に「石堂越え」の標識があったが、今は取り除かれて通行止めになっている。このあたりの事情は富士見に聞いてみなければ分からないが、どうがもこの古道がテイ沢のどこかを通り、小黒川の川床を進み、半対峠を超えて・・・、遠く奈良や京の都まで通じていたらしい。
 あくまでも口碑の類に過ぎなく、もう少し詳しく知りたいと思いながらも、歴史の迷路は深く果てしなくて遂げずにいる。

 そういえばきょう、伊那のケーブルテレビがテイ沢の取材に来ることになっていたが、天気が良くないということで中止になった。
 もし予定通り来たら、先日触れた「開道記念碑」のことも話そうと思っていた。この碑については、この独り言を聞いてくれたある親切な人が不明な個所も書き添えて全文を送ってくれた。そして、正確な文章が知りたいともあった。
 
 いくつかの個所は判読できた。それでも意味不明な個所も残った。正確を期すため、もしかしたらと、高遠支所の知人のT君に尋ねたら調べてくれ、支所にあった原文を翌日には送ってくれた。実に素早く有難く、今それがPCの中にある。
 碑の方は西暦(1963年)で、原文の方は和暦(昭和38年)といったように、他にも若干相違するところもあった。
 資金的な問題だろう、碑は石ではなくコンクリートである。遅かれ早かれ読むことはできなくなり、この「入笠牧道」建設の経緯は後世に伝わらなくなってしまうに違いない。いや、入笠山の伊那側一帯が、かつて牧場であったことさえも、同じ運命をたどるかも知れない。

 きょうの写真は、一部の人の間で「オタマジャクシの池」と呼んでいる小さな池塘と、その横を通る法華道。

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      ’24年「秋」(49)

2024年10月03日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 一仕事終えて、森から帰ってくる。第1牧区の中に停めておいた車に戻り、刈り払い機や他の道具をそこに積み込む。そして、牛のいない放牧地を眺めていると、まだ緑の色を残す草原だけでなく、夕暮れの空や、背後の森が何とも言いようのない安堵感、平安を与えてくれる。
 霧ヶ峰、美しケ原、幾重にも続く山並みの向こうに北アルプスの見知った峰々が見え、その中でも広大な台形の美しケ原を目にすると何故か落ち着く。
 やがてつるべ落としの秋の日が落ち、夜へと移行しようとする晩景の中にいて、満ち足りた思いが穏やかな快感となって全身を満たす。もし煙草があれば、長い間の禁煙を破って吸ってしまったかも知れない。

 きょうは午後から雨になるようだ。古道法華道の草刈りの跡を片付けたいと思っているし、必要でなくなった電気牧柵の冬支度もそろそろ始めたい。第1牧区の鹿対策用に張り巡らした電気牧柵の回収も、この秋の仕事の予定に入っている。
 この電気牧柵は県が調査を兼ね鹿対策用に設置してくれたものだが何年も経ち、今では効果は期待できないどころか、保守する手間だけが大きな負担となっていた。
 それと、前回に砕石2立米を入れたあの作業道にはさらに倍くらいの量を入れて、少なくも3トン程度のトラックが上まで行けるようになれば、放牧以外の仕事が確実に増える。
 
 ただし、この18年の間ずっと考えてきた牧場の将来の活用方法については、一管理人の分を超えている。残念だが、今以上のことには手を出さないで次の世代に期待するしかない。
 これについては、どれほどお慕い申し上げても振り向いてくれなかった人のように、入笠への思い入れは誰にも負けないつもりでいても、分不相応な人間の岡惚れのような結果となって、終わりとする。

 権兵衛山が雲の中に隠れてしまった。この後しばらくしたら雨になるだろう。曇天の日の、森の中の味わい深い静けさをお裾分けできないのがもどかしい。
 
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      ’24年「秋」(48)

2024年10月02日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

   M42(再録)       Photo by かんと氏
 
 今、豪勢な星空を見てきた。午前3時半。この時間だと冬のダイヤモンドやオリオン座など、どれも冬を代表する星座である。極寒の夜空でなく、厚手のシャツ1枚でも耐えられる秋の季節に眺められて有難かったが、ただその分、「奇(くす)しき光」、不思議な光に対する畏敬とか尊崇の念は若干薄れたかも知れない。

