下蓮田踏切から見沼代用水を下ること数分。
水路上に構造物、道の反対側に石碑が見えてくる。
石碑のほうから先にみる。
「東西縁竣工記念」ということは、この先で用水路が東と西に分かれる工事を実施したということであろう。
石碑には見沼代用水発祥の江戸時代から今日に至るまでの歴史と変遷が刻まれている。
水路の上にある構造物は瓦葺分水工。
瓦葺分水工と呼ばれてはいるが、瓦葺調節堰というのが正式なようだ。
用水の反対側(右岸)から見る瓦葺調節堰。
水門の上部には「東縁用水路」「瓦葺伏越水門」「西縁用水路」と書かれている。
水門から下流側の様子。
下流側から見る水門。
水門を抜けた水は二つ分かれて流れる。
水門からおよそ数十mのところで水路がなくなり、コンクリート壁になる。
コンクリート壁から見る水門と二つに分かれて流れる水路。
向かって左(右岸側)が西縁、右が東縁である。
気になるのは、この先の流れである。
実は、このコンクリート壁があるのは綾瀬川左岸である。
ここまで流れてきた水は何所へどのように流れて行くのか。
(写真と文 by pokkunさん)