スウェーデン音楽留学サバイバル日記 ~ニッケルハルパ(nyckelharpa)を学ぶ

スウェーデンの民族楽器ニッケルハルパを学ぶため留学。日々の生活を様々な視点からレポートします。

昔々、スペルマンスステンマの始まりのお話

2017-09-29 18:06:11 | 番外編

今日の話は、スペルマンスステンマ、その始まりについてのマニアックなお話しです。

1年ほど前に、「フォークミュージック・フェス(民俗音楽祭)」と「スペルマン・ステンマ(演奏家の集まり)」の違いの話を書きましたが、前書いたのは実際に参加する人をイメージした内容でした。(どちらも参加型の伝統音楽のお祭ですが、「フォークフェス」は、よりショー的でステージにお金もかかっていて、一言でいうと、参加型ライブ・イベント。「ステンマ」も規模が大きいとステージ・プログラムは同じくらい充実しますが、「ステンマ」という言葉は音楽は関係なく単に「集まり」という意味で、プロもアマチュアも関係なく伝統音楽を楽しむために人が集まったという感じ、と書きました。)

スペルマンス・ステンマspelmansstämmaを最初に始めた人

スウェーデンで最も有名な画家と言われるアンデシュ・ソーンAnders Zorn1860-1920が始めました。絵画は詳しくないのですが、ソーンの絵は、はっと息をのむ美しさがあります。透明感と北欧の光、品のある眩い色。Sommarnöjeと言う作品はスウェーデン史上最も高値で取引されたそうです。Midsommardansも美しいシーンを切り取っています。勝手な印象ですが、ソーンの絵を見ていると、同じ時代を生きたペテション・ベリイェルのピアノが聞こえてきそうです。

きっかけは1905年

ダーラナ地方ムーラMora出身のソーンは、子どもの頃、牛の角笛を吹いていた羊飼いの女性達の記憶がありました。しかし、1905年のある日、大人になったソーンが友人の狩りについて行った時、牛の角笛や柳の笛など吹ける人などもういないということを知ったのです。当時のスウェーデンは、外国から文化、音楽が一気に押し寄せていました。一般庶民には特にアコーディオンが人気でコード進行もはっきりしたモダンな音楽が流行り始めていたのです。元々村に根付いてた庶民の音楽は、楽譜や作曲者がいる訳でもなく、流行曲でもありません。当然、時代の波にのまれ消えていく一方です。そして、ダーラナの伝統文化の中で育ったアンデシュ・ソーンは、この危機感を肌ではっきりと感じたのでした。伝統音楽の保存、普及、継承を実現するためにどうしたらいいか、考えたソーンは、伝統音楽のコンテストを計画したのでした。賞金は50クローネ。ソーンによる出資です。

そして、1906年

アンデシュ・ソーンが、伝統音楽のコンテストをすると、スペルマン・ステンマ(演奏者の集まり)を呼びかけました。対象は笛とフィドル(バイオリン)で、当時の賞金としては高額で大変注目を集めたそうです。これが第一回、ステンマのはじまりです(出身のMoraの南、SollerönのGesundaで開催)。その時の写真が、Sollerö hembygdsföreningで見れます。有名な話ですがステージは荷台でした。そうして、コンテストを兼ねたステンマは続くのですが、お金で注目を集めるという劇薬は当然、副作用も生むのです。当時、審査員もした、スウェーデンの著名なクラシックの作曲家、指揮者でもあるHugo Alfvenが長い手紙を書いて思いをつづったそうです。「注目を浴びたい人が利用する場になっている。若者や技術のある者よりも、年長の奏者ばかりが賞金を得ている。賞を獲得する者はわずかで、大半はがっかりして故郷へ戻り、中には二度と楽器を弾かなくなった者までいる」と。元々、注目を集めるためにコンテストを始めたものの、進む道を迷っていたソーンは、コンテストから一切身を引きます。

1910年、スカンセン(ストックホルム最古の野外博物館)にてリク・スペルマンス・ステンマ riksspelamansstämma

ソーンは、友人ニルス・アンデションNils Andersson(地方の曲を採譜し、スヴェンスカ・ロータルSvenska Låtarを出版)に託しました。そこで、初めて全国から奏者を集め、全員(約60名)に参加の記念としてソーンがデザインしソーンの資金で作った銀メダルを渡したのだそうです。これが本当の意味でのスペルマンス・ステンマの始まりだと言われています。「リクス riks-」というスウェーデン語は、ここでは"nationwide" 全国の~、という意味です。全国から集まった奏者が、演奏や曲を通して交流し、話をする場を設けたのです。その後、ステンマは各地に広がり、夏のフォーク・フェスとしても数多く開催されています。アンデシュ・ソーンの芸術家としての伝統に対する思い、人脈、そして既に財を成して資金を提供できたことがその後の伝統音楽の普及に大きく影響したのです。

1933年 ソーン・バッジ(ソーン・メルケZornmärket)と、リクスペルマンの称号

現在のsvenska folkdansringenにあたる組織が、ソーン亡き後、残された妻の了承を得て、1910年と同じデザインのソーン・バッジ(ソーン・メルケ)を始めました。ソーンの理念と同じく、伝統音楽の普及や継承を目的に、(伝統音楽の)知識や技術を兼ね備えた人にメダルを与えるというものです。審査は演奏だけですが、知識もなく弾くとすぐにバレてしまいます。またクラシック教育を受けて熟練の技を聞かせても何のプラスポイントにもなりません。現在では、diplom - brons(銅) - diplom efter brons - silver(銀)と4段階あり、審査員の前で演奏し一つずつ合格して上がっていきます。guld(金メダル)のみ、審査員の前で弾くことなく、伝統音楽に貢献した人が選ばれます。開催地は毎年変わり、金メダル受賞者はその開催地の奏者が選ばれます。そして、銀メダルか金メダルを獲得すると、「リクスペルマンriksspelman」の称号を名乗れるのです。