 昨日は午後も遅くなって、少し法華道の草刈りをした。御所平にあるオタマジャクシの池から御所平峠までの一部で、大した距離ではない。きょうも、もう少し続けるつもりでいる。
 今や通る人も少ない古道である、あまり道幅を広くすると、それだけ踏まれる場所、位置が拡散してしまいクマササの繁茂を許してしまう。理想としては多くの人が歩き、踏み固められ、さらに自然と道幅も拡がっていけばいいだろうが、この古道を知る人や訪れる人は少ない。早晩消えてしまう可能性だってないとは言えない。

 伊那市の市報を見れば、市内のいろいろな場所地域で様々な活動が行われているようだが、およそ「入笠」の文字を目にすることはない。
 かたや、入笠へ来る人は徒歩や車でなく、すべからくゴンドラを利用してもらいたいはずの富士見町でも、道路や登山道の整備はよく行われていて、沢入、入笠湿原、入笠山登山口には水洗トイレまである。考えさせられる。
 御所平の地が遠く宗良親王や北条時行に繋がると言っても、もはや歴史の片隅に追いやられ、忘れられてしまったのだろうか。
 
 先日、11月になったら山梨から「甲州と信州を結ぶ最短の道だ」と言って、また10人ほどの人がこの古道を往復したいとする書置きがあった。これで3度目になるだろう。北原のお師匠亡き後は、法華道にとっては貴重な、有難い人々だ。
 そうそう、お師匠が切り開いた山道と並行するように、わずかだが古い昔からの道が分かり、そこを去年草刈りしておいたら、それなりの山道に還っていた。

 赤羽さん通信多謝、山本さん調べてみます。
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      ’24年「秋」(47)

2024年10月01日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

 
 この呟きは大体文字数にして1200字くらいを目途にしている。もてあます時もあれば、言い足りないと思うこともある。特に、たまに何か主張しようと思えば、意を尽くせずに終わることの方が多い気がしている。
 
 何度も言っているように、この独り言の本来の目的は入笠の伊那側の紹介だから、努めておかしなことは言わぬようにしているつもりだが、それでもやはり地は出てしまう。加えて、いつもの弁解ながら、野生化も進んでいる。
 
 それにつけて先日、友人のM君から「自分のことをあまり短気だとか言えば、そこを訪れようとしている人に悪い印象を持たれはしないか」と注意の言葉を頂戴し、恐れ入った。確かに、そうだ。「おもてなし」の心が不足していると思われるかも分からない。
 それでも長年の常連客はいるし、利益第一主義ではやっていないつもりだし、キャンプ場も「混雑させない」を謳って、良心的な営業をやっていると秘かに思いながらやってきた。

 それほどではないが、確かに今年は例年に比べたら来る人の数は減っている。キャンプブームがcovidー19とともに去ったという人もいるし、関連商品を製造したり、販売している会社、店が営業を閉じたという話も聞いた。
 高い用具を購入してキャンプをやってみたら野外生活が性に合わなかった人もいただろうし、期待したような自然と出会えなかった人もいただろう。
 
 たまさかの自然との触れ合いを体験したからといっても、所詮は一時の仮の場所、帰るべき所が待っている。ただ、それでも「来てよかった」と言ってもらったりすると顔がほころぶ。

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      ’24年「秋」(46)

2024年09月30日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

 
 きょうも曇天、囲いの背後のコナシ、白樺、落葉松の混成林にも、権兵衛山を包んだ雲の切れ端がゆっくりと流れていく。静かだ。日の射さないせいか、周囲の渋めの秋の色が静けさをさらに深めている。

 入笠牧場で18年という長きにわたり働き、最近の2年ほどはここを生活の場にもしている。だから、周辺のことはよく知っていると言ってもいいだろう。
 それにもかかわらず、まだ行ったことのない場所が極めて身近な場所にあった。以前から気になっていたが、そのうちにはと思っているうちに行かずじまいで歳月が流れた。
 その場所というのは富士見側にある「沢入」から「入笠湿原」に至る登山道のことである。

 昨日(28日)、ふと、片道1時間かそこらの山道に過ぎない、往復すればいいだけのことだと思ったら、居ても立っても居られず、秋の午後も3時過ぎ、少々遅いと思ったが出掛けることにした。
 こんなことを思い付いたのも焼き合わせのツタウルシの紅葉を見ようと出掛けた帰りのことで、それが期待はずれっだったせいでもある。まだ早過ぎたかも知れない。
 
