キツツキのドラミング

思い付くまま, 気が付くまま・・

『江戸の敵を長崎で討つ』

2012-03-01 11:00:58 | Weblog

安倍元首相がテレビで消費税率引き上げ関連法案への賛成と引き換えに衆院解散する『話し合い解散』を語った。これについて自民党参院幹事長溝手顕正が28日の記者会見で安倍について「もう過去の人だ。今、一所懸命リハビリ中で、主導権を取ろうと思ってああいう発言になったのだろう」とあからさまに切って捨てた。溝手顕正は参院広島選出4回当選、1942年生まれで69歳だ。さて過去の人と切られちゃった安倍普三は山口4区選出、衆院6回当選、1954年生まれで57歳だ。初当選は共に1993年だ。69歳が同じ午年で一回り下の57歳を過去の人だとは人を食った話だ。溝手は古賀派所属だ、親分古賀が総理になれない恨みもあるか。溝手は安部内閣で国家公安委員長・内閣府特命担当大臣、防災担当に任命された。防災担当として危機管理で数々失敗したり、2007年大臣に就任したのに無届で社会福祉法人理事長を務め給与を得ていた。大臣政務官規範違反したのを指摘され給与は返したが辞任しなかった。2007年3月能登半島地震の翌日防災担当だから被災地視察で輪島市を訪れた際「人命被害は幸い少なかった。1人だから」と発言、被害者が出ているのに幸いとは不謹慎だろう。と批判された。1人や2人の犠牲者など目じゃないと思っているのが図らずも口走ったに過ぎない。2007年7月台風4号が沖縄に接近したのにも拘らず本人は選挙運動の為、地元にいて東京に戻らなかったから防災担当指揮官不在だった。すっかり己の職務を忘れていた。2008年6月岩手・宮城内陸地震が発生した。溝手は自民党災害対策特別委員長として被災地の避難所を訪れた際、新潟地震と比較して「柏崎や山古志と比べ、人的被害や民家の被害が少なくて良かった。町の真ん中だったら大変だった」と発言した。この時は安倍改造内閣で解任されており、防災担当の後任は泉信也にチェンジした、引き続いて福田内閣でも泉は留任していたので即日現地入りして指揮を執った。溝手を解任していたから福田内閣は助かった。防災担当相で先の発言をしていたら今の田中防衛相並みに野党の恰好の餌食になっただろう。本人の職務怠慢や暴言、放言そして大臣規範に反した行動が原因で改造時に解任された怨みつらみがあるのだろうか。『江戸の敵を長崎で討った』心算か。また溝手は福島原発事故独立検証委員会報告書に触れ、菅は「後進国だったら裁判にかけ、死刑という話に繋がりかねない大変な話だ」とも述べている。自民にも馬齢は加えても箸にも棒にもかからぬ手合いがいるのが証明された。写真はまんさく