これは別の記事でも書いた気がしますが、リク riks-は、"national","country's"という意味なので、リクスペルマンは単純に訳すと「national musician 国の奏者」となってしまい、国民栄誉賞か、国が与えたメダルかのように誤解をされることがあります。ですが、「1910年、スカンセン」の上記の内容の通り、「全国規模の、全国大会」のような意味合いの言葉です。あまり直訳にこだわらず「伝統音楽認定奏者」くらいにするとちょうど良いのかもしれません。私がソーンバッジのことを柔道の茶帯、黒帯の例えで言うと「まさにそう」と言われます。(ちなみに、私はdiplom, bronsと取りました。早くsilverが取りたいと思うものの、審査のための準備が出来ずトライできていません。)

レベル的にどんなものか?興味がある方もいるかと思います。私の個人的な印象ですが…音楽学校のクラスで優秀な生徒はbrons、その学校で講師になれるくらいの人がsilverというイメージを持っています。もちろんsilverで認定されてもそれ以上の実力は測る術もなく、例えるなら「名誉教授レベル」から「頑張って先生レベルになった人」、「職人肌」や「芸術家風」まで様々な奏者がいます。ですがsilverの意味するところは、特定の地域の伝統音楽を後世に継承していける実力を認定された人、です。ソーンメルケの公式サイトでは、1933-2005年の間に銀メダル740名、金メダルが107名と発表されています。

ステンマのスピリット

つまり、伝統音楽を演奏する人が一同に会し、演奏、意見、曲など音楽を介して交流する、社交の場です。演奏すれば、子どもも大人も老人も、プロもアマチュアも、ステンマでは皆、対等です。社交といえば堅苦しいですが、コンサートを聞いて感動して家に帰る自己完結ではなく、音楽の楽しみを人と分かち合う場がステンマなんだと思います。元々セッションの文化がある欧米では、ジャズ、ブルーグラス、アイリッシュ音楽などなど、自由にセッションをする音楽フェスは各地にありますが、ステンマではステージで演奏する奏者と、ステンマ参加者の一人一人は全員が対等で隔たりがなく、それぞれが主役です。このスウェーデン発祥のステンマの精神は参加すれば肌で感じると思います。実際に、ステンマではステージを終えた著名ミュージシャンも、今回はステージ演奏のない著名ミュージシャンも、朝まで弾いてしゃべって遊んで帰ります。busk spel(茂みで弾く=自由なセッション)こそがステンマの醍醐味です。

終わりに

日本では人が集まっても、楽器は習うもの、練習するもの、それを披露するもの、というイメージが強い気がします。セッションといってもメロディを皆で弾くだけです。楽譜を脇に置いて、相手を見ながら演奏をする交流の場が増えていくときっと楽しいと思います。スウェーデンスタイルのステンマ、北欧の音楽祭が今年も三田市で開催されるので楽器を持って遊びに来る人が増えるといいなと思います。

ここまで書くと、日本の地域の伝統曲(祭事の、笛や太鼓の曲)につていも、存続、継承が気になることを最後に触れたいと思います。私の父は長年そうした曲を収集、採譜していて話を時々聞くので、奏者が亡くなった時がその曲も終わりというのをなんとなく感じてきました。日本にも多様な曲が地域に伝わっています。私が子供の頃に聞いた獅子舞の曲と、同じ市内でも違う地域の違う曲、現在の実家がある10kmほど離れた地もまた違うメロディがあります。今挙げたうち、1つだけが無形文化財に指定されていて、残る曲はこの先どうなるのでしょう。民謡や歌を発掘、保存、普及活動する方はいますが、全国をカバーするには足りていません。

実家近くの盆踊りの曲も、スピード感があってかっこいいんです!でもルーツ不明。ちょっと前まで歌い手と太鼓がいましたが、高齢のためか数年前から録音に変わりました(録音といってもCDではありません)。小さな町内は高齢化で盆踊り自体も年々縮小されています。

また、歌一つとっても奥深いです。少し前に「子守と子守唄」(右田 伊佐雄)という本を読みました。子守という仕事をしていた労働歌としての側面や、竹田の子守唄も「実は~」という話が多々ありますが、この本で紹介されていた内容が興味深かったです。この曲の歌い手が、出稼ぎで(❓記憶が曖昧)各地を回っていたことと関連し、そうした異なる土地の特徴がメロディの中にみられるという話。著者の推測ではありますが。スウェーデンのメロディや曲の混ざり具合の例を沢山見てきたので、そんなことはよくあるだろうなと思いました。

 

掲載したステンマの話は、知っていた内容と、改めてネットで検索した情報(下記)とで書きました。

http://www.sollero-hembygd.se/artiklar/sveriges-forsta-spelmansstamma/

http://www.zornmarket.se/index.php/om-zornmaerket-2/historik-3

https://www.svd.se/zorn-ville-radda-en-utdoende-kulturform

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