 歩き出しは、入笠山の登山口にある駐車場からにした。3時を過ぎていたと思っていたが、折り返しの沢入で時計を確認したら3時25分、駐車場へ戻ってきたのが1時間後の4時25分だったからそんなわけはない。と言って、かなり速足で下っていったから、下りに1時間はかかり過ぎの気がしないでもないが。

 そんなことはさておき、この登山道は勾配もそれほど急ではなく、よく踏み固められていて、長年多くの人が通った道だったことが分かる。整備もひと昔前までは丹念に行われていたことが随所に認められ、想像していた以上のいい山道だった。
 時間的なこともあってか、下りで夫婦らしき1組を追い越し、登りで下って来る1名の登山者に出会っただけで、谷川を流れる水音を聞きながら静かな気持ちの良い山歩きができた。
 この山道から入笠山に登れば、これなら「登山」と呼んでもいいだろうと、そんなふうにも思ったりしたものだ。(9月29日記)

 富士見町としては、今はひとりでもゴンドラに集客したいだろうから、ここであまり古い登山道の良さを強調したら有難迷惑だろう。しかしそれでもこの登山道を知っておいて、いつか歩いてみることをお勧めしたい。
 きょうはもう少ししたら里へ下る。

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      ’24年「秋」(45)

2024年09月28日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 今朝は霧が深い。午前7時半の気温は13度と、たった3度ほどの違いでも先日来の気温10度と比べたらかなり過ごしやすく感じている。いつだったか、気温が10度以下まで下がったのを機に炬燵を用意したものの、電気はまだ入れてはいない。
 今までの習慣で、外に出てつい霧の中に牛の姿を探そうとして「もう牛はいないのだな」と、改めてそのことを実感した。こういう思いはまだしばらくは続くだろう。
 今週末は珍しくどこからも予約が入っていない。

 牛が下牧したあと、昨年はどんなことをしていたかと今後の参考にするため前年の作業日誌を見ていたら、牧を閉じたのは今年よりか早く、9月の19日だった。もう、そういうことはすっかり忘れていた。
 しかも、残留牛が4頭も出たことを日誌を読むうちに思い出したが、その牛たちの「調教を始める」とはあるものの、いつ里へ降ろしたかの記述はない。詳しく思い出そうとしても、その1年前の残留牛の印象、記憶の方が強く、それと重なったりして、まさに霧の中。
 
 その後、間を挟んで1週間ほど映画の撮影が続き、それなりに忙しく過ごしたことが日誌に記されている。もちろんそのことは忘れずに覚えていたが、しかし、それが下牧後のこんな時季だったとは驚いた、忘れていた。
 遠い記憶を呼び起こすうち、あとからあとから争うように幾つもの記憶の断片が映像のように甦ってきた。政策担当者、監督、老女優・・・。
 照明係の親方は、軽トラで機材の搬入を手伝う管理人が短気を起こさないようにとの配慮でか、トラックの隣席にいつも気のいい女性の照明担当者を座るようにと言い付けていた。彼女は結婚したのでその仕事を最後にすると話していたが、どうしたか。
 押し入れには2足の冬物の靴下があるが、それも気配りの親方から頂戴した物だ。
 
 一合一会、まさにそうだ。こんな静かな曇天の秋の日に、そんなことを思い出しながらいい時間が過ぎていく。雨が降らないようなら、焼き合わせにでもツタウルシの紅葉でも見にいくか、それとも少し森の中でも歩いてみるか。
 朝から1台の軽トラが通っただけで、登山者の声もしなければ、姿もない。
 
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      ’24年「秋」(44)      ’

2024年09月27日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 午前2時から起きている。撮影関係者の乗り込みは3時半の予定のため、もう少し眠る時間はあったが、眠る努力が面倒になりこのまま起きているつもりだ。長い一日の始まりである。
 明日の下牧に関しては、きょうはそんなことをやっている余裕がないので、昨日のうちに囲いと追い上げ坂の2か所にすでに牛たちは集めてある。
 
 昨日の5時少し前に第1牧区へ行くと、塩場の近くにいた牛たちがすぐにやってきた。そこまでは良かったが、ないと思っていた塩が塩鉢の中にまだ残っていたのに気付いた牛たちはそれに夢中になり、いくら呼びかけても誘導には応じない。根気比べが始まった。
 
 塩はいつものように5番が2鉢あるうちのひとつを独占し、もう1鉢に他の牛たちが群がった。中にはその群れに入れずお預けになる牛もいた。
 感心したのは普段は専横をほしいままにしている5番であったが、全頭が塩をなめ終わるまで近くでじっと行儀よく待っていて、その後皆を連れて近くの放牧地へと移動した。
 あの牛は小高い丘に到達したその5番であったか、しつっこく声を上げる人間が眼下の追い上げ坂へ至るゲートを開けて呼んでいるのに気付いらしい。それでようやく1頭が一目散に走ってきた。そうなればもう世話はなく、軽いstampede(集団暴走)状態となって他が追随し、その勢いのまま斜面を駆け下っていった。(9月26日)

 撮影は、歌姫をを始め皆から喜ばれ、感謝されて無事に終わった。そしてきょう27日、予定通り牛たちは里へと下りていった。
 囲いの中はがらんとして、なんとも物寂しい風景になってしまっている。これから第1牧区へも行くつもりでいるが、曇り空とそこも牛のいない広大な草原だけが役目を終えて待っているだろう。

 ビールの減るのと日の経つのは同じように早いと以前に呟いた。それに、牧場にいる牛の期間も加えなければならない。
 もう明日から牛たちのことは気にしなくてもいい。大雨に濡れて、木の下に寄り添うようにして佇む一群の牛たちに同情する必要もなくなった。脱柵と事故は絶えず付きまとう不安であり、電気牧柵の電圧や断線もまた頭から離れることはなかった。

 牛たちは囲いにいたのも、追い上げ坂にいたのもパドックに入れられ、検査を終えると縄を打たれ、トラックに乗せられて去っていった。今年はあまり暴れる牛もいなかったし、残留牛も出なかった。今頃は狭い牧舎の中で、自由に過ごせた山の上の暮らしを懐かしんでいるだろう。

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      ’24年「秋」(43)

2024年09月25日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

     この囲いは牛がいなくなれば鹿の捕獲用の罠になる
 
 いつもこの独り言に耳を傾けていただき、ありがとうございます。本日25日、26日は下牧を前に業務多忙のため、沈黙いたします。
 
 ここには本格的な秋が訪れています。牛はいなくなりますが、深まりゆく秋を求めて是非お出掛けください。

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      ’24年「秋」(42)

2024年09月24日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 ワレモコウはその季節を終え、ノコンギクも終わりつつある。昨日の午前7時の気温は8度、今朝は6時の段階で10度と、ぼつぼつ衣替えが必要になってきた。
 霧が深い。囲いの背後の落葉松やシラカバの木は薄い墨絵のように見えているだけで、中に牛の姿はないようだ。少しづつマユミの実が赤く色づき始め、コナシは黄葉(こうよう)を待てずに散る葉も多い。
 
 外に出てみたら、いないと思っていた牛たちが囲いの中にいた。北の隅に固まっていたため、見えなかったのだ。
 あの牛たちもここにいるのは残すところ3日、4日目の27日金曜日には里へ下りていく。いつもなら下牧は大体10月に入ってからで、少し早いと思ったが、草の状態などを見ればそれも止むをえまい。それに、下ではいろいろな秋の行事、催し物の予定があるようだ。
 
 この仕事を始めて何年かは、ロープに縛られトラックに乗せられて山を下っていく牛の姿が哀れに見えた。と同時に、当時は牛の数も多く、放牧期間も今よりか長かったから大きな安堵感も覚えた。今もそういう相反する思いがないとは言わないが、気持ちの切り替えには大分慣れた。
   行きずりの花の宴さびしくもたふとしや   
 作家の思いとは違うかも知れないが、ふと、こんな言葉が浮かんだ。
 
 牛のいなくなった牧場で何をするのかとよく聞かれる。することはある。牧柵の整備、電気牧柵の冬支度、作業道の整備、枝打ちなどのほか、鹿対策もあればここを訪れる人たちへの対応などが残っているし、撮影の予定も入っている。
 預かった牛のいた時とは違い緊張感は薄れても、肉体労働はまだまだ続く。そしてその間に、深まりゆく秋を味わい、目に触れ、音で聞いた様々なことを少しでも多く記憶と体内に沁み込ませておきたい。

 霧が晴れた。夜露に濡れた草や木々の葉が日の光を浴びて輝きだした。やわら日の中で短い秋の一日がきょうも始まる。

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